歴史を越えても移ろわぬものは - 愛のレキシアター「ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ」

 

レキシの曲だけでミュージカルを作る!!

それ絶対楽しい!観る!直感が先走った。

内容も出演者もわからないけど、面白いことが起こる予感だけは確実だった。

 

出演者に八嶋智人さんが出ると知ってテンションが上がり、松岡茉優さんがミュージカル!というのにもワクワクした。

そして藤井隆さん。ナンダカンダも、おげんさんも、どれも気づけば追っていて、気になって仕方がなかった。

しかしなかでも、絶対観たい!と思ったのは、浦嶋りんこさんが出演されると知ったから。

浦嶋りんこさんを知ったのは関ジャムからで、それまでのDREAM COME TRUEなどのコーラスとしての活躍を知らずにいたものの、その歌声でミュージカルに出るならぜひ聴きたいと、公演日の予定を手帳に書き込んだ。

 

《ここからミュージカルの内容に細かく触れます。今週末3月30日の大阪公演のチケットがこれからでも買えるようなので、ネタバレや曲目を知ったとしても楽しめるこの空間の魅力を伝えられたらと思います。》

 

一緒にいかがですか?と声をかけてもらえたことで、叶った観劇当日。

俺節」以来の赤坂ACTシアター。あの時も雨がパラついていて、慣れない石畳みの坂を登ってチケットのキャンセル待ちをしたことを思い出した。

開場して、飾られた花を見てようやく山本耕史さんが主演であることを知る。

予習もなにもなく、レキシの音楽だけを知っている状態で楽しんでみたいという気持ちで、入場してからじわじわと出演者の方々の豪華さを実感しはじめていた。

 

開演前、舞台上に掲げられたスクリーンにはレキシの数々のMVが流れていた。

池ちゃん本人は出演しませんと書かれていたこの舞台。となると、歌は全編、池ちゃんではないボーカルで聴くことになるわけで、それでも思いきりレキシの曲を浴びせる心意気に、これは楽しませる自信があるのだと信頼してワクワクを膨らませることができた。

 

 

舞台は、そんな映像で始まる舞台、有り?!といきなり不意を突かれる演出で始まった。

ひょんな出来事といえばひょんな出来事で、池ちゃんが八嶋智人さんの中に乗り移って…といういきさつで舞台上に現れた八嶋智人さんは、饒舌に語り「ざ びぎにんぐ おぶ らぶ」の世界へといざなうストーリーテラーに。

 

目の前に現れた大きな家のセットは、立派な二階建てで、これを動かすのは相当な人力が必要だと思うほどの見事な日本家屋。

実際、セットを回転させたりハケさせたりと人力で動かしている舞台スタッフさんたち。すごいです、ありがとうございますと思いながら見ていた。

2階席から見下ろすと、おびただしい数のバミリのテープがステージに貼られていて、セット転換、立ち位置、出演者さんやスタッフさんにとってかなりの情報量なのだろうなと思った。

 

レキシの曲でミュージカル、と聞いて、イメージしていたのは“歴史の時代の人達が”、現代に翻弄されるストーリー。

しかし舞台が始まると、どしんとそこにある家を見ればわかる、現代感。“現代の人達が”、歴史に翻弄されていくストーリーだった。

予習をしなかったからこその、まず最初の驚きに、もっと歴史づいた時代劇のようなものをイメージしていた自分としては、それ楽しいかも!とぐいぐい引き込まれた。

 

引きこもりで、パソコンと向き合う時間をこよなく愛し、なんだかんだ“ばばあ”の作るカレーが好きな、山本耕史さん演じる「こきん

眼鏡をかけて伸ばしっぱなしな黒髪にジャージの姿は、山本耕史さんだと一見わからず、ストーリーテラー八嶋智人さんが紹介してはじめてあの人が山本耕史さんなの?!と驚く変貌ぶりだった。

洋画などで出てくる“内気な男の子”というキャラが自分にとってツボなため、眼鏡と野暮ったさにワクワクした。

爽やかさはかけらも無く、喋り方も舌ったらずにねっとりしていて笑い方は独特。でもこの振り幅が、あとあとガッツリ効いてくる。

 

