若々しく、葉に降りる朝露のように瑞々しい。
二人の想いが語らせる言葉も行動も、若さゆえの愚かさになどみえない。
ひたむきに駆け抜けた。想いに突き動かされて、阻む二つの家の憎しみに苦しんでいた。
道枝駿佑さんと茅島みずきさんの演じるロミオとジュリエットが、それを感じさせてくれた。
舞台「Romeo and Juliet -ロミオとジュリエット-」
東京グローブ座 2021年3月29日-4月18日
大阪 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ 4月21日-25日
全32公演
グローブ座で、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を観られる。
こんなにぴったりな組み合わせはない。
最初に観たシェイクスピア作品は、「マクベス」だった。丸山隆平さんがマクベスを演じ、狂気と哀しみに満ちた生涯を散らせた。
今回の公演は、通常の座席配置ではなく、半円形にステージが出っ張る形に作られて、両サイドに座席が置かれる構成になった。
それは本場のグローブ座の形により近いもので、ここ日本にグローブ座という劇場がある喜びと、シェイクスピア「ロミオとジュリエット」が心躍るキャストで上演される奇跡に重ねて、
戯曲への本気と敬意を、心意気ごと感じた。
「ロミオとジュリエット」はまだ観たことがなく、有名な台詞、バルコニー、大体のイメージしか持っていなかった。
なんとなくポスターのイメージは、ひらひらとした白のドレスを着たジュリエットと、抱きしめるロミオの、二人だけの世界を表すような写真。
けれど今回の、翻訳 松岡和子さん、演出 森 新太郎さんによる「ロミオとジュリエット」は、公式サイトができた瞬間から、これまで自分がイメージしてきたものと空気が違うと直感した。
ロミオを演じるのは、
関西ジャニーズJr.のなかでグループ「なにわ男子」として活動する、道枝駿佑さん。
ジュリエットを演じるのは、
ドラマ「ここは今から倫理です。」にも出演していた、茅島みずきさん。
道枝駿佑さんは18歳でロミオを、茅島みずきさんは16歳でジュリエットを演じることになる。
二人はドラマ「メンズ校」で共演している。道枝駿佑さんは舞台のストレートプレイと主演は初めて。茅島みずきさんは舞台出演が初めて。
ポスター写真も、重厚感のある色合いに、憂いを帯びたロミオの表情と、真っ直ぐ眼差しを向けるジュリエットの表情。
二人の間を剣のような線が鋭く突き刺していて、
咲ききらない、まだ蕾の残る薔薇を手のひらに、二人の手が力なさげに寄り添っている。
この手のひらの写真が衝撃的に心を掴んで、どうしても観たいと思うほどになった。
少し水に濡れているようなジュリエットの手。先に見つけたロミオが落とした涙なのかもしれない。
指先や手のひらの違いで、どちらがどちらなのかを表す繊細な写真。
ロミオの横には小さな文字で、
恋の軽い翼で塀は飛び越えた。
そう書かれていて、ジュリエットの下には
愛よ、私に強さを。強さがあれば道は開ける。
と書かれていた。
言葉通り、道枝駿佑さんが演じるロミオは恋の喜びを全身に染み込ませ、恋の悲しみも全身にまとって、翼を背につけた天使のようだった。
天使が花に恋をして、芯をしっかりと伸ばし咲き誇るその花に何度も語りかけているようだった。
序盤で語られる、周囲から見たロミオを表す言葉はどれも、ロミオを演じることになった道枝駿佑さんのために並べられているのではと思えるほど。
ロミオが姿を表す前から、ありありと思い浮かべることができた。
あの人がロミオだ、と言えるほどに。
観劇したのは3月31日、開幕してまだ3公演目の頃だった。
「ロミオとジュリエット」のはじまりは、
照明の明るいまま、ダンッと舞台上に突如現れた四人集が黒いハットをかぶり、剣を持ちながら、これから起こる事のあらましを語る。
