舞台「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」からはじまり、加藤シゲアキさんから広がった私の文学。

 
手紙を書いたり、普段ノートを持ってメモはするものの、“文章を書く”ということに対してなんとも思っていなかった頃の自分から目まぐるしい変化が生じて、ここのところ本屋さんに行ったり作家さんがテレビに出ているのを見るのが楽しくてたまらない。
 
はじまりは何だっただろうと考えていたら、なるべくしてなった道だったと自分が通った道順が見えてきたので、整理したくなった。
 
 
 大きな分岐点となったのは、舞台「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」と出会ったことで間違いない。舞台好きだから、増田くんの舞台での姿はどんな感じなんだろうと思い、どうにか取ることのできたチケット。どんなお話なのかを知ったのは後のことで、情報が入ってからも“現代劇ではない”ということと、“文学青年たちの話”という漠然としたイメージで、正直に白状すると地味目な舞台なのかなという印象しか持っていなかった。
 
しかしグローブ座の席に着き、開演して2時間経ってから照明が元あった様に点いた時には、開演前の自分は居なかった。
 
これまで感じたことが無いほどの衝撃だった。衝撃と言えるような、整ったものと言うよりは…ショックだったと表した方が正しい気がした。想像していなかった緊迫感に覆われる演出もそうなのだけど、「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」の全てから発せられる迫力に、圧倒されて、動けないと思った。
 
本物の舞台を観た、という感じたことの無い高揚感を感じて、この高ぶりをどうしていいか持て余した。何も確証はないのに、自分の中でなにかが大きく変わったと確信できるほどの感覚があった。
 
当時書いたノートにも熱のこもった字で
大げさでもなんでもなく、自分にとって大きな分岐点だと分かる。
舞台が終わってすぐに、あぁこれは、もう自分の中で何かが変わったと勘づくほどだった。なぜここまで 揺さぶられ 響くのか、わからない。
と書いてあった。いま読み返すと、感化されまくっている様子が微笑ましくなったりもするけれど、あの時の私もそれを承知で熱のままに書いていた。
 
 “舞台に感動していて、役者さんのすごさに感動していた”だけでは、説明がつかないくらいに頭の中いっぱいに思うこと感じたことが溢れ出し、どうしてか“このままで終わらせてしまいたくない”と強く思った。
 
それでも、私がはじめに出来ることとして考えついたのは、この舞台を一字一句忘れたくない。あの景色を、喜さん、秋ちゃん、中さん、ていちゃん…彼らの動きのひとつひとつを鮮明に覚えていたい。という気持ちから、メモをとにかく書き残すことだった。記憶は時が経てば薄れ、曖昧になっていくのは仕方のないことなのに、それすらも嫌だった。
 
 
帰宅してから数日経っても熱が冷めることはなく、ノートを買い、舞台の細かなメモや感じたことを書きまくった。
 
とにかく数日間、その作業ばかりしていた。“書かずに居られない”という感情を初めて体験した。それから中原中也展が行われている場所があると聞き、行ったことの無い未知の場所だったにも関わらず、すぐに行った。
 
実在した中也を取り巻く関係性にさらに興味がわき、数日後、中野でちょうどブックフェスティバルが開催されていると分かると「中原中也の手紙」の古書を探しに行きたくなり、即決断した。
数多くある古本屋を歩いて勘で探して回り、無いか…こんなに沢山の本の山からたった一冊を事前の調べもなく見つけ出すのは無理だと諦めかけながら、あと2、3軒見たらお腹も空いたし終えようと思いながら入った一軒で、見つけた。あった…。
この時の感動も、私には忘れられない経験になった。慣れない古風な古本屋で恐る恐る本を手に取り、パラパラと開き、状態はいいとは言えないけれどそれがまた当時の時代を感じられる気がして、胸が高鳴るのを感じたことを鮮明に覚えている。
 
 
 
そして舞台のパンフレットを見て、作・演出をしているのは横内謙介さんという方だと知り、同時期に行われていた「NAOTORA」を観に行った。
 
はずかしながら私はそれまで、横内さんのことを知らなかった。急遽入れた観劇予定に心の準備も間に合わず、とにかく行こうと踏み込んだ「NAOTORA」。同じ人が創り出しているなんてとカルチャーショックを受けるほど、「フレンド」とまた全く違う本物の舞台がそこにあった。(ちなみに私は“猿回しの赤猿”の役がとくに好きだった。)
 
 
終演後、思いもしない出来事が起こった。なんと横内さんとお話しすることができた。終演後ロビーに出てきてくださっていたのだ。これまでも舞台に行って演者の方がお見送りという形で外に出てきてくれたことは経験済みだったが、これだけは、ビクウッと心臓が縮こまって、倒れるんじゃないかというくらい緊張した。絶対に話しかけるなんて無理だ無理無理無理、お家に帰りたいー!!!と意味の分からない駄々をこねるくらい、これまで史上最も緊張したと断言できる瞬間だった。しかしそんな私にも横内さんは優しくほほえんでくださり、話し出すきっかけをくれた。
 
舞台が好きなこと、チケットを頑張って一般で取り、「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」を見ることが出来たこと、感動からどれだけ自分が突き動かされたか、必死の思いで言葉にかえて、伝えることが出来た。この出来事は、いざという時いつも引っ込み思案になり近づけないというこれまでの自分の不甲斐なさを払拭する大きな機会にもなっていたことに後で気付く。その時はただもうがむしゃらに、真っ直ぐ目を合わせて思いを伝えるのに精一杯だった。後悔だけはしたくない。その一心で、舞台が好きで、舞台に関わる仕事がしたいという思いを話すと、なにがやりたいと問われてはっきりと答えることも出来ないような私の漠然とした夢に真摯に向き合ってくれた。学ぶ場所を見つけるといいというアドバイスと、何より、私の長年もがいて一体何からしていいのか分からないという出口の見えないトンネルにわずかな光をくれた横内さんに、涙が出る思いだった。こんな所で泣くわけにはと懸命に堪えたけれど、溢れるぎりぎりまで涙はこみ上げてきて、ばれてしまっていたかもしれない。長い時間話していたわけではなく、ごく僅かな数分の出来事だったのだが、私には一生忘れられない。
 
