なにわ男子 ファーストアルバム「1st Love」へ向けた、ダイヤモンドスマイルの輝き

 

なにわ男子にとって1枚目のアルバム

1st Love」(ファーストラブ)

2022713日にリリースとなる。

 

こんなに早くアルバムが受け取れる嬉しさに加えて、心躍らずにいられない理由があと2つある。

それは、関西ジャニーズJr.の頃からなにわ男子が大切に歌ってきた「ダイヤモンドスマイル」がついに音源化されること。

そして、「ダイヤモンドスマイル」のみならず、関西ジャニーズJr.のなにわ男子が歌ってきたオリジナル曲が全てアルバム(初回限定盤1)に収録されること。

 

しかも、「ダイヤモンドスマイル」に至っては、MVが制作された。

MVは【初回限定盤1】についていて、DVD盤かBlu-ray盤がある。

音源も新収録となり、3年前に出会った歌声からの成長が“声”に表れている。

 

デビュー曲として、おろしたての新しさを見せようとする場合に、

「ダイヤモンドスマイル」がそのままデビュー曲にはならなかったことは、そういう選択もあるんだなあと思いながら、早くに誕生しすぎたのだろうかと考えてみたりもした。

けれど、この曲が多くの人の心を掴んで、なにわ男子の輝きを伝えて、その先を掴んだことは間違いないと思うと、夜空に道しるべとなって動かず光る北極星として頼もしい存在だったと言える。

なので、いつか。いつか良いタイミングでカップリングとして収録されることを待とうと決めた。

それがこんなにも早く。予想を上回って、アルバムのリード曲として、どの形態にも収録されることになるとは。

MVまで作られて、新しい衣装までお目見えするとは。

ご褒美が早すぎる…と慄くぐらいに、嬉しすぎる知らせだった。

 

 

そしてなぜ、Jr.時代の曲が収録されることにこんなにも歓喜しているかと言うと、それが当たり前のことではないからだった。

どんなにクオリティが高く、この曲をいつまでも聴いていたいと願っても、Jr.時代に幾度となく歌われてきた曲をもってしても、未音源のままになることがほとんどだった。

当たり前じゃないこの感動。

幻の名曲となることも多いなかで、デビュー前のJr.時代の曲がアルバムにきちんと収録されることは奇跡と最高のプレゼントだと思う。

 

それも、激選された何曲かではなく、全て。

「なにわ Lucky Boy!!」から始まって、

「アオハル -With U With Me-」

「僕空〜足跡のない未来〜」

「2 Faced」

「Seven Stars」

「Shall we…?」

「Soda Pop Love」

「Time View〜果てなく続く道〜」

「夜這星」

「夢わたし」

これらは【初回限定盤1】でのみ収録なので注意が必要で、店頭に並ぶほど数があるかもわからないため、予約をするのが確実。

「夢わたし」はカップリングで収録されたことがあるものの、それ以外の曲はどれもパフォーマンスでは見られても、耳で集中して繰り返し聴ける形ではなかったので念願が叶う。

 

 

ということで、いてもたってもいられない心境の最中に、ショート版のMVが先ほど公開された。

気分は夢見心地。雲の上にいるので、きっと地に足はついていない。

胸がいっぱいで、目に涙が溜まる。

 

はじめに思ったのは、成長している…ダイヤモンドスマイルも成長している…だった。

なにわ男子がこの月日で、どんなに磨きに磨く経験も努力も重ねてきたかは思いを馳せることはできるけれど、曲そのものが、こんなに目に見える形で成長していく様子を感じるのは初めてだった。

 

例えるなら、普段着からの変身ではなくて、変身している状態からのさらなるパワーアップの変身。

歌番組「MUSIC FAIR」で見たあの時すでに、これ以上ないと思うほど完成されていたダイヤモンドスマイルが、まだ成長していくということに、感動している。

歌声がまず、確実に色を重ねて変わっている。

確かにそれを感じたのは、高橋恭平さんの歌声。

あの時から魅力的な声質は変わらないけれど、ボイトレに通っていると話していた月日でさらに声の厚みと安定感が増している。

それでも、それぞれのパートで残っていてほしいニュアンスはそのままで、レコーディングに丁寧に向き合ったことが伝わる。

“ブライトイリュージョン”のフレーズで高音のハモりが聴こえる気がして、それも良い。

 