息子こきんの手に余る将軍っぷりにあきれる母「織田 胡蝶(こちょう)」を演じるのは高田聖子さん

2幕の始まり、胡蝶さんの怪しげで艶やかな歌声で話は始まるのだけど、がなりも効くソウルフルな歌声に、ガシッと胸ぐら掴まれるような感覚になった。

舞台「俺節」でも高田聖子さんの印象は強くて、こうしてまた同じ劇場で観られたことが嬉しかった。

 

こきんの自立を促すため、引きこもりサポートネットとして家に通っている「明智」は藤井隆さんが演じる。

こきんに全く名前を覚えてもらえず、存在感の薄い明智。しかし胡蝶さんとの間に拭いきれない過去があり、複雑な思いでこの家に通う。

 

 

そんなこきんが唯一関心を向けている、ネットアイドルカオリコ」は松岡茉優さん

歴史オタクとして、日々ネットに動画をアップしている。

この場面での、こきんがカオリコさんの魅力を語ってカオリコさん登場の流れが最高に楽しくて、好きなこととなると止まらなくなるエネルギーが炸裂していた。

ねずみ小僧に扮し、松岡茉優さんが歌うアイドル風味な「キャッチミー岡っ引きさん」が最高すぎて!こきんの気持ちわかる!と胸が熱くなっていく。

カオリコさんに両手投げキッス(片足上げのポーズつき)をされたこきんが、胸につけたハート風船を手動で割るシュールさ。

でも惚れるのわかるよ!おじゃるとか言ってても好きになるよね!とあっという間にこきん側の視点になっていた。

 

松岡茉優さんは、やさぐれた役を演じているのも、きゃっ♡とある意味ぶりっ子な役を演じているのも、どちらの時でも愛したくなる部分が必ずあるところがすごいと思っていて、モー娘。と共演する姿を見るたびに、いつか本気のアイドルスイッチで張り切った松岡茉優さんが観たいと願っていた。

なので今回のカオリコ役は、“こう見せたい”という可愛い理想の自分と、“でもほんとはこう”な現実の自分でせめぎ合う姿を観ることができて、

松岡茉優さんが演じている役の中でもトップレベルで好きなキャラクターになった。

 

 

カオリコさんからの思わせぶりなメッセージを受け取り、恋心が走り出すこきん。

歴史上の人物に例えると誰に似てるでおじゃるか?と聞かれ、歴史知らない!どうしよう!と焦りながら、ノートを開き苦し紛れに出たのは“ヨシツネ”の名前。

どうしたらいいんだ!と衝動のままにマイクを握って「LOVE弁慶」を歌うこきん。

第一声を聞いて、目を見開いた。

鴨川に映る夕焼けを

爽やか且つブレない歌声。喉の開きが半端じゃない。 時折ハスキーになるそのざらつきさえも耳心地良くクセになる。

山本耕史さんがこんなにも魅力溢れる歌声の持ち主だと、知らずにいた。

えっ……と稲妻に打たれた感覚。

レミゼラブルがデビューだったことも知らず、ドラマのイメージで落ち着いた声色で淡々と話す印象しかなかった。

それだからなおのこと、ロックにシャウトした「LOVE弁慶」の歌声に完全に度肝を抜かれ、なにこの人!!とまんまと手中にハマった。

舞台で観ると惚れる。が方程式な私の心を持って行ったのは、間違いなく山本耕史さんだった。むしろ役柄といい、ストーリーといい、このギャップだらけな舞台で山本耕史さんを好きにならないほうが無理だ。

 

そうして「ざ びぎにんぐ おぶ らぶ」がヘッドセットのマイクやおでこからのマイクでは歌わず、銀色の大きな頭の本気のマイクを握って歌うタイプのミュージカルだということを理解した。

顔につけているマイクと、手持ちのマイク。

ハウリングを起こさない切り替えのタイミングは音響さんの頑張りなのだろうと思う。

そういうタイプで進行していくミュージカルはあまり観てこなかったから、新鮮だった。声をしっかり拾って、音圧の調整を本人がマイクの近づけかた遠のけかたで出来ることで、臨場感が増して、大音量で浴びる歌声はさながらライブ。

感情の高まりと共に気づけば自然とマイクを握っている。

登場人物たちの心境が色濃くなる瞬間に歌がある、演出としてのマイクの魅力は、舞台「春のめざめ」を思い起こすと感じながら観ていた。

 

 