見たいと思った演者さんが出演していたから、だけの理由ではとっくに無くなっていた。あの脚本が、あの言葉のひとつひとつがどれだけ美しく緻密に計算されていて、言葉運びや“音”の流れ方に魅力がつまっているか。一年が経った今でも、落ち着いて考えることは出来ない。どうしても、あのときの高ぶりがそのまま蘇ってきてしまう。脚本を書くだけでなく、演出までしているなんてもうなにがなんだか分からない。もちろん演者さんや技術スタッフの力あっての舞台だけど、あの作品がアイデアが、ひとりのひとから生み出されたことに驚きしかない。ただただ、凄い。
 
 
台本がほしい!とここまで、願ったことはなく、自ら台本を可能な限り文字起こしをしようと作業を始めた。
 
そんな自分のことだから、「フレンド」が戯曲となって掲載される。本になって手元に正確な台詞の数々をいつ何時でも読み返せるんだという知らせを聞いたときは、どれだけ嬉しかったか。
 
本気で一生の家宝にすると思ったし、今も大切に本棚に飾ってある。大切にしすぎて開くのがこわくあまり気軽に読めないくらいだ。さすがにそれはどうなんだと思い始めたので、バックナンバーで手に入るのならもう一冊手元に置いておきたい。人にぜひ読んでほしいと思っても、大切に扱ってくれるだろうかと躊躇してしまっていたので使い古す用の一冊を。普段は保存用と…なんて買い方しないのに、この本に関してだけは、許してあげてもいいかなと思っている。
 
 
それはさておき、そんな日々から数ヶ月経ち、その間も私はずっと考えていた。“舞台に、作品づくりに関わる一員に自分もなりたい。”そんな中で考えついたのは、音響スタッフだった。動機は舞台に関わる術というものが先にあり、そこで自分の知る限りの職種の中、興味を持ったのが音響だった。
 
本気なら、行動に移さなければ。前進しなければ。“あの日舞台を観て感動した”そこで止まってしまうと、考えて考えて考えて、学ぶことの出来る場所を探し、向かい、そしてまた考えることをくりかえした。しかしどうにか道を見つけたと思っても、どうにもしようがない壁が立ちはだかることを突きつけられた。
 
“頑張れば自分でどうにか出来ること”と、“頑張ろうとしてもどうにもできないこと”があると、受け入れたくないけど知らされた。足掻いてみようと試みたけれど、それも困難。そう解った時、投げやりになろうとする自分も居たけど、「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」を観て、変わったと信じた自分の気持ちを嘘にしたくなかった。
 
 
しかしそれ以後、当初進もうと本気で決めた道は進めないと悟ってから、また考えて考えて考える日々に戻ってしまったと、しばらく意気消沈していた。
 
それでも、“舞台”と“文学”は自分にとってのキーワードになっていて、それについて考えを巡らすことも増えた。あるとき無性に本が読みたくなり、なにを読もうかと考えて、ふと「ピンクとグレー」を読んでみようと思った。さらっと読めるものではないと聞いていたから、自分の気持ちが整理できてから腰を据えて読もうと考えているうち、タイミングを失っていたけど、読んでみて、このタイミングは必然だったと思った。
 
 
 
“やっぱり文章が好きなんだ”と気づく分岐点はここにあった。
 
 
そこから、タイミングを計ったかのように「アメトーーク」では読書芸人があり、「タイプライターズ」で加藤シゲアキ×朝井リョウ×又吉の濃密な対談を見ることができ、小説家さんに興味が湧きだしたところで「僕らの時代」では朝井リョウ×藤井隆×ヒャダインというまた面白い番組を立て続けに見たことで、より一層、“文章を書くこと”について意識するようになった。
 
 
自分は文系じゃないと、なんでか分からない抵抗感があって目を背けていたのが、もう抗えないと受け入れた瞬間だった。
 
そこで気づく。始めから、「フレンド」の時から台詞の美しさに胸を打たれていたこと、日本語の素晴らしさと面白さにそこで惹かれだしたこと。思えば何年もノートを書き続けて、何に使えるのかも分からない思いつきの言葉を書きとめたりしてたじゃないか。感動するとそれを伝えずにはいられず、いろんな人に手紙で伝え続けてきたじゃないか。
 
文章を書くことは誰でもできる。でも、好きなことについて、何がいいと感じるのか、何を感じたのか、自分の目を通してしか表せないこともあるんじゃないかと思いたい。信じてみたい。いまの私が出来ることは、書き続けて、積極的にひとに見てもらうことだと考えた。それが何につながるのかは分からない、形になるものなのかも分からないけれど、“舞台に関わりたい”という思いも、関わり方は変わっても、つながらない道ではないと思っている。
 
あの分岐点から、ここまで歩みを進めてきました。ちゃんと頑張っています。と報告したい人たちがいる。そのために、胸を張って目標に向かっていたい。
 
舞台「フレンド-今夜此処での一と殷盛り-」と出会い、加藤シゲアキさんの小説から文学のおもしろさに気づけたからこそ、辿り着けたこの道に、感謝と、喜びしかない。
どんなことがこれからあるかは分からないけど、そうしたいと思っているのが、いまの私の決意表明です。