このCDジャケットが好き ー 関ジャニ∞編

 

ジャケット写真が解禁されると、いよいよ見えてきた全貌にテンションが上がる。

CDリリースを知って予約をする時に、ジャケット写真はまだ分からない。それでも曲への期待で予約をするから、どんなデザインであっても家に来ることは決まっているけど、そのデザインが好みだった時、CDショップで受け取るのがもっと楽しみになる。

あまりに気に入ったデザインだと、そのCDが並ぶ様子が見たくて、CDショップの棚を通りがかりに覗きに行ったりする。

 

初回限定版A、初回限定版B、通常盤、と大まかに分けてジャケット写真は3パターン出ることが多い。

通常盤は特に通年棚に並ぶCDなので、これなんだろうとつい手に取りたくなるジャケット写真であることは大切だなと思う。ジャニーズというとやはりメンバーの顔が写った写真のイメージで、自分がCDを買うようになった最初の頃は、そこに若干の照れがあった。誰のCDか分かりやすいことも大切だけど、通常盤は目を引いて部屋に置きたくなるようなデザインだといいなと感じることがある。

関ジャニ∞のCDのなかで、自分が特にいいなと感じたデザインを3つ挙げてみると、最近のものが多かった。

 

 

「強く強く強く」初回盤

丘を歩いて行く7人。緑が生い茂っているわけでも青空が広がっているわけでもない、黄味がかった景色と茶色く枯れた草木のなかを並んで歩いている7人の立ち姿が、どうしてか強烈に頭に残った。

身長差がそれぞれある7人だけど、大倉さんを真ん中にしてひとりひとり取られたバランスが、パッと見て同じような高さで並ぶ景色になっている。

みんなで踏み出す右足。大きめの一歩を踏み出す村上さんと、小幅で踏み出す横山さんのバランスは意図したものではないだろうけど、自然と全体の空気感を生み出していると思う。

CDを開けた右側の写真も、枝だけになった木が並ぶ茶色の景色。どこか懐かしく、哀愁漂う景色になっている。語らないシンプルさと情報量の少なさから、余白の魅力が生まれているデザインだと思う。

 

確か通常盤の歌詞カードには、7人が並んでいるシルエットが線になったモチーフが使われていて、それがとても好きだった。映像作品「8UPPERS」の冊子でも、7人が並んで歩く姿が影のように切り取られているモチーフがあって、シルエットだけで表れるそれぞれの個性に惹かれていたのを思い出した。自分はどうやら簡素化されたモチーフに弱い。

関ジャニ∞を意識する前だった頃、新曲のジャケット写真を見て、直感で欲しいと思ったのが「強く 強く 強く」だった。急いでと戦々恐々お店に向かい、それが初めて買った関ジャニ∞のCDになった。

手元に欲しい、部屋に飾りたいと思ったのも、このCDが初めて。100円ショップで小さなサイズのイーゼルを用意して、机の上に飾るようになったのはこの時から。今でも、新曲が出ると置き換えたり、時期や気分に合わせて飾ったりしている。

 

「侍唄」初回盤

ドラマ「サムライせんせい」で錦戸亮さんが武市半平太を演じた。そのドラマの主題歌で、作品のテーマと曲のテーマがしっかりと噛み合い、ジャケット写真のデザインにもそのコンセプトが組み込まれているところに魅力を感じた。

武士のような気概が表れているメンバーそれぞれの立ち姿。表情。関ジャニ∞と和の相性の良さが、ここでも発揮されている。

CD本体のケースとは別に、初回盤には紙のケースが付いている。紫と白の細かい正方形が並んだ小紋柄がとてもいい。

紙質も薄いものではなく厚紙でデコボコがあり、和紙の質感。紙のケースにCDをしまうと、小紋柄の窓の向こうにメンバーの写真が見える。窓枠が四角の窓ではなくて左上と右下に2段、ガタガタっと段がついているところがさらに和の雰囲気を増すアクセントになっていて、障子窓のように見える。

