脚本、音楽、引きつけられる理由を考えた「愛の不時着」

 

1人と1人で向き合えばシンプルなことが、束になるとなぜ解けない結び目になってしまうのか。

あらかじめ定められた境遇とは、国籍とはなんだろうと考えずにはいられないドラマだった。

 

「愛の不時着」(邦題 Crash Landing on You)

話題になっているのは知っていた。Netflixには登録しているから、常に上位でおすすめされているのも目に入っていて。

でもはじめは、タイトルの直訳感や予告にも惹かれず、非現実感について行ける気がしなくて、今はいいかなと見ずにいた。6月に入り、ふとした拍子に再生してみる気になって、見始めてからは1週間くらいであっという間に見終えた。

最終話を見た日は、1日余韻に浸ったまま戻れなかった。

 

あの予告に惹かれない人にこそ、楽しんでもらえると今は思う。

予告の裏を返せば、ネタバレ無しで見せられるシーンがあのシーンしかないのだと今ならわかる。脚本の巧みさ、演出、美術の細やかさ。説得力のあるアクション。

‪16話に渡るこんな脚本を書けるなんてすごいと、文章の構成に圧倒された。

台詞が無く、表情だけを映すシーンも多い。俳優さんと演出による、台詞に頼らない悲しみの表現も、衣装に撮影地、ロケが多いのもすごい。緊張感を保ったまま、登場人物たちを深く掘り下げ個性豊かに描いて、ここまで入り込ませる作品の引力‬について考えはじめると、どこまでも止まらない。

 

ユン・セリを演じているのは、ソン・イェジンさん

リ・ジョンヒョクを演じているのは、ヒョンビンさん

脚本家:パク・ジウンさん 監督・演出:イ・ジョンへさん

 

ある事故で北朝鮮へと不時着してしまったユン・セリは、区間警備にあたっていた軍の中隊長リ・ジョンヒョクに発見される。

帰りたい彼女。帰してあげたい彼。しかし、彼女の安全と、隊員たちの安全のために内密に遂行するしかない彼の立場。互いに知ることのなかった暮らしを経験することで、大きく立ちはだかっていたはずの境界線は、段々と変化を見せる。

韓国で暮らす女性、ユン・セリ。北朝鮮で暮らす男性、リ・ジョンヒョク。

交わるはずのなかった世界線が交わった時、生じるのは悲しみか、喜びか。どんなに歩み寄ることができたとしても、一緒にいたいという思いには悲劇しか待っていないと予感するから、ずっと恐くてずっと胸が苦しかった。

 

なんて困難なテーマに触れる作品を作ったんだろうと、見る前は思っていた。

誇張して描けば現実世界に影響を及ぼしかねない。偏りすぎても冷静さを見出せない。もしもキャッチーに描いてしまおうという意図が見えたら、そっと距離を取ろうと決めていた。

その線さえ無ければ、行き来できるはずの国と国。

まさにそこに位置している韓国でなければ、制作は出来なかったと思う。決して他人事と描いている訳ではなく、近い、だからこそ“線”の意味が重たく横たわる。そして日本に暮らす自分にとっても、離れた場所のことではなく、完全なフィクションとも違った距離で感じるものがある。

 

 

このドラマの素敵だなと思った点は、大きく分けて3つ。

  1. 登場人物の魅力的な描かれ方
  2. カメラのピント使い
  3. 劇中に流れるサウンドトラック(OST)の良さ

 

 

登場人物の魅力的な描かれ方

一人一人に、その行動を起こすことへの意図が筋道立ててあって、関係性に必要性がある。

コマのように動かされる人がいなくて、愛を込めて深く掘り下げられ描かれたキャラクターたちには、見ているうちに自然と愛着が芽生える。

緊張感がこれ以上続いたら耐えられない…!と思うタイミングで、コミカルなシーンが入る。シリアスさとのバランスが取れるのも、それぞれの役に個性がはっきりとしているからだと感じた。

 

カメラのピント使い

奥行きを見せる映像の作りが素晴らしくて、ピントの合わせ方を使った魅せる技法が冴え渡っている。

ボケが綺麗に出ていて、顔をアップで映すシーンでは背景が滑らかにぼやける。フォーカスの深度が見ていて心地いい。

 

劇中に流れるサウンドトラック(OST)の良さ

韓国のドラマで、サウンドトラック史上最もお気に入りになったのが「トッケビ」だった。

その「トッケビ」で聞き覚えのある歌声が、お二方くらい「愛の不時着」でも聞こえる気がして、実際はどうなんだろうと調べた。

すると10cm(シプセンチ)という方はトッケビにも参加していて、今作で「偶然のような運命(But it's Destiny)」を歌っていることがわかり、「二人だけの世界へ(Let Us Go)」を歌っているCRUSHは、トッケビで「Beautiful」を歌っていた方だと繋がった。

さらには、トッケビ音楽監督をしていたナム・ヘスンさんが「再び私は、ここ(Here I Am Again)という曲で作曲をしているとわかった。

 

April 2nd(エイプリルセカンド)という方も含めて、「トッケビ」と共通するボーカルは3組。音楽監督も同じだった。耳の直感が的外れではなかったことが嬉しい。このドラマのサウンドトラックも好きになりそうな予感がしている。

日本のドラマでは、挿入歌もしくはエンディング以外で歌詞のある曲が流れることは少ない印象で、あるとしてもテーマ曲の1曲に絞られている。なので韓国のドラマを見た時に意外性を感じたのは、シーンに馴染む形ですぅっとボーカルつきの曲が多く使われているところだった。

サウンドトラックとして楽曲提供をする方達が、ドラマを専門にしているのかアーティストとして活動しながら参加しているのか。その文化はまだ詳しく知らないけれど、今後知っていきたい。

「愛の不時着」では、IUがボーカルで参加していたことにも驚いた。「心を差し上げます(I Give You My Heart)」という曲で、ささやくような歌声を聞くと、ああ!と気がつく。繊細なファルセットが初雪のように美しかった。

 

 

脚本、監督、音楽監督。キャストの方々。ドラマに関わるスタッフさんたちの、この作品にかけた熱意がわかる。

おもしろいと感じるものにはきっと理由がある。それがどんな丁寧な仕事で成り立っているのかを考えるきっかけになった。

そして「愛の不時着」で丁寧に描かれているのは、相手のことを思う時、そこに流れる空気。ねぎらうということの優しさが、ゆっくり染み渡っていく。

見ている間は、越えようのない分断に立ち尽くしていたはずなのに、見終えた今はなぜか信じられるものが強くなった。眼差しの心強さを知って、人との関わりに喜びはまだ残されていると思えたことが、うれしかった。