『至らぬところもございましょうが ご満足ゆくよう努めます。』
その言葉に、見守ってくださいねという思いを感じて、今回のために増えた台詞なのかと思っていたら、文庫本を読んでそっくりそのまま書かれていた通りだったことに驚いた。
舞台の上で、役柄と役者さんがリンクした瞬間にグッときた。
ロミオの登場は、大胆でサプライズだった。
ベンヴォーリオが客席向こうを見据えて「あそこにロミオが。どうかあちらへ。」と言ったけど、その前置きのもと、舞台から出てくるのだろうと思っていたから、振り返って、その姿が通路に見えた瞬間。時が止まった。
客席後方から歩いて現れたロミオ。視線が一気に集まる。くっと静まり返る空気。
頭ひとつ分ではなく明らかに身長が高く、見つめたらもう離すことはできない引力。
ロミオの瞳に飛びこむ光がキラキラと美しく、宝石のようだった。
ジュリエットの登場は、
祝いの日だというのに甲冑を身にまとって、頭にまで鎧を被った格好で「じゃんっ!」とキャピュレット夫人と乳母を驚かせての登場。
頭から甲冑を外して、小脇に抱えながら話を聞く姿がはつらつとしていて可愛い。
ジュリエットもまた、たくさんの光を瞳に集めて、澄んだ泉のように輝いていた。
ジュリエットの台詞で、乳母にロミオのことを褒められたジュリエットが、「そうなの」とにこにこしながら小さくつぶやくところが良くて、とても印象に残っている。
二人の出会いがそれはそれは可憐で尊く。
そっと左手を取り、片膝をついたロミオとそれを見つめるジュリエットの会話は美しいものだった。
立ち上がり、手にではなく唇に、『では、動かないで、祈りの成就を見るまでは。』とキスをする。
ロミオと会話を交わしながら花冠をぎゅっと握ったジュリエットの仕草が可愛くて。片方の手のひらを見せて、ロミオもそっと手のひらを合わせた場面が好きだった。
小道具もほとんど無く、セットは一段高く作られた台と、両脇に立ちはだかる壁。とてもシンプルなものだった。
祝いの後で、ジュリエットを探し歩くロミオを表すのに、壁がぐるぐると動き、導いているような阻んでいるような感覚になる演出に引き込まれた。
二階建てのようなセットが無いとしたら、バルコニーはどのように演出されるのだろうと思った。
そしてきたバルコニーの場面。壁としてそびえていたものが、二枚を繋げて一枚となって、お屋敷の大きな城壁を表していた。
そこからひょっこりと姿を現すジュリエット。とは言っても全身が見えるような演出ではなく、観ていた角度からだと肩から上がようやく見える形だった。
ロミオがいると思いもせずに、冷めやらぬ胸のときめきを言葉にするジュリエット。
壁の下で嬉しそうに頬を緩ませそれを聞くロミオ。
加速しだした恋のなか、移り気な人だと私のことを思わないでとバルコニーから語りかけるジュリエット。本当なら冷たく気のない素振りをしてみせることだって出来たのにと悔やむ姿も可愛くて。
冷たくあしらう人よりも、この真っ直ぐあなたを愛する私をどうか信じてと願う心が、ややこしくも健気だった。
抱きしめ合うかと思ったバルコニーの場面で、触れたのは指先だけ。ジュリエットが伸ばした手と、ロミオが伸ばした手は、わずかに指先で握り合うだけだった。
ジュリエットから何度も何度も呼び止められるロミオの挙動が、かわいくておもしろくて。
「なんっだっ」(キザな感じで)大きなジェスチャーで腰掛けて上を向く
「9時にっ!!」(もうジュリエットにメロメロ)しかも足を大袈裟に組みながら、のけぞって上を向く
この二つは最高にコミカルだった。
ジュリエットにすっかり心奪われているロミオが無邪気でキュートで麗しい。
天使のように浮世離れした一面と、少年の衝動や奔放さが行ったり来たりする。
ジュリエットが可愛らしい白い麦わら帽子をかぶって教会に来た場面で、神父を間に挟み、磁石みたいに隙あらば近づこうとするのに投げ飛ばされつづけるロミオは、待ての効かない仔犬。
