夜空にぶら下がった灯りのなか歌う − あいみょん「今夜このまま」

 

ビールの美味しさはまだわからない

それでもこの歌のゆらぐ心地よさと、関ジャムでのセッションの楽しさは存分に味わった。

 

 4月14日に放送された‪関ジャム‬は「あいみょん」を特集。

スピッツ草野マサムネさんがあいみょんにとって特別な存在であることを話の中で知ったときに、「マリーゴールド」にスピッツのようなスパイスを感じたことが大きく外れてはいなかったと思えたりした。

かと思えば、分析というものにあいみょん自身はあまり関心を傾けることはしていなくて、感覚で曲作りや作詞に向き合っている。

ワード先行だと思いますと話していたように、曲作り・作詞で仕切られたものではないのかもしれない。音楽を作るということが、息をするのと同じように、頭では無く身体ごと一体化してひとつのルートで出来ている。

 

編曲の方との向き合い方の話も興味深くて、曲ごとに編曲担当の方の名前が分けられた表を見た時に、「君はロックを聴かない」「マリーゴールド」「今夜このまま」を編曲していたのが田中ユウスケさんだと知って、あいみょんの歌のなかでも好きになっていた歌が無意識に同じ方のアレンジだったことに気づいた。

お名前はよく見かける気がすると思い返してみると、アゲハスプリングスの方。蔦谷好位置さんや「ノスタルジア」を作詞された田中秀典さんが所属されている事務所で、どおりで見覚えが…と嬉しくなった。

 

思考的にブロックを積み重ねていく、いしわたり淳治さんが思うように噛み合えない様子や、言葉で語ろうとするよりも、語るために必要な言葉を探すように話をするあいみょんを見ていて、掴みどころをつくらない人だなあと感じた。

たまにそういう雰囲気を見ることがある。猫のような、クラゲのような、わかった!と言われることを避けそうな感じの。

触れない浮遊感は、まっくろくろすけみたい。手の中におさめておくことのできないその魅力が、あいみょんを知った人たちの心を掴んで離さないのだと思う。

 

 

有線で「生きていたんだよな」を聴くようになった頃、渋谷すばるさんがラジオ番組のスバラジであいみょんの「生きていたんだよな」をかけた。

‪関ジャム‬でいしわたり淳治さんが曲を紹介した2017年から、その後セッションでゲスト出演をして、「愛を伝えたいだとか」を渋谷すばるさんとあいみょんのダブルボーカルでセッション。

それから2年が経ち、今度はスタジオゲストそしてセッションゲストとして、しかも番組まるごとあいみょん特集という場に帰ってきた。

 

 

‪関ジャム‬セッション「今夜このまま」

深夜も近い夜に聴いたからだろうか。妙に浸透して、酔っぱらうってこんな感じかもなと思う。音と声、メロディーが心地よく合わさって、聴き入っているうちに終わってしまう。

 

ボーカル、アコースティックギターあいみょん

ボーカル、エレキギター安田章大さんと錦戸亮さん。ベースに丸山隆平さん。

 

セットも素敵で、いつものように正面を向くバンドスタイルではなく、4人が向かい合わせで星座をかたち作るかのようだった。

きっと周りにはドラムの方やサポートギターの方たちがいるはずだけど、いつもならたまに映るその様子も今回はライトを落として、4人だけ、の空間を作っていた。

その様子が、夜空にぶら下がった電球の灯りの中に立つ4人が、寂しさのなかのオアシスみたいで、夜に溶け込む心細さと心強さどちらも見えた。

 

「今夜このまま」が主題歌になった、ドラマ「獣になれない私たち」では歌詞の1番を聴くことが多くて、歌番組でも基本的に1番を歌ってサビに飛ぶことが多かった。

なので今回のセッションで初めて2番というのか、1番に続く歌詞を耳にして、歌の印象が大きく変わった。

「いかないで」って

走ってゆければいいのに

その次の段落でくるのが

「いかないで」って

叫んでくれる人がいればなぁ

対になるこの部分を聴いたのが初めてだった。

前者だけを聴いていると、追いかける側の弱さみたいなものが印象に残って、煮え切らない感じにううーっとなったけど、後者の言葉も合わさるとその人の中にある切実さが浮き彫りになっている感じがした。

“叫んでくれる人”という言葉選びと、“いればなぁ”で語尾が小さな“ぁ”で終わることで伝わる、空気が口から多めにもれる感覚。2人それぞれの視点の話かもしれないし、1人の心境としても解釈できるここの歌詞に、いいなあと惹かれる。