右上に掲げられた曲名とグループ名。右上に配置されていることで、古文のような風情を醸していて素敵だった。使われているフォントも独特で、縦長でハネのないバランスでありながら存在感のある“侍”の字も、小判みたいにも見える“唄”の字も可愛らしく、漢字・ひらがな・カタカナ、そして記号の“∞”という、縦書きではとくに統一感を持たせるのが難しそうな表記を、ごちゃごちゃっとせずにまとまりを持たせているところがすごいと思う。

背表紙にいたるまで、古書のような風合いは統一されていて、棚に縦で並べた時もパッと目を引くデザインになっていると感じた。

 

「ジャム」通常盤

 イチゴ、オレンジ、キウイ、ブルーベリーと、並ぶ果実がめいっぱいジャケット写真になっている。

これがCDショップに並ぶ!最高!と思ったのがこの「ジャム」のジャケット写真の印象だった。初回盤のAがオレンジ、Bがイチゴで、通常盤になってフルーツ勢揃いというところに気持ちが高まる。果実の中にメンバーの顔が隠れているというところには、なぜ…と不思議な気持ちになったものの、目立ってメンバーの顔写真を使うのでは無く、色使いで目を引いて手に取りたくなるCDになっているのがすごくいいと思った。

ジャムの瓶ではなく、みずみずしい切りたての果実。それが初回盤ではダンボール素材の箱に入って届くという、産地直送なコンセプトが素敵だった。

 

 

いいなあと思えるデザインに当たると、きた!!とガッツポーズしたくなる。本の表紙やお菓子のパッケージと同じように、中身の顔となるジャケット写真の大切さを思うからこそ、そのこだわりや探究心を感じる作品を見ると楽しくなる。

歌詞カード内の写真では「イッツマイソウル」の写真がすごく好きで、メンバーがそれぞれ思い思いの花束やプレゼントを持って押しかけている感じにとてもときめく。追いかけた女性は…というオチも含めて、関ジャニ∞らしさが盛り込まれていると思う。

「奇跡の人」初回盤では、メトロック直前の円陣の写真がジャケットに使われていて、合わされた手だけが写っているけれど、衣装でその手がメンバーであることが分かる。その一瞬を写した写真が印象的だった。もともと使用するつもりで撮ったのか、後から採用されたのかは分からないけれど、いい写真だった。

 

自分の好みの傾向として、にぎやかなデザインや合成されているものよりも、情報量の少ない、静かなデザインが好き。曲が主題歌になっている場合は、その空気感と地続きでコンセプトが統一されていると、いいなあと嬉しくなる。

好みのものが続くわけではないし、選べるものでもないけれど、デザインは大切。曲の魅力とグループの勢い、そしてCDのコンセプトの息が合った時に大きな波は生じると感じるからこそ、これからもCDというひとつの作品に期待を寄せて、ドキドキしていたい。

 

ごはん行こうって言われると嬉しい

 

日が沈んでから待ち合わせをして、ごはんを食べに行く。 それがこんなに楽しいことだとは。

駅の改札前で待ち合わせをして、相手を見つける瞬間も、少し待ちぼうけをして立っている時間も、今日の私には会う約束をしているひとがいるという確かな嬉しさが何度経験しても心をくすぐる。

大人と言える歳になって、何が楽しいかと考えると、この時間を過ごしている時だなと思う。

 

子供の頃、大人の言う「ごはん行こう」って何だ?大人ってそんなにごはん好きなの?と不思議に思っていた。

ごはんはあくまでエネルギーチャージのピットインタイムで、学校の給食でも、休みの日のお昼ごはんでも、早く食べ終わって遊びに行きたかった。ごはんと遊びは別もの。だから、ごはんが遊びのような位置付けになっていることの意味が分からなくて、1日遊ばないの?ごはんがイベントのメインなの?と不思議は深まるばかり。

