恋しい大阪 ~スカーレットと信楽太郎~

 

“喜美ちゃん”な戸田恵梨香さんに惚れ込んだまま、「野ブタ。をプロデュース」を2020年にテレビで見ている。

途中から入って、最後まで毎日毎日見続けた、朝ドラ「スカーレット」

見始めたのは、戸田恵梨香さん演じる喜美子が、下宿先でほんのりとした恋心に気づくか気づかないかという頃だった。

 

関西出身の戸田恵梨香さん。関西弁で喋るところを見られる機会はこれまでほとんどなく、いつか関西出身の役を演じてほしいなあと思っていた。

だからなのか、映画「阪急電車」で観た戸田恵梨香さんは新鮮な気がして、わあいいな…と思ったのを覚えている。

NHKの朝ドラには、東京制作のものと関西制作のものがある。それぞれに良さがありつつ、私は関西制作と聞くとどうにも心躍ってしまう。

テーマが関西となれば、毎日関西弁が聞ける喜び。さながら英会話のHow to 番組を見ているみたいに、リスニングで学習していく。それが楽しい。

新喜劇のメンバーが誰かしらするーっと登場するのも楽しい。

 

今でも時折思い出すほど、「スカーレット」は頭の中に残り続けていて、赤いシャツに胡座で座った喜美子の笑顔が、日常のふとした時によぎる。

無茶苦茶な理屈で暴走をやめないお父ちゃん(常治)が喜美子にありとあらゆることを背負わせていた頃は、見ているのもきつくて、喜美子…逃げ…とひたすら願う毎日だった。

でも喜美子は“関心の向く”自分の心の動きには敏感で、そこだけは手放さない。

どれだけ家族のために削るものがあろうとも、好きのアンテナには正直でいた。この先生に教わりたい!と見つけた、ジョージ富士川さんのいる学校への進学だけは、守られてほしかったと思うけれど、長い時間をかけて喜美子は会いたかった人に会い、したいと思ったことをやり遂げた。

 

絵付けに出会った喜美子の、わくわくが止まらず居ても立ってもいられない表情に、見ているこっちまで嬉しくなった。

過酷な条件の中の修行ではあったはずだけど、フカ先生との関係性、お弟子さんとの距離感、唯一無二な人との出会いのなかにいる喜美子が眩しかった。

フカ先生を演じたのはイッセー尾形さん。「スカーレット」にイッセー尾形さんが出演することを知らないまま見ていた私は、思いがけない師匠の登場が完全にサプライズで、これは!見続けねば!とぐっと引き込まれた。

どんな役も個性溢れる愛くるしい人として人間味を宿らせて魅せてくれるイッセー尾形さん。「まんぷく」の時の存在感も忘れられない。

映画「HERO」の最終章で、雨宮の赴任先だった関西支部で上司役をしていたイッセー尾形さんが、絶妙に可愛くてNo.1に好きだ。

 

 

喜美子がこの先のストーリーで結婚するのかも、お相手が誰になるのかも分かっていなかったから、松下洸平さん演じる十代田八郎さんが登場した時も、おどおどしているかと思ったら意固地なとこがあったりして掴みどころのない青年だなあ…という印象だった。

まさかこの人と喜美子が?でも喜美子がこの人に恋をする想像がつかない…

しかし、意図せずガッと喜美子の方から距離を詰めた時の八郎さんの“キュンと顔”を見て、恋だ。これは恋。と太鼓判を押した。

八郎さんからのベタ惚れ。意外な構図にさらに引き込まれた。

 

喜美子たちの生きる毎日はどんどんと進んで行って、陶芸に飲まれていった喜美子はついに、八郎とは一緒に居られなくなる。

あの時の、会話が通じず肩の力が抜けて諦めに染まっていく八郎さんの空気。痛いほど見て取れて、つらかった。

会話がしたい。歩み寄りたい。なのに言葉が届かない。

穴窯だけは何をしてでも成し遂げると、絶対に譲歩しなかった喜美子。

あの状況で、八郎が三津の存在に目に見えてなびかなかったのは救いだったけど、自分の心の中に潜む危うさに気がついていたのではと思う。二人にはどうか、別れないでほしかった。喜美子のそばを離れないでほしかった。

喜美子も、自分がそれほど強くはないことを認めて、八郎を頼りに思っている気持ちがあると、言葉で話してほしかった。

 

その後の話も、それぞれのぎこちなさはとてもリアルに描かれていた。

息子の武志が言えずにいた思い。優しすぎて、ぶつけることすらできなかった子供心が悲しかった。

 

