日本版のポスター写真に衝撃を受けた。
その熱で映画館へ行った。
マイクを握りステージから迫るエルヴィス。伸ばす手を掴もうと無数にファンの手が伸びる。
あの一瞬、エルヴィスの眼差し、横顔、伸ばされる手に観客の表情。マイクの輝き。どれを取ってもエルヴィスの圧倒的な存在感を示している。
(具体的なシーンをできるだけ避けているつもりですが、ネタバレなしとは言い切れないので、避けたい方はご注意ください。)
映画「エルヴィス(ELVIS)」を観た。
エルヴィス・プレスリーの話であり、専属でマネージメントをしたトム・パーカーのショービジネスの手腕と戦略を嫌というほど見せつけられる話でもある。
人生を時系列で追うというより、渦のようにクレイジーな勢いに飲まれていく感覚を観ている側も経験するような映画だった。
2時間30分を超える上映時間に、大丈夫だろうかと思ったものの、ジェットコースターでも追いつかないスピードでスターへ駆け上がるエルヴィスに気づけばエンドロール。
どんなステージに立とうと、どんなに名声を得ようと、そこにいるのはただ一人の人間なのに、こうも繰り返されないといけないことなのだろうかと観終わった後の気持ちは重かった。
エルヴィスを演じるオースティン・バトラーの魅惑的視線が凄まじい。
当時のエルヴィスの活躍を知らずに観始めたのに、引き込まれる感覚がわかった。
若き頃の圧倒的な引力と、年を重ねてからの声の厚みにビブラート。
期待に企みに疑心、瞳がすべてを語っていた。
オースティン・バトラーって何者!?と公式サイトを見て、
ディズニーチャンネルのドラマ「ハンナ・モンタナ」がデビュー作品だと知って驚きだった。何度も見たハンナ・モンタナから、映画のスクリーンでの再会があると思っていなかった。
ディズニーと言えば、スティッチが好きなエルヴィスという印象も持っていた。
映画を観て、あの動きや仕草から思い浮かんだ人が日本の芸能界にも何人かいて、それほど与えた影響は強くて広かったということを知った。
「監獄ロック」を関ジャムでセッションしていたことの凄さも改めて感じた。
すべての曲を知っているほどではなくても、どこかで聴いたとわかるメロディー。
エルヴィスのルーツを追って聴くと分かっていく、ビートの心地良さの理由。
そして大好きなあのカバー曲があんなに悲しく響くとは。
エルヴィスの若き頃の衣装にも釘付けになった。
ボーリングシャツのような黒襟にビビットピンクのジャケットを合わせたセンス。
上下のスーツが最強にかっこよかった。
不気味なピエロと煌びやかなテントに観覧車。
ショービジネスにはコツがあると話したパーカー大佐の戦略は、エグさを感じながら事実その通りだと思ってしまった。
ステージに立って強い光を浴びながら、その分濃くなる孤独の影に打ちひしがれる背中を見るたびに、これがスターダムの道だと言うなら何を…と苦しくなる。
家族にマネージャーにスタッフ。大きくなりすぎた船に対して、養わなければという感覚を本人だけで背負うべきなのか?
そんなはずない。だけど打開策が分からない。
そして、エルヴィス自身の直面した40歳キャリア論は、私が好きなエンターテイメントでも身近に見てきたことだからこそ、やっぱりそこは分岐点になるんだな…と痛感した。
私の頭で考えて行き着く先は、ショービジネスを見ている自分もそこに加担している…という自責の念。
しかしそのポイントこそ、パーカーが言っていたことに通じる。堂々巡りでひたすら悔しい。
節度の置き場所を探しながらエンターテイメントを楽しんでいるつもりでも、再度突きつけられるたびに、もうこわい触れられないノータッチでいたいと思ってしまう。
映画の中で目に焼きついているのは、“元に戻って”とボードを掲げるファンの姿だった。
エルヴィス自身が極限の状態で板挟みになりながら苦悩している時、目の前に立ちはだかったその光景に、表情を見ずとも伝わってくる絶望があった。
だからせめて私に出来る事として、こうしてああしてと自分の理想像を押しつけて求めて本人のアイデンティティを削っていくようなことだけは避けたい。
ショービジネスの世界を描く映画を、ショービジネスの世界で作るスパイラル。
「エルヴィス」という映画に視線が集まるほど、オースティン・バトラーへの視線も熱くなるのではないか。私はまた、その1人になろうとしているのではないか。
クレイジーにならなければいられない世界なんてあまりにつらいと思ったすぐ後で、また引きつけられている。
映画を観ながら、腕組みを解けなかった。
それが拒絶の印なのか、受け止めようとしている印なのか分からない。
パーカー的な結論づけには納得がいっていない。
解せない気持ちを鑑賞後に家族に話していたら、エルヴィスの人気が物凄かった時、おじいちゃんとおばあちゃんと親とでハワイからのライブ中継を見たんだよという話を初めて聞いた。
日本にもエルヴィスの歌声は届いていた。
圧倒的にゴージャスで、悲しいほど魅惑的。
エルヴィスの生活が派手になりはじめて、指にはめられるようになったゴージャスな指輪たち。
母を抱きしめる息子の素朴な手には不釣り合いな気がしたその手の宝石みたいに、掴みきれないほどの金に銀に宝石。
それらをガチャンと金ピカの宝石箱に放り込んだかのような映画だった。