関ジャムの縁を形に。アルバムタイトルは「ジャム」

 

先週の関ジャムで、次のアルバムタイトルとその詳細が発表された。

メンバー揃っての改まった発表。なんだろうと戦々恐々としていると、ドドーンと次から次に追いつかないほどのサプライズ。

 

次のアルバムタイトルは「ジャム」!!

「関ジャム 完全SHOW」からの影響をもろに受けた、“音楽”ぎっしりのアルバム。

関ジャムで関ジャニ∞が得たものと繋がった人との縁が、形になってアルバムになる。そんなことがあったらと想像したことはあっても、こんなに早く見られるとは思っていなかった。

番組に講師としてゲストに来ていた岡崎体育さん、蔦屋好位置さん、BEGINさん、いきものがかり水野良樹さん、ユニコーン、そしてまだ何かある…とそれはもう盛りだくさんで。

なぜこんなに嬉しいんだろうと考えると、アルバムを作るにあたり企画が立てられて、依頼があって、楽曲提供。という枠組みから一歩踏み込んだ、3年間積み重ねてきた番組での経験と、番組内だけで終わらず共演する方々やプロデューサーの方々に一緒に仕事をしたいと思われる関係性を築いてきたということをこうして知ることができる。番組で得たものを形にする、それが実現する凄さ。

番組での共演をして、そこからさらに縁を繋いだのは関ジャニ∞ひとりひとりが真摯に音楽と向き合ってきたからこその結果だと感じるからこそ、嬉しい。何も知らずに新曲を新曲として聴いていた時よりも、どんな人がどんな思いで、どんなふうにして曲が作られているのかを、番組を見てきて知った今の方がずっと濃く音楽を楽しめる気がしている。

 

そしてまずアルバムに入るシングル曲が好きで仕方ない曲ばかり。

ドラマの「サムライ先生」主題歌で、レキシの池ちゃんが作ってくれた「侍唄

夏のハイテンション男前ソングとして欠かすことができない「罪と夏

アニメの「モンスターハンターストーリーズ RIDE ON」主題歌「パノラマ

映画「土竜の唄 香港狂騒曲」主題歌「NOROSHI

映画「破門 ふたりのヤクビョーガミ」主題歌「なぐりガキBEAT

 

ここに関ジャムでの共演での繋がりで提供される曲が収録されて、

初回盤Aには新曲(1)のMVとユニット曲の片方( A )とドキュメント映像の「フトコロノカタチ」

初回盤Bには新曲(2)のMVとユニット曲のもう片方( B )と番組「関ジャニ∞クロニクル」とタッグを組んだ映像

通常盤はシングル曲とアルバム曲のみの収録で、ユニット曲を聴くにはAとBどちらも必要なよう。アルバム発売は6月28日。

 

同時期にスタートして続けてきた番組、「関ジャム」と「関ジャニ∞クロニクル」の要素が色濃いアルバムこそが「ジャム」

今明かされているのは一部で、交渉中とされている楽曲提供についてもユニット曲についても楽しみはまだまだある。アルバムを手に取って、歌詞カードのクレジットを見る時が本当のサプライズになるのではと思うくらい、アルバム「ジャム」の発売日が楽しみで仕方ない。

カルテットに届けられた手紙

 

ドラマ「カルテット」全10話を見終えた。

気がつけばずっと、脚本の坂元裕二さんのドラマに惹かれ続けて、「それでも、生きていく」も「問題のあるレストラン」も「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」も見ていた。

 

「カルテット」は、他者と他者との関係がどこまで強くなり得るかというテーマを持っていると思った。そして好きなことを仕事にするのか、趣味にしていくのか。

サスペンスだと聞いた時は、怖いのも不気味なのも苦手としている自分には大丈夫だろうかと見ることを迷いもしたけど、結果やっぱり見てよかったと、1話から高画質で録画していて良かったと思った。 

10話を通して見て完結するというより、1話ごとに軸があるため、日によって今日は何話が見たいという見方ができる。

何話が好きだったかという感想は個々に分かれる気がした。全体に流れる空気は一貫しているけれど、真紀さんとしての妻の想い、夫さんを探すお母さんの想い、すずめちゃんの“子”としての思い、別府さんの“家族”としての思い、家森さんの“親”としての思い。

私は3話と10話が特に好きだった。リピート率も3話が断トツで多い。

 

最終話のなかで、手紙がカルテットの4人に届いた。

「カルテットドーナツホール様」と宛てた手紙。

ここへきて、脚本を書かれている坂元裕二さんはやっぱり手紙を大切にしている人だと感じることができた。それが嬉しかった。「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」でもお母さんから音ちゃんへ宛てた手紙が物語を動かし、最終話での音ちゃんからお母さんへ宛てた手紙は忘れ得ない言葉の数々だった。

表現者とは、という問いに向き合い続ける人全てに宛てた、痛いほど突き刺さる疑問、苛立ち、惨めさが2枚ほどの手紙ひとつに込められていた。短い文であれほどまでに核心をついた問い掛けができるということに、文章を書くという意味でも驚かされた。

 

