手紙を書き送り続けるジルーシャ
夢中で読むが返事を送ることができないダディ
上白石萌音さんのめくるめく声色。
歌声はのびやかに快活で、そしてジルーシャとしてチャーミングさや芯の強さを表すように、時折整えずに語るところもある。
止められない好奇心。探究心。
何も知らなかったのと歌うけれど、彼女は大切なことを知っている。
ミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ」
2022年8月31日、千秋楽公演 生配信
翻訳・訳詞:今井麻緒子さん
脚本・演出:ジョン・ケアードさん
年長として孤児院にいることが何を意味するのか、どんなものを見てきたのか。
その度に、少しの期待を抱いたかもしれないジルーシャの思いを考えると苦しい。
だから希望となる、“ダディ・ロング・レッグズ”からの提案。
“文筆家に”
歌の中でふいにその言葉がダディから出てきた時。
正しくはそのずっと前から、観ながら自分の心が震えていた。
書かずにいられない。手紙を綴らずにはいられない。だけどいつも書くばかりで、あなたからの返事をもらうことはない。
ダディは手紙を楽しく読んでいるかもしれないけれど、彼女にはそれがわからない。
実在するのか、髪は白髪なのか。
目の色を知りたいと想うことは、心の色が同じ人を探すのと同様の意味の深さを持つと、私はシンデレラや洋画から知ってしまった。
彼女はインクにつけるペンを持ち、ダディは万年筆を持つ。
彼女が記す便箋は、ほんのりと生成り色で、決して書き心地は良くないかもしれないけれど、するするとおしゃべりするかのように書き進めていく。
“モンゴメリ”に、“ロミオとジュリエット”
耳覚えのある本や、劇作家の名前が次々登場するのも楽しかった。
シェイクスピアについて触れずにいたからこその大胆な先入観。観劇して感動溢れたジルーシャの拍手の熱の入りようは、上白石萌音さんの心根にある舞台への尊敬そのものに見えた。
ふわりと揺れながら重みのある茶のスカートに、白のシャツ。肩が少しふわっと空気を含んでいる。
首元にはピンクのスカーフをリボン結びに。
そしてかかとが少しあるブーツを履いている。
牧場に行ってからの、スカートの前に白いエプロンを付けた彼女も可愛らしくて。
それから、その素敵な三つの赤い線の入ったスカートに合わせたジャケットと、白いシャツの首元に少し細めの紺のネクタイを合わせた姿の素敵さ。
重厚感のあるスカートとお揃いのジャケットは、ジルーシャが選んで買ってきたのだろうか。ダディからの仕立てまで完璧に済ませたプレゼントだろうか。
ジルーシャのお着替えがさり気なくさらりと舞台上で変わっていくのも見事だった。
白のシャツとネクタイはそのままに、ウエストラインに沿った細かなボタンの美しいジャンパースカート姿も魅力的。
二人が舞台からはけることは見たところほとんど無く、出ずっぱりの3時間。
しかも喋り歌い通し。息つぎはどこに?
