遮れぬほど眼差しが語る想い。ドラマ「愛の不時着」

 

セリの性格で印象深かったのは、“どうしよう”と、ちゃんと困ることだった。

こんなこと大したことない、ではなく、困った時は困っていることを隠さない。元々そうだったわけではなくて、ジョンヒョクのたちと接するようになって、驚く泣く笑う怒るを表に出せるようになったセリ。

 

登場人物、一人一人が魅力的なので、それぞれの好きなところを考えたい。

 

ユン・セリという人

韓国では大きな会社を経営し、キャリアもしっかり積んできた彼女。しかし家族との関係性は、温かいものとは言えなかった。

美しく身なりを整え、ウエストが綺麗に映える服に高いヒールで颯爽と歩く。けれど、一切の隙のない人、ではない。

彼女が手にできずにいたもの。求めていたやすらぎ。

ストーリーが進むにつれて、満たされていく彼女の心の穴が、生きていてよかったという言葉を使わずにいても溢れて伝わってくる。

北にいる時のセリの服装がゆったりとしたニットで、韓国にいた頃の服装がぴったりとボディーラインに沿ったデザインという差があることで、印象の変化をつける、衣装さんの繊細なお仕事もすごい。

 

リ・ジョンヒョクという人

軍の隊長。主に第5中隊を仕切る。

言葉数は少なく、顔色ひとつ変えない。なのにこんなにも人柄が豊かに見て取れるのは、目がなにより物語っているからだと思う。

生真面目すぎる性格で、融通が効かない。

しかし相手の変化に気がつく観察力と洞察力に長けていて、横暴ではないところが魅力。

 

ジョンヒョクの仕切る第5中隊には、

ピョ・チス、キム・ジュモク、パク・ヴァンボム、クム・ウンドンの4名がいる。

セリとなにかとバチバチ言い合いながら、抜けているところもあるピョ・チス

韓国のドラマが大好きで、純粋に関心を持ってセリに質問をするキム・ジュモク

美男な顔立ちを上回る、忠誠心の美しさを持つパク・ヴァンボム

最年少。17歳で隊員になり、向こう10年は母と4人の兄妹たちに会えない寂しさを抱えながらも気丈に任務にあたるクム・ウンドン

 

特にキム・ジュモクが大好きになった。

理屈抜きにしてドラマが好きなのに、好きだと言うことなど許されない彼の立場。その悲しみ。共感を覚えるのは、気持ちが少しでもわかるから。

さらに、耳野郎と呼ばれてしまう、盗聴が任務のチョン・マンボクを演じた、キム・ヨンミンさん。

小さく肩を丸めている姿に、今までどれだけ肩身の狭い思いをしてきたのか分かる。だから、彼の存在をむげにしなかったジョンヒョクとの出会いの特別さも伝わる。

キム・ヨンミンさんのインタビュー記事を読んで、舞台を中心にお芝居をなさっていたこと、肩を丸めているのは脚本にも書かれていたことを知った。

何もかもを“聴いてきた”彼には、人の本質が嫌というほど見えていたはずだった。“タマネギはののしられると死ぬ”という言葉が出てくることにも意味がある。それを彼が復唱することにも。

 

「愛の不時着」に出演している役者さんそれぞれが素敵なお芝居をしていて、佇まいがその世界観に馴染んでいる。

なかでも目が離せなかったお二方。

北へと隠れにやってきたク・スンジュンの案内をする彼を演じたホン・ウジンさんのお芝居がたまらなくツボだった。後ろに映っていても細かく役を演じている丁寧さと、肩の力の抜き加減が絶妙。

ご近所さんの丸顔の奥様、 ナ・ウォルスク役のキム・ソニョンさんのお芝居も素晴らしくて、シリアスなシーンの続くなかでコミカルさで調和してくれていたのは、キム・ソニョンさんの味のある存在感だと思う。

