失恋ショコラティエでバレンタインが楽しくなった

 

これまで今ひとつ、バレンタインというものへの向き合い方というか、楽しみ方がわからなかった。

無理に楽しまなくてはいけないイベントというのはそもそも無いと思うけど、バレンタインについてはまず関心がなかった。

 

ただ、冬の寒い季節にチョコレート、という組み合わせは好きだった。

チョコレートのあの固形感、キューブ型だったり長方形だったりカチッところんと固まっている感じが堪らなくて、目で見て癒される造形美だ…と思っていた。

そう思ってはいたものの、美味しいチョコレートといえば不二家のハート型ピーナッツチョコレートだし、苦味が前面に出ている大人なチョコレートはまだ美味しさがわからない。でもいつかは、その固形感のあるチョコレートを食べてみたかった。

 

2月の初めに百貨店のチョコレートフェアを見に行こうと誘われたことをきっかけに、せっかく行くなら今年は楽しんでみようと思い立ち、バレンタイン気分盛り上げ週間を実行することにした。

この時期になると無性に見たくなる「失恋ショコラティエ

まずは百貨店に行く日に照準を合わせて、DVDをまとめ借りすることに決定。

毎年思い出しては見ないままを繰り返して、放送された2014年以来見ていなかったけれど、今回はチョコレートへのモチベーションを高めるためにじゃんじゃん見ようと決めた。同じことを考える人がいるのか借りられていたりもしたものの、戻ってきたタイミングですかさず4枚借りた。

 

失恋ショコラティエ」はリアルタイムで見ていたはずなのに、あらためて見ると、こんっっっなにサエコさんの破壊力は抜群だったかと、ボディーブローをバッスバッスとくらうような感覚になった。

行動も動機も無茶苦茶だ…!と思いながらも、可愛い。何がどう転んでも可愛い。

石原さとみさんの演じるサエコさんの驚異的な可愛さに悶絶しながら、それでも目に入るチョコレート。サエコさんが食べているチョコレートはどれも綺麗で美味しそうで、カリッと聞こえるチョコレートの砕けた音が耳に残る。自分が気になっていたのはボンボンショコラだということも、コーティングされた中に入っているのはガナッシュだということも、ドラマを見て覚えた。

松本潤さんは瞳の茶色さで強調されるのか、瞳孔の開きが画面越しにもはっきりとわかって、それが爽太の狂気にも近い恋心を象徴しているように見えた。

そして、松本潤さんは茶髪が似合う。髪の色に負けないフェイスの濃さと美しさで、上下にバサバサと動くまつげ。茶髪が茶髪ではなくて、そういう髪色として成立している。品よくブラウンで、しかも明るめ。なかなか馴染む人はいないと思う。

 

チョコレート、バレンタイン、そして片思い。

ドラマ全体から香ってくるような甘く苦い雰囲気。

切ないシーンで流れてくる、このドラマの象徴のような物悲しいメロディーは、歌声はないのにピアノの音色ひとつひとつが歌っているようだった。

失恋ショコラティエ」の空気感を作り込んだのは、オープニングにはテーマのメロディーを使い、エンディングは嵐の「Bitter Sweet」とシンプルに絞ったからだと感じる。ドラマのサウンドトラックが欲しい!と強く思ったのは「失恋ショコラティエ」が初めてだった。

 

 

ドラマを8話まで見た頃、百貨店に行く日がやってきた。

目指すは西武そごうと高島屋。「失恋ショコラティエ」で沢山のチョコレートと甘い空気に浸っているうちに、最初は乗り気になれなかったチョコレートフェアに行く予定が、気づけば楽しみで仕方なくなっていた。

フロアへ上がると、見渡す限りのショーケース。

ころんと赤いハートのチョコレート、ココアパウダーのかかった三角の生チョコ。美術作品のように丁寧に、チョコレートの一粒一粒が箱の中に規律正しく飾られていた。

大勢の人でにぎやかなフロア。通路は通れないほどではなかったけど、ショーケースを見るのにも、人と人の間から覗いたりと根気が必要だった。今回はひとつ、自分用にチョコレートを選ぶ!という目的を持って来たので、どれにしようかとあれこれいろんなお店を見て歩いた。

日本には店舗の無いチョコレート店など、この時期でなければこれだけのチョコレート店を一度に渡り歩くことは出来ないのだと考えると、高まる熱気もわかる気がした。

実際に、海外に店舗を構えるショコラティエの方がいらっしゃっていて、試食を差し出したりサインを書いたりしている様子を目にした。

 

どのチョコレートが自分にとってグッとくるデザインかを考えながら歩くのは楽しかった。

立ち止まらせるべく次から次に差し出される試食は、美味しくて嬉しいけど後半からはいかによけていくかを試されているような気がしたから、空腹のままで行くと甘さの応酬がヘビーかもしれない。今回はお昼を食べてから行ったので、デザート気分だった。

