ライブでひと聴き惚れした「運命の人」

 

高橋優さんのライブ「来し方行く末」でこの歌を初めて聴いた

イントロを聴いた時のインパクトが凄かった。一音一音、丁寧に鳴るキーボードの音が綺麗で、バイオリンの音は可憐であるけど力強くて、なんだか聴く前から好きになる予感がした。暗くなったスクリーンや会場全体のライティングの景色が鮮烈に印象に残っていて、その影響なのか個人的な印象なのか「運命の人」には一面の黒にぽっと広がる桜色のイメージがある。

 

コンピューターじゃあるまいし delete keyもなし

というところが好きで、“コンピューターじゃあるまいし”という言葉に、ふっと気持ちをすくい上げられた気がした。賢くならなくては、気持ちを割り切らなければと考えることの多いなかで、そんな言葉を掛けられたら目が醒める思いだろうと。
「今を駆け抜けて」など、時折、高橋優さんの歌に出てくる「delete key」の単語には様々なニュアンスが込もっていると感じて、好きだなと思う。

 

初めて聴く歌だったので、聴きながら歌詞を追っていくと少しずつ全体像が分かっていく楽しさがあった。歌い出しでは、女性視点なのか男性視点なのかまだ分からない。歌のタイトルから考えると、女性の心境なのかなと予想していた。

しかし歌詞を追っていくと、

友達に戻ろうねと 告げられた君の背中を見ていた

という言葉。ここで初めてあれ?と思った。この歌の主人公は振られた彼女でも振った彼でもなく、それを第三者目線で見ていた“僕”だということに気がついた。

彼女の思いの代弁であり、“僕”の思いも入り混じるような歌詞に惹きつけられて、アップテンポな曲調なのになんて切実なんだと衝撃だった。この歌では3人それぞれの恋が一方通行で、矢印が重ならない。僕→彼女→彼となっていて誰かが誰かを見てるのに視線が交わらない。

でも聴いていて、多分この3人は元は友達同士で、よく一緒に居た3人だったのだろうなと思った。3人が友達同士だったからこそ、“友達に戻ろうねと言われる君の背中を見ていた”という表現が出てくるのかなと思う。そうだとしたら、ずっとそばにいた彼女が彼に恋をしたことに初めに気がついたのはきっと『僕』で、嬉しそうな彼女の表情も悩んでいる彼女の表情も親友である“僕”が近くで見てきたのだろうなと考えると苦しい。自らの想いや苛立ちは2人にぶつけることなく過ごしてきたのだろうと思った。

 

ラストサビの前にきて

愛しても 愛しても 届かぬまんまの想い

友達でいなきゃいけない苦しみなら 僕もよく知ってるよ

と歌われた時、ハッとした。

この歌は彼女を見ていた『僕』で、言葉の一つ一つは自らの気持ちでもあったんだと、彼女の視点にしては違う気がすると感じていた違和感が解けて確信に変わった。

ぐっと感情を抑えるようなトーンで歌われるこの言葉が哀しくて、深々とした痛みを感じた。メロディーとしてもこの部分がとても好きで、サビと対比して音数は少なくなる静と動のバランス、そして高橋優さんの“愛しても”の「も」の部分、“届かぬまんまの”の「まんま」の歌い方が、募りに募った想いや焦ったさを表していてすごくいいなと感じる。

この歌詞を聴いてからは、そこから続くラストのサビの聴こえ方が変わる。

それまでは彼女へ向けた応援歌。そこからは『僕』も含んだ言葉のように聴こえてくる。彼と別れたからといって『僕』に振り向くとは限らないことも知っていて、自らも彼女にとっての運命の人にはなり得ないかもしれなくて、だから余計に、“さよなら運命の人”という言葉が深みを持って聴こえる。

 

