今ここにない、時を思って「ノスタルジア」

 

懐かしくて切なくなって、なんかちょっと泣きそうで。

ノスタルジア」を聴くと、小学生の頃に過ごした時間を思い出す。

 

丸山隆平さん、安田章大さん、錦戸亮さん、大倉忠義さんの4人で組まれたユニット曲「ノスタルジア

イントロのメロディーはどこか異国の空気が漂うトロピカルハウスのような曲調で、そこに重なる歌詞の言葉は日本的。日本独特のノスタルジーを感じさせるのに、南国の風を感じるという、そのバランスが不思議な世界観を作り出している。

 

作詞は田中秀典さん。作曲は蔦谷好位置さん。蔦谷好位置さんは、今回のアルバム「ジャム」で、グループへの曲として「DO NA I」を、そしてユニット曲として「ノスタルジア」を提供されている。

2つの曲のそれぞれが、音楽のジャンルとしても関ジャニ∞の新しい一面を見せるものになっていると感じる。どちらも海外の要素を強く取り入れた曲のような気がしていて、「DO NA I」はファンクの要素、「ノスタルジア」にはトロピカルハウスのような要素があり、それによってアルバム全体の音楽としての多様性をより一層感じることができるようになっていると思う。

洋楽などで聴くことが多くなった曲調を、今このタイミングでユニット曲として取り入れているところに、音楽の波を読んで見逃さない制作陣の思慮深さを感じた。様々な曲調が聴ききれないほど存在する中で、スカやジャズ、歌謡曲などを関ジャニ∞の音楽として聴けることが楽しいと感じた。

 

ノスタルジア”という言葉としての意味は、【異郷にいて、故郷を懐かしむ気持ち。過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。】とあった。

今立っている場所が、かつて居た場所と同じではないからこそ懐かしい。具体的な場所というよりも、その“時間”のことを思っていて、だからこそ戻ることができない切なさが生まれると思った。

なぜ日本の文学的な言葉の歌詞に、この曲調なのだろうと初めて聴いた時は思ったけれど、曲の主人公は“今はない時間”を思い起こしていて、だから今でもないどこか知らない国をさまようように漂う不思議なメロディーは「ノスタルジア」という曲の世界観にぴったりくるのかもしれない。

 

遠い日の星祭り

という歌詞から、この曲の季節は七夕のような気がした。7月7日なのか、旧暦の8月頃なのか。なんとなく自分は旧暦だといいなと思っている。“花火”という言葉も出てくることから、夏の暑さと、無性に寂しくなる季節の風が伝わってくる。

 

変わってゆくって 分かってたあの日

僕ら 気づかぬふりで走った

強がって さすらって 戻れない場所で

今日も“その続き”を歌ってる

 

ここの歌詞がとても好きで、これまで漠然と感じていた感覚を言葉として捉えられた気がした。

自分の学生時代、ある時ふいに、“今すごしているこの時間はきっと通り過ぎて振り返るはずの時だ”と自覚した瞬間があった。今のままではいないことも、それを振り返って懐かしむ日が来ることも、その時にわかってしまった。

それは大切に過ごしていこうと思えるきっかけでもあったけど、恐くもあった。抜け出せない時間のなかにいることを随分と早く気がついてしまったことへの恐怖。周りにいるみんなは気がついていない、意識すらしないようなことを、意識してしまったことが恐かった。

ノスタルジア」を聴いていると、その時感じた言いようのない不安と、時間が過ぎるのを待とうと腹をくくった思いが蘇ってくる。あの時そんなふうに感じていたのがもし一人きりではなくて、僕らであったとしたら。夢中なうちに駆け抜けるはずだった時間を、変わっていくと分かりながら気づかぬふりをして過ごしたことも、あってよかった時間だったのかもしれない。

戻れない場所に今いたとしても、それは“その続き”で、過去を塗り替えているわけでないと感じられる歌詞がいいなと思った。

 

「飲み込んだ涙の味が甘くなくて良かった」なんて

サヨナラを繰り返すたび 皮肉にも思い知るのさ 

というフレーズも、丸山隆平さんの歌声が素敵でいつも耳をすます。

“飲み込んだ涙の味が甘くなくて良かった”という部分に、鍵カッコがついているのはどうしてだろうと考えて、もしかすると、誰かが言っていた言葉を思い返しているのかもしれないと思った。主人公自身の言葉ならカッコがなくても成立するけれど、あえてそこに付いていることに意味がある気がして、それは“君”の言葉なのかもしれない。

泣くことに喜びがないことを“良かった”と言う、その感受性がいいなと思う。

 

 

日本語としての美しさが込められた歌詞だなと感じるなかで、“尽きせぬ想い”という言葉は特に印象に残る。

そして、その後にくる“忘れ物のような響き”という歌詞は何を指しているのだろうということを今も考えていて、誰かの言葉なのか、名前なのか、音なのか。今でも確かなことはわからない。わかるまで考えたい気もするし、わからなさがあるから漂うような曖昧さを保ったままでいられるかもしれないとも思う。

 

ライブツアー「ジャム」でのパフォーマンスが鮮烈に記憶に残っていて、コンテンポラリーのような動きのあるダンスと曲の雰囲気がぴったりだった。手のひらをかざす振り付けがとても好きで、手を見上げる顔の角度が黄金比の美しさだった。

この曲のダンスの振り付けをしたのは三浦宏太さんという方で、関ジャニ∞のライブでタコヤキダンサーズとして踊っていたこともあると最近知った。

“変わって…”と入るサビ前のところで、音に合わせてすっとターンをした丸山さんが綺麗で、軸がブレず、ジャケットの裾がふわっと風に広がる姿が美しかったことを今でも思い出す。

 

 

進んで 迷って 立ち止まる時

君の声が道標になる

 

“君の声が道標になる”という言葉の、静かな強さに心が動いた。

目に見えるような強さではなく、胸の内に大切なものがあることを知っている強さを感じた。目の前に見えているものが道標なのではなく、聞こえてくる“声”であることから、そこに距離があったとしても耳に届く、阻まれることのない道標というところがよかった。

 

丸山隆平さん、安田章大さん、錦戸亮さん、大倉忠義さんの4人が歌うからこそ漂う「ノスタルジア」は、温かな刹那の滲む味わい深い曲だった。