MVのなにわ男子の輝きには、思わず“考える人”のポーズをとりたくなる。

胸に手を当てお辞儀をする紳士ポーズが好きだとわかっていてのそれですか…!!と問い詰めたくなる。

この感覚でいいのか少し躊躇うのだけど、曲への概念として、幼き王子が、佇まいも凛とした王子になった。

僕が僕を誇れるようになったその時は、迎えに行くからと約束していたかのような、あの頃も今もありったけの愛で抱きしめた「ダイヤモンドスマイル」だと思った。

 

MVで着ている衣装は、これまで「ダイヤモンドスマイル」を歌う時に着ていた衣装とは変わっていて、

それでも、歌が大切にされてきたように、衣装にも愛着が湧いていることを置いていかない衣装の魅せ方がされているところに感動した。

衣装を抱きしめる姿も、衣装係を務めることの多い長尾謙杜さんがメジャーをしゃっと持つところも。

成長した彼らにオーダーメイドの採寸を…とイメージできる演出が素敵だと思った。

 

これはまだ、リリース前の予告。

だからびっくりしてしまう。ドキドキしすぎて弾けてしまうのではと思う。

デビューの日、飛行機で着陸して“プラチナのジェット”をある意味で叶えた彼らの歌う「ダイヤモンドスマイル」を、好きなだけ聴ける時が近づいている。

アルバムを通して順に聴いた時、きっとまた新たな気持ちが湧くはず。

今はとにかく、この嬉しさを思う存分抱きしめていたい。

 

宛名のないファンレターを書き始めて8年

 

2015年6月19日に書き始めた「宛名のないファンレター」は、今日で8年になりました。

ということは、待ち侘びた8周年…?

まだ6年くらいかなという気持ちでいたから、計算して実感してびっくりする。もう少し先かと思ってたな。

 

長く続けたり、同じ所に通ったり。

そういうことが不得意で、3年間も通うんだと覚悟した高校時代も相当なプレッシャーだった。

始まる前からゴールテープのことを考えて、その月日が遠ければ遠いほど、気も遠くなって、たどり着けるはずがない、責任を持てないと思った。

だから小学生の6年間なんて、よく通ったなと他人事のように感じる。時間の長さを意識する前に駆け抜けたような感覚でいる。

ゴールテープ前の1年2年は、その長さに気づき始めてしまって、通えていたと言うには難しい。

 

この時間をこの場所で、一体いつまで…と考えた瞬間に、重力が一気に増して抱えきれない重みに変わる。

だからきっと、私の“続けられたこと最長記録”は小学生としての6年間で終わりだと、わりかし本気で思っていた。

 

そんな私が8年、この形で書くことをキープした。

キープが苦手なのに、なぜだか出来た。

外に出ることもライブも舞台もままならなくなった2020年からの日々で、

インプットが出来ないのに書けるわけがないんだと思いながら、それでも書いていた。

 

2020年は特に、せめてこの場所は変わらないようにしたかった。

どこにいるとしても書けるのがブログの良さで、音楽はどこでも聴ける。映画も観られる。ドラマだってどうにか撮影が進み放送されているから、この状況で心動くことを見失わないようにした。

それでも心が止まることはあって。

そう考えると、2020年の関西ジャニーズ大集合の配信ライブ、そして2021年なにわ男子が届けつづけてくれたサプライズは、とても大きなものだった。

 

今年は、夏の日産スタジアム関ジャニ∞が「18祭」を開催する。

八祭、十祭、十五祭、と続いてきたライブ。

関ジャニ∞の野外のライブに初めて参加できそうで嬉しい。安定した天候で、自分の体力が保ってくれることを願っている。

そういう訳で“8”への思い入れもあって、18祭の年に「宛名のないファンレター」は8周年というのが嬉しい。

 

