関ジャニ∞ ライブツアー「GR8EST」最終日、変わることを恐れず進む道。[後編]

 

今回の振替公演と追加公演では関西ジャニーズJr.がバックに増えて、さらに関西ジャニーズJr.から作られた「なにわ男子」というグループが登場した。

そして「なにわLucky Boy!!」を一曲披露。

完成度にびっくりした。組まれてまだ日が経っていないのに、ステージでの立ち方がそれぞれに出来ている。

キラキラとしたフォーマルな衣装を身にまとい、マントやジャケットの襟にはメンバーカラー。初めて見たとしても、あの子は赤なんだな。オレンジなんだな。と分かるデザイン。

「なにわ男子」として京セラドームのステージに立った彼らが、物怖じせず堂々として見えたことにも感動した。“素”がこぼれる瞬間があまりなく、パフォーマンスをするなかで、どう動こう…どう見られよう…と迷っている余白を感じさせなくて、見入ることができた。

 

「eighterの皆さん。僕たち7人がなにわ男子です。貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました!」

と大きく挨拶をしてステージを後にしたなにわ男子。

後日書かれた西畑大吾さんのブログには、どんな気持ちでステージに出てきて、どんな景色を見たのか。臨場感たっぷりに書かれていた。自分の視点はなにわ男子の登場を見ている側だったけど、ガチガチに緊張していたとは分からないくらいに堂々とした存在感を放っていたし、ある意味で緊張がその真摯さを表して輝いたのかもしれない。

 

手をとって引っ張り上げることは、一定の場所へとたどり着いた人にしかできないことで、関ジャニ∞のライブで関西ジャニーズJr.の中から命名された「なにわ男子」に一曲歌うチャンスを手渡したことの意味の深さを感じた。

“歌った”というだけのことではなくて、ドームの空気、景色、ファンの声。立ってみて初めて分かる、体で感じる圧倒的な熱を実体験にできることで、これからの彼らの目標や心構えに大きな影響を与える大切な時間がそこにあったと思う。

きっと今、忘れられない時間を経験しているのだと思うと、そんな貴重な瞬間に立ち会わせてもらえたことが嬉しかった。

後輩たちのために何かしてあげられたらなーと言うだけで終わらずに、具体的な場を設けた心意気に惚れ直す。

 

 

ライブ本編のラストは、「大阪ロマネスク」から「ここに」へと変わった。

この決断も意外ではあったけど、 そっか。とわかりたい気持ちもあった。今回のツアー「GR8EST」が始まる前、頭の中で思い描いたセットリストには「大阪ロマネスク」が入る予想60%、入らない予想40%くらいの割合でいた。今は歌わない、という選択もあると思ったからだった。

渋谷すばるさんがいる関ジャニ∞。ラストに見られた奇跡が結成15年目の「大阪ロマネスク」なら、CDで、MVで永久保存版にできた時点で満足だったし、‪関ジャム‬の生放送で歌うその声が聴けたことでもう大満足だと思おうとしていた。

この耳で聴きたかった。その思いは確かにあったけど、このままならそれで、と思っていた。

セットリストに入ったことに、そっちを選んだんだなあという感慨深さを感じながら、本編ラストがこの曲だったことには、ジクジクと痛むような感覚を覚えた。

札幌から始まったライブ。夏の間、ステージを重ねて、時間が経つまでは、関ジャニ∞としてもファンとしても必要なことだったと今思う。

 

だけど本心は、悲しさに染まったままのエンディングではなく、ガツンとかましていく関ジャニ∞が見たい!という思いもあった。

だから夏の京セラドームでも東京ドームでも、本当のラストは「ここに」であると思っていたし、“Hey!”と全力で声を上げる時、伝わってる届いているという実感があって、肌で感じるあの熱量を放つ関ジャニ∞に心掴まれていた。

ひとつのライブにコンセプトがあって起承転結があるなら、本編が「ここに」で終わるこのセットリストもすごく好きになった。

その分アンコールにも変化があり、「パノラマ」が「All you need is laugh」に変わった。大阪に思いを馳せて、行きの新幹線で何度も聴いた「All you need is laugh」を京セラドームで聴けることが最高に嬉しかった。

