喉にぐわっと空気を通して、腹の底から声を出す
体から放たれたシャウトが、
感情になるまえの音のままで胸へと飛びこんでくる。
「体の芯からまだ燃えているんだ」
作詞・作曲はあいみょんさん。この歌は、映画「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」のなかで歌われる劇中歌という形での実現だけれど、吉岡里帆さんと阿部サダヲさんの二人が並び、シャウトする姿を見られたことが奇跡のように嬉しい。
完成したMVを一目見て、見えている映像と聴こえてくる声のギャップに、あれ?えっ?と混乱するほど、吉岡里帆さんの歌声が骨太で勇ましかった。青い空の中にいるふうかと、黒の壁の前バンドの中心に立つシン。白を身にまとうふうかと、黒を身にまとうシンの対比が美しいMV。
あいみょんさんの声質には独特の魅力があって、あいみょんさんの作った歌の空気感に寄り添い歌うのはきっと簡単なことではないと、聴いていて思う。
「体が芯からまだ燃えているんだ」は、寄せすぎるでもなく、吉岡里帆さんの色だけで染まるということでもなく。声のかすれ具合や低音の落ち着いた雰囲気も含めて、三人のセッションになっていた。
台詞を言っている時や話している時の吉岡里帆さんの声が好きだった。ころりころりと音が運ばれていくような、思わず耳を傾けたくなる声。
映画のなかでは内気な性格の役で、囁くように歌う姿も映画で披露しているようだけど、そこからの豹変と言える「体の芯からまだ燃えているんだ」を歌う吉岡里帆さんは、今まで見たことの無かった魅力を鮮烈に放っていた。
そして歌詞が、前に前に重心をかけたメロディーが、むしゃくしゃをエネルギーに変える強さを見せる。
聴こえないのならば
ボリュームを上げてやるわ
最強にかっこいい。聴いてほしいではなく、聴こえるようにしてあげるからという強気。ガンッとボリュームのつまみをひねって音を上げる仕草が目に浮かぶ。
届いてくれたらいいな、で終わらない、執念にさえ近いその感情が息を飲むほどかっこよくて、したたかに顔を上げて前だけ見てガシガシと歩いて行くような姿を想像した。
この言葉の後に、吉岡里帆さんが言葉ではない声でシャウトする。
その声が、真っ直ぐ心を矢で射抜くほどの迫力。何を話すよりも、はっきりとした思いの表れに感じて、わけがわからないほど感情を揺さぶられた。このシャウトが、この歌の命だと思う。
壊れたギターで 奏でようか
新しいメロディ
新しい歌声で
焦がした心が 震えるのは
あの日から変わらない
体の芯からまだ燃えているんだ
揃った環境ではなく、“壊れたギター”で、そこから生まれる新たな何か。
胸が熱くなるってこういうことだ。関ジャニ∞に、渋谷すばるさんの歌に湧き立つ思いに指先が触れた感覚。突き動かされる心の衝動を、こんなにも歌詞に込めることができるのかと雷に打たれた思いだった。
“焦がした心”も“まだ燃えている”感覚も、肌で感じているからわかる。
血の味混じりで 歌を歌っている
あの日歌ったあの日うまれたロックを
ロックとは、という定義は分からないし、語ることは自分にできないけど、気づけば握り拳になっていて顔をクシャクシャにして大声で叫びたくなるような、この歌を聴いていて湧き上がるものこそが、ロックというその輪郭に近づけた瞬間なのかもしれないと思える。
剥き出しの感情が苦手だったはずなのに、心が叫ぶように歌う歌声を聴くとどうしようもなく惹かれてしまうようになったのは渋谷すばるさんのせいだ。
落ちサビ前の、“新しい歌声で”というところで、吉岡里帆さんがハイトーンに入るのも聴いていてたまらない。
映画本編を観ていないのに、吉岡里帆さんの演じるふうかについて話すのは気がひけるけど、ストリートライブをしているのに歌う声がすっごく小さいふうかのことを、とても他人事とは思えなかった。
緊張すればするほど喉が狭くなって、蚊の鳴くような声になる自分が恥ずかしくて、情けなく思うことがある。
それでも文章を書く時は、歌のように、叫ぶように、喉まで出掛かって止まるばかりのこの声を届けたい一心で。ここに刻む文章そのものが自分の存在証明のつもりでいる。
ストリートライブをするのに声が小さいふうか。「俺節」のコージは、歌いたいのにここぞという時に声が出なくなる。そのどちらにも共通して感じたシンパシーがあった。だからこそ、ふうかが爆発させた「体の芯からまだ燃えているんだ」の歌声が、胸に響いて仕方ない。
映画公開の舞台挨拶で二人が実際に歌った映像を見た。
本当にこの声が、こんなに可愛い吉岡里帆さんから出ているのだろうかと未だにMVを見るだけでは確信できずにいたけど、あの舞台挨拶での堂々とした歌声に鳥肌が立った。 映画館がライブ会場になっていた。
聴こえていますか
届いていますか
あの時のあの夜の私のままじゃないのよ
好きでたまらない歌詞。
女性詞を歌う阿部サダヲさんはどうしてこんなに魅力があるのだろう。セクシーで、女性以上に女性的な、猫が威嚇するみたいな強さ。
苛立ちさえも含めてかっこいいと感じるのは、グループ魂の歌にも通じるものがある。
届いているかわからないことを続けるのは途方もない。聴こえているか、確かめるすべもないとしたら、ブラックボックスの中でカラの空気を掴もうとするようなもので、その箱を大切に持ち続ける意味がわからなくなることもある。だけど、ぱっと手を離してやめるのはなんて簡単なんだろう。
問いかける声を止めなければ、いつかその箱の中身を見られる日がくるのだろうか。三行のこの歌詞が好きなのは、一人に限らない、届けたいと思っているあなたへの覚悟と思いの強さを叫べる気がするから。
届けてみせるこの声で、と言い切れる強さが、私にもほしい。
気を使ってとか、内気でとか、そんなものを突破してしまいたい。埋れてかき消されることを不安がる前に、できることがあるだろうと思ったのはシン&ふうかの二人の歌を聴けたからだった。
叫びは強い。かっこつけよりもかっこいい。
二人の声が、頭に響いて離れない。