子供ながらに想像を膨らませて、こんなに大人たちがこぞってごはんに行くのだから、何かしらの隠された楽しさがあるのではないか…と考えたりして、お酒か…?でもお酒だけでそんな面白いか…?と、結局は“ごはん行こう”の楽しさについて、納得できる答えを導き出すことはできなかった。

 

自分が経験してみて思うのは、1日会えるのも嬉しいけど、仕事終わりや時間の合間に会おうと時間を用意してくれるこの感じがじわじわ嬉しいということだった。

飲み歩くわけではないけれど、美味しくて落ちつけるお店を探して、そのお店で2、3時間ごはんを食べながらおしゃべりをして、ほどよい時間に帰る。

ベタベタでもなくあっさり過ぎもしない、そんな距離感でごはんに行ける相手がいることも、毎度当たり前になることはなく、特別なことだなと実感している。

 

あの頃不思議で仕方なかった“ごはん行こう”は、働きだすと丸一日の時間を作れないとしても、一日のうちの何時間かを誰かとすごすための口実にもなり、いわば誘うための決まり言葉なのだとわかった。

ごはんを食べることが第一目的というより、この人と時間を過ごす、会話をしたいという意思表示が“ごはん行こう”に込められている。そう考えると、子供の頃の自分が思っていたよりも大人は人に関心を持っていて、誰かと一緒にいたいという感情が強いのだと発見だった。

 

以前の自分は、人前で食事をすることが苦手だった。

緊張するし、会話をしながら食べるのか、食べてから会話をするのか、そのさじ加減が全くわからない。けれどいつしか、このひととなら緊張せずに一緒にごはんを食べられると思える相手がいることに気づいた。その時初めて、ごはんに行きたいという感情を知った。

仲の良さに境界線が必要かはわからないけれど、言葉にするなら“一緒にごはんを食べられるかどうか”は、自分のなかで大切なリラックスの境界線になっていると思う。

 

モットーとして、自分の話を聞いてほしいからという理由では誘わないようにしようと心に決めていたものの、ある時、一人黙って抱えられない出来事があり「会いたい!ごはん行こう!」と連絡をしたことがある。

送った後で、やってしまった…相手の都合を考える前に…と悔やんでいると、すぐに返事が来て「いいよ!明日会おう!」と言ってくれた。うれしかった。

なにか状況が解決するわけではないとしても、すぐに駆けつけてくれて、時間を割いてくれたことがうれしくて、一人じゃなく二人でごはんを食べる時間は何よりも安堵できるひとときだった。

ライブ終わりや旅行先での食事も、日常には無いドキドキがあって、鮮明に記憶に残る。あの時食べた串カツ。あの時食べたオムレツ。ドラマ「anone」を見ていても、映画「南極料理人」を見ていても、一人で食べる食事とテーブルを囲んで食べる食事は大きく違うものだと感じる。どんな表情でどんなものを食べたか、記憶に残り、あの時間の空気の温度がそのまま思い出せる。

 

単純でありふれていることのようでいて、大人のごはん文化は奥が深い。気軽に会うためのきっかけでもあり、時にピンチの拠り所にもなる。

会話のコミュニケーションが、子供の頃で言う遊びになっていると思った。歳を重ねて当時者になれることが増えて、話題に現実味と幅が増えるからこそ、会話に面白みが出てくる。

子供の頃にする会話は、どこか自分ごとではなかったりずっと先の事で、自分だけでは決められないガラスの壁を感じていた。今は、どんな話も関係のある事として話すことができる。空想ではなく、現実として起こせる会話をしていることが嬉しい。

 

最近は理想の野菜のピクルスを探してお店を回るのが楽しい。とにかくメニューにあれば頼む。うずらの卵と大根が入っているお店は分かっているなと思う。ピクルスはいつも少量だから、瓶ごと持ってきて!と言いたくなる気持ちを抑えて2度頼む。いつか理想的なピクルスを見つけることを目標にしている。