フェアの時はチョコレートのソフトクリームがあることが多いから、お腹にゆとりはあったほうがいい。

 

チョコレートの知識はないつもりでいたけど、オレンジにチョコレートをかけたものをオランジェットと呼ぶことや、いわゆる板チョコのことをタブレットと呼ぶこと。ドラマを見ていたからわかることがあって、知らず知らずのうちに全くわからない世界ではなくなっていたのだと気がついた。

漫画の「失恋ショコラティエ」に登場する「choco la vie」のチョコレートボックスが4年ぶりに復活販売されていて、タイミングがぴったりだったことにも驚いた。惹かれるチョコレートはあるものの、流石にお値段もしっかり。予算内の理想のチョコレートをと探していると、歩きながらも2度3度戻って来てしまうお店があった。

フレデリック・ブロンディールのチョコレート

5つのボンボンショコラ。

下から、マダガスカルアールグレイ、パッション、ノワゼット、カフェ、5つのガナッシュが入っている。

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ついに憧れたボンボンショコラを手に入れて、嬉しい気持ちで百貨店を後にした。

 

その帰りに「失恋ショコラティエ」の5と6を借り、ついに準備が整った。

この日!と決めた日、ホットのカフェラテを用意して、お皿にチョコレートを並べ、「失恋ショコラティエ」を再生した。

至福の時間。ドラマの空気をそのまま部屋に持ち込んだような楽しさがあった。

チョコレートは美味しくて、2018年の新作だという「ノワゼット」はヘーゼルナッツのガナッシュがダークチョコでコーティングされていて、ナッツの風味とチョコレートの甘さがほどよい好きな味だった。

 

今回の企画、何から何まで仕掛け人は自分だけど、思いついた時から、ドラマを見ている間も、お店を見て歩いている時間も、用意をしている時間も、食べている時間だけではない前後のすべてにワクワクしていて、存分に影響を受けて雰囲気にのまれてみるのもおもしろいなと思った。

 

そうして、自分なりのバレンタイン企画は幕を閉じた。

なんでもイベントごとに乗っかっていこうとは今も思わないけど、これは興味ないしな…と一見感じるものを、自分で意識的に仕掛けていくのは、おもしろくするためのきっかけになるとわかった。

爽太のサエコへの恋心と連動するかのように、チョコレートの魅力に心奪われ浸った数日間。

楽しみ方を見つけた今年のバレンタインは、思い出に残る季節になった。 

 

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息をするように思うもの「anone」第5話

 

「問題のあるレストラン」では、パーカーちゃんとキラキラ女子と喪服ちゃんの3人で買い物の帰りに温かい飲み物を飲みながらシューベルトを聴いた、第6話。

「カルテット」では、すずめちゃんの今とこれまでが描かれた第3話。

 

1話1話が地続きで、全話通してひとつのドラマだけど、坂元裕二さんの書くお話は決定的にこれだと自分に響くお話がどこかにひとつあって、「anone」の場合は第5話がそうだった。まだ残り半分ほどあるけれど、このお話は何度も何度も見ると思う。

第5話が好きだと感じたのは、彦星くんが意識を取り戻したからじゃない。 それはもちろん大切なことであったけど、亜乃音さんとハリカちゃんと青羽さんと持本さん、みんな揃ってご飯を食べていることだとか、一生懸命にあのね、それでねって話をするハリカちゃんのことが愛くるしくて、体温に触れてすうっと染み込む雪の結晶を見ているようで、それが堪らなく大切だと思った。

 

ハリカ「わたし、何もしてない」

彦星「君は今頃なにをしてるかなって想像するだけで、まるで自分が体験しているような気持ちになれるんです」

彦星「君の冒険は、僕の心の冒険です」

2人の会話が印象に残って、だからハリカちゃんが川の向こうで待ち続けたことも意味があると感じられた。

 

ハリカちゃんが帰らない。心配になった亜乃音さんは、「多分私の気のせいだから」と言いながらも迎えに行くため、車に乗った。

かかってきた電話に出て、ハリカちゃんだとわかって心の底からほっとした息をはく。大丈夫そうなフリをする声だけのハリカちゃんに、亜乃音さんは思うことをはっきり伝えて、「いまどこにいるの」とおせっかいを焼いた。

かっこいいと思った。面倒くさがられることも拒絶されることも恐がらずに、手を離さない強さが亜乃音さんにはあるのだと感じた。カラオケに行くのね、そう。と電話を切ることだって出来たけど、「亜乃音さん、今日は、帰れない…」と言った声が明るくないことを分かってて、他人だし…なんて思いは持たず、放っておかないことを選択した。

 

