伝えたい物語は、この紙の上に - 映画「500ページの夢の束」

 

心に残る映画を見つけた。

3秒間も人と目を合わせるのも苦手。声は小さい。

そんな彼女の中で、好きが味方になった時の、無敵になれるエネルギー。思い切って飛び出す時の迷いのなさ。

 

映画「500ページの夢の束

原題は“Please Stand By

Amazonプライムの期限がもうすぐだからと何気なく開いたページで、トップにおすすめされた作品。気になるから観てみようかなと再生したら、始まって数分で好きになる予感がした。

 

映画の主人公、ウェンディは「スター・トレック」が大好き。ものすごく。

その知識と書くことにかけては誰にも負けないほどの熱意を持つ。自閉症を抱える彼女は、自分をコントロールする術を日々ひとつずつ身につけて暮らしている。姉との関係性や人との関わりに混乱することはあるけれど、それでもひたむきに。

ある日、「スター・トレック」新作のための脚本コンテストがあると知った彼女は、すぐさま脚本作りに取り掛かる。待ちに待ったチャンス、完成もすぐに。しかしアクシデントが起こったことで、このままでは応募が間に合わない。脚本を届けるため、彼女が起こした行動は…

 

ウェンディを演じたのがダコタ・ファニングだったとは、クレジットを見るまで分からなかった。

雰囲気も表情も何もかもが違っていた。ダコタ・ファニングが主演の映画では、「リリィ、はちみつ色の秘密」という映画も印象に残っていて、不思議と惹かれる映画にはダコタ・ファニングが出ていることに気がついた。

 

迷いなく脚本作りに取り掛かるウェンディに共感して、書く。と決めた時の高揚感や止まらないスピード感に、観ているこちらまで創作意欲を刺激される。

ずっとそのことを考えて、ようやく巡ってきたコンテストのチャンス。これしかないと思うウェンディの気持ちが、伝わりすぎるほどに伝わってくる。

 

暮らしている街で、道の向こうに渡るための信号ひとつを渡ることの出来なかった彼女が、脚本を届けに行くために外の世界へ飛び出していく。

リュックには、大切な脚本、財布、着替え、iPod、イヤホン。そして、コンテストのチラシ。

自分を落ち着けるためのひとつひとつを、リュックに詰めて。

 

内に内に向いた生活をしていたはずが、好きなものをきっかけにドーン!とアクティブになれてしまうのもよくわかる。

ここぞという時、自分でも驚くほどの思わぬ方向で行動力が発揮されることは確かにあると思えるのは、私が新幹線に乗り大阪へと向かった時の心情と重なって見えたから。

 

 

ウェンディは遠く離れたロサンゼルスを目指して、慣れない長距離バスに乗り、ウェンディのことを知らない、事情を知らないままの相手と接することになる。

それでも諦めず、脚本をスタジオに届けたい。その一心で冒険を続けるウェンディ。

本編は1時間30分ほどの映画で、短めなんだなと思ったけど、観終えてみると十分な時間があると感じた。ウェンディとウェンディを知る人にとって、これは大きな出来事。外から見た時どうであろうと、自分の中の恐怖と世界への恐れに彼女が自ら向き合って得たもの、やり遂げたという達成感は彼女にとっての宝物になったはず。

 

心細さにめげず、引き返さなかった彼女と、それを尊重して心配しながらも無理に連れ戻したりはしなかった周りの人たち。

警官とのやり取りが、とてもとても良かった。

彼女との接し方を教わったわけではないはずだけど、任務だけを重要視せずに、対等に穏やかに歩み寄ったことで、唯一無二な関係性を築くことができた。

 

全員が全員、優しく見守ってくれる物語でもない。

関わり合いを持つことになる人もいれば、理解者にはならない距離感で通り過ぎていく人もいる。そのバランスが、ファンタジーになりすぎないちょうど良さを生み出していると思う。

ウェンディが書く脚本の中に出てくる台詞で、「反響もない」と訳された英語が“No echoes”だったことが、なんだか印象に残っている。

考えてみると文字通りではあるのだけど、“No echoes”という語によって、なぜそれが寂しいことなのかが腑に落ちた。

 

 

