舞台「泥棒役者」映画から舞台へのカムバック、直に伝わる温度感。−前編

 

「まだ終わってない!前園俊太郎はまだ終わってないニャー!」

そう言い切る大貫はじめくんの姿が、目の前に。

 

始まりは舞台。それが映画になって、主演は丸山隆平さんで。そして、今度は舞台になって帰ってきた。

主演は、丸山隆平さんで。

舞台だった「泥棒役者」をDVDで見て以来、それから数年が経って思いがけない形で好きなものと好きなものが繋がった。それだけでも充分だったのに、間に合わなかったと思っていた舞台の「泥棒役者」をこうして観られる日が来るなんて、それを演じるのが丸山隆平さんなんて、夢よりも夢みたいだった。

 

劇場に入った瞬間から、舞台の上に広がっていたのは前園邸。

開演前で薄暗くて全貌は見えないものの、あの階段。あの玄関。あの銅像。映画で観てきたイメージのままの部屋。何度も観て、ああこの空間に居られたらと思っていた景色が、そのまま目の前に広がっている。それだけで胸がいっぱいだった。

BGMで流れている音楽がディズニーに居るみたいで、クリッターカントリーみたいな明るく陽気な音楽を聴きながら、ワクワクがさらに高ぶる時間も楽しかった。

開演前のアナウンスが奥さん…?と思わないでもない声だったのも、本当のところはどうなんだろうとそわそわした。

 

舞台が始まり、バアンッ!とソファーの下から出てきたはじめ。

そこか!!という衝撃。玄関から忍び込んで来るのかと思ったら。まさかのソファー下から。びっくりした。

映画では2人で忍び込んだ泥棒仲間が、舞台版ではもう1人増えたことが初めのシーンでわかった。そしてそのもう1人である、中谷竜さんが演じるコウジの存在が、物語の空気を作る上で新たな風になっていることも。

ストーリーの大筋は変わらないのだけど、それでも舞台ならではの変化と、映画から舞台の構成の置き換え方、台詞をそのまま残すところと変えるところ。ニュアンスの変化。それを感じられるのも楽しくて、同じ台詞でも言い方のトーンをこう変えたんだなーと思える発見が様々なところにあった。

 

轟さんがはじめに「書いてあげてください!婚姻届!」と言うことになる流れも、タマとみきの像のプレゼントと一緒に入っていたファンからの婚姻届というエピソードをマッシュからはじめに話して、はじめがそれを持っていたことから轟さんが勘違いする、という流れが加わっていた。婚姻届を書いてあげてくださいと言いたくなる轟さんの心境とその流れに説得力が増していた。

童話にする物語をみんなで練り直そう!となった時の、「乗りかかった船だ」と轟さんの台詞の後に「勝手に乗って来てるんでしょ?」と言うやり取りも、勝手に…と言うのは映画では奥さんの台詞だったけど、舞台でははじめくんの台詞になっていた。

最初の舞台にあった、轟さんが小説家を目指していたという設定が今回舞台になって復活したことも嬉しかった。

その背景によって、轟さんのストーリーに深みが増していた。セールスマンになった今でも、常に鞄に原稿を持ち歩いていることを思うと心にぐっと込み上げるものがある。もしいつか、なにかあったらと備え続ける実行力と、今だ!とすかさず原稿の入った大きな封筒をはじめに押し渡した行動力は、チャンスを待つ姿勢として手本にしたいものだった。

 

そして、その轟さんの書いた“ハードボイルド小説”の朗読をきっかけに始まる劇中劇。

そこからの滅茶苦茶なドタバタ展開が楽しくて、面白くて、客席全体がその展開に振り回されてわっと笑いが起きている空気感が、みんなで同じアトラクションに乗っているような一体感だった。最近はシリアスな舞台を観ることが多くて、こんなに声を出して笑って観る舞台は新鮮だった。

バン!と撃たれてトゥッっと避けるマッシュと奥さん。それも何回も。そのフォームの綺麗さ。それが最高にツボだった。

そして赤いコートの女…!!はじめくんのまさかの女装姿で、赤いコートの女が登場した時の衝撃。背が高いから赤いトレンチコートが似合う。つばの広い赤いハットも似合う。ストレートロングのウィッグがさらさらで、良いウィッグ…!と思いながら見惚れてしまった。

生で丸山さんの女装を見たのは丸子以来だったけど、似合っていた。右足に重心を置いて、スッと立っている姿の美しさには風格があって、憧れさえ抱くほど。

マッシュとはじめくんのそれぞれ持っている銃の作りが違って、マッシュが持つのは手に収まるコンパクトな銃。はじめくんの持っているものは、引き金を引いて撃つパターンの大きめの銃。一発撃つ度に、チャッと引き金を動かす音がして、その動きを素早くノールックでこなす所作がカッコよかった。

 

