生活がぎこちない

 

生活がぎこちない

ずっと、ぎこちない

 

一人行動は日常で、行きたい場所に行くのにも、必要な買い物をするのにも、家族で行こうとすることは元から少なかった。

だけど今はどうにも、どこにいても居心地が悪い。

ドラマの時間以外、リアルタイムでテレビをつけっぱなしにすることはほとんど無くなった。

見たかった番組があればTVerで追いかけ、ニュースの時間や見たいものが無い時はAmazonプライムから映画を観ている。

 

休みの日なら、簡単な掃除、換気、3時になるとおやつを食べる。

コーヒーの香りが分かるかどうかを確認する意味でカフェオレを飲み始めたら、それが習慣になった。

スティックタイプの物にお湯を注ぐだけだったのが、いろんな種類の豆のタイプが12パックほど入っているドリップタイプを買うようになって、見よう見真似で注いで淹れるようになった。

アイスカフェオレにしたければ、カフェベースなるものを試し始めて、牛乳で割る。

あんなに牛乳が飲めなくて、将来困る栄養は間違いなくカルシウムだろうと思っていたのが、今や牛乳パックを大きいサイズで買って飲み切るまでになった。

おやつが好き、コーヒーが飲みたい、と言うよりは、時間の経過が実感できないから時間割りを決めたようなところがある。

 

謳歌してるじゃないかと思われるかもしれない。

ただそれでも、ぎこちない。

他人に対して思うことは自分に対しても例外ではなく、必要で外にいる時でも、店員さんを困惑させているのでは。申し訳ないと、肩に力が入り気持ちがギューっと縮こまる。

“楽しんでいる”ことがだめなのではと、明るい気持ちになることをずっと抑圧している気がする。

 

自分のツイートも好きじゃなくなった。

何を言っているんだろうと思ってしまう。

 

日ごろ何かを感じるスイッチと、音楽や映画を観て感じ取るスイッチはそれぞれ別の位置にあるのだと思っていたけど、

思うことと感じるスイッチを心身のバランスのためにある程度オフにしたら、引っ張られて感性のスイッチも鈍くなってしまった。

音楽も映画もドラマも自分にとっては生活で、それを上手く摂取できなくなったのも、ぎこちなさの一つになっている。

 

どうしていいやら、わからない。

いまはただ、上手くいかない気がしても、好転が想像できなくても、食べる。眠る。

たまにラジオや誰かの一言でへへっと笑えたらそれでいいかと思っている。