付き合いづらい自分の個性は誰にもあるはずで、なぜ上手くできないのか、なぜこんなふうになってしまうのか。自分で自分を理解してあげたいと思いながらも、どうしてもっと簡単にこなせないのだろうと理想通りにいかない自分自身にうんざりすることはある。

映画の中で、ウェンディがスムーズな生活を送るため、毎日のルーティーンを決めながら好きなものを大切にしているのを見て、自分のやりやすい方法を見つけて掴んでいくことの大切さを思った。

 

出掛けるのにiPodが必須なのも、相棒がチワワなのも一緒。

道中、誰よりも真っ直ぐな瞳で見守り続けたチワワのピートに、かつて側に居てくれた私にとっての小さな相棒のことを思い出す。

私が何かに集中していても、不機嫌なままで部屋に居ても、さり気ない距離感で側にいて、なにをしてるの?と言うような瞳で見上げていた。

 

500ページの夢の束」は、2018年公開の作品のようだけど、知っている映画館で公開されていた記憶はなくて、例えTSUTAYAに並んでいたとしても縦に並ぶ文字の中から見つけられる自信は無い。

この映画を観ることができてよかった。この映画に出会えて。私にとって特別な映画になった。

 

 

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恋しい大阪 ~スカーレットと信楽太郎~

 

“喜美ちゃん”な戸田恵梨香さんに惚れ込んだまま、「野ブタ。をプロデュース」を2020年にテレビで見ている。

途中から入って、最後まで毎日毎日見続けた、朝ドラ「スカーレット」

見始めたのは、戸田恵梨香さん演じる喜美子が、下宿先でほんのりとした恋心に気づくか気づかないかという頃だった。

 

関西出身の戸田恵梨香さん。関西弁で喋るところを見られる機会はこれまでほとんどなく、いつか関西出身の役を演じてほしいなあと思っていた。

だからなのか、映画「阪急電車」で観た戸田恵梨香さんは新鮮な気がして、わあいいな…と思ったのを覚えている。

NHKの朝ドラには、東京制作のものと関西制作のものがある。それぞれに良さがありつつ、私は関西制作と聞くとどうにも心躍ってしまう。

テーマが関西となれば、毎日関西弁が聞ける喜び。さながら英会話のHow to 番組を見ているみたいに、リスニングで学習していく。それが楽しい。

新喜劇のメンバーが誰かしらするーっと登場するのも楽しい。

 

今でも時折思い出すほど、「スカーレット」は頭の中に残り続けていて、赤いシャツに胡座で座った喜美子の笑顔が、日常のふとした時によぎる。

無茶苦茶な理屈で暴走をやめないお父ちゃん(常治)が喜美子にありとあらゆることを背負わせていた頃は、見ているのもきつくて、喜美子…逃げ…とひたすら願う毎日だった。

でも喜美子は“関心の向く”自分の心の動きには敏感で、そこだけは手放さない。

どれだけ家族のために削るものがあろうとも、好きのアンテナには正直でいた。この先生に教わりたい!と見つけた、ジョージ富士川さんのいる学校への進学だけは、守られてほしかったと思うけれど、長い時間をかけて喜美子は会いたかった人に会い、したいと思ったことをやり遂げた。

 

絵付けに出会った喜美子の、わくわくが止まらず居ても立ってもいられない表情に、見ているこっちまで嬉しくなった。

過酷な条件の中の修行ではあったはずだけど、フカ先生との関係性、お弟子さんとの距離感、唯一無二な人との出会いのなかにいる喜美子が眩しかった。

フカ先生を演じたのはイッセー尾形さん。「スカーレット」にイッセー尾形さんが出演することを知らないまま見ていた私は、思いがけない師匠の登場が完全にサプライズで、これは!見続けねば!とぐっと引き込まれた。

どんな役も個性溢れる愛くるしい人として人間味を宿らせて魅せてくれるイッセー尾形さん。「まんぷく」の時の存在感も忘れられない。

映画「HERO」の最終章で、雨宮の赴任先だった関西支部で上司役をしていたイッセー尾形さんが、絶妙に可愛くてNo.1に好きだ。

 

 

