私なりのコーヒーブレイク

 

コーヒーはにがい。にがくて、一口飲んだだけでも口の中がいーってなってしまう。

だけどコーヒーの香りは好きな香り。カフェラテにお砂糖を入れて飲んだり、ミルクの多く入ったにがくないコーヒーを探して、カフェに行くたび色々なお店のカフェラテを飲み歩いていた。私にも飲める理想のコーヒーを探して。

 

土屋みよさんというイラストレーターさんの描く女の子の絵が好きで、よく見ていた。水彩のように淡く、でもビビットな明るさがあって、海外の空気を感じる土屋みよさんの絵を日々見ているのが癒しだった。けれど未だイベントに参加したことはなく、いつか似顔絵を描いてもらうことができたらと思いながら、現実に行動できてはいなかった。

そんなある時、土屋みよさんが紹介されていたコーヒー屋さんがふいに気になった。場所も開店時間もよく知らないけど、気になったなら行ったほうがいい気がして、行ってみることにした。

 

 

コーヒー屋さんの名前は、「ritmos」(リトモス)

東京都八王子市、八王子駅から南口に出て1階に降りて、駅から右手側を目指し信号を渡る。

 

行ったことはないけれど、たどり着けるだろう、たぶん。の気持ちで探した「ritmos」

頼りはお店の外観が映った写真一枚。あっちを歩いて、こっちを歩いて見渡していると、駅の方を向くようにして立つお店が見えた。切り取られた景色と景色のパズルを合わせるみたいで、Googleマップで迷わずたどり着ける道のりとは違う楽しさがあった。

黒の看板にCOFFEEの文字。ブルーの小窓の向こうにはコーヒーミルが見えて、灯りがもれていた。OPENの札にほっとしながら、白のドアをおずおずと開けた。

 

きっと好きな気がすると思った直感そのまま、ほんわり落ち着く店内の雰囲気に、来て良かったとすぐに思った。

ソファと木の椅子と、木のテーブル。壁には大きな絵がふたつ飾ってあって、色鮮やかなのに目がいたくない、素敵な色合いの絵だった。

メニューのボードを眺めながら、コーヒーの名前に詳しくない自分はどれにしたらいいのか迷いつつ、「ミルクが多いのはどれですか?」と聞くと、「ミルク多めにできますよ」と、ミルク多めのコーヒーミルクを作ってくれた。思えばコーヒー屋さんに来ておきながら、コーヒーよりミルクを多くとオーダーするって失礼なのではという気もしたけれど、自然な流れで飲みやすいコーヒーを淹れてもらえたことが嬉しくて、初めて来たお店でちょっとオリジナルということにもわくわくしていた。

 

挽きたてのコーヒー豆がコーヒーフィルターの中に入って、お湯が注がれるとコーヒーの香りがする。

ここのところ肩に力が入っている自分に気がついていて、ふとしたきっかけで知ったコーヒー屋さんに行こうと思ったのも、気分転換をして、少しでも気を緩められたらと思ったからだった。

もこもこのミルクにお砂糖ひとつ落として、一口飲んだ。

おいしい。コーヒーとミルクが一つの味になっていて、大好きなコーヒーの香りが喉を通って巡っていく感じがした。

 

初めての空間、初めましての対面となると、どうしても緊張してしまうけど、その緊張も自然とほぐれた。店主のリトさんは絵描きさんで、壁に飾られている絵や色んな所に描かれている絵もリトさんが描いたもの。コーヒーカップに付いたスリーブに、似顔絵を描いてもらって嬉しかった。

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肩に力が入っている時は、黙っているのも愚痴を言うのもなんか違う。気にしている事と関係ない話をしていたい、そんなタイミングでここへ来て、コーヒーミルクを飲んで、ゆっくり座ってお話しをさせてもらえる時間がありがたかった。

後からいらしたお客さんともお話しをして、初めましての垣根なく「ritmos」に居合わせた人たちで会話をしているのが楽しかった。会話に入っていくのが苦手で、普段はすぐ聞き役に徹してしまうけど、自分からも話せていることに驚いた。

 

コーヒーミルクを飲み終えたころ、「飲んでごらん?」と白いカップに入ったコーヒーをリトさんから手渡された。お砂糖もミルクもなしの、ブラックコーヒー。

正直いうと、飲める自信はなかった。試飲で配られたりする小さな紙コップさえも飲みきることができなくて、コーヒー牛乳にしないとだめなのに、多分無理な気がする…と思っていた。そう思いながらも口にしてみる。