歌詞の“堀江でお茶しながら決めるのはどう?”を“俺ん家でお茶しながら決めるのはどう?”とアレンジした丸山さんにはぐうの音も出ない。ミニオンパーカーをいそいそとかぶる丸山さんの可愛さと、“それともUSJ行ってからのNGK?”の歌詞を丸山さんと村上さんの二人で肩を並べて、ダンディー坂野さんみたいな片手を前に差し出す振りつきで歌ってからへへーっとハイタッチをする様子の可愛さはズバ抜けていた。

 

kura tikの映像のコーナーも追加の撮影で変化があり、17日は安田さんのキュートな女装。18日はなんと丸山さんでときめく振り向き3連発。

公演ごとに主役が変わる映像コーナー、運が良かったみたいで、丸山さんが登場した前回のkura tikも見ることができていた。大倉さんの後ろで踊り狂って、全く可愛さアピールにならなかった前回を反省し、今回はしっかりお願いしますよと釘を刺される丸山さん。

シチュエーション①は、車の後部座席から運転席の丸山さんの肩を叩き、こっち向いてと呼びかける。助手席に片腕をかけて振り向くあの完璧王道な角度でバッチリ決め顔。ウインクもバチンと飛んでくる。

シチュエーション②は、運動部の帰り、ユニホームで大きめのボストンバッグを肩に下げて水を飲んでいる丸山さんの肩をトントン。やや狙いすぎな決め顔で振り向き、ドームに響く黄色い歓声。

シチュエーション③は、公園の噴水前。あったかそうなニットを着て腰掛けている丸山さんに呼びかける。振り向く丸山さん。

顔が白塗りでくっきー……

正確には芸人さんのくっきーがする柴田理恵さんのモノマネメイク。引くほど怖い。めちゃくちゃに怖い。大倉さん「やっば」しか言えず爆笑。丸山さん、入れ歯が邪魔で喋れてないし。

せっかくかっこよかったのにー絶対なんかすると思った…と、ある意味期待を裏切らない丸山さんの遊び心に笑った。

本家を知らないから、こんな映像のテンプレートがあるんだと毎回未知の世界だったけど、面白かった。

 

そのあとに続く映像では錦戸さんが黄色いジャケットを着て登場し、「これ着てみたかってん」と嬉しそう。その時点で、これは…!!と高鳴る鼓動。見事に吉本新喜劇の乳首ドリルを再現。しかも錦戸さんがチンピラ役で大倉さんがドリル担当。完璧だった。おまけ映像で映った、個人練習する大倉さんもよかった。

「All you need is laugh」があって、新喜劇があって。なんとも大阪色満点な公演で、なんて最高なんだ…!と喜びいっぱいだった。

 

ライブの最後に「ありがとうございました!」と深々お辞儀をする横山さんが印象的だった。

両側から閉じていく扉の向こうへと歩いて行って、丸山さんと安田さんが最後になり、二人並んで笑い合いながら、“山田”という名前でお笑いコンビを組んでいた頃の決めポーズ、“イェイイェイ”を少しぐだりつつもやってくれたのが可愛かった。

そして残った安田さんが、振り向き加減にバチンとウインク。ワイルドな舌舐めずりつきで。徹底したオラオラ具合がくせになってきた…かもしれない。

 

こうして幕を閉じた、関ジャニ∞ 2018年ライブツアー「GR8EST」

無事に、ライブツアーを終えることができて、本当に。本当によかった。何よりもその思いでいっぱいになっている。関ジャニ∞と呼んでいても、それぞれにはそれぞれの、横山裕さん、村上信五さん、丸山隆平さん、錦戸亮さん、安田章大さん、大倉忠義さん、ひとりひとりに抱えた思いがあって、葛藤があって。

それでもライブツアーを今行い、一時でも早く生身の声でファンの元へと会いに来てくれたことに、ありがとうでは足りない思いでいる。

楽しかった。それに尽きる。簡単にはまとまらない思いが心にあったとしても、あの時間、ドームで声をあげて音楽にのっていた時間は最高なものだった。

これからを見たい。そう強く思ったこのライブ。

次こそが勝負だと、熱くて冷静な関ジャニ∞がそれをわかっていないはずはないけれど、それも含めて楽しんで、熱量へと変えていく彼らの勇姿を、私はまだまだ見続けていくと決めた。

 

関ジャニ∞ ライブツアー「GR8EST」最終日、変わることを恐れず進む道。[前編]

 

“楽しい?”