喜美子がこの先のストーリーで結婚するのかも、お相手が誰になるのかも分かっていなかったから、松下洸平さん演じる十代田八郎さんが登場した時も、おどおどしているかと思ったら意固地なとこがあったりして掴みどころのない青年だなあ…という印象だった。

まさかこの人と喜美子が?でも喜美子がこの人に恋をする想像がつかない…

しかし、意図せずガッと喜美子の方から距離を詰めた時の八郎さんの“キュンと顔”を見て、恋だ。これは恋。と太鼓判を押した。

八郎さんからのベタ惚れ。意外な構図にさらに引き込まれた。

 

喜美子たちの生きる毎日はどんどんと進んで行って、陶芸に飲まれていった喜美子はついに、八郎とは一緒に居られなくなる。

あの時の、会話が通じず肩の力が抜けて諦めに染まっていく八郎さんの空気。痛いほど見て取れて、つらかった。

会話がしたい。歩み寄りたい。なのに言葉が届かない。

穴窯だけは何をしてでも成し遂げると、絶対に譲歩しなかった喜美子。

あの状況で、八郎が三津の存在に目に見えてなびかなかったのは救いだったけど、自分の心の中に潜む危うさに気がついていたのではと思う。二人にはどうか、別れないでほしかった。喜美子のそばを離れないでほしかった。

喜美子も、自分がそれほど強くはないことを認めて、八郎を頼りに思っている気持ちがあると、言葉で話してほしかった。

 

その後の話も、それぞれのぎこちなさはとてもリアルに描かれていた。

息子の武志が言えずにいた思い。優しすぎて、ぶつけることすらできなかった子供心が悲しかった。

 

 

喜美子にとって、八郎との別れ道と、穴窯を探究する決意が同時に訪れた時。

ちや子さんに聴いてみてと言われて付けたラジオから聞こえてきたのは、信楽太郎の歌う「さいなら」

下宿先の荒木荘で出会った、木本武宏さんの演じる田中雄太郎さんが、ついに花開いて“信楽太郎”として歌っている曲が流れてくる。

 

誰もおらん部屋 窓の外は

ネオンと笑い声

 

この歌が好きで、好きで。

「スカーレット」の後の「あさイチ」に戸田恵梨香さんが出演して、その可愛さと美しさに釘付けになったあと、サプライズ登場した木本さんが「さいなら」を歌ったのが嬉しくて、いまだに何度も再生して見る。

謡曲としての魅力、歌詞の切なさ、木本さんの歌声で増し加わる大阪の哀愁。

 

君の温もりが 心に残ったまま

あゝ 今ごろ君は遠い街で何をしてるんやろ

 

戻られへんから 笑った顔だけ

忘れんように 記憶のノートに描いとくわ

 

関西弁の塩梅というか、このニュアンスは関西弁でないと表せないと思う感覚がぎゅっとなっていて、恋しさがぐわーっと押し寄せる。

“描いとくわ”と、告げない報告をそっと置く。

形にも残さずに、でも“忘れんよに”。誰にも消せない“記憶のノート”に残しておく、ささやかな思い出の守りかたに心惹かれた。

 

二人で夜更けごと 語り合った夢も

他愛のない仕草さえアホらしいほど 好きやったな

 

泣いて泣いて

切なくて泣いて

心はまだ 君の欠片ばっかりや

しゃあないな

 

“それでも さいなら”

ぐっと喉が狭くなる声色で、一言ずつ大切に歌う声がすごくいい。

「スカーレット」本編では、喜美子のなんとも言えぬ表情で流れるこの曲。段々と聴き入って、席につき静かに耳を澄ませる喜美子。

八郎と道が分かれていくことを悟ってからも喜美子は、感情的になることが無く、心配になるほど淡々としていて。でも、悲しくないはずがなかったと、「さいなら」を聞く喜美子の表情に気づかされる。

感情を溢れさせて泣くシーンが無かったからこそ、歌詞の“泣いて泣いて”という描写で、映らない間の喜美子の心情が伝わってくる。

 