劇中劇の第2幕、童話アレンジされたハードボイルド小説を披露した時の、奥さん扮するブタさんのブー子が可愛くて、耳に手を当てる時の動きがちゃんとブタさんの耳の位置に手を当てていたのが、細かいところまでリアリティ!と思った。ピョコっと右足を出すポーズ付きなのがさらに可愛い。

ブー子と一緒にいる、マッシュ扮するお爺ちゃんは杖が全く安定していなくて、わなわなしていると思ったらブンブン振り回しだして、むしろアクロバットだった。

 

映画では外と室内、恋人の美沙とのシーンなどシーンが切り替わっていく。それを舞台では前園邸の中だけに絞っていて、ほとんどのシーン展開が室内で展開する。

舞台、特にグローブ座での舞台はセット転換がほぼ無い印象だけれど、どんな作品で観ても、あの空間ひとつで完成させるために多種多様なアイデアが施されていて、すごいなと感動する。

そしてセット転換をしないで進む舞台だからこそ、「泥棒役者」では、編集者の奥さんの台詞とリアクションを分岐点として、シーンにチャプターを打っている印象があった。真っ直ぐ進む時間の中で、その点があることで時間の経過を感じられた。

奥さんが言った、「もう分かんなーい」の台詞にリンクするように、2階で机に向かわされて「もう分かんなーい」とはじめくんが弱々しく言うところが可愛かった。前の日の夜に宿題をさせられる子供みたいで。

 

舞台版では、登場人物たちがもっと強烈にパワーアップしていて、そのキャラクターの濃さとパワフルさが直に伝わってきた。

なかでも、与座よしあきさんが演じた轟さんのキャラクターは、こんなにも愛らしくなってしまうのかと驚きで、出てきた瞬間から心を掴まれたのは完全に想定外だった。はじめくんと轟さんとの「帰ってください!」「今日だけは!」を何度も繰り返した後で、「来ちゃった(ハート)」でトレンディーな彼女感を醸し出してきたあたりで、もう完全に轟さん!好き!と思った。

はじめを演じている丸山さんも、轟さんが出て来たあたりからどわーっと汗をかきだしていて、やっぱり轟さんの相手は体力仕事だ…と思った。

全く空気が読めなくて、言いたい放題で、急に上から目線。オバケは怖い。でもなんか憎めなくて、しょうがないって仲間に入れてしまうはじめくんたちの気持ちもわかる。

おとぼけキャラはふわりふわりとそこに居るように見えて、演じるのは難しい役柄だと思う。言葉数も多いのに騒がしく聞こえないのも、与座よしあきさんのすごさだと感じた。

 

 

はじめくんは、映画を観てからだと自然とバックグラウンドを想像して観るところもあった。同じでもないけれど全く違うわけでもない、不思議な感覚。まさに西田監督が話していたように、一種のパラレルワールドという感じがして、楽しかった。

映画でのはじめくんと舞台でのはじめくん。明確にここが!というのではないけれど、なんとなく映画は“男の子”という感じがして、舞台は“男の人”という感じがした。

直に見ているというのもあるかもしれないけれど、舞台ではより等身大で、ボソッと鋭いツッコみを言っていたりするところが人間味に溢れていた。

東京公演スタート直後はなんとなく映画での話し方や声色に近い印象があって、1週間経ってからの舞台では冷静な時の声のトーンがハッキリとしていた。落ち着いたトーンになったり、マッシュの真似をして二枚目なトーンになったりと、弱々しいだけではない声の使い方で、はじめとしての感情の起伏を表現していると感じた。

「そうですー」も、東京公演の始め頃は映画の言い回しに近かった印象で、1週間後に観た時には、それぞれにその場での「そうです」のニュアンスがあった。

前園俊太郎先生について聞かれた時の、半ばやけくそな「そうでーす!」が特にツボだった。顔を背けながら遠くに投げるように言っていて、その適当な感じが堪らなかった。

 

東山紀之さんが演じる前園俊太郎、マッシュは、出て来た瞬間から隠しきれないそのスタイルの良さ。マッシュルームヘアがトレンドにすら思えてくる似合い方。

はじめくんの持っている服の中で、一番シンプルなのが黒のテロテロキラキラシャツで、あとは柄物しか持ってないなら、マッシュと服の趣味が合うのではと思った。

突然舞い込んできたはじめとの出会いを面白がって、はしゃいでいる様子が外国の子供みたいで、若々しい前園俊太郎先生だった。

泥棒に、セールスマンに、編集者に。こんなにも一度に訪問者がやって来て賑やかになることは、妻を亡くして以来初めてだったのではと思うと、それまでの原稿を書けずに煮詰まる日々、訪問してくるのは編集者と隣人の高梨仁からのクレームのみという生活にどんな気持ちでいたのだろうと、心がぐっと締めつけられた。