振り返れば「スピッツ」が思い出の中にある。
卒業式にはどうしたって出ないと決めていた。小学5年生の頃には決めていた。
無理だった。どう考えても無理だった。その断固とした決意は、ある種、担任の先生との根比べになりつつあった。
卒業の日、私は参加した。
したんかい。自分が一番驚いている。だけど、参加出来たからいいとか、そういうことを話したいわけではない。
特別に飾り付けられた体育館で、6年生の生徒がずらりと並んでいることのしんどさは、あの場に居ることを選んでも変わらなかった。
たぶん、それをわかっていても、あの場にいたいと思う理由ができた、それが大きかった。
卒業式に歌う曲は、大多数が「3月9日」を希望したのに、前年度も同じだったからという謎な理由で却下になって、
耳慣れない卒業式ソングの中から3択で半ば無理に選曲された。何を歌ったか、今思い出すこともできない。私は思い出せる歌を歌いたかった。
卒業年のリリース曲で言えば、EXILE「道」だったのだけど、それでもなかった。
じゃあ、何のために。
ますます参加する気を無くしていたところに、先生がなんとなしに提案してきたのは、
「詩を書いてみない?」
なんでそうなる?と思ったけど、無印良品で売っていた真っ白な本に絵を描いて、詩のような言葉のようなものを書いていた私は、その本を以前に先生へ渡したのだと思う。
卒業式という、“そこ”に居る意味を持ってほしかったのだろうかと今なら考えられる。
すると同じクラスの子も「私も書きたい」と立候補して、いつの間にかコンペのようなことになった。
私にとっての初のコンペ。
テーマは「卒業式」
よくイメージしていた、僕たちー!私たちー!みんなで行ったー!修学旅行ー!の位置に置かれる、詩を書くというコンペだった。
思い返せば恥ずかしさばかりだけど、提出した詩の書き出しは、確か「もうすぐ卒業だね。君がそう言って…」とつづく言葉だったと思う。
全文は行方が分からない。
詩が卒業式に使われることになった。
クラスを代表して1人が言うパート。全員が言うパートに分けられた。
リハーサルで聞くたびに、不思議な気持ちになった。
私にとって苦手な相手がいたように、相手にとっても苦手な私であったことがあると思う。誰の書いた詩か知ったら、ボイコットでも起こるのではと想像したりした。
でもそこに、誰が書いたかどうかは関係なく、卒業式で読んだ詩として存在している、不思議な他人事感が楽しかった。
詩を読む時の音楽を、リクエストさせてほしいとお願いした。
「チェリー」と迷った記憶があるのだけど、あの詩には「空も飛べるはず」だった。
“君と出会った奇跡が”の歌詞よりも、“色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて”などの歌詞に、形にすらならない思いを重ねていた。
私の過ごした小学6年生の時間の中に、スピッツは欠かすことができない。
一世一代の恋ではと浮かれるほど好きになったお調子者の彼が、好きなんだと教えてくれたのが“スピッツ”だった。
「CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection」を、TSUTAYAで借りてずっと聴いた。
1997-2005も聴いた。車の中でも、家族のリクエストを差し置いてひたすら流した。勉強をしながら、机の上にCDプレーヤーを置いて流して聴いた窓の向こうの景色は今も思い出せる。
なんでこの曲が好きなんだろう…と思いながら聴いているうちにはまっていった。
「君が思い出になる前に」が好きだった。
そんなことも関係したりしなかったりで、卒業式の詩の朗読でBGMにはスピッツ。
「空も飛べるはず」しかないと思った。
検討するねということで、決定したのはいつだったか忘れてしまった。
意地でも出ないと決めた卒業式。
そこに立っていた。
入場、挨拶、卒業証書授与。そして詩のゾーンがきた。
体感したことのない感覚だった。来賓の方々、先生たち、保護者、多くの人のいる空間。名無しの誰かが書いた詩が、読まれて声になって聞こえる。
「空も飛べるはず」のメロディーも聴こえる。
あの高揚感は、後にも先にもあの時間限りの経験だった。
先生に乗せられた…してやられたな…と捻くれ心で思ったけど、誰かに見せるものとして何かを書いたのは、それが始まりだった。
今に繋がる卒業式。未完成だし、恥ずかしいからと隠してしまわなくてよかった。拙くても、人の目に届いてよかった。
詩を書いた日の記憶は、まだ胸に残っている。