漠然と感じた圧倒的な存在感は、向き合ってみると軽やかにふわりふわりと飛んでいった。
それぞれに大切に見てきた美鳥さんと、今の美鳥さんが、そこにいた。
第7話での急カーブハンドルとも感じる展開に、振り落とされるか、しがみつくかどっちかなのかなと思っていた。
見終えると、椿さんが持ち続けていた美鳥さんへの気持ちを知って、シートベルトをつけて居心地良く車内に座るかのような自分がいた。
私の人生の喜びは、誰かの記憶のなかに自分が存在できた時だと思っている。
相手が私を知っている。これほどの奇跡があるだろうかと思う。なぜ?とすらよぎる。
親としか接しない、ケータイの着信履歴もメール履歴も父、母、父、父、母というサンドイッチだった時期があまりに長くて、私!ここに!居ます!と心でアピールし続けていた。
ゆえに、他者が自分を覚えているという現象に、毎度驚く。
ゆくえさん、夜々さん、紅葉さんで盛り上がる、ある種ちょっと角度のいじわるな会話。
でも、明ける気がしないんですけど!?と思う夜も、今止んでほしいんですけど!?と思う雨も、ある。
虚無スイッチを押された椿さんが非常にかわいかった。
囲まれて、あやされているのに、あの佇まいに効果音が付くなら『ぽつん』だった。
「誰かの前だけの自分ってあるじゃないですか」
「嘘の顔って事じゃなくて」
夜々さんが言った。
その後にも何度か出てくる、“誰かの前だけの自分”
あるよなあと思う。だから誰と居たいかを直感的に、もしくは考えて、行動に移すのだと感じる。
「嘘の顔って事じゃなくて」と言うところが好きだった。
優等生ぶるとか八方美人とかそういう話ではなくて、どの自分もどう引っ張り出されるかであって、自分であることに変わりはない。
椿さん、夜々さん、紅葉さんで話しながら、
おかわり出来る分のコーヒーを淹れる椿さんに心がぎゅんとなった。
それをちゃんと夜々さんが最後に少し注ぎ足せるように、何気なく残している椿さんの仕草もいい。
椿家として温かく迎えているにも関わらず、夜々さんと紅葉さんの斜め上な気遣いサプライズによって、困惑が顔に書いてある椿さんの可哀想かわいい様子に、見ているこちらの目が忙しい。
「え?やだなにこれすごいやだ」
がすごいすき。気遣いLINEに怯える椿さんも。
第7話で、困惑するほど分からなくなった美鳥さんの存在。
知りたいと思うから、全体像を掴もうとするから、もやっと漂うのだろうと感じながら、でも人の印象とは本来そういうものかと腑に落ちる部分もあって、不思議な余韻のなかでやってきた1週間後の第8話。
順番で来ますか…!とそこにも驚いた。
4人で居る所に、どーん!美鳥です!はしない。
それは視聴者に宛てても優しい気がした。
4人をここまで見てきて、突如現れた美鳥さんという存在。バランスという感覚では、どうなってしまうの?と思うところでもあった。
だから順を追って、それぞれの見てきた美鳥さんを受け取っていけるのは丁寧で、ありがたかった。
玄関を開けて、椿さんが美鳥さんを見た時の表情に涙が込み上げた。
恋焦がれたとは違う、忘れられなかったと言うより、忘れなかった人との再会。
良いアイスでお詫びする、ゆくえさんも可愛かった。
物珍しい味ではなくて、バニラアイスなのもいい。それで納得する二人も可愛い。
4人の席、ではなくて、ソファーに通した椿さんを見て、そうかあと思った。
4人のマグカップ、ではなくて、別のカップにコーヒーを入れた椿さんにも、そうかあと噛み締めた。
椿さんがコーヒーを淹れるシーンはこれまでもあったけど、オープニング前には乾燥させてあるガラスのドリッパーがよく見えて、
美鳥さんの訪問で、コーヒーセットがトレーに乗せてあることがわかった。とてもいい。
幼少期ではなくなった中学生時代の椿さんだけど、椿さんの方が幼なげに見えて、美鳥さんの方がどこか年上に見えるキャスティングに見入っていた。
それぞれの置かれた状況、心情を表しているようだった。
喧嘩か怪我か多くを語ることなくとも、見て汲み取れる、中学生の美鳥さんの佇まいに胸の奥がグッと押される感覚になった。
演じる上坂樹里さんの表現する美鳥さんが本当に本当に、抑えたお芝居なのにヒリヒリと届く空気が溢れていて、見えていない間の時間の奥行きを思わせる表現力があった。
“会えなくてもいいから、もう怪我をしていないことを願った。”
“帰りたい家が持てるように、願うしかなかった”
再会した椿さんと美鳥さんの表情に、なにかがあるんだろうなと思いながら、
それがあの頃の二人と共に、“会えなくてもいいから、もう怪我をしていないことを願った。”、“いつか、帰りたい家を持てるようにと、願うしかなかった”と言葉になった時、心の中がぐわーっと熱くなった。
椿さんが美鳥さんのこと、そう思いながら暮らしていたこと。その気持ちが存在するだけで、どれだけ貴重だっただろう。
それも、ゆくえさん、夜々さん、そしてきっと紅葉さんからも思われていた、願う人がいた美鳥さん。だけど向き合っているのは美鳥さんだから、よく今日までいてくれましたと抱きしめたくなった。
ゆくえさんが塾で話すのを見ながら、
算数は相容れなくて、でも数学は解けないけど何か好きだった学生時代に、途中式が違っても合ってることに納得がいかなかったなと思い出した。
答えが1つなら、それを習得しようと学ぶのに、何通りもありますと言われると途端にお手上げになってしまう。
いろんな花が随所に存在するドラマだけれど、今回はオレンジのガーベラが存在感を持っていた。
中学生時代の美鳥さんは椿さんのお花屋さんで見つめていた。ゆくえさんのいる塾では花瓶に。
花に意味があっても無くてもいいと思いながら見ているけれど、今回は特に視覚で印象に残った。
ガーベラ全体の花言葉には「常に前進」があって、オレンジであることには「忍耐強さ」が含まれている。
いじめとは言い切れないくらいのかすり傷ばかりをつけられる状況のなかで、先生はどうにかしてくれますか?と穂積くんは聞いた。
見ながら、どう語られるかが恐かった。
でも学校の先生を、完全悪にしなかったことに、私は安堵していた。人によると、そう考えてきたから。
志木美鳥さん。春夏秋冬みたいに見える面が移り変わる。
でもそれは美鳥さんに限らないことだなと実感する。
美鳥さんのことが好き。
人を好きかどうかだけで語るのもなと思うけど、第8話を見てそれが一番前にくる。
4人への愛くるしさがこれほどに募ったあとで、美鳥さんの存在が溶け込んでそれが心地良いのは、すごいことだと思う。
第8話はなんとも言えない染み渡り方をした。
見終えて、ドラマの放送は終わって次の番組へと移り変わっているのに、余韻の真っ只中にいて、じわあーっと涙が込み上げた。
相手の記憶のなかに自分がいる。人生の中間地点であっても、駅伝の旗振り応援みたいにすれ違う瞬間に関わる人になれている。のかもしれない。
それがくすぐったくてうれしい。
その感覚が蘇る1時間だった。