歌に出てくるなかで彼女自身が言った言葉は、“あの人のことを責めないでほしい”という部分と“上手くいかなかったけど 本気の恋をして 成長できたからとても感謝してるんだ”という部分のはずだけど、『僕』の見てきた彼女を歌を通して見ていると、彼女がどんな子なのか思い浮かぶから不思議だ。第三者の『僕』の目線で語られる彼女の恋は、羨ましくなるようなものではないけれど、これだけ想われていることは羨ましく思う。男友達も居るような場で彼女を振る彼もなかなかだし、“友達に戻ろうね”という振り方も釈然としないから、次の恋に進むといいよと彼女に向けては思う。

 

二番以降に出てくる“今は誰かの恋人”という言葉の鋭さに聴くたび擦り傷ができる気持ちだけど、でも事実そうなのだろう。もしかすると、そばで見てきた『僕』は彼の本当のところも知っていて、すでに新しい恋人がいることを聞いているのかもしれない。どちらの事情も見てしまって板挟みなのだろうと想像すると、どこまでやるせないのかと心配になる。

 

さよなら運命の人 束の間運命の人 

というサビがとても好きで、印象的だった。

“束の間 運命の人”いい言葉だと思った。

失恋をした人にかける言葉として、運命の人じゃなかったんだよというフレーズを耳にすることがある。でもこのフレーズ、恋愛に限らず果たしてそうだろうかと疑問に思ってきた。結果を見て過程を否定してしまうような、全部をひっくり返してしまうかのような一言が腑に落ちなかった。そもそも運命の人ってなんだ?タイミング次第で付き合ったり別れたりする恋人ってなんだ?と考えていた。そんなモヤつきを一瞬にして晴らしてくれたのが「束の間運命の人」という言葉だった。

ずっと隣にいられる存在ではなかったけど、つかのまでも運命の人だったと言えるということが目から鱗だった。そう言い切れる潔さも素敵だと思った。上手くいかなかったから、そのままでいられなかったからということは重要ではないと歌詞から伝えてもらった気がした。

この歌の中で恋は成就していないし、それぞれが宙に浮いた恋心を持ったままだけど、タイトルが「運命の人」なのがいいなと思う。言葉でイメージするような甘い恋の歌ではない裏腹さも好きだ。

 

昨日までの赤い糸 もう君を縛ってはいないから

と彼女に向けて伝える言葉が切実で、本来はいいものとされる運命の赤い糸に絡まって執われることもあると表現する高橋優さんの感性が素敵だと思う。

『僕』としては早く忘れてほしいけど、早く気づいてほしいけど、急かすことはできない焦ったい想いが歌詞いっぱいに溢れている。その気持ちが溢れ出しているのがこの一文だと感じる。

彼女の傷が癒えれば癒えるほど一緒にいられる時間はまた無くなっていくかもしれないけど、それでも元気になってほしくて、彼女を見てきた『僕』の心境と願望と、僕のところにきてくれたらという下心もすこし。そんな人間味のある歌詞に魅力を感じた。

 

この歌のイントロがあまりに綺麗で、ライブの演出にぴったりだったから、私はてっきりライブアレンジのイントロなのかと思っていた。音源を聴いてそのまんまだったとき、感動した。ライブで知った曲というのは強く印象に残る傾向にあるようで、Nissyの時は「Aquarium」高橋優さんの時は「運命の人」だった。視覚的な印象がつくと、頭のなかで思い浮かぶ景色ができてさらに曲を好きになる。

「運命の人」を歌っている高橋優さんは切なくて優しくてズルい表情だった。ライブの感想でも書いたように、“僕でよければ側にいるよ”のニュアンスはCDで聴くのとライブで表情を見ながら聴くのでは違う印象を持っていたと思う。あの含みを持った微笑みが、らしくて好きだった。

「運命の人」が収録されているのはアルバムではなくてシングル「さくらのうた」のカップリングだと知ってから、聴きたさのあまりCDを借りてきた。同じくシングルに収録されている、“メガネツインズ”という高橋優さんとベーシストの亀田誠治さんのユニット曲「メガネが割れそう」も初めて聴くことができた。想像以上にくせになる二人のボーカルと濃い世界観に、ちょっと魅了され始めているかもしれない。

なぜ大阪ロマネスクに惚れ込むのだろう

 

