「ここから歩き出そう」にどれほど背中をさすってもらっていたかを思い起こした。
何曲か聴けたことも嬉しくて、そのなかに聴きたいなと思った曲が2つとも入っていたのはサプライズだった。
阿部真央「ここから歩き出そう」
作詞:阿部真央さん
作曲:阿部真央さん
編曲:小森雄壱さん
あの後、iPodに入れていたはずと探して、見つけて嬉しくなって、再生を押した。
イントロは陽だまりみたいで、ドラムが鳴りだすと足取りが前に軽くなっていくような感覚がする。
よりどころにしていた温かさと、あの頃のやるせなさを思い出す。
そう言ってほしかったし、そう言いたかったのだと思う。
今までの事思い返すと 涙滲むのはどうして?
歌声はヒリヒリと、メロディーにはぬくもりがあって、矛盾とも思われかねない感情が存在しうることを表してくれている感じがして、
そういう感情もあっていいんだと思えた。
喜怒哀楽で割るなら、まあどれも表には出すのが不得意だけど、特に怒のヘルツが弱くて、哀もこぼれない限り人前で見せない。
だから、当時の阿部真央さんの歌声からどこか怒を感じたのが私には心地良くて、そして今の歌声からは、思いの強さは保ちつつしなやかさが増したように感じて、聴いていて居心地が良かった。
思い出が温かいものでなくても、つらいままだとしても、突き抜ける歌声でパアーンと歌ってもらえると、それはそれで受け止められる気がした。
だから当時、何度も何度も聴いた。
キレイだと振り返れる思い出ばかりと言えたらどんなに良かったかと考えながら聴いていた。
今聴くと、遠くになど置いて来られないと思った記憶も、たまにどうしようもなく痛むことはあっても、今は違う場所に立てている自覚がある。
なんでああ出来なかったのだろう。
なんでああ言えなかったのだろう。
一番簡単だからと矛先を自分にひたすら向けようとするとき、
「あなたが笑ってられる、幸せである それが私の幸せだから
自分ばかりを責めないで
私は勝手に幸せになるから あなたは前向いて」
その歌詞に幾度となく絆創膏を貼ってもらった。
前に進んでいい。歩き出していい。そう言い聞かせた。
SUPER EIGHTの「象」とも自分のなかで繋がる。
鎖はもう無いことに気づく必要があった。
「ここから歩き出そう」は、映画「小野寺の弟・小野寺の姉」の主題歌にもなって、映画館でもこの歌を聴いた。
エンドロールで感じた、自分の気持ちは忘れない。
「あさイチ」で歌ってくれたもう1曲は、「どうしますか、あなたなら」
阿部真央「どうしますか、あなたなら」
作詞:阿部真央さん
作曲:阿部真央さん
編曲:akkinさん
かつての解せない職場に向かう道で繰り返し聴いて、時にその問いに悔しくなったり、背中を押されて日々歩いた。
時には自分に向けてではなくて、上司に問いたい気持ちを、曲を聴いている間だけ強まる足元に込めていた。
完璧な自分を諦める勇気を
ダメな自分も愛せる生き方を
“綺麗な丸”をもらえたら、やっぱり嬉しくなるけれど、“間違えられな”いと考えすぎるのはやめたくなった。
あの時の自分には、特にそれが必要だった。
道はすでに開いてる
時は来た さぁ今
踏み出さねば分からないよ
どうしますか、あなたなら
阿部真央さんの歌声で響くから、受け取れるニュアンスがあると思いながら聴いていた。
あっけらかんとする強さもありながら、突き放してはいないエールだと感じた。
主題歌になった、NHKドラマ「これは経費で落ちません!」
ドラマのラストに流れてくるたびグッときて、ドラマバージョンのみ“どうしますか、森若さん”と歌っている貴重さも好きだった。
真面目にお仕事、それでいいじゃん!と思わせてくれるドラマで、どうしますか、森若さん!と問われる度に、自分にも問い掛けられてるようで、こんな時。私なら…と考えた。
通勤前の選曲は、仕事のモチベーションと働いている間の脳内BGMになるから、とても大事。
そのなかで、「どうしますか、あなたなら」も自分のセットリストのなかにあってくれたおかげで働き続けることができた。
「あさイチ」で今の阿部真央さんの歌声を聴けたから、あの時は日々に懸命すぎて書く余裕がなかった大切な歌を、あらためて向き合って好きを言語化できて良かった。
最初に歌っていた「I wanna see you」も一緒に、今また聴きたいセットリストに入った。