レシートに刻まれた日々 - 第7話「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」感想

 

朝陽くんからの音へのプロポーズ。ロマンチックな瞬間のはずなのに、こんなにも息苦しい。

その指輪に、指を通すことすら躊躇う音の律儀さにクッと胸が苦しくなった。一旦はつけたってよかったはずなのに。それでも。

落ちた指輪に察したような、力の抜けてしまった朝陽くんの表情も悲しい。

 

佐引さんから喫茶店で練のこれまでを聞く音の表情は、それほどの事があって練が変わったのだと、聞く覚悟を決めた表情に見えた。

おじいちゃんの“人が変わってた”ことを、喜怒哀楽の中で怒りが強くなることを理解できたのは、音が介護の仕事をしてきて側で見ているから。

老いていって、誰なのかもわからなくなって、信じることができないくらい攻撃的になることがある現実も、見てきているからで。

 

少なく話を聞いて「はい」と音が頷けるのは、音が北海道でおばさんのことを世話していたこともきっとある。

無責任にではない「はい」に胸が詰まる。

練のこともよくわかっているから。相手の置かれた状況と、そこで生じる感情に共感することに長けているからだと思った。

 

 

おじいちゃんがいなくなって、今度は小夏の手が離せなくなっている練。

久しぶりに会って、気になることは沢山あるはずで、だけどズケズケとは聞かない。

「くそっ」ってむくれてみせる音が、私だって変わるんだぞと見せているようで、可愛かった。えっ?みたいな顔で見つめた練も。

 

冷たく接して踏み込ませたくなかったのは、今の自分のこと知られたくなかったという気持ちもあるだろうけど、

それより先に、音をあの仕事の世界に近づけたくなかった思いが強いと思う。

 

夢も、思い出も、帰る場所も。練を支えてた全部が無くなった。

その時に、練を引き戻したのは、帰る場所になったのは、音。

幼い頃「恋って何?」とお母さんに聞いた音。お母さんからの答えにピンとこない様子で、見ている自分としてもその答えはよくわからなかった。意味がわからないというより、それでいいの?と思っていた。

 

変わってしまった人を、戻ってほしいあの頃を取り戻すのは簡単ではない。あの頃のあなたに戻ってと言ったところで、その望みは叶わない。

音は、丁寧に少しずつ、わかりたいという気持ちを持ちながら会いに行って、練が戻れない場所へ行ってしまう前に、引っ張り戻した。

 


人は変わる。嬉しくも悲しくも変わる。

君はそのままでいてね。さらっとそう言われることがある。その言葉って、ずるいよなあと思ったりする。

今の自分を肯定されたようなそわっとした嬉しさがありつつも、自分は先に行くけど君はそこに居てよと言われているみたいで、私だって変わりますが?と心が尖る。

変わりたくないことは自分で決めてあるし、変わっていきたいことは自分で進めて行くことにしたい。

 


そう思うのに、第6話のラストで練がチッと舌打ちをした時。そして第7話での練を見た時。えっ……と物凄いショックを受けた。

練だけは、練と音だけは変わらずいてほしかった。

思っていた以上にそれを強く願っていたことに気がついて、自分も十分、自己都合でずるいじゃないかとハッとした。

それでも、練と音はそれぞれが互いの特質を知っていて、それが世の中にそう多くはないものであることをわかっていたはずと思うからこそ、穏やかさを取り戻してほしかった。

音がシンプルなシルバーのイヤリングをしていただけで、なんかちょっと大人になってる…と思ったりもした。

 

 

花を生けていた花瓶も、音にとって自分の部屋がどんなに大切なのかも。

朝陽は分かるはずだったし、出会った頃に聞いていたはずだった。

だけど仕事についていくため気持ちを削るしかなくて、音との波長がずれていくのが悲しい。

 

音は、“レシート”からおじいちゃんの毎日を読み取って、それを淡々と。でも温かく練に届けた。

何がってわけじゃないんですけど、ちょっと読んでみてもいいですか?

このシーンの描写が本当にすごいと思った。

レシートって、ほんとにそうだから。

私はレシートがなかなか捨てられない。普段のものはまめに捨てるようにしてるけど、旅先でのレシートは、時間や買った物。お店の名前。

確かにそこに居たのだと残る記録のように思えて、つい手元に置いていたくなる。

 

蒸しパン、牛乳小、一口羊羹

くり蒸しパン、牛乳小、きんつば

いろんな野菜の種も買っていた。

あんぱんを、もう一度買っていたおじいちゃん。「また同じの買いに行ったんですね」と言う音。

 

毎日ちゃんと生活してたんじゃないかなって。

昨日は蒸しパンだったから、今日は栗の蒸しパンにしよう。

さっきのあんぱん美味しかったから、もう一回食べよう。そんな日もあったんじゃないかって思います。

「昨日は蒸しパンだったから、今日は栗の蒸しパンにしよう。」の言葉に、日常のほんのちょっとした、“自分で決める”ことのささやかな嬉しさを。

「さっきのあんぱん美味しかったから、もう一回食べよう。」の言葉に、1日1個なんてことはなく、気分のままにお買い物に行く。そんな平和な時間があったのかもしれないと、

人が日々を送ることの愛おしさを感じながら見つめるシーンだった。そういう小さなことを小さく自分の中で喜んでいていいんだ、これからもそうしていたいと自分自身も思った。

 

音だから、レシートをただのごみじゃなく手に取ることができた。他の人が先に手にしていたら、捨てられてしまっていたかもしれない。

練だから、それがなんだではなくて、おじいちゃんの毎日を想像することができる。

 

 

ようやく顔を見せた幸恵さんの家で、

幸恵さんの「よく頑張った」の言葉を、すぐには受け止められない練。

そんなことない、だってもっともっと…と頭の中いっぱいに渦巻く気持ちが表情から伝わって、切なかった。

でも帰ってくることができた。取り戻したい自分が分からなくなるほど遠くに行く前に、戻って来られた。

練は会津でのあの日からずっとここにいることを許せずきたかもしれないけど、あなたがいてくれてよかった。おかえり。と言う人がいて、それは幸恵さんと音だけでなく。佐引さんや同僚も。

場所ではなくて人に帰ることを知った、第7話だった。