関ジャニ∞の曲のなかで群を抜いて人気のある曲。

「大阪ロマネスク」

2006年3月に「KJ1 F・T・O」というミニアルバムに収録された後、同じ年の6月に「∞SAKAおばちゃんROCK」との両A面として発売されている曲。

十周年を祝うライブ「十祭」ではファンのシングル曲リクエスト投票1位になり、それ以外の場でもジャニーズカウントダウン関ジャニ∞リクエストで選ばれたりもしている。

この流れを見ていて、どうやらこの曲は並々ならぬ熱のある曲で、昔からファンでいる人、なにかのきっかけで知りファンになっていった人も含めて好きになっていく曲なのだろうかと感じるようになった。

いやいや1位とは思ってないよ、という人も居るとは思う。自分も心の中の第1位は?と聞かれたら「青春ノスタルジー」が思い浮かぶ。けれど、ふと聴きたくなる時があるほど今ではこの曲が大好きだ。

松竹座時代と呼ばれる時期やJr.時代については詳しく知らないままだけど、今なら「大阪ロマネスク」が愛されている理由がわかる気がする。

 

関ジャニ∞に興味を持った当初、「大阪ロマネスク」が1位と聞いて、とても意外だった。ファン投票というと、盛り上がるライブ定番曲やドラマ主題歌などになった明るい曲、もしくはファンへ宛てたメッセージのある曲が上位にくると思っていた。

一体それはどんな曲なんだろうと初めて曲を聴いた時も、想像以上にしっとりした曲調で、音楽番組などで見てきた関ジャニ∞のイメージとは違うことがやはり意外だった。この曲が1位になるのはどうしてだろう、どんな経緯があったんだろうと不思議で、興味が湧いた。

 

まず曲名にある“ロマネスク”とは何だろうと調べた。

ロマネスクはフランス語。表記は(romanesque)で、意味合いは『小説のように、数奇であったり情熱的であったりするさま』ほかにも『空想的な』という意味を持つと書かれていた。 和の要素を強く感じるこの曲のタイトルに、“大阪”というはっきりとした地名と“ロマネスク”というどこか浮世離れした言葉を合わせたことも、リアルと空想を融合したまさに小説的な世界観を表しているなと思った。

この曲には随所に人を惹きつけるポイントがある。歌詞に出てくる言葉の美しさ、シチュエーションへのときめき、関西弁、落ち着いたメロディー。関ジャニ∞が歌うことで伝わるバックグラウンド。

まず、関ジャニ∞が大阪がテーマの曲を歌うことで魅力が発揮されるという大きなポイントがあると思う。歌詞には大阪の街が思い浮かぶ地名が沢山出てくる。【梅田駅、心斎橋、難波の庭園、キタ、ミナミ、戎橋、御堂筋】他にも、神戸まで見渡せる観覧車など実際に見ることの出来る景色が一曲に詰まっている。

関西に住む人にとっては地元を歌っている嬉しさがあるだろうなと思う。更にそうではない人でも、だからこその楽しみ方がある。

自分が経験して思ったのは、関ジャニ∞を知った当初と今とでは感じ方が違うということ。最初に聴いていた頃、歌詞にでてくる梅田駅や心斎橋などの名前はどんな場所か分からず、地名なのかも分からず。想像の中で“大阪”というイメージを描きながら聴いていた。

時間が経って関ジャニ∞を見ていくうち、どんどんと大阪への好奇心が湧いて、一度大阪に行ってみたいと考えるようになり、念願叶って大阪に行くことができた時の気持ち。あの感情は忘れないと思う。

好きでいる人たちが生まれ育った場所、歩いていた道がそこにあるという感動は感慨深いものだった。初めて来たのに、知り合いがいる街に遊びに来たような安心感があった。自分にとっての地元ではないけれど、誰かの地元というだけでこんなに思い入れができるものなのかと初めての感覚を覚えた。

大阪の街を歩いて景色を見て来てからは、さらに曲の印象が変わった。知っている場所、見たことのある景色、思い浮かべることができる嬉しさがあった。

 