メイクやドレスアップをしたら全く違う女優さんの雰囲気になるんだろうな…とわかっていても、実在する人かのようにそこに居た。

 

 

「愛の不時着」は終始、主演の二人の声が落ち着いていて心地いい。

16話もあって、1つで1時間は超えるドラマを見続けられたポイントのひとつだと思う。ジョンヒョクのなんとも言えない呟くような話し声は特に、字幕で見てこその味になっている。

 

がたいの良い人をそこまで好きにならない私は、タイプ的にも髪型的にも、主人公のジョンヒョクのことを好きになれる気がしなくて、うーん…と思っていた。

思っていたのに。あるシーンの、電話口で焦る声にノックアウトされた。

本人も自覚していない。どれほど自分が必死になっているか。考えるより先に言葉が足が急ぐジョンヒョクの姿に、心が弾けそうだった。

 

ジョンヒョクを演じている時のヒョンビンがとてつもなく好きだ。寡黙な佇まい。なのに気持ちがそのまま表れる瞳。

どこかでも同じように好きになった役があった気がする…と思っていたら、ドラマ「愛していると言ってくれ」の豊川悦司さんだった。あの役が好きな人にも、きっと刺さる。

そして、綺麗なお姉さんの雰囲気よりは、可愛い雰囲気の女優さんを好きになる傾向だったのに、いまや落ち着いた空気のなかに、お茶目さのあるセリが好きで仕方ない。

主役のお二方とも、ここまで好きになるとは思わなかった。大人なカップルの魅力が今ならわかる。今作の宣伝で、二人が並んでいるのを見るだけで嬉しい。

 

韓国での放送のあと、Netflixオリジナル作品として世界に公開された流れの感慨深さも感じている。

字幕の訳をつける人が回ごとに違うのは珍しく思えた。いち早く多くの言語に訳をつけるため、必要なのかもしれない。

そして作品そのものでも、登場人物たちが英語をネイティブに近い形で話すシーンが散りばめられていて、韓国語の音の響きに慣れない国々で見ていたとしても、聞き覚えのある音が聞こえて親しみを持って物語に入り込めるようになっていると感じた。

 

この作品を作るにあたって、賛否両論起こることは、制作側が想像しなかったはずはない。だから、最後まで全力を注いでやりきったことに尊敬する。

特に主演の二人は、どれほどの決意で演じきったのかと思う。

 

韓国のドラマ撮影は、1作品に20話近い量を撮るため、過酷だと聞いたことがある。その労働環境は改善されてほしいと思うけれど、「愛の不時着」は撮影期間が約8ヶ月だったとインタビューで読んだ。

半年近く、この作品にかかりきりになるすごさ。でも考えると、スイスにモンゴルといった海外ロケも含めたあのボリュームを、1年かけずに撮り終えることのほうが驚異的かもしれない。

 

16話あっても飽きるどころか、次に次にと見進めていきたくなる。それも、モヤモヤを残して次に引っ張るやり方をせずに、潔い展開で見せるところは見せる。

見ている側にある程度の達成感を味わってもらいながら、それでも続きが見たくなる引きの強さ。

重ねる展開もくどくならないアイデアで、引っ張りすぎないバランス感覚がすごい。

 

 

思いの高まりを描写するのに、言葉を多用していないのも良い。

イチャつきはあるけど過度なベタつきもない。ささやかさを保った二人の距離感。

あったか無かったかではなく、映す必要がない。それでも二人の心の強い繋がりは伝わってくるから、どうにかこの二人が一緒にいられるようにと願わずにはいられない。

悲恋を嘆いて酔いしれるのではなく、“思い出にしたくない”と、あくまでもお互いを現実の存在として、同じ時間を生きる相手でいつづけることを諦めない。

そこが意外で、心惹かれた。

 