歌の途中で、目尻を下げて口角を上げて、口パクで聞く安田章大さんがスクリーンに大きく映し出された。安田さんがあんまり嬉しそうに笑うから、胸が熱くなった。

その問いかけに思わず「うん」と頷いていた自分に驚く。完全に無意識で、ああ今私は楽しいんだと気がついた瞬間だった。

 

関ジャニ∞ライブツアー「GR8EST」

振替公演の翌日が凱旋追加公演になり、京セラドームでの2日間のライブが開催。夏から始まったライブツアーは、冬に差し掛かる11月18日で無事完走となった。

まさかもう一度、大阪に来るなんて。

振替公演のレポートを目にした時、セットリストが数曲変わったことを知った。「ここにしかない景色」が「象」に変わり、「大阪ロマネスク」でのエンディングが「ここに」で本編を締めることに。アンコールに「All you need is laugh」が登場した。

「象」が聴ける。それをイメージしただけで泣くほどにうれしかった。大阪出発の前日に、自分にとって大きい状況の変化が起こった。決して良い変化とは言えなかった。ライブに行くかどうか一時迷ったけど、どうしてもいま「象」を聴きたい。その思いで大阪へと向かった。

 

 

ライブが目の前で起きている。

視力が瞬間的に過去最高になったのではと思うくらいに、何もかもが鮮明にくっきりと視界に飛び込んでくるライブだった。

ステージも、照明も、関ジャニ∞ひとりひとりの姿も、テレビ越しみたいな感覚ではなくて、本当にここで自分が目にしているのだと実感が持てた。

ドキュメンタリー番組「RIDE ON TIME」で、舞台進行や特効、音響のスタッフさんの仕事を具体的に知ることができたことも大きい。

自分が居た席は、前の方をよくスタッフさんが通って、重そうなカメラを持った状態で走るスタッフさんや女性のスタッフさんを見て、ライブ中にこんなに忙しく走り回ってステージを作ってくれていることを知った。

キラキラと降るテープも、火花も、人が作り動かしている凄さに感動していた。

 

オープニングの挨拶。ツアーのラストで錦戸亮さんはなにを話すだろうと心して耳を澄ましていたら、「エーオ!」と吠えだして、何事かと思った。

個性強めのコール&レスポンスだなと戸惑っていたら、錦戸さんが映画「ボヘミアン・ラプソディー」を観たばかりだったようで、フレディー・マーキュリーのライブシーンを完コピしていたと後でわかった。ドーム一面に広がるファンを前にして、あれがやりたい!となったのだとしたら可愛すぎる。

そのいきなりのコール&レスポンスに疑問を抱かず…というより、考える前についていく、ファンの対応力もすごかった。

 

「応答セヨ」でのスタートは何度聴いても胸がチクリと痛く、でも温かくなった。

次に続く、“ようこそ”ではじまる「ここにしかない景色」の流れがすごく好きだったのだけど、今回の2公演は「象」へと変わった。変わる前を観られているから言えるんだと言われてしまうとその通りだけど、関ジャニ∞の地元、大阪で見せるツアーラストの姿だからこそ、“ようこそ”ではなくこれからを感じさせるような、強気な曲を当てはめてくれたことが嬉しかった。

「NOROSHI」も「象」も、渋谷すばるさんの存在感は大きく、変化を感じさせないようにさける方法もあったと思う。それでも歌うと決めたからには、相当な覚悟があってのことだと感じずにはいられなかった。

 

 

丸山隆平さんのギャグタイムは2度ほど。どちらも濃密な時間だった。

変な間を置いて、手足をにょきにょき動かしてからの「ナナフシ」に、お腹が痛くなるほど笑った。カマキリの次に苦手なのがナナフシだけど、あの奇妙な動き、見事にナナフシ。いい不気味さがでている。香川照之さんの前で披露してほしい。

ほかのギャグの流れで、“スガシカオ”とギターを爪弾くジェスチャーをする丸山さん。「カメラさん寄りで映してるから手元映れへんねん」と大倉さんにツッコまれて、もう一度仕切り直す丸山さんのハートの強さ。今度は完璧な間合いで引きの画にしてくれるカメラさんの仕事っぷりが素晴らしかった。

 

バンド形態の関ジャニ∞を乗せて動くムービングステージの上、ウィンドチャイムに手を滑らせていく横山裕さんが美しかった。

丸山さんのベースステップも見えて、楽しそうに、そして時に寡黙にベースを弾く姿に釘づけ。カメラに抜かれない動きもよく見えた。「ココロ空モヨウ」のイントロで、鳴らす楽器の順番通に合わせて小粋にキュー出しをする丸山さんが好きで、今回のツアーは必ず注目した。