どれもこれも悟って、大人しく割り切っているように見えた歌詞の最後に、“心はまだ 君の欠片ばっかりや”と呟くから、ああぁ…と胸に刺さる。

そして、だから関西弁が好きだと思うのが、“しゃあないな”の部分。

映画 味園ユニバースでの「しょーもな」に共通するものを感じる、“しゃあないな”という言葉。突き放している訳でもなく、無かったことにする訳でもなく。

ここにあったことを受け入れる、ある意味での諦めと寛容さが素敵だと思う。

 

 

あさイチの生放送で歌い終わった木本さんに、すかさず立ち上がって「素晴らしい!」と言った戸田恵梨香さんは、一気に関西弁のトーンになって、見たらわかるほど一瞬にして喜美子だった。

「喜美ちゃん!」と返した木本さんも、すっかり雄太郎さんの空気で、とっさにその反応で返したことへの感動と、

「雄太郎さんや!」「すごい!」「来たよ」「言うてえよお」「言われへんやんかー」のやり取りがスカーレットの空気感そのままで、二人がここで再会したようなシーンを見られたことに嬉しさを覚えた。

 

「さいなら」はどうしてこんなに大阪の哀愁を表現しているんだろう。

歌詞が関西弁なこと、木本さんが歌っていること、どちらもそれだけではない気がしていて、懐かしさを感じさせる歌謡曲のメロディーラインは強い。

“歌謡曲と大阪”の相性がとても好きで、「悲しい色やね」は大好きな曲。そう考えると、デビューしてすぐに「大阪レイニーブルース」を歌った関ジャニ∞のことも好きになるのは、そりゃそうだと思う。

声が大阪の概念そのものだと感じたのは、渋谷すばるさんの歌声を聴いた時だった。

 

 

大阪が恋しくなると、気づけば「スカーレット」を思い出している。

確かな縁やゆかりがないことが寂しくはあるけど、それでもまた行きたいお店や場所がある。会えるなら会いたい人がいる。

新大阪駅に次降り立つのはいつになるだろうか。谷町線に乗って中崎町に行くのは。

恋しさを募らせて、“君の欠片ばっかり”になったあの場所に、また帰りたい。

 

丸山さんが表紙の舞台誌を手にとって、雑誌を買う嬉しさを思い出した

 

本屋さんが開いていない。そんな期間が何ヶ月経っただろう。

生活の流れのなかに、目的が無くても本屋さんに立ち寄るということが自然とあったんだと、こんなふうに実感するとは。

 

休業は今の状況で必要な対処で、まだ予断を許さない段階だとも思う。

6月に予定されていた、舞台「パラダイス」は中止が決まったけれど、そのための雑誌掲載は変わらず5月に各雑誌から発売されている。

関ジャニ∞ 丸山隆平さんのインタビューがどんなページになっているのか見たいなと思っていたけど、開いている本屋さんも無く、開いているとしても場所によっては近づきがたい。通販でまとめて買うのは難しい…

あれやこれや重なって、買えないまま次号になってしまうことも受け入れるつもりでいた。

 

いつもとすこし違った帰り道。開いている本屋さんの前を通りがかって、数ヶ月ぶりに本が並ぶ風景を目にした。

棚には丸山隆平さんが表紙の舞台雑誌がいくつも並んでいて、さらには映画雑誌やPEASONの表紙に大倉忠義さんがいた。なにわ男子が表紙のものも。

舞台雑誌はカラー写真が多いこともあって、一冊の価格がしっかり。だからある程度吟味しないと、お財布が大変なことになる。

久しぶりの本屋さんにテンションがぐぐぐぐっと上がりながらも、長居はできない。数冊に収めて、何を選ぶが決めようと決意した。

 

 

誌面に印刷された“丸山隆平”の文字にときめく感覚が久々で、どの雑誌も、舞台「パラダイス」へ向けた丸山さんの雰囲気、表情が魅惑的かつ素敵だった。

丸山さんのページに惹かれて買ったのは、「ステージスクエア」と「テレビライフプレミアム」そして「mina

 

「テレビライフプレミアム」は、1ページ目からの色合いがすごくいい。

ブルー味がかっている写真も、強めに光りをもってきてメインの丸山さんが浮かび上がる感じも、さらにはブラック感満載なページも。一誌のなかでいろんな面が見られる。

 