「大阪ロマネスク」の歌詞はプロローグから始まって、ノスタルジーな雰囲気が漂う。

どこか昔のことを懐かしむような視点で曲が始まるところに昔懐かしさがある。曲の主人公は関西出身の男の人で、恋人は関西出身ではない。彼だけが関西弁を話す。

彼女のことを想っているのに、どこかちぐはぐな距離感がジンワリと切ない。関西弁は魅力でいっぱいだと思っているから関西弁をいやがる彼女の気持ちは分からないけど、“でも僕は変えないよ「好きや」と言うから” という言葉を言う気の強さが可愛らしい。

歌詞のフレーズ1つ1つが美しくて日本的で、曲のアレンジも和楽器の音が聴こえる。それによって気品のある和な雰囲気を感じられる魅力もある。

“恋をするなら 御堂筋から始まるのさ” 

“恋をするため 心斎橋には人が来る” 

 と歌詞があり、曲の終盤にきて

今日も誰かが めぐり逢う

遥か 遥か 西の街

恋をするなら 御堂筋から始めるのさ

雅なる物語

という歌詞がくる美しさ。1番では“始まるのさ”だったのが“始めるのさ”に変わっていることから、歌詞に出てくる二人は再び一緒に歩いていくことを決めたのだなと読み取れる。

比喩だったり、はっきりとは説明していない行間の多さが曲を聴いているそれぞれに想像する隙間を与えていて、それがそれぞれの頭の中で思い描く“大阪”をつくらせてくれているのかなと思う。関ジャニ∞を知れば知るほど募る大阪への愛情が形になっているのがこの曲のような気がした。

関ジャニ∞を好きになると一度は持つ思いが、『自分も関西出身でありたかった』という思いのような気がしている。彼らの地元への愛を見ていると、そうではない県にいる自分はその中にいない寂しさ、疎外感が少しあった。けれどこの曲はその疎外感を振り払う力を持っている。曲の中での、大阪を知らない彼女に大阪の良さを伝えていくという距離感は、知らないからこそ知っていくことができるというこれからの楽しみに目を向ける視点をくれる。

だからきっと、1人に1つ持っている、関ジャニ∞との出会いからここまでの思い出や、大阪への思いも重ねて聴くことができるのが「大阪ロマネスク」という曲で、瞬間的な楽しさというより、アルバムをめくって写真を見ながらこれまでを振り返るような、じんわり広がる浸透性のあるベストソングになっているのかなというのが私なりに思う結論だった。

 

ラブソングという括りではなくて、懐かしさも哀しさもある。これが哀愁というものなのかなと思える空気感が聴いていて心地いい。

自分は今も昔も暮らす場所を大きく変えたことがない。それゆえに故郷というものがあることへの憧れがあるのかもしれない。

関ジャニ∞を好きになって、大阪に興味が湧いて、大阪を好きになって。さらに関ジャニ∞を好きになっていく。無限を描く魅力が「大阪ロマネスク」にはある。

熱を持って実直に今を歌う。リーマンズロックに見た高橋優さんの強み

 

高橋優さんのライブに初めて行ってきた。

ライブツアー「来し方行く末」

 

直接歌を聴きたい一心でチケットを取って、ついに迎えた当日。

けれど、当日になって浮かんだ一つの不安があった。音楽をジャンル関係なく聴くようになったけれど、ライブとなると空気は違うのではないか、その空気に自分はついて行くことができるだろうか?

ライブハウスには行ったことがない。フェスにも行ったことがない。ファンの人たち、ライブでのお決まり、何も知らない私がこの場にいていいんだろうか。楽しみな気持ち半分、おじゃまします…という神妙な面持ち半分で会場へと入った。

 

グッズのツアーTシャツを買った。黒にブルーの映えた2017年通年Tシャツ。シンプルなデザインで、普段も着られそうなところがいいなと気に入ってこれに決めた。プリントTシャツはきっちり四角に貼り付けられてしまうと、作りました感が出すぎて自然に見えないので敬遠していたけど、このTシャツはプリント部分の角や中側にもダメージ加工が施されていて、そこがすごいなと思った。