バンド演奏でのピック投げに、あんなにときめくのはなぜだろう。丸山さんはバンド終わりの暗転前に、ピックを手に持ってステージ前の方に歩いて豪快に2、3個投げていた。安田さんがする、腕力で投げつける感じのピック投げも好きだ。

あの小さなピックをつかみ取る、運の強さも動体視力もないから、いつか万が一に奇跡が起きるなら、そっと手のひらに落としてほしい。億が一でも無いことなのだとわかっているけれど。

 

無責任ヒーロー」では、ファイト!関ジャニ!の声量を、もっと!まだいける!とガツガツ煽る安田さん。誰か言ってくれるでしょーって人任せにするんじゃないよーとストイックだった。

 

「torn」の色っぽさが今回も強烈に印象に残っている。二人が憂いを表現するとなぜこんなにも魅力的なのか。

この曲になって大倉忠義さんが、髪型のアレンジを変えて出てきた。前髪を片側から重めに流して軽いほうの右サイドを耳にかける大倉さん。コンパクトにまとまった髪型と、ひらりひらりと揺れ動く衣装の対比が特に色っぽくさせていた。

大倉さんがライブ中にこんなにも絶妙なニュアンスで髪型のアレンジを変えていたことに気がついて、ライブが進行していくなかで一体いつそんなタイミングをつくるのかという驚きと、約3時間のライブで様々な表情を美しく見せるプロだと思った。

ここぞという時、耳掛けスタイルにして出てくる丸山さんは最高だし、村上さんも前髪のセットが変わっているふうに見えて、メンバーそれぞれのこだわりを感じられた。横山さんの髪型は安定しているけど、完璧に似合っているから間違いない。

 

「パンぱんだ」は最後の、おてて繋いで帰りましょのところで、横山さんが照れたのかツボにはまったのか、交互に振り向きながらけらけら笑けてしまっていて、それがもう微笑ましかった。

「パーン」の締め方といい、「FIGHT」の時みたいなほんわかした空気を感じて、ホットミルクみたいに温かい丸山さんの笑顔に心がほぐれた。

 

「僕らは奇跡でできている」高橋一生さんの緻密さと、一輝という人物の観察眼

 

飛べない鳥って、本当は“飛びたくない鳥”かもしれないですよ。

 

大阪の天満にある、関テレの入り口にある大きな大きなポスターが、関テレ制作のドラマ「僕らは奇跡でできている」の高橋一生さんに変わっていた。

関東ではフジテレビで放送されているドラマだけど、制作は関西テレビで、以前も別のポスターが貼り出されているのを見ていた。

その正面玄関の大きなポスターに書かれていた言葉が、この言葉だった。それが何だか気になって、数話見て止まっていたドラマを今週は見ることにした。

 

それが大正解で、聞きたかったこと、思っていたこと。それが言い当てられていくみたいで、高橋一生さんの演じる“一輝”が話す言葉と表情に、すくい上げられていく気持ちがあった。

普通って何ですか?みんなって誰ですか?そう思っていたとしても、日常の中でそれをいちいち口にしていては、“面倒なやつ”と敬遠されることくらいはわかっている。だからそれをどうにか穏やかにシンプルに、自分のなかで思い続けることはできないだろうかと考えていた。

一輝は、疑問や思いを相手に同じように持ってほしいとは思っていないように見える。

僕は、こうです。と短い式で伝えているだけ。そこに相手を変えてやろうとか、自分の思うようにとかいう魂胆は無い。一輝の思考回路を数式にしたらきっと、短くすっきりしたものになる。

 

第7話の「僕らは奇跡でできている」には、さらりと交わされていく会話の中にいくつも核心を突くピースが散りばめられていた。

ドラマ予告を見た時、今の高橋一生さんにこの役を演じてもらいたいとお話しが来ているということに、どんな意味があるのだろうとワクワクしていた。パッと見たところは、生き物や動物の多く登場する穏やかなドラマ。でもこのドラマ、きっと只者ではないと思った。

高橋一生さんがあまりにもほがらかに一輝という人物を演じるから、にっこりと優しい顔をして、言葉の真意は他にあるのではと。

派手さやドラマチックさではない、このテーマでドラマを作るということは大きな挑戦のように思えて、企画を通すのは大変だったのではないかと感じた。そんな1話から、7話になり、ついに何を言いたかったのかが解けてきた印象があった。

