雪が谷大塚の坂の話をした

 

坂元裕二さんのサイン会に行った。

行ったのだと思う。

信じられない日だったけど、サインを書いていただいた本がここにあることを確認して、夢でも幻でもないと確信する。

 

お会いできる機会が、まず無いのだと思っていた。

2024年2月3日の土曜日。

それでも、生きてゆく」(河出書房新社)の完全版シナリオの刊行記念で行われた、坂元裕二さんのサイン会。

行くことが叶った。場所は、紀伊國屋書店 新宿本店。

新宿には来ても、大きな本屋さんがあるよと教わってはいたものの、しっかりと入店したことがなかった。

 

サイン会には14時から19時過ぎまでの間、沢山の方がいらっしゃった。

はずなのだけど、あまり感想を見える形で書く方を見かけていなくて、そうしたほうがいいのだろうかと少し不安に思っている。

サイン会という初めての経験と、忘れはしなくても書き記してもおきたい時間を、自分の形で書いておきたい。

文章は、前回の新宿歩きからの続き。

 

周辺を散策してようやく時間がやってきて、戻って来ました紀伊國屋書店

サイン会の会場は9階。

階ごとの作りをあまり分かっていなくて、2階からエレベーターを待ったのは間違いだった。

1階から乗る人がぎゅむぎゅむにいるので、ミラクルでもないと2階から人は乗れない。

何個か見送ってそのことに気づき、かといって1階で列になっているであろう順番を待っていては、集合時間に間に合わない。

残り3分。内心焦り始める。そして決める。階段だ。

言ってもまあいけるでしょうと勢いづけて上りだしたものの5階で一旦心折れる。いやもうここまできたらと立て直し、ぜえぜえ言いながらたどり着いた9階。

 

私は向かって右側の階段を上っていたようで、歩いて行くと左側の階段に番号順で列が出来ていた。

なので階段を今度は数段降りて、ようやく到着。

時間には間に合った。大変に安堵。

 

書店員さんもスタッフさんも頑張ってくださっていた。

一度集まったら放っておかれるのではなくて、もうしばらく時間がありそうなので店内を見ていていただいて、15分後に改めて集合で大丈夫ですと伝えてくれて、そのおかげで書店でもお手洗いに行く時間をもらえた。

時間がもう少しかかりそうとなったら、大変なのに丸椅子を息を切らして運んで階段を上がってきてくれて、座れるようにまでしてくれた。

 

同じ時間帯のチケット枠になったお隣の方とお話もして、緊張を分かち合いつつ、またそれぞれに緊張の面持ちで集中の時間を過ごす。

時間が要るのは、坂元裕二さんがひとりひとりと丁寧に向き合ってくださっているからだった。

座って待っている時に、喫茶店で書いた手のカンペが薄まっていることに気がついて、

これでは読めないとおもむろにペンを取り出して、上からなぞった。

 

サイン会のことを書くにあたって、

サイン会というものへの参加自体が初めてだったけど、きっと今回が当たり前ではなくて、様々なサイン会の基本ではない気がすることを前置きさせてください。

 

いよいよその時がやってきて、時間枠の人たちで通されたお部屋。

想像通りだったのは、テーブルと後ろにあるパネルの柄、タイトル文字だけだった。

坂元裕二さんが座られる席の前にあるテーブル。の前に、椅子がある。

 

椅子がある?

パーテーションの圧がないこと、導線重視な流す配置ではないことにも驚きながら、えっ椅子がある??すすす座るための椅子ですか…!?という動揺。

 

さらに同じ空間の後方に丸椅子が数列分並べてあって、同じ空間で座って待たせてもらえる状態になっていた。緊張している人にも、赤ちゃんを抱っこしているお母さんにも優しい待機スペース。

冬場なのでコートや荷物をどうしようと思っていたら、荷物を置けるテーブルも配置してあって、直前ではバタついてしまいそうとドキドキしていたら、早めのタイミングで「置いて大丈夫ですよ」とスタッフの方が案内してくれた。

おかげで、手元には「それでも、生きてゆく」の本と、お渡しするんだと決めていたお手紙があるのみ。

手汗が止まらず、本もお手紙もしなっしなになるのではと恐れたけど、浮かせながら持ってどうにか持ち堪えた。

 

お部屋に入って来られた坂元裕二さんは、お待たせしてすいませんと何度も気づかってくださっていて、

登場にどよめくというよりも、すすーっと、ほわあーっと坂元裕二さんの空気でサイン会がはじまった。

 

目の前にするとしても数秒と思っていたのが、自分の番まで全体が温かく見守っていて、その間は坂元裕二さんの表情を見ることができた。

それが嬉しくて、なんてありがたいことなんだと思いながら、自分の番で全てを忘れてしまわないように反芻して反芻して浅くなる息を一生懸命深く吸い込んだ。


ついにくる自分の番。

「初めまして」は言えていたはず。たぶん。

まず席に座ろうとする前に、握りしめていたお手紙を2通お渡しした。

それが最初に話したいことのきっかけでもあったから、そこから話しながら、テーブルを挟んで目の前に座る。

 

