映画「LIMIT OF LOVE 海猿」ー ずっと胸の中にある大切な映画

 

映画館に来たはずなのに全く別の場所に居て、

海の上、船の中で彼らと一緒に生きる術を探した。

圧倒的な映画体験と言える時間だった。

 

どう考えても無理だと、成す術が無くて呆然とするしか出来ないはずの状況で、

仕方がないのだと諦めることを選ばずに真剣になる姿に、あの頃小学生だった私は心を突き動かされていた。

第1作目が、邦画の懐かしさも映した趣きある雰囲気だったとすると、今作は邦画が挑戦する洋画的アプローチという感じがして、ダイナミックさと細やかさが共存しているところが好きだった。

 

2006年5月6日 公開

映画「LIMIT OF LOVE 海猿

 

始まって突然の海難現場。

暗くて、よく見えなくて、スクリーンの大きさでも何が起きているかすぐには状況が掴めない。

でもはっきりと目に映ったのは、一度掴んでいた手を離してしまったことを悔やみつづける仙崎大輔の姿だった。

要救助者2名を目の前にして、救助者は仙崎ただ1人だった。

かろうじて浮かぶ機体の上で、容赦なく打ちつける波の中、成人男性と男の子がいる。はじめは仙崎の手で繋ぎ止められていた成人男性が、体力が尽きはじめている男の子に気づくように、自分で掴まれるホースを見つけて手にしたのを確認した仙崎は、男の子の手を取った。

それと同時に男の子が掴まっていた機体の一部は落ち、あのタイミングでなければ手を取ることはできなかった。

それでも仙崎は、自分に出来なかったことをいつも考えている。

 

環菜が鹿児島へと仙崎に会いに来たシーンが大好きだった。

車から降りてきた後ろ姿。見えた環菜の表情はまたすこし大人びたふうに見えて、公私混同でヘリからはしゃぎ倒す仙崎と吉岡に笑う様子が変わっていなくて嬉しかった。

この時の環菜は26歳。

好きな作品なのに、思い余りすぎて今日までこの映画について語ることができなかったけど、気づけば環菜と同年代になっていた。偶然に今あらためて映画を観て振り返ることができたのは、必然だったのかもしれない。

 

ビアホールでのシーンは、環菜の名刺を見てはしゃぐ仙崎と吉岡の仲の良さが相変わらず。

緊張感のあるシーンがほとんどな本編の中で、リラックスしていられる時間は観る側にとっても大切。なんてことのないやり取りに、愛着が湧いた。

 

 

環菜が自分で作ったウエディングドレス。

何をしに部屋に戻ったんだろうと観ていて、スーツケースからドレスが見えた瞬間にハッとした。

鏡の前に立って、自分でベールを着ける環菜がかわいくて。

 

大輔くんが環菜を見た時の、言葉が出ない表情にたまらなくグッときた。

まさに新婦を見た新郎の表情。

二人が結婚の予定であるということは、ストーリー上で説明などをするわけではなく、ドレスと環菜の言葉で物語る。観る側に気づかせる自然さが素敵だった。

気持ちのまま、喜んでいいのに。その言葉と表情では誤解させてしまうのに。大輔くんは肝心な時に言い方を間違える。

それが見ていて歯痒くて。行き違いを直せずに訓練に出て、事故の発生によって出動になってしまう。

 

 

鹿児島は第十管区。

事故対策室へと入ってきた下川さんが映った時の驚きはすごかった。

陸上勤務に移ったことは分かっていたけど、まさかここまでの役職になって戻ってくるとは思わなかった。

 

救助要請があったのは、巨大フェリー「くろーばー号」乗客620名。

甲板に上がった人の波に、仙崎と同じ戸惑いと恐怖を感じた。

人が押し寄せるのも、狭い船内の廊下を人が走るのも、集団がパニック状態に陥った時の怖さを、スクリーン越しでも泣きたくなるほど痛感した。

落ち着いて声をかけることに努める保安官たち。

血が少し出ている擦り傷さえ、不安を煽ってしまうスイッチになり得るほど緊張感の高まっている状況で、他の人に見せられないことを優しく伝える仙崎の言葉に、事態は深刻であることを理解するほかなかった。

そこに環菜を見つけてしまった時の大輔くんの気持ち。焦りを思うと。

 

例外も特別もない救難現場だけど、声をかけずにいられなかった大輔くん。

安心する環菜と対照的に、大輔にとっては緊張が高まる。

「荷物は置いていくんだ」

ドレスは持って逃げられない。“ドレス”と言わなかったのは、大輔くんなりの優しさだと今なら思う。当時は、どうしてそんな言い方をと素直に傷ついた。

 

 

仙崎と下川隊長が、無線越しに再会する。

観ているこちらは二人の顔を見ているけど、仙崎も下川隊長もお互いの顔を見ずに話している。

 

