わかりあえる“同じ”を見つけた二人 -「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」第2話 感想

 

第2話のはじまり、音ちゃんの声で聞く、東京。

ぽつりぽつりと雫が溜まるみたいに重なる声が、音ちゃんの東京での生活の空気を表しているみたいで、聞いていると落ち着く。

備品を取りに急いだり、次から次にすることがあったり、働くってそういう小さなことの積み重ね。息つく暇もなく、でも目の前にあることをひとつずつ。誠実に働く音ちゃんを見ていると、そうだよな、がんばろうと思う。

第1話をとばして、この場面からいつも見ていたから、頭の中での物語の始まりはここからになっていた。

第1話で練が「雪が谷大塚」と言ったシーンを忘れていたから、なんで音ちゃんが駅の入り口で待っているのか、引っ越し屋さんがこの街に居ると知っていたのかを、分かっていなかった。

 

介護施設で聞こえてくるには似合わない、バスケットボールの音が響く。

井吹朝陽くんと音ちゃんが、本当の意味で出会うシーン。取れるはずないと余裕でいたボールを、音がさっと取り上げて「もっとふわふわしたもので遊んでください」と一枚上手にほほえむ。

はっとした朝陽の表情が印象的で、よかった。

第1話で、朝陽はなっがいリムジンに乗って、シャンパンを開けて豪遊しながら笑う。その笑顔がいやだった。虚しくて、悲しくて、本人もそれを気づいていそうなところが余計につらかった。朝陽くんがガソリンスタンドで働く音ちゃんのことを覚えていたのは、それをすぐに思い出せたのは、あのとき音ちゃんの目を見て、朝陽くん自身が自分の染まる虚構に気づいて、それを見抜かれたと思ったからなのかもしれない。

ドラマを見ていて、ああこの人のことを好きにはなれないかもしれないと思いながらも、第1話の終盤のシーンで出てきた朝陽くんの存在がとても気になったのも本当だった。

 

明らかな音ちゃんへの好意。でも自分の奥のほうを見せないために、わざとふわふわと浮ついて見せるような朝陽くんにどこか怒っている音は、その好意を全く本気に受け取らない。

御曹司に気に入られたんじゃないの?とけしかける同僚に、けげんそうな顔をして「トイレ掃除してきます」とつぶやく音ちゃんが、なかなかにひどくて好きだった。

 

音「御曹司なら人手が足りないので増やしてください」

朝陽「なんでそんなに冷たいの?御曹司嫌い?」

音「御曹司だから好きとか嫌いとかありません」 

御曹司とかどうこうの前に、人として朝陽くんを認識している音ちゃん。

好きな人は居る。会えていないからわからない。そう言う音ちゃんに、おかしくない?と言う朝陽くん。「おかしない」と咄嗟に関西弁がでる音ちゃんが好きで、そういうところで垣間見える音ちゃんの意思の強さがいいなと思った。

なにそれ、変じゃない?と誰かに言われたとしても、自分の中にある感覚を信じて手放さない。優しさだけではなくて、自分のことを守れる音ちゃん。

ぷりぷりと怒っている音ちゃんに、紳士的にタオルを差し出して「どいてください」と冷たくされても、「濡れた髪もいいね」と返す朝陽くんが、真面目を隠した、素晴らしいチャラさの塩梅で、台詞の言い方や解釈の仕方によってはただチャラく見えてしまうかもしれない井吹朝陽という役柄を、西島隆弘さんが丁寧に誠実に、一人の人生として演じていたことに感動した。

音や練、木穂子さんたちのなかで、現代的な要素が強いゆえに浮く可能性もあった中間の立ち位置でありながら、ドラマの空気に溶け合っていた。

 

 

自分のしたことではないのに、壊れたスピーカーの保証代20万円を払うことになった練。

同僚の代わりに遅番をして、シフトの時間になっても出勤してこない同僚のしわ寄せで勤務が続いた音。

なんで。と思うことが日々あって、嫌な気持ちにもなる。二人とも怒らないわけじゃなくて、人並みに腹も立つし、納得いかないこともある。でもそれをオープンにはぶつけないだけで、だただた優しさの固まりなわけじゃない。二人のそういうところが好きだった。

