音楽は味方ではいてくれないと感じてしまった頃のこと

 

学校に席だけ置いてあった頃の前に、どうにか踏ん張って、その席に存在していた頃がある。

これはしっかり明記していたい事として、私が学校生活を送るなかで、誰一人傷つけたことは無いだなんて位置から書く文章ではない。

振り返った時のあの行動、あの反応、私の視点になっている時点で、私に加害性が無いと言うことなどできない。

あの場所で、どうすれば、自分を守りながら他人を傷つけずにいられたのかが、今になってもわからない。

 

その前提をここに書き残しながら、あの時に感じていた、“音楽”への寂しさの話をいつか言語化したかった。

学生からも学校からも、もはや遠く、振り返っても見通せないくらいには離れられた今なら、どうにも言い難かった感情と向き合えるのかもしれない。

 

当時、ガラケー時代。

着メロが流行りだし、auのCMではYUIさんが月に腰掛けてリスモの隣でギターを弾き、“指先で送る君へのメッセージ”を歌っていた頃の小学生には、まだiPodは手に入らなかった。

TSUTAYAでCDを5枚までと決めて、週末に借りる。

アルバムでもシングルでも、5枚で1,000円。

それをMDにダビングして、親が運転している時にひたすらリピートするか、プレゼントしてもらったMDプレーヤーでイヤホンから聴くかのどちらかだった。

たまに、レンタルからワゴンセールに移ったCDを買って、CDプレーヤーから流したりもした。

 

オリンピックテーマソングとして、ゆず「栄光の架け橋」が大ヒットした時期。

運動会ではもちろんのこと、ゆずの大ファンだった先生が体育館でギターを持って先生バンドを組み、ゆずの歌を歌った。

体育館でのライブは、なかなか盛り上がった。

 

流行りの曲があるという認識はあったけれど、私が音楽として思い入れを深めたのは、スピッツだった。

当時、貝殻の並ぶジャケ写と、ダイヤルのようなものが並ぶジャケ写とで印象的なベストアルバムがリリースされた。

私はそれを知らずにいたのだけど、一生に一度の恋かもしれないと浮かれるくらいに好きになった男の子が「スピッツが好き」と言った。

それからもう、スピッツしか聴かなくなった。

多分、当時の私の感覚ではスピッツが同級生たちに浸透している印象はなく、倖田來未さんやmihimaruGTボニーピンクさんがイケイケな空気感で席巻していると感じていた。

 

スピッツかあ、あんまり聴いたことないなあと思いながら、

車の中で、勉強しながら、曲順をまるっと覚えてイントロドンができるまで聴いた。今でもあのアルバムの曲の歌詞は無意識で思い出せる。

「君が思い出になる前に」が特に好きだった。

愛してるはよくわからないけど、「チェリー」を何度も聴いてみたりした。

片想いは全力片想いで終わったけど、私の音楽はそこから根付いた。

 

なのになぜこんなタイトルで書くのかと言えば、

スピッツを知る少し前に、なかなかハードモードなクラスにいた時期があり、それでもしがみつくようにクラスについて行こうとした中で、音楽との苦しい記憶はできてしまったからだった。

 

あるアーティストと歌が流行った。

朝の会で歌う曲は長い間、音楽の教科書に載っているものからの選曲だったけれど、生徒に自発性や判断力を促すこともあり、流行りの歌も有りということになった。

クラスは歓喜した。正確なところで言えば、勢いのあるクラスメイトたちは歓喜した。

戸惑いの空気もどことなく何となく漂う中で、朝の歌としてそれが流れる。好きな歌として聴き込んでいる人は、楽しそうに満足そうに歌う。

 

私はその歌の歌詞を聴けば聴くほど、このクラスで支持されて、みんなの総意のように歌われることに納得できなかった。

人の弱さについて歌う歌詞だった。

大丈夫そうに見えても、大丈夫ではない人がいて、そういうことに気づいていける自分でいたいという言葉だった。

その歌を、人に強く当たって追い込む人が自分のための歌のように歌う。

 

わからなかった。

追い込む、傷つける行動に出ている時点で、本人だけではない原因が環境かストレスか何かにあるのかもしれないと想像はした。

それでも、この歌を平然と歌える感覚がわからなかった。

どの曲を誰が好きになってもいい。それはわかっている。だけど、その時追い込まれていた自分の心は、歌ごと尊厳を持ち去られた気持ちになってしまった。

 

愕然としたショックは誰に話せるでもなく、ただ飲み込んで、泣きそうになりながら朝の歌がほかの歌に変わってくれるまで耐えた。

目の前に起きたことをこんなふうに感じたんだと、親にようやく話せたのは、成人をとうに過ぎてからだった。

 

あの頃に流行った曲が、今は歌番組で懐かしの曲ランキングとして取り上げられる。

一周回って、令和世代で流行ることもある。

そのアーティストも歌も、決して嫌いではなかった。勇気の湧く歌詞だと思ったから、今でも歌えるほど覚えている。

なのに少し、心が痛む。

 

誰がどの音楽に励まされても自由なことは、理解しているつもりだった。

アーティストがどういう思いを持って、どんな人に届けたくて歌っていたのかを、当時は知る術がなくて、

だからなおのこと、この歌が本来託されていたメッセージは何だったのだろうと、小学生の心で思わずにはいられなかった。

アーティストが曲の受け取られ方を知ったら、何を考えるだろうか。それともリリースされていった曲は、アーティスト自身の意思とは別れて様々に解釈されていくことは仕方なく、通常のことなのだろうか。

 

そんなふうにぐるぐる考えて、

ふと、ああ音楽は味方ではいてくれないんだ。と思ってしまった。

 

私は歌を好きでいるのに、歌に突き放された気持ちに、勝手になってしまった。

今の視点で見るなら、そういうこともあるんだなと、自分の受け取り方と他者との受け取り方を分けて理解できる。

小学生の時の私は、それが難しかった。

 

何と言う結論があるわけでも無い。

あの時、そう思った。それを私の記憶の整理として書き残す…というより書き出して終わりにしたかった。

音楽は味方ではないと一方的に決別してしまったけれど、それでも好きな人が好きだからとスピッツを聴くようになって、以降もTSUTAYAに頻繁に通っては音楽や映画に触れ続けた。

ディズニーソングやショーの曲で英詞の楽しさを知って、アイドルの歌う曲たちの個性の豊かさに心躍って、人生の一部と言えるほどの力で背中を押してもらった。

 

今も音楽が好きだ。

アーティスト、ジャンルを問わず、耳で聴いて歌詞に心動くものはどれも生活のそばに置いていたくなる。

私は小学生のあの時、ある意味で“私のための音楽”という受け取り方をせずに済んでよかったのかもしれない。

聴く人によって変わる。私がこの歌に励まされているのなら、それはアーティストと一対一のようなシンプルな距離感で向き合えているのかもなと考える。

私は、音楽が好きだ。