 

音源では打ち込みだったベースを生音でセッションすることになった丸山隆平さん。

弾きながら歌う色気というものもあるけど、ベースに徹するかっこよさを知ってしまった今、丸山さんのベースを弾く指の動き、スライドの仕方、ドラムがアイコンタクトを取れる距離にいないからリズムを足でトントンと刻む姿。目が離せない。

曲として全体を聴きたいと思う半面、丸山さんが出している音が聴きたいという思い。

ベースとしてのメロディーの緻密さをもっと聴き込みたい。そう思って、何度目かわからないリピートでイヤホンに付け替えてセッションを見た。すると本当におもしろいくらいにベースラインが掴める。楽しい。

ドゥードゥーッと刻みつつ、“今夜の夜風に”のところで少しベースも歌うみたいにメロディーを追っている気がして、そこが好きだった。サビ前にふっと止まって、「ああー」のフレーズからベース復活!なところも最高だった。

 

安田章大さんの歌声が前に向けてスーッと進む感じで、あいみょんの歌声と相性がぴったり。

錦戸亮さんの歌声は、かろやかに進む歌声の安田さんとふわりふわりと進むあいみょんの歌声にマイルドな泡をのせていくみたいで、そのバランスはさながらビール。

渋みを増し加えて、喉越しの清涼感に苦味も重なる4人のバランスが素敵なセッションだった。

 

真綿のような雲で優しく包めたなら -「fuka-fuka Love the Earth」

 

アップテンポにも乗りきれないけど、反骨精神で攻撃性に転じることもできないなあという気分のとき。

ふかふかで、真綿みたいな広い雲に包まれる空気感の「fuka-fuka Love the Earth」を聴いていると、自然と嬉しい気持ちになれる。

 

関ジャニ∞を好きになってすぐの頃、コテコテな関西イメージの曲から、がしがし踊るダンスナンバーもあることにギャップを感じて、さらにはしっとりとバラードを歌う関ジャニ∞の魅力を知った。

なかでも「fuka-fuka Love the Earth」は、“意外”と感じた曲トップに入る曲で、こういう曲も歌っていたんだ!というのが第一印象だった。

自分にとってテゴマスがジャニーズへの入り口で、「マルイチカラ」が好きでずっと聴いていたからか共通点を感じて、派手な何かではないけれど、この曲が好きだなあと思うようになっていた。

 

きっと僕らの愛しあう地球に これ以上の涙はいらない So smile

 

渋谷すばるさんの歌声ではじまる、この一行が好きで。

抗えない出来事に怒りさえもぶつけ所がなく、ただ立ち尽くすしかないとき、この歌詞は綺麗事と片付けるにはあまりにもったいない真実を掴んでいると感じた。

自分が活力に満ち満ちているときに聴くと、スケールが壮大すぎる?と戸惑う感覚になったりもする。でも凪のような心境を取り戻したいときに聴くと、落ち着くテンポと柔らかな曲調に安心できる。

なにより、穏やかでいることを肯定してくれる曲を一曲でも関ジャニ∞が歌っていることは、優しく居つづけることの勇気になると思った。

 

この曲は、シングル「無責任ヒーロー」の初回盤Bに収録されていて、2008年に放送された環境問題を取り上げた、関ジャニ∞も出演する番組のテーマ曲になっていた。

作詞:関ジャニ∞、TAKESHIさん

作曲:TAKESHIさん。編曲:船山基紀さん。

 

 

同じ時代に生まれて 何気なく暮らすその中で

と続く歌声は大倉忠義さんの歌声で、ドラムがツッタンと一定のリズムを刻むなか、まどろみが漂う低音で歌う大倉さんの声色がとても素敵。

錦戸亮さん、安田章大さん、丸山隆平さんとバトンを繋ぐようなパート分けが陽だまりの温度を段々と増していくようで、とくに丸山隆平さんの声がまさしくオレンジ色の暖かみを醸し出している。

2番に入って横山裕さんの次には村上信五さんが続き、バトンは完成する。

今から約11年前の関ジャニ∞。それぞれの若々しい声が聴ける楽しさもある。

 

サビに入り、声が合わさってユニゾンに聴こえるものの、安田さんが上ハモをしていたり丸山さんと大倉さんが下ハモをしていたりする。

主メロで際立っているのは渋谷すばるさんだけではなく、錦戸亮さんの声もぴたりとピッチを寄り添わせて、なおかつ声質が違うことで重ならない部分の旋律が音に厚みを作る。

渋谷さんの縦方向に細かくギザギザ揺れる声の波に、村上さんの声が合わさると、凹凸の作用みたいにまろやかなラインができる。

頭の中でそれぞれが歌っている旋律を、なんとなくでも楽譜の4本線みたいに思い描くと、音符は忙しく行ったり来たりしているのがわかる気がした。

シンプルなようでいて、そのシンプルという美しさをつくるための計算式が素晴らしい曲。

 