 

風邪をひいて、仕事の帰り道動けなくなる音。道端で見つけた柴犬だけはしっかり抱きしめたまま。

「会えた」

柴犬を探していた練は、夜のなかキャンキャンと響く吠え声を頼りに駆け寄る。

そこには、柴犬を抱きかかえてしゃがみ込む音がいた。見上げる音の目と、「会えた」の一言で、どれほど待ち焦がれていたか伝わってくる。突然一人きり、頼るあての無くなった音が、今日まで東京でやってこられた心の支えに、この街のどこかで引っ越し屋さんは暮らしているという思いがあったこと。この街で暮らしていたらいつか会えると信じてきたこと。

 

だから、

「引っ越し屋さん…できたらでいいんやけど…名前、教えて。電話番号教えて」

「私も東京で頑張ってるから」

その言葉が、切実で、優しくて。

ずっと会いたくてやっと会えたのに、まず言いたかったお願いごとが名前と電話番号だったこと。どれだけ心細いなかで音は頑張っていたのだろうと胸を締めつけた。

東京から来た、引っ越し屋さん。雪が谷大塚という街に住んでいる。

知ってることはそれだけだけど、それでももう一度会える。そのために、東京で頑張ろうと懸命に生きていた音のことを思うと。

自分の気持ちを一方的にぶつけたってよかったのに、こんな時でも「できたらでいいんやけど…」と言うところ、好きだと思った。

 

 

「いつでもおいで」

練が仲良くしている、おばあちゃんの静恵さんが、家に来た音に言った言葉。

音はそれを嬉しそうに、たしかめるように、そのまま繰り返した。

北海道から出て来て、知っている人もなにもない街で暮らして、自分の部屋ができて、職場ができた。それでも、“ここ”以外になかった生活が、その瞬間からここにも居ていいのだと思える場所がひとつ増えて、音にとってそれは心強く、はじめて東京で感じた温かい居場所だったのではと思う。

 

練のことを穏やかに見守って来た静恵さんは、音にそっと近づき、紙を手渡した。

白い紙に書かれた、“曽田練”の名前と、電話番号。

一言とか、そういうのはなにもない。でも音にとって、なによりのプレゼント。素っ気ないのではと思うくらいシンプルで、それがまた練の不器用さを表しているようだった。

 

「あの子の周りには、寂しい人が集まってくるの。その分、一番寂しいのもあの子だった。だけど…」 

この台詞、すごいと思った。

ただ気弱なようにも、きつい言い方をすれば偽善的なようにも見られるかもしれない練という人物。けれど練には練の孤独があることを、静恵さんのこの言葉が物語っていた。

自己犠牲というのはきっと「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」に生きる人たちそれぞれのテーマでもあって、練にはそこに共依存に近い危うさがあって。木穂子さんとの関係性があるなかで、音との出会いがそれとは違うとどう表現するのだろうと気になったのが、この第2話だった。

そうして、最後に語られたこの言葉で、その区別はしっかりとつけてくれたことにほっとした。

 

持たないパーツを求めあうのは性なのかもしれない。けれど、音と練にはそうなってほしくなかった。もっと対等で、横並びで、助け合うけどそれだけじゃない。

お互いがそれぞれに前を向いていてベストを尽くしているからこそ、一緒に居られる関係性。

もし音が東京に出てきてそれで満足して、ベストを尽くす努力をしていなかったら、真っ直ぐでいることをやめていたら、いくら同じ街に暮らしていても練とは会えなかったと思う。

二人の出会いが、それぞれの懸命に積み重ねた日々の先にあったものだと感じる。

 

柔らかい心で生きていたって、得なんかしない。

それでもそうとしかできないひとがいて、上手じゃなくてもそれで生きてる。わかりあえる“同じ”は世の中にありふれてはいないけど、音と練が会えてよかった。もう大丈夫だと、二人を見ながら思った。