松竹座から、はじまった

 

丸山隆平さんが司会を務める、土曜日の朝。

サタデープラスで、関ジャニ∞のライブツアー前の新映像が解禁された。

えー新しい映像ーそうなんだーなんて気を抜いて見ていたら、なんかもう泣いてしまって、わーこんなつもりではと心の中がバタついた。

 

ステージに歩みを進める足元。

関ジャニ∞が視線を上げながら出てきたその場所が、松竹座なんだということはすぐにわかる。

横山裕さんの声。村上信五さんの声。

丸山隆平さんの声。安田章大さんの声。

大倉忠義さんの声。錦戸亮さんの声。

聞きなれた、嬉しくて、くすぐったい声が聞こえる。

関ジャニ∞の曲の歌詞が繋ぎ合わさってメッセージになっていると気づいた時のうれしさ。松竹座の客席一面に、ファンがいる。それも満員の。

松竹座の赤いソファー席が、向こうの方まで、果てしなく広がっていく。

 

“その頃”の関ジャニ∞を知らない。

それはいつまでも悔やまれる心残りのようだったけど、「1000人から、1000万人へ。」という言葉と共に見えた景色は、あの日から今日までがつづいていたことを感じさせた。

自分が知るのは大きなドーム、青い席。

でもそれも、はじまりは松竹座の空間から。赤い席の向こうがわに続いていたのが、この席なのだと思えた。関ジャニ∞が松竹座の席の向こうを必ず見えると信じたから、今こうしてドームの景色を見ることが出来ていると、気がついた。

 

松竹座へ帰ってきた関ジャニ∞

それがどれだけ感慨深いものなのかは、当時から応援し続けている人の胸に湧き起こる実感なのだと思う。

 

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あの時いて、今いなくても。あの時いなくて、今いても。どちらの存在も無ければ知ることのできなかった、関ジャニ∞のこれまでと今。

最初に居られなかった、ではなくて、バトンを繋いでいるんだなと実感する。自分なりのタイミングで出会い、好きになれてよかったという思いが湧き起こった。

 

2018年から2019年にかけて、横山裕さんと大倉忠義さんは関西ジャニーズJr.のプロデュースや演出を務めていた。

村上信五さんは番組「ジャニ勉」で、ロケの極意を伝授するコーナーを担当するようになった。

まさにいま松竹座のステージに立ち、その向こうを目指している彼らに、つきっきりとも言えるほどの頻度で、公演があれば見に行き、演出とアドバイス。ジュニアとして大枠で見るのではなく、1人1人の個性を見つめて、尊重し、チャンスを握れるようにと機会をつくった。

横山さんも、大倉さんも、一体新幹線で何回の往復を東京から新大阪間で繰り返したのだろう。

「大倉くんと高橋くん」のラジオを聴くたびに、大阪行ってきましてと話す大倉さんに、新幹線とはいえ長距離の移動は体力を使うのではと心配もした。

 

事務所としての意向は知るよしがないから、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、

なぜ急にこんなにも任されるようになったのかという疑問のひとつが、十五祭の映像を見て、理由というよりも結果としてわかった気がしている。

 

もし十五祭のこの映像が、これまでの経緯を経ていない中で見るものだったら

関ジャニ∞のファンとして、喜びはしたと思う。

でも、関西ジャニーズJr.のことを知りたいと思うようになったいま、グループを結成することの意味。二十歳を越えて考える進路。それぞれの人生がかかっていることをひしひしと感じるようになって、松竹座という場所は彼らが今生きる場所という認識になっていた。

 

先輩の関ジャニ∞が、ただ懐かしむためだけに戻ってきたのでは、まばゆいばかりで。

後輩たちにとって、割りきれない思いを生じさせる可能性があったかもしれない。けれど、先を歩いて身につけてきた経験を伝えて、出来る限りを教えた今なら、胸を張ってただいまと戻って来られたのではと。

だから、横山さんと大倉さんが松竹座に帰り、関西ジャニーズJr.の子たちのそばにいた時間はすごくすごく大切だったのだろうと、一部しか知らないながらに思った。

 

「松竹座」という場所に今現在いる関西ジャニーズJr.のことを関ジャニ∞として見守る時間をつくれたこと。関ジャニ∞にとっても、大切な経験だったのではと思う。

今度は、関ジャニ∞としての活動で、背中を見せていく番になる。

十五祭への狼煙を勢いよく上げて、最高のステージを。ありったけの歌声と、楽器の音で響かせてほしい。