 

これ以上の涙はいらない

切実にそう思った時間を忘れることはなく、たぶんこれからも力なくそう願うしかできないことが沢山あるのだと思う。

渋谷すばるさんが、関ジャニ∞が歌ったこの言葉と「fuka-fuka Love the Earth」という曲全体に溢れる物腰柔らかな空気を思いながら、優しくあることを捨てないでいたいと、ふと感じた休日の夕暮れだった。

 

このペンであなたに綴る思い - 「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」第3話 感想

 

ヒールの高い靴を履いて、いくつものショッピングバッグを腕に下げて、高級店を渡り歩く。

買い物を優雅にしている時は、“自分”でいられる。そんな“安心”が漏れ伝わるようで、わかるような、切ないような、シーンだった。

日向 木穂子(ひなた きほこ)さんへ抱いていたイメージは、第3話の始まりそのものだった。

余裕そうで、綺麗に着飾っていて、大人なお姉さん。だけど、彼女のまとう空気はどこか自分を作り演じているようにも見えて、ほんとうを見せてはもらえていないような、居心地のわるさがあった。

やな感じだ…そう思いながら見ていた。一番遠い距離にいる人という気さえしていた。

 

けれど、缶チューハイを立ち飲みする姿、カーテンを買い替え眺めて笑顔を見せる木穂子さんを見て、一面的に見ていた木穂子さんという人を、第3話ではもっと知ることができるのかなと思い始めた。

 

 

仕事終わり。バスを降りて、ぎこちなくも丁寧に会話をする練と音。

練「杉原さん。俺、応援してます。俺、あん時からずっと、応援してます。なんで…頑張りましょう」(君と俺とジェスチャーをして)

 

音「あんたも頑張りな」

 

とても、とても好きなシーン。

「応援してます」「頑張りましょう」

普遍的な言葉のようにも思えて、でもそれを言い合える相手はそう容易く見つからない。

言いたいことはもっとあるのに、思っていることが確かにあるのに、しっかりと保たれた理性が二人の恋を走らせない。

木穂子さんがいる。練くんには。それをちゃんとわかっている音と、出会った順番を律儀に守ってしまう練。きっとここで本心へと引き返せていたら、ここまでみんなが傷つくことにはならなかったかもしれない。

でも真っ直ぐであるがゆえに、恋愛においての“ズル”が練と音にはできない。

 

 

朝陽の父親との溝も明らかになる第3話。

介護施設に子供達が訪問する予定が、会社からの指令によって議員の講演会へと変更になってしまう。それを聞かされた時の、「子供たちが来るのを楽しみに…」という朝陽の声と目が忘れられない。

あの一言に、会社への落胆も父親への思いも、強く濃く表れていた。

 

みなとみらいの観覧車。

中止になってしまった介護施設でのイベントのために用意してあった、おじいちゃんおばあちゃんからの子供たちへのプレゼントを、練が借りてきたトラックで配達する。途中に見えた観覧車には乗れなかったけど、レストランの裏から聞こえてきたコンサートの音楽に引き寄せられて、音と練で二人座って聞き耳をたてる。

練「楽しいなあ。…楽しい。東京に来て一番」

何年も東京で暮らしてきた練が、「楽しい」と言った。「東京に来て一番」と。

その意味を思うと、音と出会う前の練の姿が頭に浮かんで、苦しくなる。楽しいと感じたのは、音と一緒に居るあの時間だった。おじいちゃんに掛けた電話でも、「楽しい。みんな良い人だ」と話していたけど、本当の意味で練がやすらいだのは、音が隣にいる時。

日々、心が削れていく。誰が悪いとかでもないのに。毎日を暮らしているだけで、なんだか傷つく。

ひとりなのかなと思うその感覚が、上手く言えなくても伝わった練と音との会話。「咲いてたんですよ。ま、それだけなんですけど」音が撮った、郵便ポストの下に咲く花の写真を見て、固まる練。「杉原さんに見せようと思って」自分のケータイから、撮ってあった道端の花の写真を音に見せる。

