映画「ディア・エヴァン・ハンセン」 - 僕が僕へ宛てた手紙

 

ふいに話しかけてもらえたのに、どう会話を繋げたらいいかわからなくて、不自然に笑ってしまった。

そんな自分に、何をしてるんだろうと思った。

困っていても笑顔を作ってしまう。相手になにか返さなくてはと思うから。

 

映画「ディア・エヴァン・ハンセン

SNSの存在が大きく関わってくるこの作品が、ミュージカルで舞台作品として誕生、それから映画化されたという順番が意外だった。

キャスティングもサプライズに満ちている。

ブロードウェイ版で、初代エヴァンを演じた役者さんが映画化にあたっても選ばれた。当たり前ではない、このドリームキャストに感動した。

ベン・プラットの佇まいには、怯えも混乱も怒りも入り組んでいて、その奥にある内心の意志の強さを表すかのような歌声は、震えながらも確かに空気を揺らしている。

 

【本編全体に触れた内容なので、ご留意ください。】

 

映画として観てなおのこと、舞台で観てみたいと強く思った。

気になりながら、映画館での公開時期が出歩きづらい時期だったこともあって、今の今まで全体の物語を知らなかった。

それでも気になり続けたのは、歌番組「MUSIC FAIR」で偶然に目にした、森崎ウィンさんが歌った“Waving Thought A Window”が忘れられなかったから。

 

エヴァンが何に悩まされているか、“Waving Thought A Window”で映される姿と行動から、大体のことを理解する。

世界に存在することそのものに萎縮しているように見えるエヴァン。居心地が悪そうで、ベッドサイドに置かれた安定剤を手放せない。

彼が、この話の軸になる。問題を起こさず、失敗を回避して、誰に何も思わせることが無いよう日々を過ごす。

これほど閉じられた思いから、なにが始まり起きるのだろうと、観ながら心はざわついた。

映画の中で、起きてほしくないことが起きてしまうので、自分の心が安定していないと感じる時には観るのは控えたほうがいいかもしれない。

 

会話が上手くいかなかった。上手く返せなかった。

困っている時に笑ってしまった。

そもそも会話を切り出すことができない。

エヴァンは学校に向かう。門を通ることの困難さを思って、その行動がどれだけエネルギーを使っているかを、観ながら痛感する。

自分を懸命にコントロールして、どうにかなだめて。なんとかそこに“居る”エヴァンに、言葉では形にできない気持ちが込み上げた。

トイレに駆け込む背中をさする手があってくれたら。薬を床に落としてしまう前に、ボトルの蓋を開けてくれる手があったら。

それでもエヴァンは、自分を見つめすぎるほどに見つめながら、周囲のこともくまなく見つめる。

 

「自分宛の手紙は?」

そう尋ねる言葉に、どきっとした。

この作品の随所に、私の中にもいつの間にか根付いていた言葉が登場することにシンパシーを覚えた。

届いてほしいと願いながらも、どこかで窓を開け放てないまま、外を眺めているような気分。

“Waving”を待ちながら、ガラスに当てる手のひら。

 

歌が台詞として機能しているため、いくつもの曲が登場する。

流暢な語りとは言えないエヴァンの言葉は、恐る恐る、でも段々とはっきり声になっていく。
ゾーイとエヴァンが歌う、カントリーなメロディーの“If I Could Tell Her”が好きになった。

エヴァンが歌うたび、おずおずと発するその声に、胸が締め付けられる。

 

コナーの家族が求めた記憶。

エヴァンが求めた家族の時間。

Noが言えないほど内気だったとしても、流されてはいけないことがあって。特に自らの意思を越えて拡散されていく世界が存在する今は、思いもしなかった形で、止めることのできない渦が生じてしまう。

観ていて、周囲の声が団結することに心強さは感じなかった。

自分の範囲を超えて、人の感情が制御できない渦になっていくようで、もしかしたら感動で心震えるはずのシーンも歌も、私には怖かった。

前半にあった、善意かもしれない拡散のシーンすら、とても怖かった。

 

体育館のシーンを軸に、生徒それぞれの見えている姿と内心の違いを表す演出が印象的だった。

エヴァンと同級生との会話で、「難しい日もある」「完全に」「無理な」と話すやりとりが、大変やつらいという表現ではなく“難しい日”だったところに、細かく意味合いが含まれていると感じた。

うつと社交不安を持つエヴァンと、同じと話す同級生の彼女だけれど、元から持つ個性に重なって現れる症状はそれぞれに違いがあることを、この作品は映している。

わかり合う部分と、そうではない部分の描写が静かになされているところは現実的だと思った。

 

“隠し方は上手でも楽なわけじゃない”

The Anonymous Ones”で歌うその一言に、その通りだと、だけどその通りという言葉さえ適切ではない気がして、なんと言っていいかわからなかった。

 


一対一の会話であれほど手に汗握るエヴァンが、生徒たちの前でスピーチをするなんて、どれほどのプレッシャーとストレスだったか。

なぜ彼は逃げ出さなかったのだろうか。

決意に思いを馳せることはできるけれど、どんどん後戻りできなくなる恐ろしさはいつまでも消えずに、歪なまま物語は進む。

 

この映画で描こうとしていると感じたのは、注目を浴びるようになった時のエヴァンより、

もう終わりだ。そう思う状況がエヴァンに訪れたあの時にどうしたのか。

それを淡々と、でも大切に映していることから、あの時が分岐点だったのだと思った。

 

likeかhateかで分たれる世界。画面の中で起きていることだとしても、画面を見ているのは人で、現実に影響を及ぼす。

間違っていたと自覚してから、彼が膝を抱えてでも部屋に戻ったこと。帰りを待って、とにかく話したこと。あの時の本当の思いを、嫌われると恐れながらでも伝えたこと。

一つ一つの選択に、彼が自分で自分を守ったのだと思った。

 

“瓶に入れた手紙だ”とエヴァンは言った。

その思いに深く共感する。

この場所で文章を書きながら、時に演者さんやスタッフさんへ宛てて。時に同じように作品を楽しんでいる人、楽しんでくれそうな人へ宛てて。

そして自分へ宛てた手紙を書いている。

海に流したボトルメールみたいに、どこを流れているのか、誰かの手元に届いたのか。

わからずにいる時間も多いけど、それでもいつの間にか、エヴァンと同じように自分にも宛てて書いているのだと気付かされた。

 

“Dear Evan Hansen”

この語りかけから感じる温もりを忘れることなく、手紙を。言葉を綴りたい。