舞台に立つ役者さんは二人だというのに、目が足りないとは。
ステージにあるのは小さな世界観。年季の入ったいくつかのトランクと、いくつもの本と、薄暗い部屋でもスズランのような形でぽっと灯るライト。
革張りの存在感ある椅子と、グリーンのランプシェードがこの部屋の主人を知らせる。
夢のようだった。
いつかそんなことが叶う?と雲のように漂っていた、「ダディ・ロング・レッグズ」を観たいという願いが、ついに叶う夜だった。
【舞台全体の内容に触れています。】
ミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ」
2025年12月20日 日曜日 18時公演
翻訳・訳詞:今井麻緒子さん
脚本・演出:ジョン・ケアードさん
ジャーヴィス・ペンドルトン役:井上芳雄さん
ジルーシャ・アボット役:上白石萌音さん
この一公演。心に刻むと決めて訪れた日。
やっと迎えた日だから、早く観たい気持ちとこのまま直前の嬉しさのなかにいたいという気持ちを反復横跳び。
日生劇場には来たことがあっても、シアタークリエを目指すのは初めてだった。
B1階に劇場という独特な造り。小さくはありつつ、真っ赤な椅子が素敵な劇場だった。
列によるのか、程よい座布団が置かれていて、極力微動だにせず観るためにも視界のためにも心遣いのある座席だと感じた。傘を差すコンパクトなホルダーまであった。
お手洗いも綺麗で、ある程度の数がある。
スタッフさんのすみやかな案内と丁寧さは日生劇場と繋がるものを感じた。
この作品を観に来ることができると決まってから、それならばお手紙を書かない選択はないと、思いの丈を込めて書いた上白石萌音さんへのお手紙。
赤いシーリングスタンプを押して、封をした。
お手紙を入れるボックスがあると知って喜んだものの、入場して探すも焦りすぎたのか見つけられず、困って劇場スタッフのお姉さんに目線を向けていたら気づいてくださって、
「お手紙ですね。お預かりいたします。」と優しく両手で受け取っていただいた。
舞台を観る前の、お手紙を預けるやり取り。それだけで、もう感無量だった。
もう二度と無いと胸に刻む席に、すぐそこにはあのセットが存在している。
配信で見た時は、奥行きがV字のセットなのかなと思っていたけど、思う以上にきゅっとまとまったセットがそこにあった。
劇場自体がコンパクト。それは分かっているつもりだったものの、予想を上回っていた。
端の席で、これなら緊張やお手洗いの不安も和らぐと思いつつ、見切れることもあるだろうという考えは要らなかった。
柱やセットの都合で見切れることはなく、角度でどちらの表情を見る視点になるかという変化だけで、演出としても主演のお二人は右に左に行き来するので、十分。
むしろ、カメラの構図でステージを見ることの多い私はジルーシャ越しのジャーヴィス、ジャーヴィス越しのジルーシャとフォーカスを行ったり来たりしながら観られるのが嬉しかった。
まもなく開演。ステージセットの端に見える形で生演奏の奏者さんたちがスタンバイする場所があって、それが見えた。
ギタリストの方が、丁寧に静かにチューニングをする。何本かのギターが置かれている。「ダディ・ロング・レッグズ」の時計の針を動かす大切な音楽。
アコースティックギター、バイオリン、ピアノ。
オケピとも違う心躍る空間がそこにある。
座った席のそばに、扉があった。
劇場スタッフさんが閉じた両開きの扉。照明が落ち着き、静けさが増した瞬間にスワッと開いた扉。
扉を開けたのは、ジルーシャだった。
颯爽と、ラベンダー色のワンピースでドスドスと足音を立てつつ走って行く背中には、ジルーシャ・アボットとして孤児院で年下の子供たちのお世話をする役目に追われる忙しさと苛立ちと諦めを含んでいるように見えた。
小さな子たちの髪をといて、視察に合わせた働きに迷いがない。
右へ流れ左へ流れ、大人を見送る慣れてしまった愛想笑い。膝を曲げておしとやかにお辞儀。ゆっくりと遠く振る手。
自分より、幼い子たちをほら見てあげてというような手振り。
眩しい車のヘッドライトに目を細め、手をかざす。
くっきりと大きく壁に映し出される影。小柄なジルーシャさえ大きく見える。腕をゆっくりと振り遊ぶ仕草に、可愛げと孤児院での暮らしのある意味での恐ろしさを感じる。
完璧にやな日。水曜日。最年長としてここにいることの意味を知りながら、ジルーシャはテキパキと今日も生きている。
ボトルとグラスが部屋の一部として自然に置いてあり、時折そこでお水を飲んで透明な蓋をのせて、グラスをそっと置くジルーシャ。
ウイスキーを飲むことで、おそらくお茶を飲むジャーヴィス。
基本、舞台に出っぱなしのなかで、ひとつひとつの仕草が役に馴染んだまま続けられる演出になっているのが素敵だった。