道枝駿佑さんの演じるロミオの、「ああ」の言い方が、前に声を出して語尾にああ!とビックリマークが付くものというより、「はぁあ"あ…!」と喉から少し掠れて出る、ため息混じりなニュアンスで、
心底、身を焦がして憂いていることが伝わってきた。
重厚感のある場面がつづくなかでも、すこし笑った場面もあった。
祝いの準備のため、キッチンがてんやわんやで大きな鍋を持って走るコックさん。ケーキを運ぶコックさん。落ちそうになるお皿を器用に運ぶコックさん。
さっき通り過ぎたのに再び横切るのが面白くて、二度目のてんやわんやな場面では熱々の鍋をキャピュレット家の父に渡してしまって、あっついあっついとわちゃわちゃしていたのが楽しかった。
ロミオの髪型は、左サイドが少しねじってピンで留められたような感じで、動いて振り乱すとわずかに1束だけはらりと前髪が降りて顔に掛かるのが、荒々しさの一面を漂わせて美しかった。
右サイドは多めに傾けた前髪がボリュームを作っていて、繊細にゆらぐウェーブが女性的な美しさで。右には凛々しさ、左には可憐さが宿っていた。
ウェーブがかった後ろ髪、華奢な肩にかかるシャツ。黒のパンツに、膝下までの黒の革のブーツ。
麗しすぎて、息が、とまる。
きらびやかで豪華な衣装があるのかと思いきや、ロミオは白のシャツに黒のベルトが基本。
青の少し長めの襟付きジャケットを羽織ることはあっても、あとの衣装と言えば紺のフードの付いたマントくらい。
ジュリエットも、望まぬ婚礼のための肩が丸くパフスリーブになったオフホワイトのドレスにパールやレースが飾られている以外は、ホワイトが基本。
うっすらと茶色みがかった髪色が素敵で、毛先ほんのりウェーブが見える。揃った前髪、すとんと降りた長い髪。ただそれだけで、美しい。
髪飾りもつけず、唯一、花冠をロミオと出会った時につけていた。
ロミオと話している時、後ろ肩にかかった髪がはらりと前に流れて、それだけでジュリエットの雰囲気が変わって可愛らしくなった瞬間にときめいた。
ささやかに、静かに夫婦になることを誓った二人。
神父を前に右にジュリエット、左にロミオが立ち。手を繋ぎ、膝をついた後ろ姿から二人の覚悟が伝わった。
打ちひしがれるジュリエットの部屋へと訪れたロミオ。
ウエディングベールのようにシーツを靡かせるジュリエットが姿を見せて、見上げ微笑んで。二人の静かな微笑みで暗転した。
シーツを抱えて椅子に座るジュリエットと、床に座ってもたれるロミオの会話。
一点からの照明のみになって、見えるのは表情ではなく二人のシルエットなのだけど、微かに光のあたるフェイスラインや佇まいに目を奪われた。
明らかな敵意を向けてきた、ジュリエットの従兄弟ティボルトに、膝までついて、「愛している」とまで伝えたロミオの願い。
争いを辞めたいというはっきりとした意思。それが、ここで打ち砕かれてしまった。
相手の前にひざまづくことの意味の重さ。
それは現代で考えるよりずっと、重要な意味を持つと思う。屈辱的にさえ思えるその行為を、散々な言葉を浴びせられた後でもなお行動にして見せた。その時のロミオは、長い剣も手に持たず。
向けられた剣に首元を近づけ、何も抗う術の無いことを示していた。
なのに。ティボルトはマキューシオに剣を上げた。倒れたマキューシオを、くっと膝を入れて抱き起こすロミオ。
ジュリエットが眠る前で、パリスに出くわしてしまった時もそうだった。
どうかこの時を、見逃してほしいと。立ち去ってくれと懇願していたのに。パリスにとっても、大切な花嫁であったジュリエットの恋敵として許すことができず、パリスは剣を抜いた。
どちらの時も、ロミオから争いをけしかけたことは無かった。
ただパリスとの対峙は、もう打ちひしがれて正気すら失い、これから死ぬのだという気持ちから、どうにでもなれと思っている様子が受け取れて、それがなおのこと悲しかった。
しかしパリスも、それほど乱暴な人ではないように今回は感じた。