3年前に書いたお手紙と、今回のために書いたお手紙。

どちらもちゃんと届けたかった。

考えてみると、郵送でもなく、お手紙ボックスでもなく、直接お手紙をお届けできるなんて。これだって奇跡だと思った。

どうにか封筒として可愛らしくと思って、花柄の刺繍がマスキングテープになっているものを貼ったり、慣れないイラストで桃缶と飴ちゃんの絵を書いたりした。

もう一つの封筒には、シーリングスタンプを押した。

坂元さんが封筒をちらっと裏返して、シーリングスタンプに気づいてくださっていたことがうれしかった。

 

いざ座り、サインを書き始めている坂元さんを前に、言葉に詰まる。

両隣りにいらっしゃる出版社?の方も温かく見守ってくださっている。

「大丈夫ですよ」という坂元さんの言葉で、気持ちを持ち直しカンペを頼りに、音ちゃんが大切に暮らしたように、私も日々を暮らしていることを言えた。

「いつ恋が好きなんですか?」と尋ねてくださって、はいと答えられた。

そのおかげで、先日、雪が谷大塚に行きましたと伝えることができて、「坂はそのままでしたか?」「はい、そのままでした」とお話しをした。

練くんと音ちゃんのことを思い出しながら、毎日頑張っています。と、目を見て伝えることができた。


今回の本のあとがきで、印象に残ったところも言えた。

相槌の隙間もなく喋ってしまったかもしれない…と焦っていると、イヤリングを見て褒めてくださった。

この日、なにを着けて行こうか考えて、紗野あんさんのハンドメイド作品のお花イヤリングを着けていたら。お気に入りを褒めてもらって喜び舞い上がりそうだった。

作家さんのものなんですとお答えして、十分すぎるお時間。

剥がされることなく、委ねられているからこそ、それぞれが良きところを見計らいながら去っていくのも優しい空間だと感じた。

 

握手をお願いしても大丈夫と伺ったので、ここは最後の勇気の出しどころだと、握手…お願いしてもいいですか…?とジェスチャーした時に手のカンペが見えたようで、

「それなんですか?」と聞かれて、ああっと手を引っ込めると、「でもそれは見えますよ」とツッコミ。カンペが手に写らない程度で…と指先握手くらいの差し出し方をしたら、

しっかりと手を伸ばして、両手で握手をしてくださって、「大丈夫ですよ、僕もこんななので」とサインを書いたペンで黒くなった手の底を見せてくれた。

 

ありがとうございました。と挨拶して、サインをしてもらった本をスタッフの方が丁寧に手渡してくださるのを受け取り、その場を後にした。

 

今回のために坂元裕二さんがイラストを描いて作られたトートバッグをみなさんにお配りしますと、サイン会が始まる前に説明を受けて、

サプライズプレゼント?!本を大切に持ち帰るために袋は持って来たけど、オリジナルでトートバッグを用意してくださったんですか!と驚いた。

そのトートバッグに、おくるみのように包まれてスタッフさんから手渡してもらった「それでも、生きてゆく」の本が愛おしかった。

 

サイン会を終えた人それぞれが静かに思いを胸に抱きしめて帰る様子を見ながら、私も廊下を歩いていると、
イベント主催のスタッフさんやお姉さんの方から、すれ違う時に「ありがとうございました」と挨拶してくださって、

ありがとうございましたとご挨拶しながら帰ることができて温かい気持ちだった。

 

イベント運営も、集まった人を案内するのも大変なことと思うからこそ、

坂元裕二さんが作ってくださったあの空気と、その時間をサポートしていこうと全力を尽くしてくださったスタッフさんにありがとうございますと伝えたい。

 

f:id:one-time:20240205141234j:image

 

真っ直ぐ素直に言葉、伝えられてよかった。

握手、忘れずお願いできてよかった。

言葉に詰まっても、拙くても、聞いてくれた。

 

あの場に集った人がそれぞれの思いを持ちながら、

それぞれに、緊張していた。

それぞれが、念願なのが伝わってきた。

 

いつか、が実現した。思う以上の優しさによって、ちゃんと向き合ってお会いできた。

それぞれの作品から受け取ってきたものと、インタビューから垣間見るものと。

自分にとってはずっと見てきていても、ご本人にとって私は初めましての存在だということを肝に銘じながらいたけれど、

本で読んでいたままのような、前から知っていたかのような、それでもやっぱり初めましてな不思議な佇まいを感じながら。

 

緊張はするのに、いつも通りの自分でいられる、接しやすさをそっと置いてくださる方だった。

直接お会いできるとなってからも、憧れという言葉がしっくりきていなかったけど、終えてみて最も近い表現だと思ったのは、大切な人。だった。

 

f:id:one-time:20240205173521j:image