このペンであなたに綴る思い - 「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」第3話 感想

 

ヒールの高い靴を履いて、いくつものショッピングバッグを腕に下げて、高級店を渡り歩く。

買い物を優雅にしている時は、“自分”でいられる。そんな“安心”が漏れ伝わるようで、わかるような、切ないような、シーンだった。

日向 木穂子(ひなた きほこ)さんへ抱いていたイメージは、第3話の始まりそのものだった。

余裕そうで、綺麗に着飾っていて、大人なお姉さん。だけど、彼女のまとう空気はどこか自分を作り演じているようにも見えて、ほんとうを見せてはもらえていないような、居心地のわるさがあった。

やな感じだ…そう思いながら見ていた。一番遠い距離にいる人という気さえしていた。

 

けれど、缶チューハイを立ち飲みする姿、カーテンを買い替え眺めて笑顔を見せる木穂子さんを見て、一面的に見ていた木穂子さんという人を、第3話ではもっと知ることができるのかなと思い始めた。

 

 

仕事終わり。バスを降りて、ぎこちなくも丁寧に会話をする練と音。

練「杉原さん。俺、応援してます。俺、あん時からずっと、応援してます。なんで…頑張りましょう」(君と俺とジェスチャーをして)

 

音「あんたも頑張りな」

 

とても、とても好きなシーン。

「応援してます」「頑張りましょう」

普遍的な言葉のようにも思えて、でもそれを言い合える相手はそう容易く見つからない。

言いたいことはもっとあるのに、思っていることが確かにあるのに、しっかりと保たれた理性が二人の恋を走らせない。

木穂子さんがいる。練くんには。それをちゃんとわかっている音と、出会った順番を律儀に守ってしまう練。きっとここで本心へと引き返せていたら、ここまでみんなが傷つくことにはならなかったかもしれない。

でも真っ直ぐであるがゆえに、恋愛においての“ズル”が練と音にはできない。

 

 

朝陽の父親との溝も明らかになる第3話。

介護施設に子供達が訪問する予定が、会社からの指令によって議員の講演会へと変更になってしまう。それを聞かされた時の、「子供たちが来るのを楽しみに…」という朝陽の声と目が忘れられない。

あの一言に、会社への落胆も父親への思いも、強く濃く表れていた。

 

みなとみらいの観覧車。

中止になってしまった介護施設でのイベントのために用意してあった、おじいちゃんおばあちゃんからの子供たちへのプレゼントを、練が借りてきたトラックで配達する。途中に見えた観覧車には乗れなかったけど、レストランの裏から聞こえてきたコンサートの音楽に引き寄せられて、音と練で二人座って聞き耳をたてる。

練「楽しいなあ。…楽しい。東京に来て一番」

何年も東京で暮らしてきた練が、「楽しい」と言った。「東京に来て一番」と。

その意味を思うと、音と出会う前の練の姿が頭に浮かんで、苦しくなる。楽しいと感じたのは、音と一緒に居るあの時間だった。おじいちゃんに掛けた電話でも、「楽しい。みんな良い人だ」と話していたけど、本当の意味で練がやすらいだのは、音が隣にいる時。

日々、心が削れていく。誰が悪いとかでもないのに。毎日を暮らしているだけで、なんだか傷つく。

ひとりなのかなと思うその感覚が、上手く言えなくても伝わった練と音との会話。「咲いてたんですよ。ま、それだけなんですけど」音が撮った、郵便ポストの下に咲く花の写真を見て、固まる練。「杉原さんに見せようと思って」自分のケータイから、撮ってあった道端の花の写真を音に見せる。

あんな写真を見せられたら、好きでたまらなくなるだろうなと思った。写真が綺麗とか、花が…とかそういう次元じゃない。切った果物のもう片方が見つかったみたいな奇跡で、二人の空気がこれ以上無いほど合っている。価値観と言えば簡単だけど、それを越えて波長レベルの話だと思う。