大学時代、胡蝶と明智は付き合っていた。

疾風の如く現れた将軍に胡蝶を奪われて、明智は歌う。
刀狩りは突然に

今さらもう嘆いても 遅いよもう彼のもの

呟くように藤井隆さんが歌う。こんな奇跡があるだろうか。アルバムで聴いた時から、なんて哀愁漂う曲なんだと好きで好きで何度も聴いた。

それを、フラれた明智の気持ちで歌う。藤井隆さんの落ち込んでいる声がぴったりとはまる。

 

 

こきんに胡蝶に明智にカオリコ。

それぞれに難問課題を抱えたままで、招待されたレキシーランド

そうだレキシーランド行こう

あのイントロ。アルバムのなかで聴いただけでもギリギリー!と思ったのに、具現化してしまったレキシーランド

聴こえてきた瞬間に、やりおったと苦笑いせずにはいられない。完全なるわるふざけ。本家に行ったばかりだったから、装飾の忠実再現にむしろ感動してしまった。

 

レキシーランドにいざなわれ、一列に四席並ぶ昔ながらの低い机と座布団。

レキシーランドのマップが、「ニンニン!」とくノ一さん井上小百合さん)が言っていくと、ぼわん!と開いていく場面。その演出での、松岡茉優さんの魅せ方が綺麗だったことに感動した。

開くさじ加減は本人に委ねられていて、真上に投げて開く方法もあるけど、松岡茉優さんは開く時にマップがこちらへ向くよう加減しているように見えた。そのおかげで、あれがマップであると認識できて、その後の流れも楽しめた。

所作ひとつひとつが、意識してこちら側に向いていて、観る側に優しい動きをしてくれるなあと松岡茉優さんの丁寧さを感じた。


そういう配慮の嬉しさを実感できたのは、今回自分が2階席後方に座ったからだった。

その位置から観る「ざ びぎにんぐ おぶ らぶ」は、登場人物たちの表情は見えていなかった。動作と声から感じ取って補うかたちで、だから“チャレンジシステム形式”で時折スクリーンに大写しになるおかげで、こういう表情で、この役はこんな顔をしてるんだ!と知ることができていた。

そういう意味でも、大袈裟にも思えるこきんの不気味な走りや、カオリコの大きな動きは2階席後方までしっかり届いて、楽しむことができた。

 

 

大好きな歴史の世界をアトラクションとして楽しめることに興奮ぎみのカオリコが、紫式部の世界に入る場面。

着物を羽織り、幕の向こうで姫になりきって雅に手を振るカオリコさんのシルエットがそれはもう色っぽい。

SHIKIBU」を歌うなか、こきんを含めたチャレンジャーたちが紫式部の隣を射止めるため、蹴鞠で勝負。わりとラリーが続くものの、手でキャッチしたりするこきんがお茶目。

 

しかし、カオリコの心を射止めたのは、こきんの理想が具現化した「源 ヨシツネ

おもむろに幕の向こうへと忍びこみ、カオリコを背中から抱きしめる大胆さ。

 

ヨシツネを演じているのは、佐藤流司さん

舞台を観ていて、あの人は誰!?と釘づけになる感覚が楽しかったりするけど、あの舞台で気になる役者さんNo.1は佐藤流司さんだった。

彼が舞台に現れると自然と目で追っていて、カオリコが夢中になる気持ちもわかる。こきんの憧れを凝縮した存在のヨシツネだから、浮世離れしていて徹底的にキザ。そしてナルシスト。

キザな役。それはとても難しいのではと思う。

舞台となると、寒すぎればスベっている空気が流れるだろうし、ほかの登場人物たちと波長が合わずちぐはぐになってしまう。

でも佐藤流司さんの所作は迷いなく機敏で、話し声も堂々と良い声。さらに殺陣が華麗で、ヨシツネの存在が徹底して“歴史側”にあったからこそ、「ざ びぎにんぐ おぶ らぶ」の世界が現代と歴史を行き来できていたと感じた。

 

 

姫君Shake!」ではカオリコさんが若き姫、胡蝶さんが大御所な姫…?を思い思いに楽しんでいる姿が可愛くて、女の子デュエットな感じにときめいた。

きらきら武士」を、松岡茉優さんが女性視点として歌ってくれたのも嬉しくて、戦いを諦めてしまいそうなこきんに“あなたは 武士  きらきら 武士”と鼓舞する場面に、えっいい歌……と歌詞と状況のシュールさを一瞬忘れた。

