日常から距離を取って挑戦したかったのは

 

自分のことだけを考える時間とは、どんな感覚だろう

小学6年生、卒業式の日。担任の先生が一人一人に向けて、両手のひらに収まるサイズの色紙に言葉を書いて手渡してくれた。

どの子に手渡されていく言葉も、1年間を見てきたから贈ることができる先生からの言葉で、自分の色紙には一体どんなことが書いてあるのだろうと、嬉しさ半分照れくささ半分の気持ちでその順番を待っていた。

名前を呼ばれ、先生の前に立って、

渡された色紙には「想い」と書かれていた。

小学6年生の頃の私は、素直ではなくて、扱いづらくて、登校をやめてからは学校から近い私の家に毎朝のように迎えに来る先生に、断固として顔すら見せなかった。そんな自分に贈られた言葉があまりにも穏やかで、当時はとても驚いた。

何だかんだ書くことに困って、元気とか明るいとかそんなことが書いてあるんじゃないかと考えているような、私はそんな捻くれたやつだった。

「家族を想い、友達を思い、いつもだれかを想ってくれる優しいあなた。次は自分自身のことを想ってあげてね。あなたの夢をかなえる日を楽しみにしてます」

受け取った時の10代だった私は、嬉しさはあるものの、その言葉の意味がしっかりとは分からなかった。正確には意味というより方法が、分からなかった。

自分を最優先にしてかなえたい夢があるとも思えなかった。いつかまあそんな時間がくればいいな、そう思いながら気持ちの蓋を閉じた。

 

それから何年も経って、今、その言葉を思い出しているのは、自分の中での一大決心のきっかけがそこから始まっているからだった。

今の生活を一旦切り離して、距離の離れた大阪で10日間暮らす。

そう決意したのは5月のこと。

だけどその前に一度、突発的に新幹線に乗って行ってしまおうかと本気で考えた日があった。しかし頭で考えてしまったばっかりに実行できず。帰って来た時のことを考えて、結局踏み出しもしなかった。

仕方がない、今じゃないんだ。そんなふうに収めようと自分を説得していた数日間。どうにも気持ちが煮えきらなくて、私は大事なきっかけをみすみす逃したのではと、なんだか無性に悔しかった。

やっぱり決めたのに実行しないままはいや。その気持ちがはっきりしてから、実行を決めるまでにそう時間は掛からなかった。

 

Nissyカフェへと出掛けていたある日、友達に今の心境を話していて、自分の気持ちが相当堅く決まっていることに気がついた。

旅行ではなく、一定期間。今いる場所を離れて、自分のことだけを思う時間を経験したい。一人で生活するとはどういうことか、自分がそれを出来るのか、確かめたい。

それならば、ずっと思い描いていた大阪で暮らすという、生涯叶えたいことリストにも書きそうなほど強い願いを実現しよう。そのためには、ホテルではなくウィークリーマンションを借りて、自分で生活をするのがいい。お客さんじゃなく、そこに居る人になれたら。

そんな思いで、Nissyカフェの待機列に並びながら、私は借りる部屋を決めた。

清潔感があって、暮らすイメージができて、住みたい街の駅から近いことを条件に見つけたその部屋。後日問い合わせをすると、予定期間の空きがあるとすぐさま返信があった。

 

6月29日の金曜日から、7月8日の日曜日まで。

この10日間を大阪で暮らす。

なぜその日程にしたかと言えば、5月なかばに1ヶ月先のまだ真っさらだったスケジュール帳を開いて、このへん。と何となくで決めたから。とくに大きな理由は無かった。

まずは、行けるか行けないか、休みが取れるか取れないかではなくて、ここ!と決めて出発の予定だけを何よりも早く立てた。あとは逆算でなんとかなるだろうと。

可能な限り早く、出来れば土曜日を2度大阪で過ごして「サタデープラス」を見たい。土曜日を跨いだ理由はそれくらい。10日間にしたのは、1週間は越して同じ曜日がもう1度来たという経験をしたかったから。

休みの申請をビビりながら出すと、どうにかOKが出た。奇跡!!と思いながら、あとは準備を進めるのみ。

ウィークリーマンションの問い合わせも手続きも、自分一人で進めて、着実に出発までの準備が整っていった。

 

大阪に行く日を目指して、日々予定をしっかりこなしていった。

もうあと1週間もしたら大阪。そう思っていたころに、関西地区で地震があった。震源地はこれから住もうとしているその辺り。状況を見なければとしばらくは待った。マンションの会社からは問題ありませんと返答があり、あとは自分がどう決めるかという状況。

地震が大丈夫な人なんていないけれど、私は地震が本当に駄目だ。何よりも恐い。だからここでどうするかを決めるのは簡単なことではなかった。取り止める可能性も充分考えた。どうするべきか考えたけど、地震の起こらない土地はないと考えると、行こうという気持ちの比重が大きくなった。

なにより、取り止めになるかもしれないと思った時、自分でも驚くほど、いやだと駄々をこねる自分の気持ちに気がついた。他の場所の案を考えようとしても思い浮かばなくて、行きたい場所も見たいものも大阪にある、どうしても大阪がいい。私が行きたいのは、ただ遠くではなく、大阪なのだとわかった。

 

 

新幹線の指定席を買うため、みどりの窓口で機械を使って往復のチケットを取った。

初めて自分で新幹線のチケットを買った。実は1度目に買いにきた時に使い方が分からず、じっっと立っている駅員さんに聞く勇気も出ず退散した。なので2度目のチャレンジ。ちゃんと取れているのか不安ながらも発券が済んで、これで私は大阪行きのチケットを手にした。

 

スーツケースを買うならこれ、とずっと目星を付けていたムーミンのスーツケースは、買ってからずっと部屋の見えるところに飾ってあった。

そのスーツケースにいよいよ荷物を詰めて、出発の準備は完了した。

想像していたよりスーツケースに空きができて、これで大丈夫なのか…?と使いこなせていない気がしながらも、ヘアブラシや爪切りなどのうっかり忘れそうな物もしっかり詰めた。

今の生活を一旦切り離して、と言っておきながら、やるべきことは全部やった。

引き継ぎ、買い出し、掃除もろもろ。居ない間に問題の起こることができるだけ無いよう、人力を尽くしてしまった。そういうところがいけない。

 

友人や家族が、出発前にご飯に行こうと時間を作ってくれたりした。

そんなに大ごとにしなくてもと口では言いながらも、自分自身にとってはそれだけ大きなことだから、同じように捉えてくれていることが嬉しかった。自分で決めて一歩踏み出すと、その本気を受けとめてくれる人がいて、思う以上に周りは応援してくれるのだと知った。

いつも行っているカフェでも、行ってきますと挨拶をして、お話し友達の常連さんにも行ってらっしゃいと送り出してもらった。

 

明日からは全く違う場所に居る。

知らないことばかりの景色のなか、どんな人に会えるだろうか。どんなことが起こるだろうか。

緊張とワクワクの止まない鼓動を胸に抱いて、6月29日金曜日、スーツケースと共に家を出た。