再びの「ラストマイル」見つめて思うもの

 

そろそろもう一度観に行きたいと思っていたら、ステッカーをプレゼントと知って、もちろん行った。

2度目になっても、全く気が抜けなかった。

新しく気づくことはあるだろうかと思ったけど、あった。感じ取り方が変わったところさえあった。

 

箇条書きのような形で書き連ねたい。

ネタバレはあるので、鑑賞後を間違いなくおすすめします。

 

エレナは万全の状態で職場復帰かと思っていた。

1度目に観た初めのエレナの印象が、快活に見えて。

でも度々コーヒーを飲んでいるし、通勤のモノレールでの居眠りでようやく少し回復しているようにも見えて、ロッカーであくびもする。万全ではなかった。

モノレールに乗っている時から、少しのため息と椅子に座り直す仕草。緊張は表れていたのだと思った。

そう思いながら見ていたら、感情が溢れたエレナが心にすとんと入ってきた。

 

社員は7名。

こんなにも働く人がいるのに、たった7名しか正規雇用されていない。

5年前。彼女が働き始めたのは4年前。

現場も、JAPANも、本部も気づいてはいなかった。気にもしていなかったのかと思うと、酷だった。

すぐに行動したのではなく、会社がどう動くつもりかを、それだけの年数見ていたのでは。変わらず、エレナの前任者も全ての責任を背負って辞めていくのを見ていたのでは。

変わる気のない会社に、体制に、社会に、それで。なのでは。

それでも、私は「ラストマイル」のなかに三澄ミコトの言葉があることの意味を思う。

 

八木さんの八方塞がりのしんどさも思いながら観た。

八木さんの同僚に熊さんいるんだ…とも思った。

 

倉庫のガッチャン、ガッチャンと鳴る音が、タイムリミットを示すカウントダウンのように聞こえて、心拍数が跳ね上がって落ち着かない。

彼女の心が叫ぶかのように劇伴がフェードインしたりする。意識して聴きだすと、痛切で、怖かった。

会社へと皆が集まって行く時に聴こえてくる、オーケストラのチューニングのような音には、社会とそれぞれの個性の波長を合わせてゆく場面が音からも感じ取られた。


爆発をあの回数分見たわけではなくても、等しい恐ろしさが押し寄せてくる。

知って観ていても、ぐっと手を握り締めた。

1度目で、“大丈夫だった人たち”だと思っていた何軒かの家での会話。「住宅街で」と話されていたことに気づいて、勘違いではないとしたらますます恐くなった。

その場所に居る人たちの姿はあまりに私たちの日常で、

容赦ない臨場感がありながらどうにか見るのに耐えられる映し方になっているとは思いながら、それでも吹っ飛んでいる物ひとつそれが目視できるだけで、ここがどういう人たちが集まる場所なのかを突きつけられる。

重傷は、無傷とは違う。

 


2回目を観て、孔が心配になった。

“鍵”を託されて、立ち尽くす姿に。ロッカーの前で、圧倒されているような、途方に暮れているような姿に。

大丈夫には見えなかった表情。あの中に居て、孔だけで飲み込まれずにいるなんて、可能だろうか。


孔の心の動きを、今一度見つめることもできた。

孔がエレナと一緒に持つことにした瞬間。

一定の距離で見守るでもなく、自分からそっと箱に手を添えた覚悟を。浸ける瞬間まで、同じ恐怖を抱えた事実を。

 

シェアード・ユニバースな世界で働くそれぞれが、かっこよくありながら、どこか失ったり欠けたり抜け落ちたり抱えつづけていたりする。

人間味という言い方では足りていないような、存在する姿に、私はどんな在り方をするだろうと考える。

良品とはもはや思えないとしても、何を軸に何を自分の中に守りつづけていくだろう。

 

エンドロールの音楽は映画館で聴くからこその醍醐味と感じながら、

ボリュームを知ることは出来ないものの、爆発音と近いほどの大音量で響く「がらくた」に、最後まで揺さぶられつづけた。