ごはんに行く日は、帰りの時間もすこしゆったりになる。暗くなったら帰らないと、と思っていた子供時代を思うと、この時間に外でごはん食べてるなんて大人になったんだなあと感慨深くなる。

こんな時間はいつまで続けられるだろうかという切なさもありながら、それでも今は心癒されるこの時間を大切にすごしていたい。

 

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失恋ショコラティエでバレンタインが楽しくなった

 

これまで今ひとつ、バレンタインというものへの向き合い方というか、楽しみ方がわからなかった。

無理に楽しまなくてはいけないイベントというのはそもそも無いと思うけど、バレンタインについてはまず関心がなかった。

 

ただ、冬の寒い季節にチョコレート、という組み合わせは好きだった。

チョコレートのあの固形感、キューブ型だったり長方形だったりカチッところんと固まっている感じが堪らなくて、目で見て癒される造形美だ…と思っていた。

そう思ってはいたものの、美味しいチョコレートといえば不二家のハート型ピーナッツチョコレートだし、苦味が前面に出ている大人なチョコレートはまだ美味しさがわからない。でもいつかは、その固形感のあるチョコレートを食べてみたかった。

 

2月の初めに百貨店のチョコレートフェアを見に行こうと誘われたことをきっかけに、せっかく行くなら今年は楽しんでみようと思い立ち、バレンタイン気分盛り上げ週間を実行することにした。

この時期になると無性に見たくなる「失恋ショコラティエ

まずは百貨店に行く日に照準を合わせて、DVDをまとめ借りすることに決定。

毎年思い出しては見ないままを繰り返して、放送された2014年以来見ていなかったけれど、今回はチョコレートへのモチベーションを高めるためにじゃんじゃん見ようと決めた。同じことを考える人がいるのか借りられていたりもしたものの、戻ってきたタイミングですかさず4枚借りた。

 

失恋ショコラティエ」はリアルタイムで見ていたはずなのに、あらためて見ると、こんっっっなにサエコさんの破壊力は抜群だったかと、ボディーブローをバッスバッスとくらうような感覚になった。

行動も動機も無茶苦茶だ…!と思いながらも、可愛い。何がどう転んでも可愛い。

石原さとみさんの演じるサエコさんの驚異的な可愛さに悶絶しながら、それでも目に入るチョコレート。サエコさんが食べているチョコレートはどれも綺麗で美味しそうで、カリッと聞こえるチョコレートの砕けた音が耳に残る。自分が気になっていたのはボンボンショコラだということも、コーティングされた中に入っているのはガナッシュだということも、ドラマを見て覚えた。

松本潤さんは瞳の茶色さで強調されるのか、瞳孔の開きが画面越しにもはっきりとわかって、それが爽太の狂気にも近い恋心を象徴しているように見えた。

そして、松本潤さんは茶髪が似合う。髪の色に負けないフェイスの濃さと美しさで、上下にバサバサと動くまつげ。茶髪が茶髪ではなくて、そういう髪色として成立している。品よくブラウンで、しかも明るめ。なかなか馴染む人はいないと思う。

 

チョコレート、バレンタイン、そして片思い。

ドラマ全体から香ってくるような甘く苦い雰囲気。

切ないシーンで流れてくる、このドラマの象徴のような物悲しいメロディーは、歌声はないのにピアノの音色ひとつひとつが歌っているようだった。

失恋ショコラティエ」の空気感を作り込んだのは、オープニングにはテーマのメロディーを使い、エンディングは嵐の「Bitter Sweet」とシンプルに絞ったからだと感じる。ドラマのサウンドトラックが欲しい!と強く思ったのは「失恋ショコラティエ」が初めてだった。

 

 