「ステージスクエア」は、ポスターで断トツのお気に入りになっている、ライブ「エイターテインメント」の頃の写真に近いピンナップに、!!っとなって、4ページを開いた途端の。衝撃。

こんなにカラフルに感じられるモノクロ写真があるのかと思った。

これまでの丸山さんからの印象や、聞き馴染みのある声、リアクションの積み重ねから広がる写真のイメージもあると思うけど、モノクロ写真に抱いていた淡々とした距離のようなものは、この写真にはなかった。

壁のない空気感がすごく素敵な写真。トップとして掲載された4枚のセレクトが最高で、そしてレイアウトも素晴らしかった。

カメラさんのお名前が載っているのもうれしい。Rie Odawaraさんが撮影された表情だとわかった。

 

さらに、ステージスクエアの7ページ。

脚!!膝下の長さ!表情が天才!丸山さんの末恐ろしさが全部ここに詰まっている。

決めっ決めの顔というより、どこかちょっと気を抜きながら、でも隠しきれない色っぽさ。この表情を撮れたカメラさん。シャッターを押すのが楽しかっただろうな…と思う。

八嶋智人さんと丸山隆平さんの対談が、この誌面で実現していたのも嬉しかった。背中合わせな構図の写真にワクワクする。不意に笑ってしまったような丸山さんの笑顔もいい。

 

ステージスクエアは舞台雑誌でもあるから、そのことを思いながらページをめくると、載っているどの舞台も無事に行われてほしかったという気持ちが込み上げる。

でも少しでも、こうしてインタビューや写真として紙に残ってくれてよかった。

途中までであっても公演できた舞台も、幕を上げることができなかった舞台も、制作が決まっていて、こうして開幕に向けて動いていたんだという事実が残ったこと。雑誌としてそれを受け取れたこと。何もないことになってしまうよりよかったと思っている。

 

mina」は、丸山さんが載っていると知って、最後に一応見ておこうと開いたら、っあー!っとなって気づいたらレジに持って行っていた。

紙の質感、印刷された写真の色合い、久しぶりすぎたその手触りに、好きなものを見つけた時の胸の高鳴りが止まらなかった。

minaでの丸山さんは、衣装が素晴らしく似合っていて、オーバーサイズめの襟付き半袖シャツのセットアップがすごくいい。茶系でチェックなのに、おじちゃん感は無く、ベルトとインナーで作るバランスが絶妙。

ふわっとした背景の色合い、柔らかい明かり、丸山さんの微笑み。

つるんとした紙質では無くて、もったりとした紙質によって出る、色の雰囲気。

どれもこれも完璧。目で見て心地いいデザインなので、部屋のインテリアとしてフレームに入れて飾ろうと思う。

 

今回は我慢したけれど、今月の「PEASON」の表紙は大倉忠義さんで、色味もカットも素晴らしい。ブルーとピンクの淡さがすごく綺麗だった。

やっぱりPEASONのセンスはいいな…と噛み締めながら家路につくと、PEASON来月号の表紙は丸山隆平さんとの発表が。買うことが決まった。

 

 

仕事終わりに本屋さんに寄ると、アドレナリンがえらいことになると、今回実感した。

冷静さはどこかへ行ったけど、本当に気に入ったインタビューと写真の載っているものを選んだので、悔いはない。

最近は、実際に“目の前にする物”よりも、スマホにパソコンにテレビと、画面越しのなにかに接する機会がほとんどだった。

本屋さんで数冊の本を買った。それだけでこんなにも心躍る。私やっぱり本が好きだ…紙が好きだ…と身に染みて感じた。電子画面ではない紙質ごと伝わる写真の魅力はここにしかない。

 

もっと状況が落ち着いて、本屋さんで本を選んだり眺めたりする時間が楽しめるようになったら、喫茶店の本や小説、デザイン本も見たい。

相澤いくえさんの新刊「珈琲と猫の隠れ家」も買いたい。坂本裕二さんのノベライズ本もあらためて揃えたい。

私の生活に本屋さんは無くてはならない。

のびのびと本屋さんを歩ける日を夢見て、いまは部屋の本棚の“好き”ばかりが並んだ、小さな図書館を楽しみたいと思う。