あんな写真を見せられたら、好きでたまらなくなるだろうなと思った。写真が綺麗とか、花が…とかそういう次元じゃない。切った果物のもう片方が見つかったみたいな奇跡で、二人の空気がこれ以上無いほど合っている。価値観と言えば簡単だけど、それを越えて波長レベルの話だと思う。

花の写真を練が撮っていた時、木穂子さんにメールで送るのかと思っていた。でもぱっと見つけて、ああこれ見せたいなと思い浮かべたのは木穂子さんではなく音で。

もうわかりきっているじゃないかと思うのに、練はなにが大切かを決め切ることができない。この時の練のことが、すごくすごくいやだった。

優しさで自分をおざなりにするのは違う。それは優しいことじゃないよと練に誰か言ってくれと思いながら見ていた。

 

帰りのトラックのなか、音に木穂子さんが彼女だと言い切ることができない練。「彼女でしょ?!」と語気を強める音は真っ当だった。音のそういうところが好きだ。

「好きな人なんでしょ?」とたずねる音に、「優しい人です」と答える練。

「好きってそういうんとはちゃうよ」

音の表情は静かに怒っていて、 泣きそうな目をしている。「なんで…」と、わかっているはずなのに、わからないふりをする練に「説明するんは好きっていうんとちゃうよ」と言う。

まだ「なんで」と言う練にたいして、「がっかりや」と言い残してトラックを降りる。その「がっかりや」がすごくて、そのあとに音がする行動に納得できてしまうほど、音が持ち続けてきた練への気持ちが込もっていた。

好きでいたのに、恋をしているなそれでと思おうとしていたのに、練は自分のことを大切にしていなくて、投げやりで。悔しくて、もっとしっかりせえよと言いたくなる思いが、勢い余って告白にまで繋がってしまう。

 

 

誰のことを見ていて、誰と居たいのか、もうわかったはずと思ったところに、病院から連絡がくる。練と付き合うと決めた木穂子さんが、別れ話をした相手に突き飛ばされて怪我をした知らせだった。

駆けつけた病院で、木穂子さんから届いていたメールを開く練。

 

電話だと勇気が出なかったのでメールします。

という言葉からはじまるメール。

 

私は新しいペンを買ったその日から、それが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です。

その言葉を聞いた瞬間から、私は涙があふれて止まらなかった。

いま自分の手元にあるのに、無くなってしまう時のことを考えずにはいられない。喜びよりも、先にあるであろう喪失を思う。そんなせっかちな思考回路をこんなに美しく言葉にしたのを見たのは初めてだった。

 

私は朝起きると、まずはじめに今日一日を諦めます。だけどきっと、まだ心の奥のところで、諦めがたりなかったのでしょう。

 

練、あなたと付き合いたい。

あなたを恋人だと思いたい。買ったばかりの新しいペンで、思う存分あなたを好きだと綴りたい。

 

あの朝、練が恋人同士になろうと木穂子に話したあの時。

大人なふりをしてタクシーに乗り込んだ木穂子さんが、走り去ったタクシーの中であんな顔をしていたなんて。

日常にいたら、距離のある、あまり関わらないタイプだと勝手に線引きして見ていた木穂子さんが、一気に他人事ではなくなった瞬間だった。坂元裕二さんの書く本は、だからこわい。人間の思考のくせを見抜いているようなロジックで、言い当てられているような気分になる。

 

“まずはじめに今日一日を諦めます”という言葉に、このドラマの主題歌、手嶌葵さんの「明日への手紙」の歌詞を思い浮かべた。

明日を描こうともがきながら いま夢の中へ

音も、練も、木穂子さんも、朝陽さんも、晴田も、小夏も。

明日を思い描いて、眠りにつく。 美しさばかりではないのは、“もがきながら いま夢の中へ”という言葉があるから。布団に入り、頭の中で明日を想像するけれど、自由に想像できる頭の中の世界でさえ、明日が描けない日もある。

一日を諦めて、それでも諦めがたりなかったから、しあわせを。練とのこれからを望んでしまう気持ちに、木穂子さんがあらがうことをやめた覚悟の言葉だった。

 

見る前と見た後で、ここまで登場人物への印象がガラッと変わったのは初めてだった。

手紙のようにメールの文面を読む木穂子さんの声。人としての温度感と、胸を締めつける哀しさにぐっと苦しくなった。高畑充希さんだからこその、糸を紡ぐような表現力だった。

クールでいようとした木穂子さんが崩れた時、共感とも違う複雑な思いで、ああ嫌いになれないと思った。

日向 木穂子さんという人が、音の恋敵としてただ存在するのではなく、一人の人としてしっかりと描かれたことに、なんだか安心していた。