人の脚がふたり分生えているようにも見える白い馬…?に乗るこきんと、“私をここから連れ出して”の歌詞を、城のセットの窓を開けて手を差し伸べたカオリコさんを観られて、好きな曲で好きな演出が盛りだくさんで目移りした。

 

 

こきんが窮地に陥り、もはやここまでかと思われた時、失踪したはずのこきんの父「将軍」が姿を現す。

戦いを代わり「歌は任せた!」という父の一言でスタンドマイクを掴み「KMT645」を歌う山本耕史さんことこきんがかっこよくて。たまらなかった。本人は歌に専念。早着替えをさせてもらいながらなのがまた。

戦のさなかで歌われる「KMT645」が、こんなにもフィナーレでの盛り上がりを作るとは誰が想像しただろう。敵はピンクのイルカ隊だというのに。

 

部屋以外の外の世界を知らず、「うわ女だ」と性別ひとくくりに話しかけることもできなかったこきんが、気づけば着物を着こなし、凛々しくなっている。

 

 

目立った登場人物の彼らだけでなく、何役も務めるアンサンブル兼ダンサーさんたちのダンスも凄かった。

カーテンコールを見て、えっもっと人数いたよね?と思うくらいに、次から次へと場面展開に合わせて着替え登場し、キレッキレで踊る。

古今 to 新古今」での振り付けが“今”の字の屋根部分を表した動きだったりして、梅棒さんが振り付けをされたという曲ごとの動きが楽しく遊び心に満ちていて素晴らしかった。

 


パンフレットに親切に載せてくれているミュージカルナンバーの順番で思い出していくと、見事にストーリーが繋がる。

それがすごい。無理矢理ねじ込んだのではなくて、理にかなった曲順、そして歌詞になっているから、それこそ歴史の教科書を覚える時みたいに語呂合わせで思い出していくことができる。


レキシの曲は、音だけで聴いてると、いい曲だ…と歌詞の異色さを忘れて冷静な判断ができなくなるし、MVと一緒に見ると、なにしてるの(笑)とにやついてしまう。

でもミュージカルとして観ることであらためて、歴史にちなんだ歌詞と共にファンクやジャズ、ポップス、歌謡曲などのジャンルの豊富さに驚かされた。一つのテーマを貫きつつ、ここまで挑戦できるかと圧倒される。垣根を越えるどころか、柵を放り投げていて、音楽!楽しいよね!ねえ!と言われているみたいだった。

 


レキシの面白みは表現するのがなかなか難しくて、歴史が好き、ゆえに愛がこんなふうになりました!といった曲という形での愛情表現で、ふざけるけどクオリティは完璧。

それができるのは、その前段階の知識をレキシの池ちゃんがしっかり基盤として掴んでいるからで、だからこそ受けとる側はもっと直感的に感覚で、楽しい面白いを感じることができる。

 


レキシの曲を見ていて感じる、なにしてるの(笑)と笑いながらも引き込まれていく魅力が、舞台上でミュージカルになっても守られていて、原案・演出・上演台本をつとめた河原雅彦さんのレキシへの思いが溢れて伝わるほどだった。

 

 

座席ごとに設置されていた稲穂を振りながら、“縄文土器弥生土器、どっちが好き?”と合唱する空間。

なんのこっちゃと思いつつ、楽しさが勝る。

訳がわからない無茶苦茶が楽しいと思うことはこれまで好みとしてあまり無かったけど、愛のレキシアター「ざ びぎにんぐ おぶ らぶ」においては、ビックリ箱のようにひっちゃかめっちゃかだけど、筋は通っている。

そのふざけ具合が心地よくて、初めての楽しさを知るミュージカルになった。

教科書の中だった名前や言葉に目で見える形がついて、「岡っ引き」や「旧石器」に思うイメージも様変わり。知識にする前の、無関心から関心が一人歩きを始めた実感があった。

 

LOVE弁慶」を聴けば、こきんのシャウトが蘇る。

歴史をアトラクションのように楽しんだあの時間は、一夜限り開かれた夢の世界だった。

 

King & Princeの声がいい

 