始まりはまだなんとかなると思えて、なってくれと願ってて、でも確実に不穏な方へ進んでいく。

暗い映画館の空間で観る「海猿」は逃げ場が無く、テレビ画面を家で見るのとは緊張感が全く違っていた。フェリーに自分も乗船してしまっているような不安がずっとつきまとった。

 

濾過循環室にいて、どっちの方向にも逃げられない。

本間恵さんはお腹に赤ちゃんがいる。海老原真一さんは脚を負傷している。吉岡と仙崎しかいなくなったこの状況で、なにができるだろう。

本間恵さんを演じた大塚寧々さんと、海老原真一さんを演じた吹越満さんの、助けられる側になるけど、ただこの場で会って助けられるだけの人にならない、陸での日常を感じさせる人物像の深みがすごかった。

 

 

陸はすぐそばで、船はそこに見えているのに。

どこに居るか、ただそれだけで明暗が分かれてしまう。太刀打ちできない無情さがあまりに苦しかった。

聞かせるわけにはいかない無線。「復唱の必要は無い」と言った下川さんの言葉が重たい。

すぐに要救助者から距離を取って聞こえないようにする仙崎。それを察して本間さんと海老原さんに話しかける吉岡。バディの阿吽の呼吸だった。

30メートル潜水。1分半も息を止める事になる。

一般の人には意識を失う前提の無茶な賭けとしか思えない指示で、だけどそれ以外にもうない。

 

仙崎たちが見上げた、炎で赤くなっているように見える水面を目の当たりにした時、絶望が胸に押し寄せた。

怖すぎて泣きそうになる感覚を知った。

 

保安官への撤収命令が持つ意味。

躊躇っている下川さんの耳には、保安官たちの負傷報告が届き続ける。

仙崎と吉岡の所属する第十管区の隊長である北尾さんが「ボンベを降ろすぞ」と言って、ボンベを置きライトを点滅させた。

観ていた当時は、身軽にならないと撤収に支障が出るからなのかと思っていた。でもそうじゃない。

 

どうにか出口に近づこうと移動をはじめた途中で、吉岡が身動きできなくなった。

怖いと口にする吉岡に、「俺もだよ」と答えた仙崎が印象的だった。

要救助者に悟らせないため、明るく声をかけ続けてきた二人が唯一ここで本心を打ち明けあうことが、バディとしてどれだけ大切なやり取りだったか。

可能性がある中で方法を探してるんじゃない。ずっと、どう考えたって無理だと諦めそうな状況の中で絶望から逃げ切って、道を探す。

 

ファンネルスペースにたどり着いて、本来なら時間に猶予は無くすぐに行動したいはずなのに、休みたいと言った本間さんと海老原さんの声を聞いて「じゃあすこし休憩しましょう」と臨機応変に受け入れたところが印象深かった。

携帯を見つけた時にも、本間さんも海老原さんも連絡したいことはきっと理解していて、その配慮と不安にさせないための行動なのか「本部に連絡します」と、一言かけてから携帯を使うところに誠実さを感じた。

 

しかし仙崎からの大切な電話が、対応に追われて回線が埋まって繋がらない。ここがすごく怖かった。最重要な、届くべき声が届かない。

焦り、どうしていいか頭に手を当てずにいられない仙崎に思い浮かんだのは。番号が登録されていない携帯でも、極限状態でも落ち着いて思い出すことができたのは、環菜の番号。

そして、環菜に想像を絶する場所から電話が掛かってくる。

「今どこにいるの」「まだ、船の中だよ」

言葉を失った。なんでこんなことが起こらないといけないのかと、映画を観ているとわかっていても心が潰れそうになった。

環菜のドレス姿に言ってあげられなかった言葉を大輔は伝えた。あの時、環菜と結婚することを、じゃなくて、結婚おめでとうと言われることに迷っていた。

 

船の中からのプロポーズは大輔にとって迷いのない言葉だったけど、状況を見るほど、可能性を見失ってしまう。

映画館で観ていて、なんであんなに悲しかったのか。少しずつ取り戻すように思い出した。

必ず帰るなら、あの電話で言わず直接伝えたがるのが大輔くんのような気がしたからだった。

迷いのせいであの時は環菜にそっけなくしたけど、環菜にぞっこんでロマンチストな面もある大輔くんが、とびっきりのプロポーズを用意しないはずがない。

 

そっけなくしてしまった。だけど訓練から戻ってもう一度会ったら伝えようと思っていたことがあったはずだった。それなのに急転してこんな状況に。

気持ちを奮い立たせるためにした約束でもあるけど、大輔くんが最も弱気になっていた瞬間のように感じて。

だから悲しかった。帰ったら言いたいことあるからさ!とプロポーズに決まってるとわかりきった言葉を隠して投げるのではなくて、今伝えなければもう伝えられないかもしれないとどこかで考えている大輔くんのことが。

 

落ちたら死ぬトンネルを、生きるために登っている。

信じたい。お願いだから。そう思いながら、映画館にいた私はぐっと握る手に力を入れていた。だけど、絶望が次々降りかかる。

 

