言葉や仕草から思う、大貫はじめ。映画「泥棒役者」

 

「待とうと思って」

天ぷらを揚げてくれている美沙を待って、正座でちょこんと座るはじめくんは堪らなく可愛くて、始まってすぐのこのシーンに二人の空気感が表れていた。

温かいの食べてほしかったのにー…とシュンとする美沙に、「やっぱり待とうと思って」とはじめくんは答えて、「うん、それ二回目」と美沙が言う。短いやり取りだけど、ああこういう空気が好きだな、この二人ならきっと大丈夫だと感じた。

ここにはじめくんのすべてが集約されている気がして、最も好きなシーンだった。

あの時、唾を飲み込んで神妙な面持ちでどこか緊張している様子だったのは、この時にもう打ち明けようとしていたからなのだろうか。これまでも、何度も何度もそうして、だけど言い出せずにいたのかなと思う。

 

もう書くことができないと、ひとりきり大きなお屋敷で暮らしていた絵本作家、前園先生のところへやって来たひとりの泥棒。

それぞれがひとりぼっちで、お屋敷で出会ったことから始まる繋がりは、“知らない”から“知ってる”になって、段々とそれだけではない縁になって。いつの間にか他人ではなくなって、それぞれの人生に関わっていく。

映画「泥棒役者」は、ひとりひとりが抱える不器用をすくい上げて、誰かと補い合うことができるということを見せてくれた。

西田征史監督の作品はいつもどこか、小さい頃に感じていた言葉にはならない気持ちを、自分でも気づかないところに置いておいた気持ちを、ツンとつつかれるようなくすぐったさと懐かしさがある。不器用でも生きていく登場人物たちの姿は、自分の感じてきたものと重なるがゆえに、ヒリヒリ痛むこともある。それでも最後に残るのは、誰かが見ていてくれることへのあたたかさで、いびつささえもおもしろがっていく強さだった。

 

はじめくんに魅力を感じたのは、自分の人生をずっと暗い人生だったと語りながらも、今の自分がいる場所の大切さを知っていて、それを噛み締めているというところ。 

「タマとミキ」に出会って、また一人になって、だけど美沙と出会った。自分の境遇を恨んで、自分なんかこんなもんだと自暴自棄にはならず、それでもそばにいてくれる人のありがたさを受け止めながら日々を生きている。それを大切にすることができたから、工場長ははじめを雇い続けてくれて、美沙と出会うことができた。偏見を越えて自分を信じてくれる人がいるということを知ったはじめはどんな気持ちだっただろう。

世間は冷たいと言った泥棒の則男は、確かに冷たい風当たりを実感してきたのかもしれない。けれど、最後にはじめが則男にかけた言葉は、はじめ自身が感じてきたことだからこそ、伝えることができた言葉だと思う。

 

映画の中で3度出てくる「そうですー」のシーンはどれも好きで、その間合いと「…っ」と小さい「っ」が入る言い方が絶妙だった。一番好きなのは、奥さんに言われて「そうですー」と答えるときのあのトーン。背を向けながら半泣きなのがいい。

ひょいひょいと平気で嘘がつけるわけではなくて、「ごめんなさい」とすぐ謝りがちなはじめの性格は可愛らしく見えてしまって、泥棒に来てるのに「お邪魔します」と言ったり、靴のまま家に上がりはするものの靴の砂を落としてから上がったりと、はじめくんの人の良さが要所要所で隠しきれない。

 

 

こぼれたワインを拭こうと、ポケットティッシュをジャケットの胸ポケットからサッと取り出し、しゃがんでペタペタと拭く。その一連の動作がなんだか好きだった。

普段からポケットティッシュを持ち歩いているんだ…というところとか、こぼれているワインのわりにティッシュが足りていなくてひたひたになっているところとか。はじめの日常の空気が強く感じられて、いいなあと思いながら見ていた。

ツボだったセリフで言うと、轟さんの名探偵もびっくりな推理についていけなくなったはじめの「えーっと どうしよう」は最高だった。声のトーンと、冷え切った温度が素晴らしい切れ味だった。

鍵を開ける2つのシーンも印象的で、金庫を開ける時の、目を一瞬細めて頬がクッと微かに上がる表情に心を掴まれた。ほんわかした雰囲気を終始まとっているはじめが、唯一別の顔を見せる瞬間で、わずかに残っていた過去の顔を見てしまったような緊張感があった。

 

そして、則男に「おい!」と大きな声で呼ばれてビク!!と肩をすくめる様子から、これまでもどれだけ怯えてきたのかが分かる。かつては先輩に言われるがまま、そして今もまた、脅されるがまま屋敷に忍び込んでしまったはじめ。どんな時も流されるがままになってしまうはじめだけど、則男に殴られた時、殴り返すことをしなかった。自分の保身のために殴り返さなかったのではなく、あの時はじめは「タマとミキ」の原画を引き渡したくない一心で、それしか考えていなかったのだと思う。

不自然ながらも築いてきた屋敷の中での関係性を、よりによって則男の口から雑にバラされ崩されてしまい、一瞬動きが止まって背中の視線を思うはじめの表情は切なかった。すべて終わった、もう意味がないと寝返ってもおかしくなかったのに、黙々と金庫を開けたはじめは一途にも前園先生のためだけを考えていた。

 

前園先生は、はじめの正体を知り過去を聞いた後、奥さんと轟さんに対して見せしめのように嘘を暴いたりはしなかった。はじめはそれをどう思っただろう。

むしろ自らの過去を話して、正直な胸の内を語って見せることで、はじめへの助言を送った。こっそりと隣にいたはじめの方を向き、奥さんと轟さんには聞こえないようにはじめに話し、そうしてまたクルリと奥さんと轟さんの話題に入っていく前園先生は本当にかっこよくて、正義感だけを振りかざすのではない語りかけ方を見せてもらった気がした。