King & Prince(キング アンド プリンス)のファーストシングル「シンデレラガール

キラッキラと輝いて、ロイヤル感溢れる高貴な衣装。その姿を見れば、コンセプトがわかる。

白を基調とした紳士なスーツ。さらに、メンバーカラーの「サッシュ(リボン)」を斜めに掛けていて、このワンポイントが高級感を高めていて、すごく好きだった。

スペシャル”という言葉がしっくりくるデビューシングル。

 

グループ名の通り、貴族、王子のイメージをどどんと表現したことで、次にリリースする曲のテイスト選びが難しいのでは…と勝手に気にしていたセカンドシングル。

Memorial」は、「シンデレラガール」でのきらびやかな魅力をそのままに、

永遠を誓おう 君を守り続けるよ

と、なんと早速プロポーズソングとも取れる歌詞で攻めてきたことに驚いた。

嵐で例えるとするなら「One Love」のような、ファンの子たちが結婚式で流すことを憧れるテイストの曲を、もうここで出してくるのかという驚きだった。

ある意味でおとぎばなしの世界に入り込める魔法をかけた「シンデレラガール」から、等身大の男の子をアピールするという選択肢もあったと思うけれど、もう一歩踏み込み、永遠を誓う世界観を魅せることで、King & Princeの身にまとう空気は決定的なものになったのだと思う。

しかし、King & Princeの魅力はキラキラとした物語の要素だけではないことを、カップリング曲の「High On Love!」が表現している。

オラオラとまではいかないものの、男の子感のあるこの曲は、ゴージャスなメロディーが印象に残る「シンデレラガール」「Memorial」とは対照的に、リズミカルに進む曲調がカジュアルでいい。

歌番組でのパフォーマンスも含めて、この曲も好きになった。

 

 

そしてやってきたサードシングル。

3枚目になる今回は、バラードか。ポップスか。気にせずにはいられない存在になっているからこそ、グループとしてのイメージや空気感をどう積み上げていくのか気になっていた。

君を待ってる

サードシングルの内容を知ったのは、意外にも高橋優さんのほうからの情報で、作詞をなんと高橋優さんが担当するとのことだった。

“好き”と“好き”の二乗のような計算式にときめかないはずがなく、リアルを書き出す高橋優さんの言葉で、ファンタジーとも言えるKing & Princeの世界観が合わさると、どんな作品を生み出すのだろうとワクワクした。

 

曲の初解禁を聴いたのは、ラジオ「大倉くんと高橋くん」の放送。

歌詞に注目して聴くと確かにわかる、高橋優さんの色があって、それが嬉しかった。主人公の目線で世界を見渡しているような情景描写。

10年後になる前に、今変えられる未来に気づかせてくれる歌になっている。

後々になって、ああ、あの時に…と思う前に、今ならもっともっと間に合うのだと伝えてくれる優しさにぐっときた。

いつの日か じゃないよ  今ここからさ

一度否定形を置いて、肯定で背中を押す言葉。

そこに高橋優さんらしさを感じた。King & Princeのメンバーがその声で歌うことで、拓けていく景色と、期待に胸おどる心模様が思い浮かぶ。

作詞は高橋優さん。作曲と編曲は別の方が担当している。

高橋優さんのカラーがありつつ、そのカラー1色に染まらないのは、作曲は作曲で担当している方がいて、さらに編曲という部分で曲の方向性を形作るそれぞれの役割があるからこそだと思う。

 

特に今回、「君を待ってる」を聴いていて、高橋優さんの確固とした個性とKing & Princeの個性が美しく合わさったのは、“編曲”というお仕事の素晴らしさがあるのではと思った。

曲のイメージを大きく左右することのある編曲という部分で、語るように歌うパートの落ち着いたテンポと音の引き算、サビに入った時の青空が拓けていく音の広がりが素晴らしいバランスで作られている。

らしくないと感じるような違和感はそこに無く、地に足の着いた表情とこれからを肯定して背中を押していく表情のどちらもを見ることができる曲が「君を待ってる」だった。

 

ミュージックステーションでのパフォーマンスがとても素敵で、何度も繰り返し見ている。

歌う数分間に全力を注ぎ、届け!と思いながら見せるパフォーマンスは、たとえテレビの画面越しであっても伝わってくる。

King & Princeのメンバーそれぞれの、歌声の魅力をあらためて感じた時間でもあった。

 