グッズはアリーナ内で販売されていて、アリーナに入った瞬間から大音量でかかるアルバム「来し方行く末」の曲にわあっと包まれた。

その時に流れてきた曲が「君の背景」で、好きだと思った曲の最も印象に残っていた歌詞のフレーズが流れてきたことにまず最初の感動をした。

 

高橋優さんのライブが始まって、一曲目が「TOKYO DREAM」だった。

音楽がドッっと押し寄せてくる、漫画みたいに文字が大きく太字で見えるような感覚だった。歌声、楽器の音の厚みに圧倒された。

お客さんのボルテージの上がり方、なにもかもが初めて見る空間。

暗転して楽器が鳴るたびにドキドキして、セットリストも何も知らず、次の曲がわからない状態でライブを観る新鮮さがあった。アルバムで聴いていた曲も、そうだこの曲!ってなる曲も楽しくて仕方なくて、なんというか映画「SING」を観ていた時に近い感覚だった。全身で音楽を浴びる快感がわかった気がした。

 

ステージに立っている高橋優さんを見るのか、スクリーンに映る表情を見るのか迷うほど、どちらも魅力的だった。どうして表情を見られることに感動するのだろうと考えたら、アルバムを聴いている時にはまだわからない、“この歌詞を歌う時の高橋優さんはどんな表情をするのだろう”という知りたかったことが一つずつ埋まっていくのが嬉しくて、ワクワクしたからだった。声だけで伝わることもあるけれど、表情はさらに曲に込められた意図を受け取るのに大切なものだと感じることができた。

 「拒む君の手を握る」の《愛してる》と「君の背景」の《愛しているよ》

その温度の違いも、声と表情、あの場の空気が揃って伝わるものがある。

それで気づいたのは、音楽番組で見ることができるのはそのアーティストのごく一部分であること。ライブに足を運ぶことで初めて一歩踏み込んだ面を知ることが出来るということだった。一曲を切ることなくフルで歌っていて、曲数が多いのもいいけれど二番の歌詞が好きな人もいるわけで、一曲しっかりと聴ける満足感もあった。アルバム丸ごとの空気感を体感するための場所がライブなんだと腑に落ちた。

 

ライブに行って驚いたことがもう一つある。バンドにバイオリンを弾く男性が一人いたこと。

オーケストラではなく、一人でバンドのなかにバイオリンがいる。新鮮だった。ロックなバイオリンを初めて聴いた。

高橋優さんの曲に感じる軋んだ強さと繊細さは、バイオリンとエレキギターの象徴的な二面性からくるのかと、ハッと気づくことができたような気持ちになった。

バイオリンはクラシックのためだけの楽器ではないんだと体感できたことも、なんだかとても嬉しかった。演奏をされていた須磨和声さんはどんな経緯でこの道を歩いたのか、どんな人なのか、とても知りたくなった。

 

カメラの使われ方も手拍子をする手にピントを合わせてステージを向こうに映していたり、客席全体を広く映していたりするところに特徴があると思った。特にカメラの角度で好きだったのは、高橋優さんの斜め後ろからライトの当たる背中を映していて、背中越しに横顔が見える角度。暖色のライトが夕暮れ時みたいで、いい景色だった。

高橋優さんが時折、右、左と客席のアリーナやスタンドに向けて指を差す仕草も印象に残っている。嬉しそうで、笑顔なのが遠目でだって分かる動き。「センター!アリーナ!スタンド!」に合わせて声を上げるあおりも楽しくて、「君たちが横浜アリーナです」とアリーナ席を指差して言う高橋優さんもよくわからなくて好きだった。

ラスト、バンドメンバーと一緒にあおる時も、バンドメンバーが体の動きで観声を表現していて、声が湧き起こる感じを全身使って。センター!でワー!っと両腕を上げて、アリーナは足を前に踏み込んで、ワー!スタンドはより一層下から持ち上げて、ウゥワー!っとみんなで動いている様子が楽しそうで面白かった。