 

喜美子にとって、八郎との別れ道と、穴窯を探究する決意が同時に訪れた時。

ちや子さんに聴いてみてと言われて付けたラジオから聞こえてきたのは、信楽太郎の歌う「さいなら」

下宿先の荒木荘で出会った、木本武宏さんの演じる田中雄太郎さんが、ついに花開いて“信楽太郎”として歌っている曲が流れてくる。

 

誰もおらん部屋 窓の外は

ネオンと笑い声

 

この歌が好きで、好きで。

「スカーレット」の後の「あさイチ」に戸田恵梨香さんが出演して、その可愛さと美しさに釘付けになったあと、サプライズ登場した木本さんが「さいなら」を歌ったのが嬉しくて、いまだに何度も再生して見る。

謡曲としての魅力、歌詞の切なさ、木本さんの歌声で増し加わる大阪の哀愁。

 

君の温もりが 心に残ったまま

あゝ 今ごろ君は遠い街で何をしてるんやろ

 

戻られへんから 笑った顔だけ

忘れんように 記憶のノートに描いとくわ

 

関西弁の塩梅というか、このニュアンスは関西弁でないと表せないと思う感覚がぎゅっとなっていて、恋しさがぐわーっと押し寄せる。

“描いとくわ”と、告げない報告をそっと置く。

形にも残さずに、でも“忘れんよに”。誰にも消せない“記憶のノート”に残しておく、ささやかな思い出の守りかたに心惹かれた。

 

二人で夜更けごと 語り合った夢も

他愛のない仕草さえアホらしいほど 好きやったな

 

泣いて泣いて

切なくて泣いて

心はまだ 君の欠片ばっかりや

しゃあないな

 

“それでも さいなら”

ぐっと喉が狭くなる声色で、一言ずつ大切に歌う声がすごくいい。

「スカーレット」本編では、喜美子のなんとも言えぬ表情で流れるこの曲。段々と聴き入って、席につき静かに耳を澄ませる喜美子。

八郎と道が分かれていくことを悟ってからも喜美子は、感情的になることが無く、心配になるほど淡々としていて。でも、悲しくないはずがなかったと、「さいなら」を聞く喜美子の表情に気づかされる。

感情を溢れさせて泣くシーンが無かったからこそ、歌詞の“泣いて泣いて”という描写で、映らない間の喜美子の心情が伝わってくる。

 

どれもこれも悟って、大人しく割り切っているように見えた歌詞の最後に、“心はまだ 君の欠片ばっかりや”と呟くから、ああぁ…と胸に刺さる。

そして、だから関西弁が好きだと思うのが、“しゃあないな”の部分。

映画 味園ユニバースでの「しょーもな」に共通するものを感じる、“しゃあないな”という言葉。突き放している訳でもなく、無かったことにする訳でもなく。

ここにあったことを受け入れる、ある意味での諦めと寛容さが素敵だと思う。

 

 

あさイチの生放送で歌い終わった木本さんに、すかさず立ち上がって「素晴らしい!」と言った戸田恵梨香さんは、一気に関西弁のトーンになって、見たらわかるほど一瞬にして喜美子だった。

「喜美ちゃん!」と返した木本さんも、すっかり雄太郎さんの空気で、とっさにその反応で返したことへの感動と、

「雄太郎さんや!」「すごい!」「来たよ」「言うてえよお」「言われへんやんかー」のやり取りがスカーレットの空気感そのままで、二人がここで再会したようなシーンを見られたことに嬉しさを覚えた。

 

「さいなら」はどうしてこんなに大阪の哀愁を表現しているんだろう。

歌詞が関西弁なこと、木本さんが歌っていること、どちらもそれだけではない気がしていて、懐かしさを感じさせる歌謡曲のメロディーラインは強い。

“歌謡曲と大阪”の相性がとても好きで、「悲しい色やね」は大好きな曲。そう考えると、デビューしてすぐに「大阪レイニーブルース」を歌った関ジャニ∞のことも好きになるのは、そりゃそうだと思う。

声が大阪の概念そのものだと感じたのは、渋谷すばるさんの歌声を聴いた時だった。

 

 

大阪が恋しくなると、気づけば「スカーレット」を思い出している。

確かな縁やゆかりがないことが寂しくはあるけど、それでもまた行きたいお店や場所がある。会えるなら会いたい人がいる。

新大阪駅に次降り立つのはいつになるだろうか。谷町線に乗って中崎町に行くのは。

恋しさを募らせて、“君の欠片ばっかり”になったあの場所に、また帰りたい。