そこにいるあの人のために、何もできない、見えていない。

急変してICUへと移されてしまった彦星くんを思って、もといた病室を外から見つめていたけど、それでも力無い自分を突きつけられて、「ここに居ても関係ないの」「居ても居なくても同じ」と諦めようとしたハリカちゃんを亜乃音さんは引き止めた。

物事が動かないとしても、ハリカちゃんのなかで何が変わるかを亜乃音さんはわかっていたかもしれない。あの時、諦めて帰ったら、その時こそ私はレストランに行ったあのお父さんたちと一緒だと、ハリカちゃんは自分を責めたのだと思う。

亜乃音さんがハリカちゃんを放っておかないことを選択したように、ハリカちゃんが彦星くんを放っておかないことを選択したことは大事だった。

何もしていなくても、その思いを持った気持ちで話す言葉には温度が伝わるのだと思う。

 

第5話は、暮らしていくことが静かに色濃く描かれていた。

4つ並んだ椅子にそれぞれみんな座って、ご飯を一緒に食べる。当たり前のように馴染む4人の光景だけど、青羽さんにとってはこれが叶わなかったはずのみんなで食べる食事で、持本さんにとっては手に入れたかった家族のかたちで。亜乃音さんはつい昨日まで一人きり、このテーブルで食事をしていた。ハリカちゃんは、コンビニのお弁当じゃない、家でつくるご飯の味とみんなで食べるご飯の味を初めて経験している。

亜乃音さんがごはんを食べる姿は、綺麗にというよりも生きるために食べているという感じがすごくする。

 

謝罪に来たはずなのに、一緒にご飯を食べて、布団を借りて、朝起きたら歯磨きをしてる。おかしい。おかしいし、変なのだけど、他人も知り合いも家族もそんな曖昧なものじゃないかなと思う。

青羽さんのくしゃみは可愛いことが発覚して各々スマホを取りに走る様子は微笑ましさのピークで、築かれる関係性は理屈ではないと思えた。

持本さんの作った焼うどんを食べた時に、美味しいけど納得のいかない亜乃音さんが、「ハリカちゃんは何食べても美味しいって言うのよ」と言ったのも、ハリカちゃんからすれば結構な言われようなだけど、本人も「何食べても美味しいです」と答えるほのぼのさがいい。2人の関係性はそんなことを言い合える仲になったのだなと感じ取ることができて、ほどよく遠慮のなくなった距離感がよかった。

 

前髪を切られながら眠ってしまったハリカちゃんを囲みながら、亜乃音さんと青羽さんと持本さんはおしゃべりをして、そのなかで青羽さんは自分のこれまでの生き方を話しながら「生きるのは難しいんです」と言った。

亜乃音さんは「生きなくていいじゃない、暮らせば。暮らしましょうよ」と言った。どちらの言葉も、そのことに直面して向き合ってきたから言えることで、生きるのは難しいということに気づいているのも暮らしていくことの意味を知っているのも当たり前ではない。

 

終盤に差し掛かり、まとまりかけたものを知るかとでも言うようにかき消していった瑛太さん演じる中世古。

怖かった。淡々と、何の疑いも無く、自分のしたい話だけをする。話して伝わる人じゃないと、数分間のシーンでわかる。穏やかな時間があればあるほど、このままではいられないという不安はついてまわるけれど、いよいよその空気が増していくのだなという実感があった。

 

第5話にはそれぞれの心の中が確かに変わり始めたことを感じる時間が流れていた。

目を覚まし、前髪が短くなったことを思い出してふわっと微笑むハリカの表情は、素晴らしかった。ハリカにとって、取り留めのないことを一生懸命に話せる相手がいること、ご飯も食べずにしゃべり続けて、そんな自分を抑えず恥ずかしがらずに見せられる場所を見つけたこと。ボロボロと泣きながら亜乃音さんに抱きついたハリカを見て、彼女がこの場所を見つけて、辿り着いてよかったと思った。見つける力は生きる力だと思うから。 

なにもできなくても、なににもならなくても、思うことになんの意味があるのか。その答えのパーツをひとつ手にしたような、そんな第5話だった。

 

鋭利な乙女心 -SHISHAMOの魅力

 

可愛さのなかに漂う、気だるさの魅力。

SHISHAMOの曲を聴いていて惹きつけられたのは、女の子の持つグッと深い色っぽさを感じたからだった。キュートでか弱いだけではない、リアルな女の子の思考回路を感じる歌詞と、不機嫌さや面倒くささのような表情を感じられる歌声に、ドキッとした。

 

ボーカルの宮崎朝子さん、ベースの松岡彩さん、ドラムの吉川美冴貴さんの3人で組まれたバンド。

吉川美冴貴さんが楽しそうにドラムを叩いているのを見るのが好きで、バスドラムの表面に描かれた3尾のししゃもがいつ見ても可愛い。美しく記号化された立ち位置、ボーカル、ベース、ドラムというトライアングルの素晴らしさがある。