お酒は控えてと手紙を書くジルーシャに、美味しく飲んでますとばかりにグラスを掲げた表情も。とてもいい。
ぽっと灯るグリーンのランプ。
机に当たるペン先の音。閉じた万年筆のキャップの音。カランと小さく机に転がる音。
本当に、そこに、ダディの背中がある。
顔は見えない。でも確かに、あの脚の長さ、ペンを走らせる腕は、ダディだ。
第二幕。
幕間に小道具が増える。手紙も貼られる。
やはりうっすらハートにも見える。
二人で窓を開けた時の開放感に、はっとした。
開けた、と感じた。日差し。白いカーテン。二人の心のありようを表現しているように見えた。
それ以降、窓は開いている。
「幸せの秘密」を歌うジルーシャの後ろで、“見つけた”のあたりでハシゴを登ったまま、高く貼り付けたジルーシャからの手紙を見つめてもたれ掛かるようにじっとしたままのジャーヴィスが印象に残っている。
顔こそ見えないけれど、こんなにも手紙を愛おしく見つめる人がいるだろうか?と背中から思う。
手紙を真っ二つに破くタイミング。歌。音楽。全てが完璧に揃う。
手紙をめくる音もタイミングも、二人で揃う。
せっかく書いた手紙をくしゃくしゃに丸めて捨ててしまうジャーヴィスを見るたび、それを!送りなさいと何度言ったら!と、じっとしていられなくなる。
4年。手紙を書いて送りつづけたジルーシャにとって、ダディが期待を込めて進学させてくれた大学の卒業式に、とうとう来てくれなかった。
落胆がどれほどのものか。来てはいるのだと、観客だからわかる行き違いが切なかった。
床に伏せながら手紙を書いているジルーシャ。
スポットが当たるのはジャーヴィスになるシーンだけれど、ペンを手に腕を伸ばして頭も床につけてごろーんと伸びているジルーシャがとても等身大に見えて、愛くるしかった。
「チャリティー」で、はじめは座っていてキーが最も高くなって感情も高まるシーンで、立ち上がって歌っていたジャーヴィスである井上芳雄さん。
家に馴染めていたとは思えないジャーヴィス。会話の通じない家族といるのは、どんな孤独だっただろう。
ジルーシャからの手紙をダディとして受け取って、恥ずかしさや壁を感じたのではないか。
その後に左の窓へと歩いていくジルーシャは、そっと背中を向けて涙を拭っていた。
ジルーシャからの小切手。
本が出来上がって、売れたこと。その報告をうれしさを噛み締めながら、よくやった、やはりやってくれたというような表情で便箋を握り読むジャーヴィスの姿。
ジルーシャは、ダディを知ろうとすることを諦めない。
海外の感覚にある、瞳の色を知っているということにある特別さについて思う。
シンデレラも、“同じ瞳もつあなたを夢見る”と歌う。(この歌詞においては、同じ色のということではなくて、同じ物事を見つめられる目をもつという意味だと思っている。)
あなたについて知りたいと伝え続けるジルーシャに胸を打たれる。
来てほしいと手紙に書かれた水曜日。その笑顔。
ジルーシャからジャーヴィスへの「…続けて」が、こわいけど優しめになっていた。
3年前に徹底した気迫で「おおう…」と怯えていたジャーヴィスも、今回はがんばって謝りつつ、気持ちを強く持ってジルーシャと向き合っている様子だった。
意気消沈しているジャーヴィスの背中に語りかけ、歌う大好きなメロディーが、このシーンの前にジャーヴィスの歌の中で登場していることに気づいて感動も増した。
メロディーラインが完全に同じではなくて、それぞれの音階のアレンジが違っているところが素敵だった。
耳から離れることのなかった、
“目の前に ヒントはあった。そばにいたのに全然気づかなかったの いつもダディだったの”
からはじまる歌の美しさを、ついに直接聴くことができた。
手紙を読まれていたこと、打ち明けてくれなかったこと、恥ずかしさよりも前にきたのが、“失っていたのよ”という言葉だったことが、ジルーシャの思慮深さと恐れを表していて、忘れられない。
“なぜなにも 見えなかったの 驚くなんて”
そう歌うジルーシャは切実で美しかった。
プロポーズの典型に、ある意味で囚われているジャーヴィスの姿勢に、手を差し伸べられる側で受けるのではなく、すっと両膝をついて近づくジルーシャ。
それを見て、嬉しそうに微笑んだように見えたジャーヴィス。同じように両膝をついて、手を取り合う二人の穏やかさが心に染み込んだ。
最後のシーン。“ハゲ”、“じゃない…”のところ。
ジャーヴィスが今回はこちらへ顔を向ける形で苦笑いの表情をしていた。
配信の時は、落ち込んで頭を下げていたので、3年前は反省と謝る気持ちが見えるシーンだったところが、今回は対等に手を取り合い笑い合うシーンの印象へと変わった。
圧倒的劣勢のジャーヴィスも好きなので、どちらの表現もいい。
二人のハグが、とても好きだ。