正直に話して美沙に別れを切り出されたら…と煮え切らないはじめに、「それは受け止めるしかないだろう」とはっきり言った前園先生の言葉には重みがあって、当たり障りない励ましではなく、自分がしたことの報いは負うしかないというどっしりとした構えが、人生経験の深さを感じさせた。

 

隣の家から窓越しに楽しそうに話す4人の様子を見たユーチューバーの高梨。

彼の目が印象的だった。驚いているような、怒っているような、様々な感情が入り混じる表情だった。仲間に入れて欲しいならそう言ったらいいのに、と見ている側としては微笑ましく思ってしまう。

理不尽なクレームを言いに訪れた高梨に、奥さんが英語でまくし立てるシーンがある。そのシーンでのBGMと奥さんの英語のテンポが合っていて、歌っているような滑らかさがあって、いつも惚れ惚れと聞き入っていた。奥さんを演じる石橋杏奈さんの声は、音がとても柔らかくて耳に優しい。

英語で言っていることは、“見て、謝ってるでしょ。これ以上できることはないの。あなたに割く時間も無いの。”というようなニュアンスで、かなり辛辣なことを言っているのに、綺麗な声と流暢な発音で一気に言われると聞き入ってしまう。

劇中でアニメーションの吹き替えをしているのを聞いて、はじめとしての発声の時の丸山さんと石橋杏奈さんは吹き替えに声が合うのではないかと感じた。丸山さんには「うん」というセリフが2度あって、その2回目の「うん」が特に良かった。

 

 

ようやく家に帰ると、そこには待ちくたびれた様子の美沙。

こんな可愛い彼女がいたらすぐさま抱きしめるわと思った。カニクリームコロッケ全部食べてやろうかと思ったって、可愛すぎる。

不機嫌さは隠さず、可愛らしく正直に見せる美沙。それでも引きずることなく「今あっためるから」とキッチンに向かう美沙に、はじめは話を切り出した。

その切り出す瞬間にも、決心をしたのに言葉に詰まるリアルな間があって、言わなくちゃ言わなくちゃと思うのに言えない葛藤はひしひしと伝わってきた。心に引っかかっていたことをようやく伝えられた時、予想していた最悪の反応ではなく、拍子抜けするほど大丈夫だった時の安堵がどれほどのものか。

一番大切だから一番失いたくないと、悩みつづけたはじめの美沙への思いを映画のなかで感じてきたからこそ、その悩みはもう自分ごとのようになっていて、美沙の言葉を聞いて、なんだ…知ってたんだ…というふうに眉を下げて泣き笑いの表情を見せたはじめに胸が締め付けられた。

 

でも僕は…とまだ自信を持てずにいるはじめに美沙は、私が、決めて、ここにいる。というシンプルな伝え方をした。あなたがこうだからどう。ではなく、私が決めた。と言ってくれることが、どれだけはじめの心を軽くしただろう。

 

何度目かに観た「泥棒役者」で、ラストシーンで太陽くんのマスコットが映った時、客席からふふっと笑いが起こった。ふとした瞬間に溢れた、温かいその空気が今でも印象に残っている。そのままプレゼントにしてしまう、はじめのキャラクターもなにもかもをひっくるめて、観客から愛されている空気があった。映画を観ているうちに、気弱で引っ込み思案だった大貫はじめは見守りたくなる愛すべき人になっていた。

口元のケガを見つけた美沙に、どうしたのと聞かれて「ぶつけちゃって」と答えたはじめ。はじめが最後についたあのうそが本当の最後のうそになるといいなと思った。

 

 

映画「泥棒役者」には、小林賢太郎さん主催の演劇ユニット「K.K.P」で西田征史さんと片桐仁さんが共演していた平田敦子さんもセールスを断る主婦役で出演されていて、あ!と嬉しくなった。

さらにサプライズだったのは、西田監督の前作「小野寺の弟・小野寺の姉」のより子とのぞむが「泥棒役者」にカメオ出演したこと。二つの作品の世界が繋がって、同じ世界線にはじめも前園先生も、より子ものぞむも生きていることを想像できたのがうれしかった。

泥棒役者」はエンドロールも含めて、大好きな映画になった。主題歌である「応答セヨ」が流れて、そのまま終わる心構えでいたら、まだ物語がつづいていた時のうれしさ。歌が一瞬止まる演出と、再び流れ出すタイミングが素晴らしくて、本編でがっしり心を掴まれていたのに、エンドロールでさらに物語の深くへと引き込まれた。

 

舞台から映画になった「泥棒役者」は、なんと来年4月に再び舞台化が決まった。

お知らせのメールを見た時、デジャヴか目の錯覚かと、まず自分の目を疑った。舞台版のDVDでこの作品を知って、数年越しで映画化が決まり、その盛り上がりを初めから見続けることができたと充分に喜んでいたところに、丸山隆平さんが主演となる「泥棒役者」を舞台で、劇場の生の空気のなか観ることができるなんて。夢だと思った。

映画だけでもない、舞台だけでもない。どちらもつくってもらうことができる。舞台は映像に残らなくても、映画が残る。そんな贅沢なことが叶うのかと、信じられない気持ちでいる。

 

映画のDVD発売をあとは待つだけかなと思っていたら、来年へと続いて行くことになった「泥棒役者

舞台で、というのが本当に嬉しい。舞台ではどんな変化があるのか、わくわくに胸膨らませながら、2018年の春を心待ちにしたい。