今年に入ってから、前年より書くペースはゆったりになった。

それでも、こういう機会にこれまでの記事を読んでみると、あの時に書き残してくれたいたから今また読めるんだなあと実感するから、パッションが弾けた時は書いておくと後々も楽しいなと思う。

何になるというんだろうと考え込みたくなる時は、レキシの「ギガアイシテル」を聴いて、ここにこそっと置いておくことも大切と思うようにしている。

 

以前から今まで読んでくれている方がいるのかな

これから見つけてくれる方もいるんだろうか

書き残していた今が、通り過ぎた時にまた読んで、楽しいものになっていたらいいなと思っている。

 

物腰

 

好きなドラマのことを考えた時、

登場人物たちの言葉遣いが、自分にとっては無意識のうちにそのドラマに惹かれるかどうかを分けていると気づいた。

どんな言葉を話させるかは、脚本家さんの描きたいものによって変わると思うけど、端々に表れるのは脚本家さん本人の持つ言葉の感覚なのだと思う。

 

実際の人間関係でも、どんな言葉を使っていて、どんな言葉を避けているかは、自分のなかでとても大切な価値観になっている。

同じ辞書を持っているような感覚になれる相手と会うと嬉しい。

 

不思議に思うのは、同じことを言っているはずなのに、それぞれ印象が違って感じる時。

どうしてなのかと考えた。

結果、“物腰”かもしれないという結論に辿り着いた。

辞書で引くと説明にあるのは、【物の言いぶり。ことばつき。】もしくは【身のこなし。振る舞い。態度。】のことであると書かれている。

“ことばつき”という表現がおもしろいなと思う。

顔つきに印象があるように、ことばつきにも顔つきみたいなものがあると思うと、印象が具現化される感じがする。

同時に、“身のこなし”や“態度”のことでもある。

目は口ほどに物を言うという言葉があるけれど、言葉で優しそうなことを言っていても、漠然と怖いと感じたりするのは、物腰から漏れ伝わるものがあるからなのだと感じた。

 

その人が目の前にいる時、

柔らかく向き合ってくれていると感じる場合と、尖った言葉尻のようなものを感じて、盾を持ってしか一定の距離から近づけない場合があるのはなぜだろうと思っていた。

対面しているので、努めて丁寧に接してくれているけど、普段の考え方ではきっとこの言葉を選ばないのだろうと勝手に思い巡らせてしまったりする。

 

でも自分自身も、怒っている時は言葉が荒くなるし、常に正しい日本語を使えているわけでもない。

歯切れのいい言葉を使えていないなと自覚することもある。

相手に正しさを求めているという事ではなくて、接しやすいと自分が感じる分岐点はどこにあるんだろうと考えた末の、今のところの結論が、物腰。

 

紙にペンで描く線で表すなら、

角のない波線「〜」を描く人

一定を保つ横線「ー」を描く人

階段みたいにカクカクした四角っぽい線の人

上下に尖るみたいにツンツンした線の人

物腰ひとつ取っても、いろいろだと思う。

 

居心地のいい物腰がそれぞれにあるなら、私は角のない波線「〜」を描く人といる時間が落ち着くなと感じたりする。

そして私も、波線でありたいなと思っている。

 

思いもしない言葉に突き当たると、その感覚とは一体…と考え込みたくなるけど、合わなかったら距離を保つことくらいがベストなのだろうなと今は思う。

出来ることと言えば、自分の好む言葉を自分が使えるように心がけること。

無意識のうちに影響を受けることもある言葉遣いだから、大事に育てられた釣り堀の鮎みたいに、守ること自体が難しくて大切なのかなと考えている。

 

どんなに流行っても相容れない言葉や言い回しはある。

それはそれで、一時的だったり継続的になったりする日本語の変化なんだなと眺めるようにして。

私にとって肝心なのは、物腰。

どんな言い方をするのかも大切にしながら、自分がいいなと感じる物腰を自分で表していたい。