King & Princeを見ていて、強い。と思うのは、それぞれにビブラートが上手いところ。自然な間合いで、歌声に混ぜることができるところに感動する。

「シンデレラガール」の時にも、平野紫耀さんが綺麗にビブラートをかけていたパートがあって、CD音源よりもその歌い方が好きだと感じるくらいに、魅力を増す表現になっていた。

緊張して喉に力が入ると、ビブラートをだすのは難しい。だからこそ、生放送のパフォーマンスでそれが出せることは強い。

どのメンバーも歌が上手で、声の響かせ方を掴んでいるという点はもちろん、それぞれに色があって、バランスが完璧なグループだと感じた。

 

 

岸 優太さん(きし ゆうた さん)の声は、

聞き取りやすく軽やか。

そして高めの声がかすれ気味になると色っぽさを増して、大人の雰囲気をつくる。

23時間近の 賑わう街並みに

という「シンデレラガール」での岸優太さんのパートが大多数の人のツボを押さえたように、音感の勘の良さなのか、心地いい声でリズムを的確に掴み、伸びやかに歌う。

 

神宮寺 勇太さん(じんぐうじ ゆうた さん)の声は、

青空を突き抜けていくように音が上へと通って、歌に爽やかな風を吹かせる。

ミュージックステーションで「君を待ってる」を歌った時の、“人と人の間にあるらしい”の堂々とした声の突き抜け具合と、“い”の音での思い切りのいいビブラートがスカッと決まったところが最高に良かった。

 

永瀬 廉さん(ながせ れん さん)の声は、

低音がよく響いて、少しこもるような音感がユニゾンで歌った時に丸みを待たせる効果を発揮する。

平野紫耀さんと共に関西Jr.として活動していた頃もあってか、関西弁を話す人に感じる発声の名残りがあるように聞こえて、それがまた魅力。

声とは関係ない話をすると、「High On Love」でダボっとめの上着を着ている姿を見て、これをバランスよく着こなせる人はなかなか居ないと感動して、今回「君を待ってる」でまたダボっとめの衣装を着ていたのを見て、誰にどの形が似合うかをわかった上で衣装を決めている方がいる…と、King & Princeのとことんなプロデュースに息を飲んだ。

 

平野 紫耀さん(ひらの しょう さん)の声は、

“THE 男の子”なニュアンスを生み出す点で大切なキーポイント。

ハスキーな声でありながら、ビブラートを効かせた時の透きと通った儚さは唯一無二。

歌詞の世界の中で主人公になれる声であり、けれど平野紫耀さんの声がシンプルなイケボと呼ばれるものとは違うことが、King & Princeが“綺麗”だけで終わらない特色を生み出している。

 

髙橋 海人さん(たかはし かいと さん)の声は、

King & Princeの歌をキラキラさせるピクシーダストのような役割を担っている。

声に含まれたある種の幼さが、無邪気な少年のニュアンスを生んでいて、耳にすっと届く音の真っ直ぐさも魅力。King & Princeの雰囲気をつくる上で大切な声だと感じている。

どのメンバーの声も耳に心地よくて、選ぶなんて難しいけど、髙橋海人さんの声が特に好きだと思った。

 

岩橋 玄樹さん(いわはし げんき さん)の声は、

甘いお砂糖のよう。

King & Princeのコンセプトに姫の存在が自然と思い浮かぶのは、歌声という立ち位置でもピンクというメンバーカラーがしっくりくる声の甘さがあるからだと思う。

穏やかさもありながら、男の子の持つ勇ましさがどこかに漂う。King & Princeに持っている、花のイメージは岩橋玄樹さんの存在が大きい。

 

6人の声がユニゾンでぎゅっと1つになったとき、King & Princeならではの音が生まれる。

個々に聴いてもいい声が、さらにいい声にパワーアップしていく。かき消すのではなく、活かし合って響く歌声に、耳がときめく。

 

 

King & Princeが気になる。

華やかなデビュー、大ヒットしたデビュー曲。だからこそ、立ち向かうものはきっと多い。

最初にKing & Princeという名前にちなんだコンセプトが明確にアピールできたことは魅力で、それを成立させるクオリティが彼らにはある。その分、見ている側が持つイメージと、これからの進展のバランスの取り方は繊細でもあり、可能性を秘めている。

