金曜ロードショーで「タイタニック」とようやく出会った

 

タイタニック」を観た。金曜ロードショーで、石田彰さんの吹き替えで観た。

前編、後編に分かれて放送されたこの二週間。気持ちは「タイタニック」の世界に置いてきたままだった。

 

一生観ずにいるだろうなと思っていた映画だった。

自分には耐えられないと、観ないことを選んでいた。海も船も好きだけど、同時にその数倍怖いと考えていて、パニック映画が心底だめな自分が観たらそれこそ船も海も無理になってしまうとわかっていたから。

でもなんとなく、今なら観られる気がして、初めて観た。

 

今だったんだなと思う。

これまでの自分が、なんの気無しに通ってきた点と点が繋がって、線になった。

海猿」の海上保安庁としての救助を観たばかりで、船の構造もすぐに頭に思い描くことができた。

車がいくつも停車しているスペースは危なくて下の方の階にあることも、浸水は一気に進んで、200人の船からの救助で2時間を要するなら1,500人を超す救助に約3時間では到底足りないことも。

水に沈めたセットでの撮影がどれだけ大変か、カメラや照明器具を使う中で感電にも気をつけなければいけないことも想像した。

好きで何度か見学に行った、山下公園に停泊している氷川丸のことを思い起こせば、機関室の位置や狭さ、操縦スペースの造り、豪華客室の煌びやかさ。どれも身近に蘇った。

 

ロミオとジュリエット」を観て、本も読んで触れることができていたから、ジャックとローズのどこにその要素があるのかを感じられた。

演奏される音楽にも共通点があること、二人が手を繋いで車へと逃げていくシーンからは確かにロミオとジュリエットの雰囲気を受け取った。

さらには、ディズニーシーのS.Sコロンビア号の見た目も、内装も、バックグラウンドストーリーの年代も含めて「タイタニック号」にとても近いこと。

当たり前のように幾度も目にしていた、入ってすぐの階段。手すりにそびえ立つ女性の像。

そして耳にしていた音楽が、そっくりそのまま映画の中でも聞こえてきたことに驚きを隠せなかった。

知らないうちに、タイタニック号を身近に感じていた。

 

24年前に公開された映画として年代を意識することはほとんどなく、乗り越えるようなハードルを感じずに入り込むことができた。

豪華客船の景色ばかりをイメージしていたら、すでに沈んでしまった船の景色が映って、その信じがたいほどの変わりようにクッと喉が狭くなった。

回想から始まったことにも驚いて、映されていく大時計や客室がかつて灯りの元にあったことも想像できなかった。

それがとても自然なカメラワークで、かつての煌びやかな大時計へと姿を戻し、あの椅子もこの扉も人の目に触れて、優雅な空間が確かにあったことを描いていく。

 

序盤からすでに、微かなエッセンスでセリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」がアレンジされて流れていることに気がついて、

その後も繰り返し聴こえるその旋律に、主題歌としてただ置かれたものではなくて、丁寧に組み込まれたものだったんだとようやく知り感動した。

 

客室が一等から三等と分かれていることの意味は、ポアロなどの列車の客室描写で理解できていた。

そのため、ローズとジャックの置かれている立場はすぐに受け止められた。

違いがあると分かっていても思いは抑えず、意地の悪い晩餐会を賢くこなした後で、ローズの手の甲にキスを落とす途中でメッセージを書いた紙をさり気なく握らせて去っていくジャックの身のこなしに惚れぼれした。

石田彰さんの声のジャックがこんなに貴重なんだとわかっていたら、前編も録画して永久保存版にしたのにと悔やんでいる。

 

ジャックの無鉄砲なように見えてとても頭を使う性格。人を見つめる真っ直ぐな眼差し。レオナルド・ディカプリオのジャックとしての無邪気な笑顔や真剣な表情にどんどん引き込まれていった。

ローズも人を真っ直ぐに見つめる人で、心の奥には母親にぴしゃりと意見を言える意思の強さがあった。不安そうな表情は見せるけれど、ジャックとの出会いで意思を表に出すことを躊躇わなくなっていく。

“大声で叫んでいるのに、誰にも聞いてもらえないような気持ち”と言い表していたローズの苦しさが痛いほど伝わったのは、母親にきつくきつくコルセットを締められるシーンだった。

 

 