おいしい。いーってならない。マンダリンフレンチという名前のコーヒー。苦味も酸味も居座り続けることがなくて、コーヒーの香りの心地良さだけがアロマみたいに口の中に残って、しばらくの間いい香りが口の中で余韻になった。

ブラックコーヒーを飲めた。ただ飲んだのではなくて、おいしく、飲めた。どうして大人はコーヒーを飲めるのか…そんな日は自分には来ないのだろうな…と思っていたのに、こんな瞬間がくるのかと自分が一番びっくりした。まさに関ジャニ∞の「コーヒーブレイク」を聴きたい気分で、錦戸さん…!私飲めたよ…!と謎の報告をしたくなった。

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好きなコーヒーを飲めるお店。そんな場所を見つけることができた。

持って帰ったカップのスリーブは部屋に飾った。

自分の好きそうなものを探し当てるセンサーと、その感覚に忠実に行動してみる行動力はやっぱり無駄じゃないなと思った。

のんびり、しみじみ、おいしいコーヒー。

いろんな人に「ritmos」のコーヒーを飲んでもらいたい。

 

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たねも仕掛けもあるけれど −「君の瞳に恋してない」UNISON SQUARE GARDEN

 

開放感のあるトランペットの音が鳴り響く。弾むリズムにベースの音が聴こえる。

UNISON SQUARE GARDENの新しいアルバム「MODE MODE MODE」に収録されている曲「君の瞳に恋してない」は、ワクワクとざわめきが、マーブル模様のように混ざり合い、グルグルと円を描いて、そのループから抜け出させてはくれない。

 

トランペットやホーンなどの管楽器が活き活きと曲の中で暴れる感覚は「mix juiceのいうとおり」に近い感覚で、スカサウンドの要素もある。

裏打ちのリズムで聴こえるエレキギターの音が跳ねる気分を助長させて、そのテンポにこぼれることなくハマる言葉の気持ち良さ。

ハイトーンだけど、可愛らしさも爽やかさもバランス良く共存している斎藤さんの声が、曲の世界観にこれ以上ないほどしっくりきていて完璧。この曲を歌うのは、斎藤さんしかいない。

 

UNISON SQUARE GARDEN(ユニゾンスクエアガーデン)の曲はアニメのテーマ曲になっていることも多い。テーマ曲にある独特の高揚感をしっかりと形にしながら、バンドとしてのスタイリッシュさが共存している。

そして歌詞が楽しい。トリッキーで掴み所のない、どこか飄々とした温度感はUNISON SQUARE GARDENの魅力だと思う。

曲としてさらっと聴きつつも、言葉として見ると、様々な意味で取れる歌詞。その不思議さにガシッと心掴まれて、何となくで再生したはずのMVを気づけば何度も見ていた。

歌詞の魅力はもちろんのこと、「君の瞳に恋してない」はMVも楽しい。UNISON SQUARE GARDENの曲のなかでは、「mix juceのいうとおり」と「君の瞳に恋してない」が断トツで好きだ。

躍動感あふれているベースの田淵さんは作曲も作詞もしていて、その才能はとてつもない。細身の黒のスーツを着て、ボーカルの斎藤さんがギターを弾く姿は最高にかっこいい。「君の瞳に恋してない」はドラムの鈴木さんのダンディーな格好良さも光るMVだと思う。

 

MVには、遠近法やストップモーション、スタジオを移動することでセット転換にする演出も使われていて、映像のトリックが目白押しでおもしろい。

全体像が見えない面白さと、所々ステージの境目やカメラ、証明、セットの仕掛けなどが見える面白さが交互にある。その上で歌詞を聴くと、「甘い一瞬に騙されて?」という歌詞にも意味深さを感じられて、すごいなと感動した。

恋のことでもあり、観せる側と観る側、作り出されるすべてのものに重なる歌詞のような気がしている。気のせいかもしれないけれど、SNSや、そういうところでの距離感の話にも当てはまると感じている。

  

せめて君ぐらいの声はちゃんと聴こえるように

嵐の中濡れるくらい構わないからバスタオルは任せた 

せめて君ぐらいの声はちゃんと聴こえるように」という表現から思い浮かぶのは、その声がかき消されそうなほどの喧騒の中にいる状況で、いっそ耳を塞いでしまえば聴こえなくなるかもしれないけれど、せめて、君の声は聴こえる場所に居たいという感情。