 

大学で講師をしている一輝は、鮫島教授からの「ゼミを持たないか」という提案に、

「今はまだわからないので、先送りにしてもいいですか」

とシンプルに答えた。なにも、ためらいなく。

今答えなくては。相手の求める答えは何だろうか。なんてことは考えずに。

鳩が豆鉄砲を食ったような気持ちになった。それありなんだ!と肩の力が抜けて笑けちゃう感覚。わからないって答えが出てるのに、それ以上の答えを出さなきゃと思い込む。自分にも覚えがあった。

先送りにしますと言うのも、答えにしていいんだ。そう思えることが新しかった。

 

一輝と出会った男の子、虹一くんは教科書の文字を読もうとすると頭が痛くなって、学校での“授業”が好きじゃない。でも好きなものがあって、森での勉強や絵を書くことが好き。

家に帰りたくない、一輝の家に泊まる。と確固とした主張をする虹一くんに、一輝は「いいよ」とはっきり言うけれど、“僕はどうしたい”を虹一が母親に自分で言えるまで、具体的には動かない。でも、「明日は森に行こう」と、出来る約束をする。

しつけではない方法で、自分から気づけるように手立てを用意する。やはり一輝は相当に賢いのだと思わずにはいられない。自由で奔放に見えて、それだけではない。

ちゃんと聞こうとしてくれる一輝に、虹一くんが出会えて本当によかった。大人と子供の境を線でくくらない一輝の存在は、虹一くんの心だけでなく命を救っていると思う。

 

母親はいっぱいいっぱいな日々に追われて、それを上手く受けとめることができず、“やれば出来る”ということを教えたいと、一生懸命になる。

一輝が虹一くんの母親と話しをするなかで、「(虹一くんは)教科書を読んでいると頭が痛くなったり瞬きをしたりします」と説明した。それでもなお「やりたくないからですよ」と言った母親の言葉を聞いた時の、目を閉じた、あの表情。

すごいと思った。虹一くんの緊急性と必要な対応を、一輝が責めることなく母親の元へと届けようとするのに、伝わらない。通じない。怒りよりも諦めのような、でもわかり合いたい一輝の芯が見えたようで、時が止まった。

 

対話ができないと悟ったときの、喉が狭くなるような絶望感。演技として、表現しようと思ってできるものではない。その人のなかにそういう思いをした経験がなければ、あんな顔はできないと感じた。それほどに、リアルだった。

 

なんだか引きつけられる高橋一生さんの魅力というのは、人として根が深く張られているような佇まいや言葉選びにある気がしている。「ボクらの時代」という対談番組に出ていた時も、聞く人によっては棒だと言われるかもしれない台詞の言い方に憧れていると話していて、外した音の取り方で言う台詞に魅力を感じるけれど自分は正しい音を知ってしまっているから、正しい音を一度持ってから外していく作業になってしまうと、少し悔しそうに話していた。

それを聞いて、この人はどこまで演じるということに真摯に向き合う人なんだろうと、圧倒された。

「カルテット」を見ていた頃、耳にいい意味での引っ掛かりができる高橋一生さんの台詞の音の取り方に惹かれていた。「あれー?」の言い方や、あえて単調にして話す言葉の流れに、音遊びのような楽しさがあった。

「僕らは奇跡でできている」でも、高橋一生さんの演じることへの挑戦を感じることができる。

 

 

第7話は、一輝がどんな人物であるのか分かりはじめる回でもあって、“カメは昔、ウサギだった…!?明かされる過去”というサブタイトルがついている。

1度見終えてから2度目の再生をして、カメラのカット割とそれぞれの瞳の表情に伏線と意味が込められていたのだと気づいた時の驚き。1度目は何の気なしに見ていたシーンが、2度目に見た時には大きな意味を持っていた。

予測できなくて掴みどころのない一輝という人を見ていると、ザワザワするし、振り回されている周りの人の視点に立ってしまっていたたまれないと感じていたけれど、第7話で一気に引き寄せられた。

 

きっとこのドラマの真意はそういうところにあるのかなと、今は思う。

大枠で判断をしようとすると見つけられない何かがあって、何を言いたいか、よくよく耳をすまさないと聴きとることはできない。

かき消される前の音を拾える人でいたい。第7話の一輝の言葉に、そんな思いが芽生えた。