二人きりの舞台。
ミュージカルでハーモニーとしては出逢うのに、二人はいつまでも目が合わない。
台詞の掛け合いのようでいて、朗読劇でもある。
タイプライターに、深緑の立派な椅子。スーツのベストのポケットに忍ばせるのは懐中時計。
いくつもの年期の入った魅力的なトランクは、様々なセットとしての役割も果たす。
この作品に、そしてジルーシャ・アボットに確実に心惹かれたのは、
「わかるかしら ダディ
いかなる人間にとっても重要な資質って、想像力だと私は思うの。
それは、相手の立場に立って考える助けになります。
親切で、同情心や理解のある人間にしてくれるのよ。」
という、彼女の切実な胸の内。
心からの賛同を伝えたかった。思っていた通りではないからと口にして何かを言うより前に、なぜそうであるのかを想像することができたなら。
同情は決してネガティブなものじゃない。相手の心情に色を同じにして、思いを近づけることだと考えているから。
ジルーシャがくだけた言い方で「良いやつ!」と書いた手紙に、
「良いやつ?!」と口に出すダディのコミカルさもとても好きだった。
病室へ届けられたピンクのバラ。数え間違えていなければ5本。
ピンクのバラには「感謝」の意味があるようで、5本なら意味する花言葉は「あなたに出会えたことの心からの喜び」
アーカイブでよく見て数えてたら、6本かもしれなかった。調べると、「互いに思いやる」の意味があった。
“君の夢を”と歌った井上芳雄さんの歌声が素晴らしくて…
マンハッタンの向こうを少し屈みながら杖で指し示し、それに寄り添い夕陽を本当に眺めているように目を細める上白石萌音さんの演じるジルーシャの表情が繊細。
ダディが「ジルーシャ」と呼ぶ時の間合いは、相手の名前を呼ぶことの特別さを物語っているのに、ジルーシャに本当の名前を教えてあげないなんてずるい人だと思ってしまう。
その名前を呼べるだけで、どんなに嬉しいか。
二幕が始まってからの歌『世界で一番わからない人』
“わからない人ね”
これまで大学での生活に戸惑いとワクワクとを見せていたジルーシャが、ついに見せるダディへの苛立ち。
あなたが“わからない”と、あなた自身が何度心に訴えかけても“わからない人”だという意味が二つ言葉に乗っている感じがして、
快活な彼女だっていつまでも明るく居続ける訳ではないと、ジルーシャの芯を垣間見るシーンだった。
二幕に入ってからの声が、印象が徐々に変わっていて、少女から立派な意思を貫く女性になっていることを上白石萌音さんの表現から受け取った。
“チャリティー”の意味の重みをも考える。
与えること、受け取ること。
ダディとして抜け出せないと、思い込んでいる彼の哀しみ。
ここでの葛藤があるから、良くした子への恋心だけではまとめることの出来ない“なにか”が生まれる。
目と目を合わせていないのに、相手の口元を見ていないのになぜ、ハーモニーのタイミングがあんなにぴったりなのか。どれほどの努力を重ねたのだろう。
劇中で、ダディがジルーシャのことを
“激しくて、愛嬌のある生き物”と言ったところに、そう!としっくりときた。
上白石萌音さんの初っ端の一人二役にも驚いて、ミセスリぺットとしての声の変わりようにも圧倒された。
そして本当に目の前にミセスリベットが居るかのような手紙の差し出し方や、シュパッと紙を見せる動きの機微さがすごかった。
上白石萌音さんの歌声を耳に直接聴くことができたのは、2020年「ディズニーオンクラシック 美女と野獣インコンサート」でのベルとしてのステージ。
本を開きながら登場した時の存在感としっくり感、ルミエールの涙をハンカチでよしよしと拭く様子。その歌声に、魅了された。
詳しいわけではなかったけど、上白石萌音さんの歌の中では「カセットテープ」が好きで、「夜明けをくちずさめたら」は暗い夜のなか不安でたまらない時のランプになっている。
映画「舞妓はレディ」を映画館で観た日から、ずっと心は掴まれ続けていた。朝ドラ「カムカムエヴリバティ」は毎話見た。
上白石萌音さんがミュージカルにどれほどの思いを抱いているか。
歌に、歌うことにどんなに誠実に気持ちを向けているか。
想像では余りあるほど、思いの深い人であると感じてきた。
本を読むこともお好きであるからこそ、文章を書くこと字を書くことへの敬意も人一倍で、ついに出版の叶ったエッセイ本について上白石萌音さんご本人が話されていた様子からも、語ることより語らずそっと胸に置く思いの大きい方なのだろうと思った。