リアリティを追求しようとすると、ここは事実に近い。ここは違う。という点がドラマを作るにあたって各所にあったりもする。

でも「愛の不時着」はイメージだけの北を描いている訳ではない。出来る限りのリサーチを行い、実際に暮らしていた人への取材もしている。誠意を持って向き合って作られた作品だと感じられたから、最後まで見ることができた。

ドラマを見ている間、現実ではこんなものでは済まないと恐れは持ち続けていた。

隊員たちとセリが食卓を囲む和やかなシーンでも、ジョンヒョクとセリの何気ない会話でも、一歩間違えば死が隣り合わせだということが頭から離れることはなかった。

すぐそばに漂い続ける緊張。それは消えない。

 

 

トッケビ」では、カナダのケベック。愛の不時着では、スイス。

それぞれの物哀しさに合った、海外の景色がメインとなる舞台にプラスしてもうひとつあることで、登場人物たちの世界がここ以外にも広がっていることを示して、見ている側にとっても悲しさに押しつぶされそうな物語の中で、心の拠り所になる。

 

何回目になってもしっかり見たくて、オープニングを飛ばしたくなかったのは「愛の不時着」が初だった。

オープニングの映像として映る、分割された二人の生活を目にするたびに、生活の違いを決定的に突きつけられる。でもきっと、と思わせる数秒間の構成が素晴らしい。

実際に撮影に行くわけにはいかない北の風景を、どうやって撮影するのだろうという疑問も、違和感なく馴染ませていた。おそらく差し込まれていた一瞬の映像は本物のような気がしたのだけど、それ以外はロケやセットで再現しているはずで、焚火のシーンや平壌駅のシーンはモンゴルで撮影したという。

 

 

ジョンヒョクはよく「イルドオプソ(何ともなかった)」と言う。

韓国語として直訳すると【一つもない】という語になるようだけど、大丈夫という意味になる単語の「ケンチャナ」ではなく、「イルドオプソ」と言うところにも彼の性格が表現されている気がして、好きだった。

言葉繋がりだと、ジョンヒョクを演じたヒョンビンが、YouTubeにあるインタビュー映像で“名台詞を一つ言ってください”という問いに、強く記憶に残っているのか何も見ずにすらすらと暗唱した台詞が印象的で、とてもよかった。

 

エピソード2でのシーン

「災のあとには幸せが来るものだ」

「きっと何とかなる」

本編ではこのように訳されていて、インタビューの方では

「幸運と不幸はロープのように拗らせているから、交代交代でかけてくるんだ。」

「もうすぐ全部が解決できるよ。」

英訳では、「Fortune and misfortune are like twisted rope, so they come turns.」「Everything will be fine soon.」となっている。

字幕は数秒の間に目で追える文字数にする必要があるため、ニュアンスがわずかに変わってくるのは、そういうものだと思う。インタビューでの訳と本編での字幕の訳との違いも含めて、興味深い台詞だった。

 

セリが再び悲しみに沈むことのないよう、ジョンヒョクがした対処。

でもジョンヒョクにとっては空白の時間だったことを思うと、彼の一貫した思いに胸を打たれる。

 

 

美しい物語が存在してくれているだけで、それだけで落ち着く気持ちがある。

好きな物語に出会うと、今いる空気がどんなに生きづらくても、あの映画のような、ドラマのような空気を思い出してはベールみたいに身にまとって明るくいられる。

 

そして、悲しみを表現する旋律の多様さにも惹かれるものがある。

“悲しみ”というものに、韓国の音楽やドラマや映画は熱を注いでいると感じていて、一言に“嘆く”と言っても、様々な状況や心境で胸に渦巻くやるせなさを丁寧に表現するつくりに感動する。

ドラマでも必ず引きつけるバラードがひとつはあるように、泣きの音楽をつくる際の輝きはすごい。

 

悲しさがあるのに、ハラハラもするのに、眠る前の音楽のように流していたくなる心地よさが「愛の不時着」には漂っている。

これほどまでの切実な恋をしたことがないとしても、彼らほどの強い気持ちを持ったことがないとしても。ドラマを再生して感情移入することで、自分の中にある感情の色彩も増えた気がした。