次はどんな曲を歌うのだろうと気になって、歌番組で、届け!とその時できる全力をぶつける姿を見ると、引き込まれる。

若さのあるグループを見ていると時折、ヒリヒリとする気持ちになったり、こなしているように見えて居たたまれなかったりするけど、King & Princeは気づくと目で追っている。

 

一生懸命が伝わる、と言うと言葉は簡単になってしまうけど、いまのKing & Princeがかっこいい。

3枚目、4枚目を重ねていって、どんなアルバムができるのか。どんなライブを作るのか。

その魅力的でカラフルな歌声で、これからどんな景色を描くのだろうとワクワクに胸がおどる。

 

わかりあえる“同じ”を見つけた二人 -「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」第2話 感想

 

第2話のはじまり、音ちゃんの声で聞く、東京。

ぽつりぽつりと雫が溜まるみたいに重なる声が、音ちゃんの東京での生活の空気を表しているみたいで、聞いていると落ち着く。

備品を取りに急いだり、次から次にすることがあったり、働くってそういう小さなことの積み重ね。息つく暇もなく、でも目の前にあることをひとつずつ。誠実に働く音ちゃんを見ていると、そうだよな、がんばろうと思う。

第1話をとばして、この場面からいつも見ていたから、頭の中での物語の始まりはここからになっていた。

第1話で練が「雪が谷大塚」と言ったシーンを忘れていたから、なんで音ちゃんが駅の入り口で待っているのか、引っ越し屋さんがこの街に居ると知っていたのかを、分かっていなかった。

 

介護施設で聞こえてくるには似合わない、バスケットボールの音が響く。

井吹朝陽くんと音ちゃんが、本当の意味で出会うシーン。取れるはずないと余裕でいたボールを、音がさっと取り上げて「もっとふわふわしたもので遊んでください」と一枚上手にほほえむ。

はっとした朝陽の表情が印象的で、よかった。

第1話で、朝陽はなっがいリムジンに乗って、シャンパンを開けて豪遊しながら笑う。その笑顔がいやだった。虚しくて、悲しくて、本人もそれを気づいていそうなところが余計につらかった。朝陽くんがガソリンスタンドで働く音ちゃんのことを覚えていたのは、それをすぐに思い出せたのは、あのとき音ちゃんの目を見て、朝陽くん自身が自分の染まる虚構に気づいて、それを見抜かれたと思ったからなのかもしれない。

ドラマを見ていて、ああこの人のことを好きにはなれないかもしれないと思いながらも、第1話の終盤のシーンで出てきた朝陽くんの存在がとても気になったのも本当だった。

 

明らかな音ちゃんへの好意。でも自分の奥のほうを見せないために、わざとふわふわと浮ついて見せるような朝陽くんにどこか怒っている音は、その好意を全く本気に受け取らない。

御曹司に気に入られたんじゃないの?とけしかける同僚に、けげんそうな顔をして「トイレ掃除してきます」とつぶやく音ちゃんが、なかなかにひどくて好きだった。

 

音「御曹司なら人手が足りないので増やしてください」

朝陽「なんでそんなに冷たいの?御曹司嫌い?」

音「御曹司だから好きとか嫌いとかありません」 

御曹司とかどうこうの前に、人として朝陽くんを認識している音ちゃん。

好きな人は居る。会えていないからわからない。そう言う音ちゃんに、おかしくない?と言う朝陽くん。「おかしない」と咄嗟に関西弁がでる音ちゃんが好きで、そういうところで垣間見える音ちゃんの意思の強さがいいなと思った。

なにそれ、変じゃない?と誰かに言われたとしても、自分の中にある感覚を信じて手放さない。優しさだけではなくて、自分のことを守れる音ちゃん。

ぷりぷりと怒っている音ちゃんに、紳士的にタオルを差し出して「どいてください」と冷たくされても、「濡れた髪もいいね」と返す朝陽くんが、真面目を隠した、素晴らしいチャラさの塩梅で、台詞の言い方や解釈の仕方によってはただチャラく見えてしまうかもしれない井吹朝陽という役柄を、西島隆弘さんが丁寧に誠実に、一人の人生として演じていたことに感動した。

音や練、木穂子さんたちのなかで、現代的な要素が強いゆえに浮く可能性もあった中間の立ち位置でありながら、ドラマの空気に溶け合っていた。

 

 

