映画「海猿」

 

映画館に映画を観に行くんだと意思を持って触れた作品が「海猿」だった。

父が観に行こうと言って、私と友達も一緒に三人で連れて行ってもらったことを今でも覚えている。

 

2004年6月12日に公開された作品。17年前。私は9歳だった。

向かったのは大手のシネコンで、フカフカの床に少し薄暗い館内。チケットカウンターにはスタッフさんが横並びでズラッと立っていて、列を待ってチケットを買う。

チケットカウンターの頭上には大きなモニターがあって、大迫力で次々と映画の予告が流れていた。

臨場感のある映像に非日常を実感して、大きな音で流れるセリフやタイトルは、これから観る映画ではないとしても興味を引いて、胸をドキドキさせるものだった。

 

海猿」は、続編になるごとにスケールを増して、気づけば夏の映画の風物詩のようにエンタメとして大きく成長していった。

ただ、初めに出会った「海猿」は、静かでどこか厳かな雰囲気があって、1つの邦画としてここで完結していたとしても成り立つ魅力を持っていて、なぜか懐かしく、なぜか胸に残り続けるものだった。

今思えば、作品そのものは小学校低学年の子供にはなかなかハードだったのではと思うけれど、映画体験として、これ以上ベストな出会いはないと感じられた、思い出深い出来事だった。

 

劇場内の暗転すら怖かった子供心に、映画が始まって明るくなった大きなスクリーンに映る青の景色は鮮やかで、海の中から見上げた太陽の光に目を奪われた。

しかし、ストーリーは序盤から直視するのも耐え難い場面へと進んでいった。

船内での活動中に二次災害が起こって、助けられなくなった仲間の手を握る場面に、観ていた当初は理解が追いつかなかった。

スクリーンで見ても海の中の視界と同じで暗くて、何が起きているのか説明を極力省いて映した場面だったことと、“海上保安官”という仕事そのものをこの映画を観終えるまで知らずにいたからだった。

今になってみると、この語りのない表現こそ、考えさせて感じさせる印象的な構成と演出だったと思う。

 

 

仙崎大輔の声と共に、広島・呉の景色が映る。

海上保安庁という名前も、訓練校があることも、初めて知った。

海に潜る時に隣り合わせの危険性。急浮上してはならず、減圧症になれば助かったとしても二度と潜れないこと。

海中では常に二人一組で行動して、それをバディと呼ぶことも。

 

水深40m、バディと二人で取り残された。

使えるボンベは1本だけだ。残圧30、片道一人分だ。

 

打ちのめされるような衝撃を受けたのが、教官からの問いだった。

熱血もスポ根も筋肉も苦手なほうなのに、なぜこの作品を好きになったのかと思う気持ちもあったけど、1作目は特に、それだけではないものがあった。

人間関係が誠実に描かれていて、弱さもありながらそれでも助けようとしていることを丁寧に映す表現と、実際に出演者が訓練を受けて潜っていることから伝わるドキュメンタリーの要素も含めて、一面的ではない何層にも重なった良さを感じていた。

どう考えたってもう無理だと、絶望的な状況に置かれた時にどう行動するか。という問いが始めに掲げられてからストーリーは進み、その意味の重さが後になってわかる。仙崎大輔と同じ時間軸で学んでいくことになる。

 

 

お調子者で、チャラついてて、好きになるような主人公ではないと思った仙崎大輔。

でも、海上保安官として働く仙崎は違う。環菜と向き合うときの真剣な姿。人との関わり合いに真っ直ぐな仙崎のことが、好きになった。

はじめから潜水士を目指していたわけではなく、営業の仕事をしているうちに仕事のために見境が無くなった自分に嫌気が差して、この仕事へと転職した仙崎は、スタートから順風満帆な訳では決してない。

 

環菜のことも、流れに乗っちゃうし感情に走りがちだなと思っていたけど、懸命に雑誌づくりの仕事をしていて、「大輔くん」と呼ぶ時の環菜は可愛くて。自分にとって憧れのお姉さんになった。

当時はずっと年上のお兄さんお姉さんだった二人が、今見るともう年下の若い二人になっている。

 

環菜がパッと振り向いて、ゆっくりカメラの向いた先に、海保の制服を着た仙崎がいる場面が好きで。

訓練生としてONになった瞬間と、環菜にとっては嘘でしょ…と戸惑いが見事に映されたカメラワークがいい。

 

休みの日にダイビングをすることになって、環菜もおずおずとついて来たシーンで、

大輔が環菜のボンベのセッティングをして話しながらグッと引き寄せるところが、やたらとソワソワ胸にきたのは、頼りがいという意味で環菜がはじめて感じた大輔の知らない一面がしっかり空気感として映っていたからだなと思う。

海猿なんてありえないと言っていた環菜の思いが変わり始めたのも、この辺からなのかなといまなら想像できる。

 

