ペンライト1つじゃ足りないくらい
この手に持てるのは灯り1つだけど、届いているだろうか。伝わるだろうか?
たくさんの人が集まって、ザワザワとした空気のなか、ペンライトの灯りがひとつずつ増えていって、ドームの照明がフッと消えた。
生まれた暗闇に光るペンライトの海は綺麗で、今回のペンライトは周りに付いたラメラメが光をぽわっと柔らかくしていて、順々に移り変わっていく色がドーム一体の空気を目に見える形で映していた。
ステージに見えた関ジャニ∞の姿。聴こえてきたのは「応答セヨ」だった。
一瞬、何の曲かわからなくなるほど、私は目の前に見えた6人の姿に釘ずけになっていて、丸山隆平さんの声がして“子供の頃に願い事を込めた”という歌い出しを聴いてようやく、「応答セヨ」だ!と気づいた。
どんなライブになるのか、何度考えても見当がつかなくて、なにを1曲目に歌うのかはもっと見当がつかなかった。ベストアルバムのなかで、ほかのどの曲でもなく「応答セヨ」が選ばれたことに胸がいっぱいになった。
福岡公演のオーラス、最後の最後に歌ったこの曲が、ライブ「GR8EST」【グレイテスト】のスタートになっていることで、それが全く切り離されているものではなく、地続きであると感じられたのが嬉しかった。
7月26日。どんな気持ちでいたらいいかわからないままでやって来た京セラドーム。
ペンライト手に持って、リズムに合わせて振るのも、振り付けに合わせて振るのも、歌に聴き入ってしまってその手が止まるのも。楽しかった。
この感じ、これだったと思い出す感覚があって、あっという間にすぎた3時間。
「応答セヨ」の後、錦戸亮さんの挨拶があって、その言葉を合図に聴こえた
ようこそ
で始まる歌声に鳥肌が立った。
心配や見守りたい気持ち、この場所にいろいろ持ってきたつもりだったけど、ただ一言、“ようこそ”と迎え入れた関ジャニ∞の度量に、一生敵わないと思った。
楽器の音色が広がると同時に聞こえた関ジャニ∞の声。揃ったその声が本当に温かくて。
これまでだってライブで聴いたことはあったけど、「ここにしかない景色」を聴いてなったことのない感情だった。歌詞にストーリーを見い出したいのとも違う、ただその一言は、ドームに集まった5万5千人が持って来たそれぞれの思いをふわりと白いシーツで包んでしまえるような力があった。
そしてメインステージの大きなスクリーンに、どんっと6分割でメンバーが映った。
あのタイミングが、すごかった。どの席からも見える大きさで、今いる関ジャニ∞が映し出される瞬間。それを、さらーっと流れ込むでもなく、ドラマティックさを意識し過ぎているわけでもない。あのタイミングしかなかったと、見てしまった後では確信するくらいに、それぞれの顔がスクリーンに大きく映るタイミングは思いきりよくけれど繊細で、丁寧だった。
ドーム内を縦横無尽に動き回るライトも印象的だった。
メンバーに当てるわけではないそのライトできっと、メンバーにはファンの表情がよくよく見えるだろうなと思った。
今回のライブはベストアルバムからのライブ。「涙の答え」を聴けたことがすごくうれしかった。演出が好きだったのもこの曲で、夜空に広がる星の光が綺麗だった。
ただ、「ひびき」も「涙の答え」も聴けて嬉しかったし好きだけど、関ジャニズムの流れを思い出したところではあって、できれば他の曲との組み合わせでの流れを見たかったなとも思った。
メインステージが少しだけせり上がり、床にはうっすらとスモークが炊いてある。それが雲の上みたいで、後ろにあるスクリーンが開いて奥行きのできたセットには、暗闇と光る灯りで星空が現れて、曲の途中に右横のスクリーンから中央、左へと流れ星が通っていくのを見た。
「無責任ヒーロー」で、“ファイト!関ジャニ!無限大、エイト!!”を出来たのも嬉しかった。
東京スカパラダイスオーケストラとのセッションで完成したこの曲のアレンジを、ライブでどうやって演奏するのかも気になっていた。