無意識の搾取にはゾッとするけれど、ジュリエットとの婚礼を喜び、父が無理に結婚式を早めると決めた時にも戸惑いの表情をしているように見えた。
ティボルトの死があり、ロミオの追放に涙を流しているジュリエットに、無理に会おうとはせず、こんな時なので…と静かに帰る人だった。
坂本慶介さんの演じるパリスは、ちょっとうさんくさくて、だけど進む婚約話に表情では少しのためらいを初めは見せていた、律する心はある人で、ジュリエットを婚礼前夜に失った悲しみで壊れてしまった人だった。
“ロミオとジュリエット”と言うからには、どうにもロミオとジュリエットを目で追いたくなるけれど、
乳母であるばあやを演じた平田敦子さんは、小林賢太郎さんの舞台を映像で見て以来ファンで、今回ついに直に観られたのがうれしかった。
おしゃべり好きで、意見はコロコロ変わるけど、なんだかんだでジュリエットに優しくて。
そのばあやの止まらないおしゃべりを止めようとするけど、話に割って入れないキャピュレット夫人の表情と出しかけては引っ込める手も面白かった。
なんで若い二人にそんな提案をしたんだと、ずっと分からずにいた神父のロレンスも、斉藤暁さんが演じたことで、自分たちの感情に思いを乱され道に迷う二人に頭を抱えながらも、懸命に逃れ道を探していたのだと理解できた。
野花を摘んでいた神父ロレンスに、早く行こうと急かして、わさっと草の束を抱えさせ、自分は両腕を大きく振ってずんずんと先に歩いて行くロミオが少年で可愛い。
ジュリエットにとっては乳母が心の拠り所であったように、ロミオにとっては神父のロレンスが親しく頼りになる存在であることが自然と感じられた。
可愛さと親しみやすさもあるような服装のピーターは、言動にちらりと覗く、積み重なる葛藤や燃える憎しみにぞくりとした。
膝立ちで居続けるピーターを演じるのは、膝も腹筋も大変なのではと思う。
招待状を配ってくるようにと言われたピーターが、宛名を読むことができず。ロミオに話しかけて「読めるかい?」と聞く場面もよかった。
家に仕えているのに、読めないことを覚えてもらえてすらいない冷ややかな扱いと、
文字を読めないというピーターの持つ背景が見える瞬間でもあり、読めるロミオがいかに手をかけ勉学を与えられて、良いお家の元に育っているかが見える場面でもあった。
修道士ジョンの存在感も、この物語の中で忘れられないものとなった。
とてもニュートラルにそこにいて、事の重大さを知らない空気が役者さんとして素晴らしかった。
手紙を届けられなかったのは彼のせいではない。でも、彼が届けていたら。それを一身に背負う役柄。
事の重大さを聞かされて、顔から血の気が引いていき、足元おぼつかなく急いで走って行く背中が記憶に残る。
大公を演じた花王おさむさんの、薬屋として出てきた時の変わりようには、心底びっくりした。
ベンヴォーリオ役の森田甘路さんのことも目で追わずにいられなくて、こんな争いが無ければ、ロミオといい絆を築いていたはずだと思うと悲しかった。
ロミオとジュリエットとして生きる二人を囲む、なんて贅沢な座組みだろうと噛み締める。
“ロミオ”と“ジュリエット”が未知を突き進む話であり、“道枝駿佑さん”と“茅島みずきさん”が未知を突き進む舞台でもあった。
もっとチケット代を取っていてもいいのだろうけど、そうでないことへの感謝も募る。
さらに高いチケットで、大きな劇場でも出来たことを、ここグローブ座にこだわり、一万円以下の価格で観られる作品として届けてくれたことに、ありがとうございますを届けたくなった。
チケット代という意味で、間口を広く触れやすいものにしてくれていたおかげで、演劇に触れらやすくなった人がきっと多くいる。実際に、これが初めての舞台だと言う学生さんが近くにいた。
終盤へと突入し、
毒薬を手にしたロミオ。舞台先端、中央に立つと、辺りが暗転して頭上のライトだけがピンスポットでロミオだけを柔らかく、でもくっきりと照らした。