 

曲のなかでも、 

「すれちがいのデート」

「きっとあの漫画のせい」

「メトロ」

この3曲が特にドキッとした。今回はそのポイントについて考える。

 

 

「すれちがいのデート」

朝までゲームをしていてデートに遅れてくる彼を、なんだかんだ許して待つ彼女。

デートに遅れたけど、それでも許してくれる彼女のことを好きな彼。

弾むギターのリズムに、ほのぼのとした休日の朝を思い描いて、代わる代わる“彼女”と“彼”の心情を追いかける。ところが二人の展開は思いもしない方向に。でも“思いもしない”のは、彼が見ていた景色の方で、彼女の視点で見ていたら行先は読めたような気もする。

「かわいいやつ」と思っている彼と、「情けないなぁ」と思っている彼女。その心のうちが通じ合うことはなく、大サビへきて

好きなだけでは うまくはいかない

吐き出せなかったものがたくさん

チリになって詰まるんだ

ここから先へは二人じゃ いけないかも 

ここから風向きが変わり始める。

付き合ってから3年は経っているのだろうなあと思うような距離感。落ち着く二人の間の空気はメリットでありリスクで、表裏一体。

「ここから先へは二人じゃ いけないかも」と、さらっと言う声にドキッとさせられるのは、彼の知らないところで彼女が心に決めた、この恋の終わりを見てしまった気がしたからかもしれない。ふとした拍子に顔を出す、淡々とした冷静さは誰の中にも確かにあると思う。

彼のなかでノープランなのは多分デートだけじゃなく、二人のこれからのこともだったのだなと歌詞から感じた。きっと彼は、どうして振られたのかを分からない。

“いつもと同じ”がズレ始める、切ない距離感がヒリヒリと伝わる。これからの道を行くのは彼とではないと、先に気づいた彼女の冷静さはきっとリアルだ。

 

 

「きっとあの漫画のせい」

 歌い出しから淡々と投げやりな感情がそのままに。

もうなにもしたくなくなった

気力が全部溶け出した

気力が無くなるではなくて溶け出したと表現するところに、止めようがなく流れ出ていく様子が想像できる。

がなりとも違うドスの効かせ方が、可愛い声のなかに大人の女性をのぞかせて、行ったり来たりな可愛さに翻弄される。

 

こんなに気分が落ち込むのは

別に、君が煮え切らないからじゃない

うぬぼれないでよ

ボーカルの宮崎朝子さんの歌い方で特に好きなのが、サビ前のフレーズ。「うぬぼれないでよ」の部分と、そのあとにあるもう一つの部分。

今も私があなたを思って泣いてるなんて思うの?

笑わせないでよ

微かに笑い混じりに言う「笑わせないでよ」がマイナス100度の冷たさで、ゾクッとする。

感情が怒りへと変わった時の女の子の強さはすごい。怒りすぎて笑っちゃう感じがリアルだった。感情的にわめいたりはしない、平行な感情にリアリティがある。

 

 

「メトロ」

宮崎朝子さんの歌は、発する声だけでなく息づかいまでストーリーにする。

息を吸う音、吐く音。歌う時に生じるブレスではなく、意識的に置かれる呼吸が印象的に耳に残って、言葉よりも深い感情の動きを表現している。

その表現力を確かに感じたのが「メトロ」という曲。

 

人の波に流され 降りてしまったその駅は

誰にも見つからない二人の待ち合わせ場所

ホームに立ったら 息ができない 

「息ができない」のあとにスゥッと息を吸う音がする。

冷えて乾いたメトロの空気を、口から胸まで吸い込んだ音がして、その呼吸ひとつで彼女が立っているメトロのホームの景色が目の前に広がる。

低音で歌う時の宮崎朝子さんの声はすごく色っぽくて、かっこいい。波状のように広がる揺らぎが繊細で、ポジティブばかりではない感情を、黒くなりすぎず、でもそこにあるままの温度で伝えることができる表現力が素敵だと思う。

 

 

SHISHAMOの曲を聴いていて思い浮かんだのは、ヒールを履いて完璧に着飾った女の子ではなくて、スニーカーに大きめのリュックを合わせるような女の子。

頑張った可愛さというよりも、普段の何気ない拍子にある可愛さだと思う。

「好き好き!」という曲では、歌詞カードには載らない「いえーい」というフレーズがある。絶妙に肩の抜けたニュアンスが、あからさまにテンションが上がるわけではないけど、何かおどけたくなる感じ、という浮遊感を表していてその等身大が可愛いなと思う。

 

SHISHAMOの曲は、人であって、女の子。という感じがするから好きだ。

女の子であって、人。ではないところが。

歌声と歌詞に見え隠れする鋭利な乙女心は、鋭さだけではない本音と強がりのバランス。曲の可愛さだけではないそんな魅力に心惹かれている。