'Cause I'm tap,tap,tapping on the glass
(ガラスをトントン叩きながら)
I'm waving through a window
(窓越しに手を振っているんだ)
“tap,tap,”から伝わる手のひら。
ドアをknockするのではなくて、ガラス越しに触れる手に、出たい気持ちとためらいがわかる。
ミュージカル「ディア・エヴァン・ハンセン」
「Waving Though A Window」
作詞・作曲:BENJ PASEK & JUSTIN PAUL
訳詞:山本安見さん
パソコン画面にタイピングされる
“Dear Evan Hansen”
森崎ウィンさんが歌う「Waving Though A Window」を見たことが、この曲との出会いだった。
明るく笑う印象だった森崎ウィンさんが、笑顔をしまって自信なさげに眉を下げている。背中を丸めて、ポケットに親指を入れる。
エヴァンに感情を重ねて歌おうとしていることは、役に寄せたパーマヘアからも見て取れた。
I've learned to slam on the brake
(ブレーキを踏むことを学んだ)
Before I even turn the key
(キーを回すより前に)
Before I make the mistake
(間違いを犯す前に)
“鍵を回す前に”
失敗したくない。慎重さが究極まで高まった考えの行き着く先が、転ばないために立ち上がらないくらいの極論になる思考回路が理解できてしまう。
SNSが物語を動かす作品で、“So I nothin' to share”と呟くことの意味。
こんなにも内向的な主人公から物語がはじまるのだろうかと、一行目の歌詞から目が離せなくなった。
Step out, step outta the sun if you keep
(日の当たる場所から踏み出すんだ)
If you keep gettin' burned
(もし日焼けがキツすぎるなら)
開放していくように聴こえるメロディーで響かせるのは、内に内に篭っていく心。
背中を丸めて日差しを避けて、だけどそれは自分が心地良くいるための最善策。
ドアを開け放ち日差しを浴びて歩くのではなく、日差しから身を隠すように歩くエヴァンの心情をもっと知りたいと思った。
森崎ウィンさんの歌った「MUSIC FAIR」での階段を使う演出がよかった。
颯爽と降りて行けるはずの階段を、とぼとぼとぎこちなく、足取り重く降りて行く。
Because you've learned, because you've learned
(もう十分学んだのだから)
繰り返し口にする“learned”(十分学んだ)という言葉に、どれほど頭の中でシミュレーションをしてきたのかがわかる。
起こる前に、学んだと遠ざけたい心境も。
Can anybody see?
(誰か僕に気づいてくれるかな?)
Is anybody waving back at me?
(誰か僕に手を振り返してくれるかな?)
見える?手を振り返してくれる?という願いが決して小さなことではなく、大きなことであると感じることができる。
他者と向かい合うことで、自分の姿かたちが分かっていくのに、自分と向き合う時間だけが長くなると、存在に半信半疑になりかける時がある。
なりかけると、鏡で自分を確認することが増える。
When you're falling in a forest and there's nobody around
(森の中で倒れて 周りには誰もいない時)
Do you ever really crash Or even make a sound?
(きみは本当に落ちたと言えるのか? 音を立てたとさえ言えるのか?)
淡々とした疑問でありながら、こんなに悲しい疑問提起があるだろうかと苦しかった。
繰り返していくほどに疑心は深くなっていく。
森の中でたった一人、木から落ちたのに、世界の大きな規模では物音一つ立てていないのではと考える心情が、孤独を物語っている。
Did I even make a sound? Did I even make a sound?
(僕は果たして 本当に音を立てたのだろうか?)
It's like I never made a sound
(どうやら僕は音を立てたことがない)
Will I ever make a sound?
(僕は果たして音を立てるだろうか?)
どんどんテンポが早くなって、“Will l ever make a sound?”の後に、一瞬生まれる沈黙がすべてを問い掛ける。
客観視しようとしていた言葉が、ぐっと自分自身への言葉に変わる。
“never”と“ever”が立て続けに出てくるところに、語感と意味の魅力を感じた。
同じ音で韻を踏んでいたり、繰り返しでありながら意味合いが変わっていく表現。
歌の中ではエヴァンが饒舌に喋ることができる分、息つぎが大変なほど言葉数が多いところなどに注目すると楽しい。
“waving”の繰り返しと、“whoa”で響かせる声が、
閉じようとするドアと、開け放とうとする窓のように、相反する心境を見せている気がした。
そして最後の“whoa”で、上がっていた音程は落ち着いてしまう。
空高く投げたボールが手のひらに戻ってしまうように、どこか「リトルマーメイド」でアリエルがPart Of Your Worldを歌いながら、伸ばした手を諦めて降りていくシーンを思い浮かべた。
今は何度も歌詞のフレーズが頭の中にぐるぐるしている。
「ディア・エヴァン・ハンセン」が日本で上演される日はいつだろうか。
この一曲から心を掴まれた私は、森崎ウィンさんが演じるエヴァンをどうしても観たい。
一曲で、あれほど作品への思いと役への解釈を込めることのできる森崎ウィンさんが、全体を通して演じた時に、どんな境地になるのかを観てみたい。
歌を英語詞そのままでの上演が可能なキャストだと思う。
地を這うように低くなる声と、飛び立つように突き抜けていく声とが一曲のなかで行き来する、この作品の曲たちを歌い話す姿が観たい。
「Waving Though A Window」を知って、【手を振る】を英語では“Waving”と言うことを知った。
波が形作る滑らかな伝達と、手を振ることで伝わるコミュニケーションの波長が意味合いとして重なっている感覚がして、好きだなと思った。
例えば、ディズニーに遊びに来ている時みたいに、気の向くまま。
機関車に乗る人に、船に乗る人に、手を振ってくれているキャストさんに。ぶんぶんと手を振れる、あの感覚でいられたらいいのに。
手を振るということの意味を、大切にしたくなる。
心に置きたいミュージカルの歌が、ひとつ増えた。