 

「全保安官に」「繋ぎます」 

記憶に残るこのやり取りは、シンプルな言葉だけど強い意味を持っていた。

感慨深かったのは、無線を繋ぐ司令部の人が、ドラマに引き続き対策室でも働いてくれていたこと。

 

見えなくなって、沈んでしまった船。明日の朝、06:00に捜索に当たれとの指示。

捜索は救助じゃない。なんてバッドエンドだと、映画館に観に来たことさえ後悔しかけた。

しかし、救助だと断言した下川さん。

 

信じている船内の4名と、信じている船の外の人たち。

一方的に聞こえた無線の声だけを仙崎が信じていたら。

撤収命令で自分たちは諦められたんだと絶望するほかない。それでも、訓練で、ながれで、ここまでの積み重ねが固くした信頼が、完全に失われることはなかった。

仕方なかったと考えてたまるかと決意の見える下川さんに、この人は諦めるつもりがないんだとわかった。

重力のあったうちは持ち上げることが出来なかった物が、水の中で無重力になって浮かぶのを見て、最悪の事態に変わりないけど、水の中でだからできる救助がまだあるのかもしれないと思った。

 

見ているしか出来ない状況があったとしても、目を離さず。

今なら救助に向かうことが出来ると、その時がきたらすぐに駆けつけた海猿たちの姿が、心を強く揺さぶった。

これほどの極限状態ではなくても、“助ける”ことにおいてその向き合いかたは変わらないと感じながら、私はこの映画を観ていた。

 

 

空がずっと見えなくて、ようやく上がってくることのできた外の景色は、約2時間の映画で一緒に潜水して陸へと上がったような感覚だった。

戻った仙崎の所へ駆けつけるのではなく、自分の場所から約束した空を見た下川さん。

安堵と切なさが入り混じる。もう隊長ではない。偉くなったから、すぐに霞ヶ関に報告に行かなければならない。ある面で近づくことの難しくなった二人が、それでも同じ空を見ていることに意味がある。

 

迎えに行った環菜が大輔くんに言ったのは、

「おかえり」「ただいま」 

涙ながらに抱きしめ合うのではなく、どんなに心配して苦しかったとしても互いにいつも通りの言葉を伝え合う。

ぐっと環菜が近づいて、キスをした。

大輔くんの肩が少し上がっていて、口元がわずかに隠れているあの感じがいい。

二人のファーストキスを思い出す演出に、心をギュンと掴まれた。大輔くんにも思いは向くけど、大輔くんと同じ視点で環菜に惚れていることに気づく瞬間だった。

 

エンドロールで流れるのは、1作目からドラマへと続いた大輔と環菜の姿。そして海猿としての物語。

海猿エンドロールの恒例となった、カチンコを持つ出演者たちのメイキングも。本編ではずっと苦しかったから、ここで笑顔になれた。

それから最後に、離してしまった手と再び握り合えた手。

 

本編でも、巡視船「ながれ」にいた仲間、平山祐介さんが演じる山路拓海が特救隊に戻ってイエローのウエットスーツを着ていたり、訓練性の同期だった、青木崇高さんが演じる渡辺マサヤが今も海保の潜水士としていたり。

大袈裟に映したり細かく説明はしないけれど、見続けていて嬉しい繋がりが随所にあった。

 

映画館が海になる。ダイビングをしたことがないけど、潜っている感覚になる映画。

つられて息が浅くなるから、体力的にも精神的にも気軽に観られるとは言えないけど、それでもずっと胸に残りつづけている。

 

去年、エキストラの夢が叶った時、エキストラにいつからこんなに憧れを持っていたんだろうと自分でも無意識でいたけど、海猿だった。

海猿の制作に何か少しでも関わりたくて、「LIMIT OF LOVE 海猿」のエキストラにも登録したものの参加は叶わなかったことを思い出した。

 

劇中で流れる最も好きな音楽、環菜のテーマは本作で登場した曲だった。

あまりにインパクトが強く残っていたから、初めからあったものだと記憶が置き換わっていた。

オーケストラの壮大な音楽が印象的に流れる中でも、ピアノの音色がぽつりぽつりと雫の粒のように聴こえるあのメロディーは、一際胸に刻まれた。

環菜が映るシーンやドレスのシーンで何度も流れている。

 

伊藤由奈さんが歌う「Precious」も、エンドロールと共に忘れることがない。

海猿の主題歌は、「Open Arms」「Ocean」と、作品の空気感ごと蘇る曲たちが、共に時間を過ごして年を重ねたその時その時の支えで、応援歌だった。

あの頃持っていた思いと、感じていた空気感。

ちゃんと表現できるなら、それをボトルに仕舞ってずっと置いておきたい。

「LIMIT OF LOVE 海猿」は、それほどに大切で、あの時の私を救ってくれた映画だった。