ドラマを8話まで見た頃、百貨店に行く日がやってきた。

目指すは西武そごうと高島屋。「失恋ショコラティエ」で沢山のチョコレートと甘い空気に浸っているうちに、最初は乗り気になれなかったチョコレートフェアに行く予定が、気づけば楽しみで仕方なくなっていた。

フロアへ上がると、見渡す限りのショーケース。

ころんと赤いハートのチョコレート、ココアパウダーのかかった三角の生チョコ。美術作品のように丁寧に、チョコレートの一粒一粒が箱の中に規律正しく飾られていた。

大勢の人でにぎやかなフロア。通路は通れないほどではなかったけど、ショーケースを見るのにも、人と人の間から覗いたりと根気が必要だった。今回はひとつ、自分用にチョコレートを選ぶ!という目的を持って来たので、どれにしようかとあれこれいろんなお店を見て歩いた。

日本には店舗の無いチョコレート店など、この時期でなければこれだけのチョコレート店を一度に渡り歩くことは出来ないのだと考えると、高まる熱気もわかる気がした。

実際に、海外に店舗を構えるショコラティエの方がいらっしゃっていて、試食を差し出したりサインを書いたりしている様子を目にした。

 

どのチョコレートが自分にとってグッとくるデザインかを考えながら歩くのは楽しかった。

立ち止まらせるべく次から次に差し出される試食は、美味しくて嬉しいけど後半からはいかによけていくかを試されているような気がしたから、空腹のままで行くと甘さの応酬がヘビーかもしれない。今回はお昼を食べてから行ったので、デザート気分だった。

フェアの時はチョコレートのソフトクリームがあることが多いから、お腹にゆとりはあったほうがいい。

 

チョコレートの知識はないつもりでいたけど、オレンジにチョコレートをかけたものをオランジェットと呼ぶことや、いわゆる板チョコのことをタブレットと呼ぶこと。ドラマを見ていたからわかることがあって、知らず知らずのうちに全くわからない世界ではなくなっていたのだと気がついた。

漫画の「失恋ショコラティエ」に登場する「choco la vie」のチョコレートボックスが4年ぶりに復活販売されていて、タイミングがぴったりだったことにも驚いた。惹かれるチョコレートはあるものの、流石にお値段もしっかり。予算内の理想のチョコレートをと探していると、歩きながらも2度3度戻って来てしまうお店があった。

フレデリック・ブロンディールのチョコレート

5つのボンボンショコラ。

下から、マダガスカルアールグレイ、パッション、ノワゼット、カフェ、5つのガナッシュが入っている。

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ついに憧れたボンボンショコラを手に入れて、嬉しい気持ちで百貨店を後にした。

 

その帰りに「失恋ショコラティエ」の5と6を借り、ついに準備が整った。

この日!と決めた日、ホットのカフェラテを用意して、お皿にチョコレートを並べ、「失恋ショコラティエ」を再生した。

至福の時間。ドラマの空気をそのまま部屋に持ち込んだような楽しさがあった。

チョコレートは美味しくて、2018年の新作だという「ノワゼット」はヘーゼルナッツのガナッシュがダークチョコでコーティングされていて、ナッツの風味とチョコレートの甘さがほどよい好きな味だった。

 

今回の企画、何から何まで仕掛け人は自分だけど、思いついた時から、ドラマを見ている間も、お店を見て歩いている時間も、用意をしている時間も、食べている時間だけではない前後のすべてにワクワクしていて、存分に影響を受けて雰囲気にのまれてみるのもおもしろいなと思った。

 

そうして、自分なりのバレンタイン企画は幕を閉じた。

なんでもイベントごとに乗っかっていこうとは今も思わないけど、これは興味ないしな…と一見感じるものを、自分で意識的に仕掛けていくのは、おもしろくするためのきっかけになるとわかった。

爽太のサエコへの恋心と連動するかのように、チョコレートの魅力に心奪われ浸った数日間。

楽しみ方を見つけた今年のバレンタインは、思い出に残る季節になった。 

 

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