前編は二人の可愛らしさに微笑むことができたけど、後編は覚悟の通り、つらさばかりだった。

浸水を防ぐ為とはいえ、船を懸命に動かし続けていた石炭庫にいる人のことを考えず扉を閉めていく無情さに苦しくなって、ただただ怖くつらかった。

ジャックが助けを待っているとしても、振り返ってあれほど浸水した階段を見て、行こうと足を進めたローズは想像を絶する恐怖を越えたのだと思う。

あの後のフラッシュのように光が点滅するシーンを観て、目から酔ったらしく、しばらく違和感が続いた。

傾く船で、ここにはいられないと飛び込む人が次々いたけど、あの高さで飛び込んだらどれだけの圧が体にかかるか想像できてしまう。しばらく映したままで、上がってこないことがわかるのが一層恐ろしかった。

ふいに引きのカットになって、真っ暗な海に巨大なはずのタイタニック号がぽつりと小さく映った瞬間に、言葉を失う。

 

身体ひとつ守れるかもわからない状況で、どんな物が必要だというのだろうと考えたくなった。

救助ボートに荷物を持ち込む人。子供を見つけられたのに、スーツケースをもう片方の手に取ったお父さん。お金を渡し、交渉が成立すると思っているキャル。

危機的状況だとローズが伝えているのにも関わらず、部屋を温めておいてとメイドさんを危険に晒し、一等客専用の救助ボートなのかとごねたローズの母親には、もういい加減にしてとローズ同様に耐えきれない思いだった。

 

自らも関わっている船が直面している事の重大さには気づいていて、真っ青な顔をしてひっそりと救助ボートに乗り込んだ、船主。

ぱっと目線を向けてその背中に気づいたけど、引っ張り戻したり怒号を浴びせたりはせず、呆れた様子だけでそのまま船を下げるようにと指示を続けた船員のシーンが記憶に強く残った。

 

かろうじて浮かぶドアの上で、ローズが救助に戻って来たたった一艘のボートに気づいてから、一度目を閉じ上を向いた。

すぐに助けを求めようと行動していなかったところに、ジャックと言葉で交わした約束が無かったら、ローズはここに一緒にいることを選んだかもしれないと思った。

でも思い出して、二度と浸かりたくないはずの凍える海に入り、最後の力を持ってホイッスルを吹いた。

声ではもう到底届かなかったSOSが、ホイッスルによって届いたのを観て、日ごろ笛を身につけているのはやはり間違っていないと実感した。

 

 

ジャックとローズ。

二人の出会いは確かなものであるけれど、これはロマンス映画ではないと思った。

現実に起きた事故である以上、脚色はあれど受け取る感覚はドキュメンタリーに近く、きっと現実はこんなものではない。二人にあったような人生と思いが1,500名以上の数だけひとつひとつあった。

映らない客室でのことや、船の大きさから見れば小さくしか映らない人が人であることを思うと、受け止めきれない思いが湧く。

最悪の海難事故だった。

 

愕然とするなかで、ストーリーは年を重ねたローズに戻る。

もう二度と船には乗れなくなっていてもおかしくないローズが、再び海の上にいることは相当な決意の行動だと思った。

タイタニック号を調べ、ダイヤモンドを探していたトレジャー・ハンターのブロックが、僕はなにもわかっていなかったと、好奇心しか抱いていなかった自分への恐れや悲しみ後悔すべてが入り混じった顔をして途方に暮れるシーンに、

映画「タイタニック」を通して映そうとしたことが現れていると感じた。

 

 

陽の光が差し込む窓。長い廊下。

美しい装飾のドアが開いて迎え入れられると、会いたかった人たちが広いロビーに集っている。

大階段を見上げて気づく、大時計の前に立つシャツにサスペンダーの恋焦がれた背中。振り向いて、照れたように微笑んで差し伸ばされる手。

ジャックとローズが再び手を取り合って、それを見守る人たちがいる。

 

せめて、どんな形であろうともう一度微笑み合う二人に会えたことが、胸の苦しさの救いだった。

 

絶対に観られないと距離を取っていた映画。

待っていたつもりはなかったけど、訪れたタイミング。

年に一度、観られるかどうか。心の耐久度で言うとその距離は変わらないけど、公開当時は映画館に行けないほど小さかった私も、時を経て、ようやくこの映画に出会うことができた。