高橋優 ライブツアー「STARTING OVER」in 横浜アリーナ

 

【セットリストに触れている内容です。お気をつけください。】

 

2年ぶりの高橋優さんのライブ。ひとりで行った。

来てよかった。来られてよかった。

人が放つ声に、ガツンとくらう感覚。何度経験しようとも言葉にならない胸の高鳴りを覚える。

 

グッズを買いに行くと、スムーズに入場できて、買うと決めていたショルダートートバッグをひとつ大事に受け取った。

このバッグをすぐ使えるように、行きはコンパクトに畳める適当なトートバッグに荷物を入れて来た。いそいそと詰め替えて、これで、高橋優さんのライブに来ました!とアピールできると嬉しくなった。

1分でも長く会場の空気を吸っていたくて、開場時間と共に入場。

開演までの1時間はあっという間だった。

 

 

ライブのチケットはいつも数ヶ月前に発売されるものだから、その頃の自分がなにをしているだろうかと思いを馳せながら応募したり買ったりする。

今回のライブに行こうという気持ちになったのは、年が明けて3月頃の自分は高橋優さんの歌が聴きたくなる気がしたからだった。

なぜそう思ったのか分かっていなかったけど、来たら分かった。大正解だった。新生活、新学期の3月は、毎度どうしてもザワザワする。自分にとっても、1年のなかで再スタートの月になっている。

 

ルポルタージュ」で始まる音の圧。

ドンッと飛び出してくるかのような勢い。フィルターを取り払った音がそのままにジャキジャキと鼓膜を揺さぶる。大きな楽器の音にかき消されぬ高橋優さんの歌声。

ここで諦めてたまるかと

と歌う高橋優さんの声が、荒々しく、決意に満ちていた。

人は醜い 人は愛おしい

その歌詞に、高橋優さんが伝えたいことの希望も悲しみも表れていると感じながら聴いていた。

 

ライブハウスやフェスにはまだ変わらず行ったことがなくて、どう居たらいいかなと思ったりしたけど、
自分なりの乗りかた、楽しみ方がつかめてきていた。周りの雰囲気も、手を掲げる人もいればリズムに乗っている人もいてそれぞれで、わりと穏やかに好きなように乗る感じだったからか、気持ちをらくにして居ることができた。場違いだ…と怖気づくこともなかった。

座席が一番後ろだったこともあって見晴らしがよく、イェーイ!を両腕上げて出来たのが爽快だった。後ろがないとなれば、手拍子や拍手も自然とテンションに合わせて高くなっていった。

 

バッスバッスと届いてくる歌声。

胸の前に構えているキャッチャーミットにど真ん中、ストレートのボールが投げ込まれる気分。

なんでこんなに泣くのかわからなかった。自分でも。序盤でだあだあに泣く自分が不思議で。

安心していた。穏やかさだけではない、むしろ鋭利な現実を見る歌が高橋優さんの歌には多くあるけど、その中にある温度。完全な強さではないからこその人間味。

器用に繕う気はないその姿に、ほっと息がつけた。

 

 

美しい鳥」を聴いた時、CDで聴いたのとは違う感覚を覚えた。語りのようで、でもリズムは刻み続けられていてサビのメロディーは切なく美しい。

肌が近いこの距離で聴く「美しい鳥」は強く胸を打つ。

“What do you feel ?”

英語で無機質にすることで意味を持つ問いかけに、針で心を刺すような痛みがあった。

そして歌のなかにある、“霹靂の刺すような”という言葉の鮮烈さと美しさに、一目惚れにも近い感銘を受けた。アルバムのなかで好きな歌と、ライブの場で衝撃を受けて好きになる歌は別だったりするのだなと、この時思った。

 

 

STARTING OVER

アルバムタイトル、そしてツアータイトルでもある“STARTING OVER”

迫力がすごい。スクリーンの横に“STARTING OVER”と文字がカクカクとなぞるように描かれていく様子がかっこよかった。

実際にライブで聴くと、一際色濃く、真っ直ぐに響いてきた。ラジオがテーマになっているところがツボで、まずそこにテンションが上がる。

音楽がなんか好きな感じだった けどタイトル聞き逃したもう一回言って?

「もう一回言って?」が、“もう一回ゆって?”と発音されているところが好きだった。言い方も含めてそのくだけた感じがリスナーとパーソナリティの距離の近さを表現していた。

もうダメかって時ほど音楽が鳴り響く

この言葉が本当に、そう!!そうだね!!とブンブン頷きたくなった。

 

 

怒りや苛立ちは時に自分を奮い立たせるエネルギーになる。

相手に向けようとすると危ういからこそ、自分の内に生まれるその“感情”をどう“エネルギー”に変えるか高橋優さんの歌から学ぶことがある。

でも穏やかな高橋優さんのことも好きだから、今回のライブは「若気の至り」や「ありがとう」などで陽だまりのような声を聴けたことがうれしかった。

穏やかさを持つことは弱くなることと違うから。高橋優さんの優しい歌をこれからも聴きたいと思った。


いいひと」への入り方や、曲中の演出が楽しくて、高橋優さんの“茶目っ気”が伝わりやすいようになっていて、ライブの空気感がキッと締まるところとふわっと和むところ、その緩急が居心地よく感じられた。

ライブで見た高橋優さんの笑顔はとても嬉しそうで、見ているこちらまで嬉しくなった。

 

非凡の花束」での

いい匂いするでしょ いつもありがとう

“いい匂いするでしょ”という言葉を選ぶところに高橋優さんらしさを感じて、綺麗とか可愛いとかよりも生活に近い、やさしさがあった。

祝ったらだめかな 何気ない今日

その一行が、すごく好きな歌詞になっている。

 