絶望の真っ只中なはずなのに、その瞬間の眼差しは真っ直ぐと迷いなく、美しいとすら思った。
死んでしまったロミオに気がついて、身体を起こしたジュリエットが、ロミオの頭を抱き抱える。
抱きしめたまま、瓶に残る毒薬を飲もうとするけれど、“すっかり飲み干して”しまっていて一滴も残っていない。“いじわるな人”と悲しく微笑むのが切ない。
唇にまだ残っているかもしれないとキスをするけれど、それでも死ぬことはできない。
短剣を見つけ、自ら腹を刺す。痛みのなか、横たわっているロミオの胸元に覆うようにして横たわるジュリエット。愛ゆえに死んだことが、どう見ても理解できる二人の姿。
ジュリエットが横たわっていた場面では、客席側から横たわっているのが見えて、ロミオが客席側を向いて語りかける姿勢で、
ロミオの頭を起こすようにして抱きかかえる場面での角度は、ジュリエットが客席側を向く形で座り込み、ロミオは頭上が客席側に向く姿勢になっていたことを思い返して、
劇的な場面として見せようとしていたら、ジュリエットが抱きかかえるのもロミオが横の姿勢になって見えるようにしたのではと思った。
ドラマチックになりすぎる見せ方をしない、あくまでも二人が起こす行動としての馴染みを考えているように感じた。
事の全てを大人たちが聞いた時。
もう二度と取り戻せない喪失が、舞台上だけでなくグローブ座一帯の空気を埋め尽くした。
あの時はまだ生きていた。掴み直せたかもしれない手を再び失ったジュリエットの母の心痛。
手を差し伸べて、後悔に打ちひしがれる姿が悲痛だった。
3時間にわたる舞台。
すべてが終わって、横たわっていたロミオが、右手でトントンっとその長い腕でジュリエットの背中に合図をする。
すると起き上がる二人。劇と分かっていても、安堵した。
カーテンコール。二列で前後に分かれて出演者が並んで、交互に挨拶をする。
キャピュレット家もモンタギュー家も無く、家来も民も関係無く、手拍子と共にバイオリンが印象的な音楽が鳴りはじめる。
楽しそうに手と手を取り合って、踊るロミオとジュリエット。
父も母も、ティボルトもパリスもみんな賑やかに踊る。どうしてなのかここで一番涙が込み上げてきた。なぜこうできなかったのか。こんなことになる前に、両家こうしていられたら。
ジュリエット側、ロミオ側にわかれてお互いのダンスを見守る様子も、全員で肩を組みステップを踏む姿にも、それを囲んで見つめている優しい眼差しも。
ジュリエットをエスコートして踊ろうとするも、思いのほかジュリエットが強めにターンをして胸に飛び込んできたからか、お互いにヨタっとなってお互いにすこし戸惑い笑う様子もあった。
劇中でも感じたけれど、胸に手を当てて片足を後ろに下げてする挨拶の時の指先、ジュリエットに手を差し伸べた時の指先、そして最後のダンスでの指先。
どの時も、神経を指先までスッと行き渡らせた美しい所作だった。
二度目のカーテンコールは、道枝駿佑さんと茅島みずきさん二人で出てきてお辞儀。
最後に、道枝駿佑さんが出てきて「ありがとうございました」と深々おじぎをして、ロミオのように駆けて舞台を後にした。
運命に駆り立てられるようにひた走る二人の若々しさが、痛々しくなどなく、美しくみえた。
この舞台を観るまでは、二人のすることが、恋に溺れた過ちのように感じるのではと思っていたけど、そうではなかったことがうれしかった。
若き二人の演じるロミオとジュリエット。
道枝駿佑さんと茅島みずきさんの、今、生きる姿が麗しかった。
燃えた恋と言うよりも、星のもと二人が出会ってしまったからには、駆け抜けるしかなかった道のように感じて。
麗しく、葉におりた朝露のような雫は、少しの振動で消え落ちてしまう。
けれどその輝きは確かなものだった。
初めて観たロミオとジュリエットが、この舞台でよかった。なにもかもを目に焼き付けて、一生覚えていようと思わせる舞台。
目にした何もかもが輝いていて、この目のまま他にはもう、なにも見たくないとさえ思った。