セットはシンプルだけど変化があって、「光の破片」では万華鏡の中に入ったような光をミラーボールの使い方で表していたことに驚いた。映像を映し出すのも、スクリーンとプロジェクションマッピングを使い分けていて、画面に映すのではなくてプロジェクションマッピングで壁に映すからこその自由度を活用している演出がすごいと思った。

 

どの曲も聴けて嬉しかった曲ばかりで、「BE RIGHT」も「パイオニア」も、やっと聴くことができた。そしてアリーナ編では、リクエストを事前に募ってその中から二曲歌うことになっていて、この日は「少年であれ」と「現実と言う名の怪物と戦う者たち」だった。聴いていた時はこの二曲が日替わりであることを知らずにいて、一日違えばこの曲はセットリストになかったのだと後で知った。

高橋優さんのライブに行けることになって、聴けると良いなと思っていたのが「少年であれ」だった。本当に嬉しくて、この日に来ることができてよかったと心から思った。

「TOKYO DREAM」や「BE RIGHT」の息つく暇もない歌詞のリズムを、ピッチ狂わさずに保ったまま歌い切る姿は圧巻で、曲が終わった時の熱気はそこへの感動も含まれている気がした。あの熱量で3時間歌い切ることも、一つずれたらどんどんと追いつかなくなる難しさのある曲を歌いこなすのも並大抵ではないと思う。

曲でそれぞれの台詞のようになっているところでは、変わるがわる人が話しているみたいに表情や声を変えていて、曲の世界観をつくる表現力にも圧倒された。

 

あっという間だったライブの中で、タイトルは知っていたけど初めて聴く曲が一曲だけあった。

「運命の人」

その一曲に心を掴まれた。タイトルでイメージするような甘いものではない。こんがらがってて、ややこしくて、でも切実で。交差しない線の上で見守る距離が苦しい。

“僕でよければ側にいるよ”をちょっと鼻の下伸ばして得意げに言う表情に、らしさがあって、“友達でいなきゃいけない苦しみなら 僕もよく知ってるよ”という歌詞で切なさが破裂する。

高橋優さんが歌う姿を直接見られたから、表情も込みで好きな曲になった。

 

挨拶や曲と曲の合間に話している高橋優さんは、ラジオと印象が全く違った。やっぱり一面しかまだまだ知らないのだなと思った。今は今。そう話す高橋優さんが頭に残っている。

ライブを観ていると、今、自分の憧れがどこにあるのか何が頭のなかにあるのかがストンとわかる。余計な考えが振るい落とされて、浮かび上がる感じがする。

 

「来し方行く末」というタイトルでツアーを回りながら作ったと話していた曲「ロードムービー」は、言葉の通りにツアーで高橋優さんが見てきた景色を垣間見ているようだった。そして、どこかで誰かがこちらのことを思っている時間があるかもしれないというメッセージは、そう思えたならと幾度も想像してきた“もし”で、そのことに大きく心を揺さぶられた。

 

アンコール、バンドメンバーがライブTシャツを着て出てくる中、高橋優さんは白シャツを着て黒のスキニーで出て来た。なぜだろうと思っていた謎はライブ最後の曲を聴いた時に解けた。

「リーマンズロック」だったからだ。白シャツを着て歌う姿は、勇ましくて力強かった。ライブのセットリスト最後に、現実を表している「リーマンズロック」を歌うことが出来るのが高橋優さんの最大の強みだと思った。思いっきり現実。でも、確固とした力になる。

 

ライブが終わって、アリーナから出て電車に乗っていると、聞こえてくる会話が政治や会社の話ばかりだった。たまたまなのか、高橋優さんの歌を直に聴いて耳が感化されているのか分からないけど、高橋優さんは本当に今を歌っている人なんだと実感しながら家路に着いた。

チケットを取って、足を運んでよかったと思う。アンコールに応えて出てきた後に、最後スタンドマイクからマイクを握り取って「明日はきっといい日になる」のインストに合わせてワンフレーズ歌った高橋優さんが印象的だった。

また私はこの空間に来るだろうか、来れるだろうか。分からないけど、少なくともこの日、目の前で観てきたものは今必要なものだった。そう言える。