それぞれの楽器が交互にセッションする部分は、ツアーのバンドメンバーそれぞれとのセッションになっていて、スクリーンにも画面分割で生の楽器セッションを見られたのには胸が熱くなった。管楽器隊の所に横一列で並んで、トランペットを吹いている横山裕さんがかっこよかった。
MCが明けて、見えたのはシアターのような重厚感のある赤い幕。関ジャニーズエイターテインメントの文字がゴールドのライトの看板になって赤い幕の真ん中に降りてきて、カラフルな衣装を着たメンバーが登場。そこから「今」を歌う。
ハイスクールミュージカルを彷彿とさせる赤い幕とゴールドのライトは、ハイスクールミュージカル好きとしてたまらなかった。このセットに関ジャニズムのコンセプト映像のような、ジャケットにハットを被った衣装で魅せる演出もいつか観てみたい。「Street Blues」や「DO NA I」がぴったりくるはず。
ライブを観に行くようになったのは「元気が出るライブ‼︎」からで、その頃からソロ曲ではなくユニット曲を披露することが増えていたから、これまでのソロ曲を聴くのは憧れだった。
安田章大さんソロ曲の「わたし鏡」をついに聴けた感動はひとしおで、“早よ 会いたい”のいじらしさがもう、乙女心の集合体という感じだった。そのあとに安田さんがアドリブで言った「早よ 会いたかっっった!」は信じられない可愛さで、くしゃっとした目尻と大きく開いた口角に、観ているこっちが笑顔になった。
錦戸亮さんと大倉忠義さん2人の曲「torn」は、見てはいけないものを見ているのではと、一旦物陰に隠れてから眺めたくなるほどの色気。
この曲を知ったきっかけは「十祭」で横山裕さんと村上信五さんでコンビを組んだ「torn」を見たことで、本家を見るのは初めてだった。衣装がはだけているわけでもなければ、あからさまな何かがあるわけでもないのに、こんなに大人なムードを醸し出せてしまうのは、錦戸さんと大倉さんのボーカルの艶っぽさがあるからだと思う。
2人とも少し鼻にかかる声の出し方をすると、声に涙の表情がついて、憂いの湿度が一気に増す。
横山裕さんと丸山隆平さんが歌う「パンぱんだ」も見られる日が来るとは思っていなくて、そっか台湾公演!と後から気づいて納得だった。
かわいさがメーターを振り切っていて、うっきうきでペンライトを振った。こんなに平和な気持ちになることがあるだろうかと思うくらい。ドームが一瞬にしてEテレのようなほがらかさに包まれていた。
ドームの一体化、ペンライトのリズムが揃ってすごいと感じたのは、KING。
あの盛り上がりはすごかった。自分が最高に楽しかったからそう見えたのかもしれない。オラオラ系サウンドは苦手なはずなのに、「LOVE & KING」は無条件で楽しくて、KINGとエイトに煽られる楽しさはこの曲だから味わえる。
京セラドームの26日公演は、間にある映像のコーナーがどちらも丸山さん大活躍。
Tik Tok風のダンス動画を撮ろう!のコーナーは、大倉さんと丸山さんのコンビで、「バッキバキ体操」を踊ることに。キュートに踊る大倉さんの後ろで、狂い咲く丸山さん。もう後ろで好き放題。踊り狂ったかと思えば、傘をさして後ろを横切るわで、わけわからん行動のオンパレード。
「丸、やったな」と大倉さんに感づかれるも、シラを切る丸山さん。映像を確認しよう、いやいいと思うよ、で逃げ切ろうとするものの、狂い咲きがバレる丸山さん。最高だった。
今思い出してもニヤついてしまうし、出先で突然映像が蘇るからあぶない。とんでもないものを心に残して行ってくれたな丸山さん…と変な気持ちになっている。
キーワードを繋げたお題に答えるコーナーは、村上さんと丸山さんが選ばれて、「突然、寝っ転がって、全力で自己紹介」みたいなお題が。
先行の村上さんは、背中大丈夫?と思うくらいの寝っ転がりからの「まっかみしんごでーす!!」と文字起こし不可能な勢いで挨拶。後攻の丸山さんはどうくるかと思ったら、村上さんを上回る狂気。寝っ転がりからローリングで、決めに「イニシャルはM(エム)!!」で全力のM字開脚。