 

脚本、音楽、引きつけられる理由を考えた「愛の不時着」

 

1人と1人で向き合えばシンプルなことが、束になるとなぜ解けない結び目になってしまうのか。

あらかじめ定められた境遇とは、国籍とはなんだろうと考えずにはいられないドラマだった。

 

「愛の不時着」(邦題 Crash Landing on You)

話題になっているのは知っていた。Netflixには登録しているから、常に上位でおすすめされているのも目に入っていて。

でもはじめは、タイトルの直訳感や予告にも惹かれず、非現実感について行ける気がしなくて、今はいいかなと見ずにいた。6月に入り、ふとした拍子に再生してみる気になって、見始めてからは1週間くらいであっという間に見終えた。

最終話を見た日は、1日余韻に浸ったまま戻れなかった。

 

あの予告に惹かれない人にこそ、楽しんでもらえると今は思う。

予告の裏を返せば、ネタバレ無しで見せられるシーンがあのシーンしかないのだと今ならわかる。脚本の巧みさ、演出、美術の細やかさ。説得力のあるアクション。

‪16話に渡るこんな脚本を書けるなんてすごいと、文章の構成に圧倒された。

台詞が無く、表情だけを映すシーンも多い。俳優さんと演出による、台詞に頼らない悲しみの表現も、衣装に撮影地、ロケが多いのもすごい。緊張感を保ったまま、登場人物たちを深く掘り下げ個性豊かに描いて、ここまで入り込ませる作品の引力‬について考えはじめると、どこまでも止まらない。

 

ユン・セリを演じているのは、ソン・イェジンさん

リ・ジョンヒョクを演じているのは、ヒョンビンさん

脚本家:パク・ジウンさん 監督・演出:イ・ジョンへさん

 

ある事故で北朝鮮へと不時着してしまったユン・セリは、区間警備にあたっていた軍の中隊長リ・ジョンヒョクに発見される。

帰りたい彼女。帰してあげたい彼。しかし、彼女の安全と、隊員たちの安全のために内密に遂行するしかない彼の立場。互いに知ることのなかった暮らしを経験することで、大きく立ちはだかっていたはずの境界線は、段々と変化を見せる。

韓国で暮らす女性、ユン・セリ。北朝鮮で暮らす男性、リ・ジョンヒョク。

交わるはずのなかった世界線が交わった時、生じるのは悲しみか、喜びか。どんなに歩み寄ることができたとしても、一緒にいたいという思いには悲劇しか待っていないと予感するから、ずっと恐くてずっと胸が苦しかった。

 

なんて困難なテーマに触れる作品を作ったんだろうと、見る前は思っていた。

誇張して描けば現実世界に影響を及ぼしかねない。偏りすぎても冷静さを見出せない。もしもキャッチーに描いてしまおうという意図が見えたら、そっと距離を取ろうと決めていた。

その線さえ無ければ、行き来できるはずの国と国。

まさにそこに位置している韓国でなければ、制作は出来なかったと思う。決して他人事と描いている訳ではなく、近い、だからこそ“線”の意味が重たく横たわる。そして日本に暮らす自分にとっても、離れた場所のことではなく、完全なフィクションとも違った距離で感じるものがある。

 

 

このドラマの素敵だなと思った点は、大きく分けて3つ。

  1. 登場人物の魅力的な描かれ方
  2. カメラのピント使い
  3. 劇中に流れるサウンドトラック(OST)の良さ

 

 

登場人物の魅力的な描かれ方

一人一人に、その行動を起こすことへの意図が筋道立ててあって、関係性に必要性がある。

コマのように動かされる人がいなくて、愛を込めて深く掘り下げられ描かれたキャラクターたちには、見ているうちに自然と愛着が芽生える。

緊張感がこれ以上続いたら耐えられない…!と思うタイミングで、コミカルなシーンが入る。シリアスさとのバランスが取れるのも、それぞれの役に個性がはっきりとしているからだと感じた。