何を信じて、どの声を聞くか。見失いたくないこと、見失ってほしくないこと。沢山の声が聞こえてくる中に自分が立った時、私は誰の声が聴きたいだろうと思った。

 

雨の中濡れるくらい構わないからバスタオルは任せた」という歌詞。

雨をよける傘になってかばってよ、ではなく、雨の中に飛び込んで行くからバスタオルは任せたと言う、その心意気に惚れた。颯爽と走って行く背中を見送る気分にすっかりなってしまう。

歌い方も、バスタオルの発音の“オ”に力を入れているところがワイルドさを表現していて良い。ボクシングのリングに投げ込まれるタオルのようなイメージで、勇ましく飛び込んで行くけど、ピンチの時は助けてねという可愛らしさも感じられる。

 

そして、すごい威力を持つのが、この歌詞。

甘い一瞬に騙されて? 

はい!と大きな声で元気よく応えたくなるほど、この歌詞はすごい。そのクエスチョンマークはずるい。

この甘さは一瞬だとお互いに分かっていて、それを承知の上で、「甘い一瞬に騙されて?」と問いかけられたら、その儚さも込みで愛してしまうしかない。ただ、それはエンターテイメントにおいての話に限るけれど。

MVでの“騙されて?”の時の、斎藤さんの上がる口角と流し目が完璧で、画角を左から右上になめるように動く導線も美しかった。

 

 

小さじ一杯のカラクリが生み出せるもの

ちょっと信じてみてはくれませんか 保証がないのは本当だけど

僕の手握っていいから  

 

どうしようもないほどワクワクさせられる感覚も、その時間の中にずっとは居られない切なさも、曲の最後に来るこの歌詞にすべて込められていると思う。

「保証がないのは本当だけど」という言葉に現実を見て少し不安になった後に、「僕の手握っていいから」と来る言葉の威力。MVで映る、その言葉のあとの微笑み。

曲を聴いている4分間の間に、ジェットコースターもびっくりなアップダウンを繰り返し、重力に振り回されて、最後にグンッと正面を向かされる感じ、自分の好きの対象に照らし合わせて聴くとやっぱり、そりゃあ離れられるわけないよなと納得してしまう。

ボーカルの斎藤さんは、ふとした瞬間、とてつもなく甘い声で歌う。 

メロンソーダの上に乗ったバニラアイスみたいに、シュワッと駆け抜ける爽やかな炭酸と甘く溶けていくアイスのような相性でマッチする。

 

たねも仕掛けもあるけれど、それでもこの瞬間、騙されてくれますか?

そう問いかけられているような気になる「君の瞳に恋してない」は、抜け出せそうにないエンターテイメントの引力の世界で、自分にとってテーマソングかもしれない。

 

アンナチュラルとLemon

 

夢ならばどれほどよかったでしょう

未だにあなたのことを夢にみる

 

感じる痛みと心細さが音になるとしたら、こういうメロディーになるのだろうかと感じたのが米津玄師さんの歌う「Lemon」だった。

 

ドラマ「アンナチュラル」にはこの歌しかなかったと思うほど、曲と映像の空気感が一つになっていた。言いようのない脱力感と内から湧き上がるやるせなさが、掴むことのできない煙のように漂っている。

どうしてなのか「Lemon」からは悲しみだけでなく、怒りの感情も伝わってくる。この感情を怒りと言い表すことが適切なのか分からないけれど、アンナチュラルの中にも流れている感情だと感じていて、言葉にするならそれは全てに通ずる不条理さへの怒りだと思う。

ミコトは第1話で、中堂に敵は何だと聞かれ、「不条理な死」だと答えた。死に対してだけではなく、なぜ、どうしてと考えても考えても答えの無い問いが、鉛の層になって沈んで重なっていく温度は、ドラマと曲に共通していると感じた。

 

石原さとみさんの演じる三澄ミコトの心境に溶け込んでいくことができるのは、この歌だけだと思った。共感を寄せつける余地のないミコトの過去に寄り添うことが出来るのは「Lemon」で、終盤にそっと流れてくるたび、この歌をミコトが耳にできているとしたら、どれほど救われているだろうと思い浮かべずにはいられない。

降っては肌の温度にあたり溶けていく雪の結晶のように、ミコトだけではなく、中堂も、六郎も、このドラマに出てくる人たちに、この歌は浸透していく。

それでもなぜか、絶望だけではなく、希望を感じずにはいられない。アンナチュラルも「Lemon」も、シリアスで、明るくはない雰囲気の作品だと思う。なのに不思議と、暗さの後に残るのはすうっと胸を通る清々しさで、空が開けていくイメージが広がる。