脚が長いから見事なM。丸山さんの勝利。
ドームのウケ具合を裏で聞いたのか、コーナー映像が終わってライブ本編に戻ってから実際に「イニシャルはM!!」をステージで披露する丸山さん。エンジン全開だった。
横山裕さんの吹くトランペットが、パーッと突き抜けるようにドームに響いていた。村上信五さんがためらわず思いきり歌声をマイクに乗せるようになっていた。
丸山隆平さんが担うボーカルパートの続く3曲、柔らかさよりも勇ましさが強く出ていた。錦戸亮さんがあそこまで喉全部を使って歌うのを私は初めて見た。
安田章大さんの歌う新たなパートは、寄せず引っ張られず、安田さんの歌を聴けた気がした。大倉忠義さんの話す今の思いは、あるままを伝えようという取り繕いのない真摯な言葉だった。
歌わないという選択もあるのかもしれないと思っていた「大阪ロマネスク」
今日も誰かが巡り逢う 遥か 遥か 西の街
恋をするなら御堂筋から 始まるのさ
雅なるストーリー
関ジャニ∞全員の声が聞こえた。
その音の厚み。迷いのなさ。6人全員が、同じ声量で声を出している。
いつか聴きたいと願っていた「大阪ロマネスク」を聴けるまでの間に、自分はどんどんと大阪を好きになって、気づけば10日間をそこで暮らすまでになった。
1ヶ月が経って、戻ってきた大阪で聴く「大阪ロマネスク」は、切なさというよりも色鮮やかな思い出で満ちていた。梅田駅もなんばの庭園も神戸まで見える景色も、大阪の情景が頭の中でくっきりと蘇るのを感じて、過ごした時間が身体の中に確かにあることを知った。
ライブ最後に歌われた「ここに」
新曲として冷静に聴けると思っていたけど、大倉さんの最初のパートを聴いたらガッと思いが込みあげてしまって、削ったままでむき出しの人間味を見せてもなおどうしてここまでかっこいいのかと悔しくなるほどだった。
どっと押し寄せてくる気迫が、ラジオから聴いていたのとはまた別のもので、直に聴いてわかった曲の魅力があった。
4月からずっと、7月19日を越えたら、スバラジがラストを迎えたら、ライブが始まったら、今までがなかったことに、世界がまるごと記憶を無くしたみたいに、リセットされてしまうことを恐れていたのかもしれない。
テレビの過去映像や雑誌で関ジャニ∞として居た渋谷すばるさんを見られなくなったとしても、自分の記憶だけは消されてたまるかと、ずっと身構えていた。
ライブを観て、ああ大丈夫なんだと思った。誰よりも関ジャニ∞が、無かったことにする気なんてなくて、その意思はそれぞれの挨拶やMCで臆せず発せられる「すばるくん」の名前に表れていると実感した。
今の関ジャニ∞があり続けることは、これまでの関ジャニ∞があったことの証明でもある。
初めて聴く6人での歌、初めて見る6人の姿。目で見るよりも耳で聴く変化の実感は大きくて。どの曲も、初めて耳にする新たな関ジャニ∞だった。
素直な思いを書くと、戸惑いも楽しさもごっちゃになった言葉になりきらない感情に、頭はキャパオーバーで、ライブ後は思考停止だった。ご飯を食べていても気を抜くと一点を見つめて固まってしまう。パソコンみたいに、ロード中…ロード中…とあのグルグルが永遠と回っているような状態で、整理しきれない情報量。
まずは目の前にあることを受けとめるのに精一杯で、楽しかったのも本当。嬉しかったのも本当。
だけど、渋谷すばるさんのことが大好きだったから。
思いがこんがらがるのは、全力で関ジャニ∞を好きになっていたからで、26日のライブで錦戸亮さんが話していたように、牛みたいに咀嚼を繰り返して飲み込んでいけたらいいんだと、そう思った。
関ジャニ∞のライブがまた観たい。
どんな歌を歌うのか、どんなステージを作るのか、もっともっと観たい。
わけわからん丸ちゃんのギャグも、一変して寡黙にベースを弾いている時の丸山さんも、どうにもこうにも好きだから、見ていたい。
来年もまた、年に一度会える友達と一緒にここに来られますようにと願って後にした京セラドーム。夜になった空にはまんまるの月が見えた。