花の写真を練が撮っていた時、木穂子さんにメールで送るのかと思っていた。でもぱっと見つけて、ああこれ見せたいなと思い浮かべたのは木穂子さんではなく音で。

もうわかりきっているじゃないかと思うのに、練はなにが大切かを決め切ることができない。この時の練のことが、すごくすごくいやだった。

優しさで自分をおざなりにするのは違う。それは優しいことじゃないよと練に誰か言ってくれと思いながら見ていた。

 

帰りのトラックのなか、音に木穂子さんが彼女だと言い切ることができない練。「彼女でしょ?!」と語気を強める音は真っ当だった。音のそういうところが好きだ。

「好きな人なんでしょ?」とたずねる音に、「優しい人です」と答える練。

「好きってそういうんとはちゃうよ」

音の表情は静かに怒っていて、 泣きそうな目をしている。「なんで…」と、わかっているはずなのに、わからないふりをする練に「説明するんは好きっていうんとちゃうよ」と言う。

まだ「なんで」と言う練にたいして、「がっかりや」と言い残してトラックを降りる。その「がっかりや」がすごくて、そのあとに音がする行動に納得できてしまうほど、音が持ち続けてきた練への気持ちが込もっていた。

好きでいたのに、恋をしているなそれでと思おうとしていたのに、練は自分のことを大切にしていなくて、投げやりで。悔しくて、もっとしっかりせえよと言いたくなる思いが、勢い余って告白にまで繋がってしまう。

 

 

誰のことを見ていて、誰と居たいのか、もうわかったはずと思ったところに、病院から連絡がくる。練と付き合うと決めた木穂子さんが、別れ話をした相手に突き飛ばされて怪我をした知らせだった。

駆けつけた病院で、木穂子さんから届いていたメールを開く練。

 

電話だと勇気が出なかったのでメールします。

という言葉からはじまるメール。

 

私は新しいペンを買ったその日から、それが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です。

その言葉を聞いた瞬間から、私は涙があふれて止まらなかった。

いま自分の手元にあるのに、無くなってしまう時のことを考えずにはいられない。喜びよりも、先にあるであろう喪失を思う。そんなせっかちな思考回路をこんなに美しく言葉にしたのを見たのは初めてだった。

 

私は朝起きると、まずはじめに今日一日を諦めます。だけどきっと、まだ心の奥のところで、諦めがたりなかったのでしょう。

 

練、あなたと付き合いたい。

あなたを恋人だと思いたい。買ったばかりの新しいペンで、思う存分あなたを好きだと綴りたい。

 

あの朝、練が恋人同士になろうと木穂子に話したあの時。

大人なふりをしてタクシーに乗り込んだ木穂子さんが、走り去ったタクシーの中であんな顔をしていたなんて。

日常にいたら、距離のある、あまり関わらないタイプだと勝手に線引きして見ていた木穂子さんが、一気に他人事ではなくなった瞬間だった。坂元裕二さんの書く本は、だからこわい。人間の思考のくせを見抜いているようなロジックで、言い当てられているような気分になる。

 

“まずはじめに今日一日を諦めます”という言葉に、このドラマの主題歌、手嶌葵さんの「明日への手紙」の歌詞を思い浮かべた。

明日を描こうともがきながら いま夢の中へ

音も、練も、木穂子さんも、朝陽さんも、晴田も、小夏も。

明日を思い描いて、眠りにつく。 美しさばかりではないのは、“もがきながら いま夢の中へ”という言葉があるから。布団に入り、頭の中で明日を想像するけれど、自由に想像できる頭の中の世界でさえ、明日が描けない日もある。

一日を諦めて、それでも諦めがたりなかったから、しあわせを。練とのこれからを望んでしまう気持ちに、木穂子さんがあらがうことをやめた覚悟の言葉だった。

 

見る前と見た後で、ここまで登場人物への印象がガラッと変わったのは初めてだった。

手紙のようにメールの文面を読む木穂子さんの声。人としての温度感と、胸を締めつける哀しさにぐっと苦しくなった。高畑充希さんだからこその、糸を紡ぐような表現力だった。

クールでいようとした木穂子さんが崩れた時、共感とも違う複雑な思いで、ああ嫌いになれないと思った。

日向 木穂子さんという人が、音の恋敵としてただ存在するのではなく、一人の人としてしっかりと描かれたことに、なんだか安心していた。