だから、ご本人も大好きな作品だと言う「ダディ・ロング・レッグズ」に出演なさったこと、そこに好き!が溢れていること。
なにより、ジルーシャの大切にするものが、上白石萌音さんと共鳴している。
そのすべてに感動した。
終盤でのダディの行動に返すジルーシャの行動が大好きだった。
王道の構図も良いけれど、こっちも好きだ。
カーテンコールで、差し伸べられた手に勢いよく乗せる手。
奏者さん3人もカーテンコールに出てきてくれて、弦楽器の美しい音色とピアノの音色は3人で奏でられていたの!?と驚いた。
生演奏であることの贅沢さをさらに噛みしめる。
スコットランド民謡のような雰囲気を感じるバイオリンの音がとても好きだった。
今回の生配信にあたって、10台のカメラが稼働。
日本初演から10周年の「ダディ・ロング・レッグズ」であったと、観終えてから知った。
“あしながおじさん”の話を何となくは聞いたことがあっても、
そのミュージカルがあって、10年も上演し続けてきたこと、井上芳雄さんと坂本真綾さんで歩いてきている10年について、私ははじめて知ることとなった。
好きかもしれないと、この舞台に引き寄せられたのは、フォローしていた東宝演劇部アカウントのリツイートで見た「ダディ・ロング・レッグズ」の舞台写真を見た時だった。
上白石萌音さんの姿と、衣装のセンスに魅力を感じて、写真から伝わる作品の空気感にますます関心が湧いた。
それを後押ししてくれた方の“きっと好きなはず”という言葉で、私はこの作品と出会わなくてはと思った。
チケットを探すも、公演期間が思うより短く、見つけることは出来なかった。
配信の知らせを聞いた時は、本当ですか!?と立ち上がりたいほどの嬉しさ。設備も経費もかかる配信を、まさか取り決めてくれるとは思わなかったから。
生配信と、アーカイブ期間まである。
それもアーカイブ期限の9月7日まで、今からでもチケットが買えて、観ることができる。
私はこの作品を、今回の公演を、全力でおすすめしたい。
月に割り振れるチケット代のことや、交通費、様々な事情を考えると、劇場で観たいという思いは揺るぎなくあっても、今回それができるかは難しかった。
こんなにも優しい価格で、しっかりと作品に触れさせてくれたことに、とにかく感謝している。
千秋楽の場に、脚本・演出のジョン・ケアードさんと翻訳・訳詞の今井麻緒子さんがいらっしゃっていた。
千秋楽だからなのかなと見ていたら、いらっしゃるのはかなりの頻度のようで、作品を愛していることが伝わってきた。
カーテンコールも可愛らしかった。
はじめは、ダディが紳士に手を差し伸べ、ジルーシャが勢いよくそこに手をのせた。台詞は無くても、エスコートしてもいいかい?…いいわ!とやり取りがあるみたいで、素敵だった。
3度目はジルーシャから手を引いて。
ぐいっと連れて行く感じが、観てきた二人だなあと微笑ましくなった。ダディと手を振っている様子も可愛い。
さらに最後は、置いて行くみたいに走ったダディをジルーシャが追いかけ、どうぞと手を差し出して、ぱしっと手を取る。それから二人で手を振った。
4度目は二人で仲良く手を振り、
さらにさらに最後は、井上芳雄さん、上白石萌音さんのお二人と、ジョン・ケアードさんと麻緒子さんとバンドのみんなが揃って舞台へ。
手を振る主役の二人を見届けてから、ジョン・ケアードさんがしみじみとお辞儀をして、21時3分に幕を閉じた。
筆をとり、紙に文字を走らせる。
あなたに宛てた手紙は、あなたがどんな表情で読んでいるかもわからない。
それでも思いを伝えることに躊躇しなかったジルーシャと、その文才と彼女自身の内面の魅力に引き寄せられ、本棚一面に貼り巡らされた手紙を前にしながら書いても届けず丸めてしまっていたダディ。
届けなくては、届かない。
素直でなくては、心に近づけない。
「大切なのは、想像力」
そう思わせてくれた、「ダディ・ロング・レッグズ」だった。
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Dear Daddy long legs companies,
ダディ・ロング・レッグズ カンパニーのみなさま
I was deeply impressed with Daddy long legs.
この作品に深く感動しました。
私はこの物語に出逢うことができてしあわせです。
Sincerely,
Maro Misumi
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