 

カメラのピント使い

奥行きを見せる映像の作りが素晴らしくて、ピントの合わせ方を使った魅せる技法が冴え渡っている。

ボケが綺麗に出ていて、顔をアップで映すシーンでは背景が滑らかにぼやける。フォーカスの深度が見ていて心地いい。

 

劇中に流れるサウンドトラック(OST)の良さ

韓国のドラマで、サウンドトラック史上最もお気に入りになったのが「トッケビ」だった。

その「トッケビ」で聞き覚えのある歌声が、お二方くらい「愛の不時着」でも聞こえる気がして、実際はどうなんだろうと調べた。

すると10cm(シプセンチ)という方はトッケビにも参加していて、今作で「偶然のような運命(But it's Destiny)」を歌っていることがわかり、「二人だけの世界へ(Let Us Go)」を歌っているCRUSHは、トッケビで「Beautiful」を歌っていた方だと繋がった。

さらには、トッケビ音楽監督をしていたナム・ヘスンさんが「再び私は、ここ(Here I Am Again)という曲で作曲をしているとわかった。

 

April 2nd(エイプリルセカンド)という方も含めて、「トッケビ」と共通するボーカルは3組。音楽監督も同じだった。耳の直感が的外れではなかったことが嬉しい。このドラマのサウンドトラックも好きになりそうな予感がしている。

日本のドラマでは、挿入歌もしくはエンディング以外で歌詞のある曲が流れることは少ない印象で、あるとしてもテーマ曲の1曲に絞られている。なので韓国のドラマを見た時に意外性を感じたのは、シーンに馴染む形ですぅっとボーカルつきの曲が多く使われているところだった。

サウンドトラックとして楽曲提供をする方達が、ドラマを専門にしているのかアーティストとして活動しながら参加しているのか。その文化はまだ詳しく知らないけれど、今後知っていきたい。

「愛の不時着」では、IUがボーカルで参加していたことにも驚いた。「心を差し上げます(I Give You My Heart)」という曲で、ささやくような歌声を聞くと、ああ!と気がつく。繊細なファルセットが初雪のように美しかった。

 

 

脚本、監督、音楽監督。キャストの方々。ドラマに関わるスタッフさんたちの、この作品にかけた熱意がわかる。

おもしろいと感じるものにはきっと理由がある。それがどんな丁寧な仕事で成り立っているのかを考えるきっかけになった。

そして「愛の不時着」で丁寧に描かれているのは、相手のことを思う時、そこに流れる空気。ねぎらうということの優しさが、ゆっくり染み渡っていく。

見ている間は、越えようのない分断に立ち尽くしていたはずなのに、見終えた今はなぜか信じられるものが強くなった。眼差しの心強さを知って、人との関わりに喜びはまだ残されていると思えたことが、うれしかった。

 

映画の中のシナモンロール

 

好きな作品を見つけて、その空気に浸っている時が、最も希望に満ちている時間だと言えるかもしれない。

500ページの夢の束(Please Stand By)」を見て、パンフレットとフライヤーを部屋に飾りたくなった。

 

あまり広く公開されていた作品ではないようで、発売されたのも日本ではDVDのみでブルーレイは無い。

そうなると、パンフレットもフライヤーも持っている人は多くないはず。公開から少し経っているし、中古で探すにも望みは薄いかなと思いながら調べた。

見つけることができて、無事に届いた時の嬉しさはひとしお。すぐに封を開けて、本棚の上に飾った。フライヤーはフレームに入れて、上の方に。

このフライヤーを入れるフレームは、100均の軽い素材のもので、高い所に置いて落ちたとしても大丈夫なのが良い。紺のフレームにグリーンのマスキングテープを貼ってみたら、奥行きがついて見えて、それも気に入っている。