アンナチュラルにおいても、「Lemon」においても、そこに鍵があると思う。

 

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ

その全てを愛してた あなたとともに

 

胸に残り離れない 苦いレモンの匂い

雨が降り止むまでは帰れない 

 

「雨が降り止むまでは帰れない」という言葉が浮かび上がるように耳に残る。

この一行から感じる、途方も無い淋しさは何なのだろう。“雨が降り止むまでは”と言っているのに、雨は降り止まないと思ってしまう。もう帰ってこない気がする、そんな物悲しさ。

もう一度会えるかもしれない、と、もう二度と会わないかもしれない、の境はひどく曖昧で、それが嬉しいのか悲しいのかもわからない。

“雨”というものに色々な意味合いがあるようにも思える。阻むもの、何か起こるかもしれない気配、そして涙も、雨から連想するものだった。自分は聴いているといつも、“雨が降り止むまでは帰れない”という言葉に、泣き止むことができなくて、涙が止まるまでは帰れないというニュアンスを重ねている。

 

 

“酸っぱい”ではなく。

“苦い”と言い表したレモンの匂い。

レモンを、明るくフレッシュなイメージを抱かせるこの果物を用いて、全くの反対とも言えるような空気感を当てはめたことに驚いている。

味ではなく匂い。それを苦いと言う。この言葉を聞いて、そうだったと固定概念を覆された感覚がした。確かにレモンは苦さがある。イメージで持つ酸っぱさや爽やかさとは別に、皮の渋みや酸っぱさの後味には苦さがあった。

子供の頃、料理についてくるレモンが何だかもったいなくて口に含んでみると、口の上の方がイーッとなるほどの酸っぱさと、レモンの皮の苦味が一緒になって、思っていたのと違う…とショックだった。見た目はオレンジと似ているし、黄色くて美味しそうだけど、レモンは目で見た通りの味ではないのだと、その時思った。

 

 

医療ドラマやサスペンスの怖さが耐えられない自分は、アンナチュラル放送開始前の宣伝を見た時、興味はあるけれど見られないだろうと思っていた。けれど、解剖シーンのさじ加減や表現方法のおかげで、見ることができている。

ムーミンが大好きな臨床検査技師の坂本さんや、ミコトと絶妙な同僚としての距離感でいる東林海さんなど、ひとりひとりのキャラクターにとても愛着が湧く。個人的に、葬儀屋の木林さんの飄々とした口調と佇まいに、キュンときてる。刑事の毛利さんも好きだ。

 

“何があったのか”

ひたすらにその疑問を投げかけ、徹底的に調べていくUDI。善悪を裁くためではなく、その人がどんな時間を生きて、なぜ死ななければならなかったのか、人の身体からその人の人生を読み解こうとする。

第7話でミコトは、いじめを行なった人物への復讐、そして自分自身への復讐を実行しようとした男子学生の白井くんに向けて、その行動によってこの先に起こるのはどんなことなのかをはっきりと口にした。

まだ終わってない

あなたが命を差し出しても、あなたの痛みは、けっして彼らに届かない。

あなたの人生は、あなたのものだよ

自らの結論に希望すら見出していたかもしれない白井くんにとって、ミコトの伝えた事実は酷なものだったかもしれない。でも、それは事実だった。

生きている、だから出来ることがある。どんなことが過去にあるとしても、ミコトが今を普段通りにすごしていることはとてもリアルだなと見ていて思う。どんなことが自分の身に降りかかっても、今日は今日、明日は明日の自分が生きている。

 

なくしても、暮らすこと。

悲しくても、食べること。

生と死の境は思うよりずっと近く、どこにその境があるかなどわからない。だから、アンナチュラルが描こうとする人間として生きることの意味に、心揺さぶられ目が離せなくなる。

 

「Lemon」の歌詞の意味がどんなものであるかは人により様々で、誰に向けたものであっても、どんな景色が重なるとしても、それでいいんだろうなと感じられる。

どんなことが起ころうと、ミコトは黙々とご飯を食べる。人と会話をして、同僚と笑い合う。

アンナチュラルを見るたびにきっと自分も、その在り方に励まされていくのだろうと感じている。悲しくても怒っていてもお腹が空くことに情けなくなりながら、ご飯を食べて、明日の自分を守ることを選ぶのだと思う。

 

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