見つめる星がふたつに増えたなら

 

関ジャニ∞に大きな変化が起こることが決まってから何日かが過ぎて、5月になった。

いまだに実感を持つことができずにいる。変わったのは、毎朝イヤホンをつけて聴いていた関ジャニ∞の曲を今は聴けていなくて、時間さえあれば見ていたDVDを見ていないということだと思う。

何かを思ってるとかそういうことではなくて、だた、今見てしまうと聴いてしまうと、この感覚ごと思い出に残りそうで、それを意図的に避けている。

 

これまで、「宛名のないファンレター」に書いてきた文章の中で、作品やライブについての良さを書くことを軸にして、メンバーそれぞれのパーソナルな部分やメンバー同士の関係性についてはあまり書かずにいた。

そこに魅力があることは間違いないけど、自分が言葉に変えなくともその魅力は充分に見ている側へと伝わっているし、人間性を語れるだけ自分はその人のことを知ってはいないと思っているから、それ以外の魅力について書こうと、そう決めていた。

だから今回の状況はとても難しくて、どう思いを消化したらいいのか、どう表現したらいいのか。今も正直わからない。

 

でもこのブログを書き続けてきた理由には、間違いなく関ジャニ∞の存在があって、これからの自分にとっても大切なことだから、

このまま書き続けて時間が過ぎていくのを待つのか、気持ちを一度整理するのか。迷ったけれど、文章を続ける意味を確認するため、今日は私の話をさせてください。

 

私が文章を書いているのは、書かずにいられないからです。

すごいと感じたこと、良いと感じたことを書かずにいられないからで、それを、知らずにいる人やなんとなく気になっているという人にも、知ってみようかなと思ってもらえるきっかけになったならと考えたから。

それを3年間継続して、4年目に入るというところまで続けて来られたのは、関ジャニ∞に出会って、書いても書いても足りないほど駆り立てられて熱くなる原動力と胸の高鳴りを見せ続けてくれていたからだった。

到底追いつきそうにない背中を見ながら、見える所に居てくれたら、それだけで進んでいけると思った。

 

書くことが好きで書いているけど、それだけで終わるつもりはなくて、形になる文章を、紙面に文字として載る文章を書くこと。いつか本の形で手に持つこと。

依頼を受けて、取材をして、それを書くという仕事をすること。

それを見据えているからこそ、誰に頼まれているわけでもないことであっても、自分で課題を用意して、実際に観に行って、ここまでやってくることができた。

 

渋谷すばるさんからの知らせを読んだ時。間に合わなかったと思った。

それだけではない、もちろんほかに思ったことは一つにまとまらないほどあったけど、心に決めた目標に、一歩どころではない。全く及ばない距離のまま、ラジオでもらった言葉をまだ手のなかに握りしめたままで、決意させてくれた渋谷すばるさんが関ジャニ∞から居なくなってしまう。

間に合わなかった。

無謀だと思われても、なんだこいつと思われても、私の夢だった。7人の関ジャニ∞の活動を、いつか仕事として文章に書きたいと、本気で思っていた。

 

見失いかけた気持ちを吐露した時、それで書けなくなるならその程度の気持ちだと言ってくれた人がいた。

ぐっさりと刺さった。見失いかけた気持ちは事実で、一つだけを見つめているような気持ちだけではその先がないと分かっていたけど、それほどまでに、書く意味になる程に、関ジャニ∞に心を掴まれていた。

ゴールではなく、通過点であってほしいと思っているはずだと、続けて言葉をもらった。書けないかもしれないと一瞬でも思ったことに、苛立っていたのは自分自身だったと思う。だから刺さったまま抜けなくて、どうしていいのか分からなかった。

 

そんな中、舞台「泥棒役者」を観た。

喜劇ってこんなに楽しいのかと、驚きだった。ただひたすら目の前で起こることに翻弄されて、驚いて、笑って、舞台がやっぱり大好きだと思った。

目の前の舞台に立つ丸山隆平さんは紛れもなくそこにいて、その身体で役を生きていた。観終わって、不思議とほっとしたのを覚えている。丸山さんが今そこにいて、舞台を観ることができた。楽しかった。そういうことでいいんじゃないかと思った。言葉にするのは難しいけど、自分の中から湧くいろんな思いは、自らの目で見るたったひとつがくるんでくれると実感した瞬間だった。

 帰りの電車の中で、ケータイのメモを打つ手が止まらなかった。記憶から一つも落としたくなくて、感じたこと、気づいたことを細かく残しておきたかった。

 

その時点で、ああまた書くんだろうなと他人事のように思っていた。

それから数日経って、Nissyのライブを観に行った。

全力のエンターテイメントだった。あのステージを観てなにも書かずにいるなんてできないと、次の日に文章にした。夢中で書いて、4時間なんてあっという間に過ぎた。楽しかった。

言葉が浮かばなかったら、キーボードを打つ手が動かなくなったら。そんな思いわずらいは必要なかったと思い知るように、なにも考えていなかった。観たものがあまりに素晴らしくて、それを伝えたくて仕方がなかった。

 

書きたい衝動を思い出させてくれたのは「泥棒役者」だった。文章を書きだすきっかけになったのはNissyのライブだった。

どんなに楽しいだけではいられなくても、私はやっぱり舞台や音楽、エンターテイメントが好きで、その喜びに救われてしまう。その真っ只中に自分はいられないとしても、書くことでそこに関わっていることができるなら、その道を進んでいきたいと、強く思った。

ひとつの場所をひたすらに見つめて進んでいたら、突然、道がふたつになってしまった。

そんな思いでいたけど、渋谷すばるさんは表舞台からいなくなった訳じゃない。むしろこれからも音楽を届け続けていくことを決意表明したわけで、それなら多分私は、関ジャニ∞のことも渋谷すばるさんのことも、見続けていくのだと思う。

そう決めたのなら、見失っている場合ではなくなった。書くことをやめず、ライブレポートやエッセイ、いろんな形の文章を書きながら、自分なりのこれからを積み重ねていくしかないのだと、思いは新たに定まるほかにない。

 

ひとつであってほしかった。

大好きだからこそ、思いを向ける先は別れることなくひとつであってほしかった。その思いは変わらないけど、ここまで持ち続けてきた思いのまま、見つめる星がふたつに増えたのだと思うことができたなら、きっとこのまま進んで行ける。

だからこれからも目指す先は変わらない。そしてそれはゴールではなく、ずっと書き続けていくための道のりを自分の意思で探しながら、これからも私は文章を書いていく。