Loveでもあるのだけど、同士を励まし合うときのようなガシッと受け止め合うハグであるところが好き。
振り返ると、ジルーシャからの手紙で同志と書かれていたときに嬉しそうだったジャーヴィスを思い出す。二人はきっと、お互いにとってベストな同志でいられる。
終わらないでと思っても、やってくる物語の終わり。
でも見届けられたうれしさが上回った。うれし泣きで拍手を贈った。
拍手が手拍子になる楽しさを体感しながら、最後は迷いなく立ち上がって心のありったけを込めた。
2、3度目?のカーテンコールで、井上芳雄さんが「ありがとうございました」と声を聞かせてくださって、お辞儀している時から萌音ちゃんが笑顔でちょいちょいと手を握ろうの合図をしていたのが可愛かった。
手を引いてジルーシャエスコートで退場。二人でぴょこんと両手を振る様子に劇場全体が笑顔になる。
井上芳雄さんを初めて舞台に観るのが「ダディ・ロング・レッグズ」なのは、とてつもなく贅沢な最初なのではと実感した。
「マイ・マンハッタン」の伸びやかな歌声、ジルーシャの言葉を読む乙女な語尾、ムキになった語気までも。
腕立てを見せつけようとする動きからの、反りすぎでは?!という独特のストレッチや、長ーーーい脚を机にかけて裾のインアウトをする動き。
目の前にするジャーヴィスは、まさにダディロングレッグズで、ジャーヴィー坊っちゃんで、こんなにチャーミングなのかと魅了された。
夢中で観ながら、ジルーシャと目が時折合うような感覚は、実際にはどうであっても貴重な劇場体験だった。
それが生まれるのは上白石萌音さんが、二人だけの世界のお芝居にせずに、本の登場人物が読者に語りかけるみたいに、客席に語りかけるような空気を漂わせてくれていたからだと思った。
ジルーシャを見つめ続けていると、自己投影しているような感覚になることもあれば、同級生に、ジャーヴィスに。
ジルーシャがふっと振り向けば目が合う気持ちの距離感で、二人のいる場所に私も居るみたいだった。
そして大切な楽器の音色。
劇伴の音楽だけではない、心の機微までメロディーが映して、止め跳ねも表現するかのような、ギターにバイオリンにピアノの音色がずっと心地良かった。
役者さんとぴたっと息を合わせて、二人の暮らす世界が動きだすのを音楽からも感じた。
開演を待ち遠しく思いながら、いくつものギターが並ぶステージ横に注目せずにいられなくて、チューニングを静かに丁寧に行う様子や、幕間が開けて再び鳴るギターの音は印象的に響いた。
カーテンコールも終わった最後、素晴らしかった演奏に両手を振って拍手のジェスチャーで伝えられたこと、嬉しかった。
ついに二人の手紙と会話を、目の前に観た。
何もかもが愛おしかった。ジルーシャがペンを走らせる姿も、困惑しながら面白がりながら手紙を読むジャーヴィスも愛おしくて仕方なかった。
言葉を紡ぐことはわくわくすると、その感覚は風変わりではなく魅力あることだと知らせてくれる。
手紙が伝え繋ぐものがあると信じさせてくれる。
会って話すなら、心ざわついたり跳ねたりしながら、目の前のあなたの瞳を見ながら伝えて受け取ることができる。
3年待てたことをうれしく思う。
井上芳雄さん。坂本真綾さん。上白石萌音さん。
常に備えつづけて、ジャーヴィスを演じた佐野眞介さん。
アンダースタディとして担う、働き、体力、精神。いつ呼ばれるかわからないなかで、ベストを磨きつづける努力の深さ。
アンダースタディもスウィングも、演劇に必要な役で、それを実際に日々行っていることを近く知った今、どの稽古場においても大切にされる存在でいてほしいと強く思った。
Wキャストのそれぞれの組み合わせを見たいとは思っても、贅沢は言えない。今回のチケットを持ったことさえ貴重なので、これ以上に望むことはない。
私はやっぱり文章というものが好きだ。
ブログに載せられる頻度は減って、書くことをジルーシャのように形にしていくと突き進める勢いが変わらずあるとは言いにくいとしても。
それでも、書くとなったときに本気になるのも、寝食さえ惜しくなるのも変わらない。
ジルーシャがあんなに書くことを愛していて、それを読むことをジャーヴィスが楽しんでいるのを見たら、言葉そのものへの希望を握りしめたくなる。
手紙を書くとき、相手のことを心いっぱいに広げるけれど、どんな顔をして読んでくれているかを見ることはない。
返事を受け取っても、読んだ瞬間の感情は見えないからこそ、「ダディ・ロング・レッグズ」では二人の文通を聞くだけでなくて、こんなにも感情豊かに読んでいる様子を見せてもらえる舞台演出が素敵なものとして届く。
彼女がずっと書きたかった宛名。
『ジルーシャより ジャーヴィスへ』
すべてを覆い許せるほどの愛おしい名前。
二人がその温かさを届けてくれた。