自分のしたことではないのに、壊れたスピーカーの保証代20万円を払うことになった練。

同僚の代わりに遅番をして、シフトの時間になっても出勤してこない同僚のしわ寄せで勤務が続いた音。

なんで。と思うことが日々あって、嫌な気持ちにもなる。二人とも怒らないわけじゃなくて、人並みに腹も立つし、納得いかないこともある。でもそれをオープンにはぶつけないだけで、だただた優しさの固まりなわけじゃない。二人のそういうところが好きだった。

 

風邪をひいて、仕事の帰り道動けなくなる音。道端で見つけた柴犬だけはしっかり抱きしめたまま。

「会えた」

柴犬を探していた練は、夜のなかキャンキャンと響く吠え声を頼りに駆け寄る。

そこには、柴犬を抱きかかえてしゃがみ込む音がいた。見上げる音の目と、「会えた」の一言で、どれほど待ち焦がれていたか伝わってくる。突然一人きり、頼るあての無くなった音が、今日まで東京でやってこられた心の支えに、この街のどこかで引っ越し屋さんは暮らしているという思いがあったこと。この街で暮らしていたらいつか会えると信じてきたこと。

 

だから、

「引っ越し屋さん…できたらでいいんやけど…名前、教えて。電話番号教えて」

「私も東京で頑張ってるから」

その言葉が、切実で、優しくて。

ずっと会いたくてやっと会えたのに、まず言いたかったお願いごとが名前と電話番号だったこと。どれだけ心細いなかで音は頑張っていたのだろうと胸を締めつけた。

東京から来た、引っ越し屋さん。雪が谷大塚という街に住んでいる。

知ってることはそれだけだけど、それでももう一度会える。そのために、東京で頑張ろうと懸命に生きていた音のことを思うと。

自分の気持ちを一方的にぶつけたってよかったのに、こんな時でも「できたらでいいんやけど…」と言うところ、好きだと思った。

 

 

「いつでもおいで」

練が仲良くしている、おばあちゃんの静恵さんが、家に来た音に言った言葉。

音はそれを嬉しそうに、たしかめるように、そのまま繰り返した。

北海道から出て来て、知っている人もなにもない街で暮らして、自分の部屋ができて、職場ができた。それでも、“ここ”以外になかった生活が、その瞬間からここにも居ていいのだと思える場所がひとつ増えて、音にとってそれは心強く、はじめて東京で感じた温かい居場所だったのではと思う。

 

練のことを穏やかに見守って来た静恵さんは、音にそっと近づき、紙を手渡した。

白い紙に書かれた、“曽田練”の名前と、電話番号。

一言とか、そういうのはなにもない。でも音にとって、なによりのプレゼント。素っ気ないのではと思うくらいシンプルで、それがまた練の不器用さを表しているようだった。

 

「あの子の周りには、寂しい人が集まってくるの。その分、一番寂しいのもあの子だった。だけど…」 

この台詞、すごいと思った。

ただ気弱なようにも、きつい言い方をすれば偽善的なようにも見られるかもしれない練という人物。けれど練には練の孤独があることを、静恵さんのこの言葉が物語っていた。

自己犠牲というのはきっと「‪いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう‬」に生きる人たちそれぞれのテーマでもあって、練にはそこに共依存に近い危うさがあって。木穂子さんとの関係性があるなかで、音との出会いがそれとは違うとどう表現するのだろうと気になったのが、この第2話だった。

そうして、最後に語られたこの言葉で、その区別はしっかりとつけてくれたことにほっとした。

 

持たないパーツを求めあうのは性なのかもしれない。けれど、音と練にはそうなってほしくなかった。もっと対等で、横並びで、助け合うけどそれだけじゃない。

お互いがそれぞれに前を向いていてベストを尽くしているからこそ、一緒に居られる関係性。

もし音が東京に出てきてそれで満足して、ベストを尽くす努力をしていなかったら、真っ直ぐでいることをやめていたら、いくら同じ街に暮らしていても練とは会えなかったと思う。

二人の出会いが、それぞれの懸命に積み重ねた日々の先にあったものだと感じる。

 

柔らかい心で生きていたって、得なんかしない。

それでもそうとしかできないひとがいて、上手じゃなくてもそれで生きてる。わかりあえる“同じ”は世の中にありふれてはいないけど、音と練が会えてよかった。もう大丈夫だと、二人を見ながら思った。