紙質と色味をそのまま見たいから、面の部分のフィルターは外してある。

 

トイストーリー2」のジェシーの棚みたいに、ひとつひとつ並んでそれ一色になっていく感覚にわくわくした。

好きなものを並べるのは楽しいことだけど、時が経つにつれて並んでいるものが移り変わっていくことに、少しの申し訳なさを感じるのは、あのジェシーの悲しそうな表情が思い浮かぶから。

だけど大切にしたいものが揃って、視線を向けるたびにその作品の空気を思い出すのはうれしい。

 

 

先日、必要があって出かけた時に、思いがけない看板を見つけた。

シナボン”と書かれた店名に、シナモンロールの写真。すぐに直感した。「500ページの夢の束」で主人公のウェンディが働いていたお店だと。

映画の中で、ウェンディがシナモンロールの試食をすすめたり、シナモンロールの上にクリームをぺたぺたと塗るシーンがある。

制服も着ているけど、シナボンという名前に聞き馴染みがなくて、映画のために作られた架空のお店なのかと思っていたけど、その後、実在するお店だと知った。それでもお店はアメリカにしか無いだろうと思っていて、だからふいに目の前に現れた“シナボン”の文字に驚いた。

誰も気に留めず、当たり前にあるお店が、私にとっては海外で探してでも行きたかったお店で、それをこんなふうにしてたどり着こうと思わずにたどり着けたことが嬉しかった。

 

ここ!これだ!とテンションが上がって、持ち帰りで買って帰ることをすぐに決めた。

まさかこんな所にと感動が収まらないまま、メニューを見ると、映画と同じ、クリームがたっぷりと塗られたシナモンロールが。

通常サイズだと、一個がとにかく大きい。一度でひとつを食べきる自信はなかったから、ミニサイズを二個。可愛いブルーの箱に入れてもらった。

 

記念を撮っておきたいと思って、お店の方に写真を撮ってもいいですか?と尋ねてから外観をの写真も撮った。

ポスターでも飾られていたら、ここ、映画のお店ですよね…!と店員さんに熱っぽく話しかけたいくらいだったけど、多分なんのことやら分からないと困惑させるだろうと予想がついたので、それはやめておいた。

 

帰宅して、ルンルンで箱を開けて、20秒レンジで温めてから早速おやつに食べる。

自分でも脈略の無さに驚くけど、私はシナモンが苦手で、唯一食べられるのがスターバックスシナモンロールだった。

あのどしっとしたシナモンロールを、今日はカロリー消費をよくしたぞと思える日には注文して、ナイフとフォークを付けてもらって。ロールされた端からくるくる解いて、ステーキみたいにナイフで切って食べるのが好きだった。

しかし最近、スターバックスシナモンロールはミニマムサイズになって、クリームも変わった。

 

シナモンが効きすぎていると食べられないから、どこのものでもいいと言えないのに、食べられるシナモンロールが無くなってしまった今。

そこへ現れたシナボン。さてここのはどうだろうと口に運ぶ。おいしい。

生地がしっとりデニッシュのようで、シナモンの味はしっかりするけどクセは強くない。食べやすいシナモン感で、クリームもこってり甘い。

上に乗るクリームが、クリームチーズっぽかったりサワークリームっぽくても食べられないという私の厄介な好みだけど、ここのシナモンロールは好きな味。

 

甘みがどーんとくるから、ブラックコーヒーが飲める人にはきっとその組み合わせが最高。

アイスカフェラテにガムシロップを入れずに合わせるのも良い。

 

映画の中にでてきたシナモンロールを、実際に食べられた。

好きになる映画には、よくこのお菓子が登場する。「かもめ食堂」もそうだった。

視点を変えたら、ただそこにあるお店のシナモンロール。それだけのことだけど、私にとっては忘れることのない甘い味。

 

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