二人のバスのシーンで、ようやく仙崎の内面と環菜の気持ちで話しができて、本心で通じるのが好きだった。

映画館で初めて見たキスシーン。トンネルを抜けるまで息を止めて観ていたから、はああーと息を吐くほどドキドキしたのを覚えている。

この夏だけになるか、そうじゃなくするか。お願いだから手を離さないでいてと思いながら見つめた二人だった。

 

海中での呼吸音と泳ぐ音が耳に届くと、緊張感とは対照的に気持ちが安らいだ。

そしてこの映画で初めて、サントラが魅せる凄さを知った。

劇中で流れる音楽。海を表すのに、このメロディーのほかに無かったに違いないと思えてしまうほど、聴けば海猿がすぐに頭に浮かぶ音楽。

現場での緊迫感。力強さのあるテーマ。環菜のテーマのメロディーが特に好きで、今でもスマホの設定に使っている。

スマホと言えば、環菜が携帯に付けていたターコイズと紐の印象的なストラップも、大切にとってある。初代ストラップと2代目に出たストラップがあって、初代を買えなかったことがいまだに心残りになっている。

主題歌がJOURNEY「Open Arms」なのも好きだった。邦画の雰囲気に浸る中で、洋楽が合わさる魅力。映画の中でも、海に潜っている場面で流れる。バスに乗っている場面でも。

 

 

人が人を助けているのだと、しっかり描くところが好きだった。

人の身体で出来ることには限界があって、超人でもスーパーマンでもない人間が、日々の訓練と経験のもと人命救助を行っているのだと痛感した。

一歩間違えれば、自分も命を落としてしまう。

 

工藤がそんなことになるはずがないと、受け入れられない衝撃を引きずった。

工藤と仙崎のバディをもっと見ていたかった。

さっきまでいた彼が。こんなにあっけなく。そんなわけない、うそだうそだと今にも声になりそうだったけど、そういう場所なんだと胸に落ちたとき、全身の力が抜けた。

最前線に楽しいことなんか無いんだと言う教官の言葉に、その通りなのだろうと思う気持ちと、それではこの先を目指す気になれるのだろうかという気持ちが芽生えた。

立ち直るなんてことが出来ないまま潜った仙崎が見た、工藤の幻覚が本当に怖くて、数年前までトップクラスのトラウマだった。

 

工藤と仙崎だけに焦点を絞らず、エリート思考で仲間に頼る気のない三島と、それに気づいている川口のバディも丁寧に映されていることが印象的だった。

バディに見捨てられるかもしれないという恐怖を抱えたままでは、互いを信じ合えない。

三島優二を演じた海東健さんに当時釘付けになって、役者さんへのときめきというものを知ったのもこの時だった。

 

仲間だろなんて簡単な話ではない。命の危険が伴っている海上保安官としての仕事で、信頼が不可欠だということ。それを、臆することなく真っ向から描く様子に心を掴まれていった。

救助者と遭難者の境はいつ何時入れ替わるか分からないもので、それでもこの仕事を続ける覚悟。

海で起こる事ではあるけれど、助けを待つ側に重なる心境があるのは確かだった。海に取り残されて浮上できず、成す術の無い状況で助けに来た同僚たちの姿とライトの明かりが、どれほど心強かったか。

 

水深40m、バディと二人で取り残された。

使えるボンベは1つ。残圧30、片道一人分だ。

 

「僕は二人とも助かる方法を考えます」と答えを出した仙崎大輔。

この問いが、映画館で観た時から今までずっと胸にある。日常でそんな状況にはならないかもしれない。ただ、どんな状況であれ相手を助けることの困難さは通じていると思っていて、この人を助けたいと思う瞬間があった時、自分ならどうするかと、ずっと問われているような気がしている。

映画公開当時の自分は、人間不信で凝り固まっていて、信頼や仲間などとはほど遠いところにいた。そんな自分が、「海猿」を観た時間だけはそれを信じてみてもいいかもしれないと思えた。

 

ひたすら威圧感を放っているように見えた教官が、最後に一瞬見せた笑みと、それに応えるようにニッと笑ってすぐに表情を戻した仙崎とのやり取り。

それだけで、教官と仙崎の関係性がどんなものかが深く強く語られていた。

 

 

映画館でチケットを買い、席に座って、暗くなり。再び明るくなるまでの約2時間。

海が広がった。潜り、訓練生としての日々を目の当たりにして、海の怖さ、人を救うことの難しさを一緒になって体感している気持ちになった。

映画とは、映画館とはすごい場所だと知った。それがうれしくて、何度も観に行った。

 

エンドロールが終わり、この映画好きだ…と噛みしめて明るくなるかと思いきや映像が流れ始めて、

ビル群から海上へと旋回するヘリコプターと、悲惨な船の様子に呼びかける声と無線越しの仙崎大輔の声が聞こえた。

そのまま暗転して、そして明るくなった劇場内。

あの時の、お客さん全体のざわっとした空気は忘れられない。えっ終わりじゃないの?どういうことなの?と戸惑って、それから“海猿”はドラマへと移り、この戸惑いの答えが出たのは2年後のことだった。

2006年5月6日に公開された映画「LIMIT OF LOVE 海猿」この作品も、特別な思いを持つものになる。