 

プライド」は高橋優さんが高橋優さんの曲として書いた“象”だなと感じたところがあった。

その次に歌ったのが「」だったこともあって、近しいメッセージであったとしてもこんなに表情が変わるものなのかと思った。


そうしてボルテージが上がったところで、途中に流れる映像。

高橋優さんが歩いて行った先にあるインパクトのある絵が描かれたシャッター。からのザンッとバックライトが照らし、高橋優さんだけのシルエットが浮かぶと共に耳に届きすぎるくらいのハーモニカの音が響いて。

ここがすごくかっこよかった。

あっストリートライブで歌っていた場所かもと察した瞬間にあのライト。シャッターには付いていなかったあの大きな明かりで照らしている今への道のりを考えて。

ストリートライブという場で収まりきらないほどのボリュームで歌って、声が大きいと言われることもあった当時の高橋優さんを思い切り吹くハーモニカで表しているみたいでグッときた。

まだやれるのにチクショーと叫ぶ心はあるか

そう歌う高橋優さんの声が印象的で、“チクショー”の声の溜めかたと捻りかたが心を掴んで離さなくて、表情を歪めるぐらいの悔しさを味わったことのある人だから出せる声だと思った。

そしてラスト、歌声とドラムが息を合わせてザンッと潔く終わるのがかっこいい。

 

高野豆腐〜どこか遠くへ〜」ではスクリーンに映る映像も面白くて、ありとあらゆる漫画パロディが高橋優さん版で繰り広げられる。

Harazie!!」で、スタンドマイクで意気揚々とポーズを決めながら歌う高橋優さん。新たなときめきを見つけた。ライブで聴いて、これはファンクだと高橋優さんが歌うファンクの魅力を知った。

 

 

明日はきっといい日になる」「こどものうた」「ありがとう」の畳み掛けは凄かった。

ライブ会場では自然とその流れに乗っていけていたけど、あらためて考えると。「こどものうた」が強烈な意味を持つから、前と後ろに置く歌には細心の心配りをしたのだろうと思った。

「こどものうた」がフィクションにならない世界がつらい。大人の歌ではなく、こどものうたというタイトルに、叫びを思う。

 

 

何かの歌で、めずらしく歌詞を噛んで、べって少し舌をだした高橋優さん。そもそもあの文字数あのテンポを歌いこなすことがおそろしいほどすごい。

今回のライブでもバンドにバイオリンの方がいたのが嬉しかった。歌のなかで高橋優さんの声に添うように奏でられるバイオリンの音色が美しくて聴き入った。

 

 

ロードムービー」を、聴けると思っていなかった。

2年前に高橋優さんのライブに行って以来、今年また行こうと自分を連れ出した。初めて観た時の空気を思い出して、また背中をとんっと押されるような感じがした。2年は意外と長い。

ふっと明かりが消えて、黄色と青の星がステージ後ろいっぱいに光った景色が綺麗で、そこにスポットライトで照らされる高橋優さんがすごくよかった。

色とりどりのライトや、歌詞と一緒に映る映像もすごいけど、ぱんっと高橋優さんひとりに照明が当たる瞬間が一番見入ってしまう。

 

アンコール、エレキギターを持った高橋優さん。ライブTを着て、ひずむエレキを掻き鳴らす。

リーマンズロック

この曲の印象がまた変わった。見ている自分の心境なのか、演出の変化からか。初めてみたリーマンズロックは哀愁に満ちていて、白シャツ一枚を羽織って出てきた高橋優さんに切なさすら感じていた。

だけど今回は、清々しさがあった。

ロックTにエレキギターの高橋優さんは少年みたいで、今の高橋優さんと若かりし頃の高橋優さんがタイムスリップで重なって見えるようだった。

 

 

高橋優さんのライブには、高橋優さんのライブの空気感がある。

時折俯瞰で見渡しては、人の頭の数や一糸乱れぬ手の動きに圧倒された。初めて来た時は、高橋優さんの歌う“個と個”の話し、人と人の関わりに対して、この空間が“大衆”に見えてしまう自分の感覚と視覚のアンバランスさが恐くなって、私はどう居ていいのだろうと思った。

でもなんだか今回は、開演前にお互いひとりで来ていて写真のシャッター係をし合ったお姉さんや、母息子で来ていて問題集を読みながら待っていた男の子、ライブでノリッノリになって双子みたいに手拍子が揃う女の子2人組、母娘で来ていて段々とはっちゃけていくお母さん。

この会場で、知らない人のことを“個”として見られている自分がいた。開演前からそういう景色が見えたことで、ライブでの景色も変わって見えた。

 

終演後、タオルを顔に当てたまま泣きやめなかった女の子。「よかったね」とお母さんに声をかけられて頷きながら、泣いていた。

彼女がどんな気持ちでここへ来て、どんな日常の中に帰っていくのか。学校は楽しいかな、進路に迷っていたりするのかな。

想像でしかないけど、女の子に高橋優さんの歌がこんなにも真っ直ぐ届いているのを見て、すごいな…よかったな…と思った。

 

それぞれにひとつずつある、思い思いの日々。

ルポルタージュ」の歌詞のなかで、“一人と一人” “瞳と瞳”という言葉をジェスチャーをつけて大切に歌っていたのが印象に残った。

また来られるかな、本気で不安になることがあるから、またね!と言う言葉が大切で、それを握りしめて1日ずつを生きていく。

生きていくなんて大層な言葉と思っていたこともあったけど、それを自分で保って、守って。続けていくことがどんなに難しいことかを知っているいまは、そんな約束を大切にしていたい。