その手紙を聞いているカルテットのメンバーの表情は、ドラマのなかでそれほど映されない。感情的になるようなシーンがあってもいいはずなのに、それがない。家森さんが手紙を受け取り、初めに読み、カウンターに置いておく。手紙に気づいたすずめちゃんがそれを声に出して読む。

「あ、ちょっと読んだけど いいよ捨てて」と家森さんはすずめちゃんに言ったけれど、本当に手紙を読んで不快に感じ、みんなには見せられないと思うなら、家森さんが黙って手紙を捨てていたと思う。そこに、置いておいた。ドラマの終盤に出てきた「パセリ」のように、「パセリ、ありますね」と認識し合うやりとりのように、知っておくことは大切なことなのだと思った。

「読まなくていいって」と言う家森さんにすずめちゃんは「でもせっかくのお手紙だから」と自然に返す。この一言がとても好きだった。好意的な内容でないことは察しがついただろうし、読まない選択肢だってあったけど、すずめちゃんもまた手紙を大切に思っているのだということが伝わってくるこのシーンがいい。

この手紙は、ドラマを見ている人それぞれの置かれている状況によって、響く箇所も持つ感情も異なることが考えられているとしたら、あの手紙が読まれている時間どんな表情をしているかは自分自身に答えがあるのかもしれないと思った。

 

手紙を受け取ったカルテットの思いも、手紙を書いた“誰か”の思いも、どちらの立場も境なんてものは無くて、何かをつくり届けたいと行動する自らの中で湧き起こる感情だと分かるからこそ、見ていてなんとも言い難い気持ちになった。

手紙を送られる側だけの気持ちで居られるなら、それは怒りになるのかもしれない。なんて酷いことを、どうしてこんなことが言えるのか。そんなふうにして怒れるかもしれない。

けれどこの手紙はあまりにも切ない。

高みの見物をしているつもりで乱暴に連ねられた言葉は、次第に「なぜ」という問いに変わり、最後には「教えてください」と懇願になった。「煙の分際で」と言った、カルテットの4人に、自らでは解けなかった問いを託している。

手紙に綴った槍のような言葉は、書いている“誰か”自身に向けられた言葉でもあり、刺さって傷ついているはずだとわかるからこの手紙は切ない。

人に対して投げつけたつもりの罵倒の言葉は、自らをも傷つけているということを表しているようにも思った。

 

手紙を書いた“誰か”とカルテットが違うのは、今、続けていることで。

奏者をやめたことだってそれはその人の正解なのだろうけど、自分がやめたことを正しくするために、続けている人に向かって「どうしてやめないんですか?」と言わずにいられない時点で、悔しさ滲んでいるのが切ない。

この手紙は鋭利だったし、傷つけようという意図も含まれたものだったけど「将来があると思いますか?」の問いはきっと何かを続けたいと思っている人の心に常にあるものと思う。

 

届く人には届くんじゃないですか?

その中で、誰かに届けばいいんじゃないですか

1人でも、2人でも。

完璧じゃないし完全じゃない、ホールでの演奏だって興味の無い人はどんどんと出て行くけど、彼らが続けることを誰も止めることは出来なかったわけで、何をもって成功と呼ぶのかも趣味だと決めるのかも明確なところではない。そんなグレーさが素敵なドラマだった。

高橋優さんの「来し方行く末」を聴いた感想

 

高橋優さんのアルバム「来し方行く末」(きしかた ゆくすえ)

“来し方行く末”という名前が、字として見ても言葉として聞いても美しい。

ロゴのデザインからも伝わるように、「来」と「未」という漢字がそれぞれシンメトリーであること。末広がりであること。どちらも魅力的だなと感じた。ジャケット写真の高橋優さんが歩いていく景色は、晴れ渡っている空でも整えられた道でもなく、霧のかかっている先の見えない道であるところがいいなと思う。

静かに聴き込める環境を用意してから、アルバムを通して聴いた。「君の背景」「象」「BEAUTIFUL」が印象的だった。

  

「君の背景」

ひたむきな、恋人への想いが伝わってくる。ラブソングと言うには不器用で、けれど一生懸命に彼女を見つめる彼の視線がこの曲に溢れていた。

荷物くらい僕に持たせてよと言うのに、半分ずつの重さでしか持たせてくれない彼女と、ぎこちなくも彼女の隣を歩いていたいと思っている彼。

歌詞に出てくる二人にもどかしい距離があるからこそ、サビのメロディーが熱を持って際立って、切なさが込み上がってくる。ここまでストレートな「愛しているよ」という表現を高橋優さんがつかうことはめずらしいように感じる。簡単でも思いつきでもなく、思いが溢れた言葉として伝わってきた。水に浸すと浮かび上がる文字のようにじんわり広がる暖かさがあった。

アルバムの「拒む君の手を握る」という曲にも愛してるの言葉は出てくるけど、その意味合いは対照的であるかのようだった。

片方ずつの荷物を君はずっと離さなかった

という歌詞が耳に残る。この言葉だけで、彼だけでなく彼女も不器用なことが表れているところがいい。歌詞に出てくる“荷物”について、言葉通りの受け取り方だけでなく、形ではない気持ちの部分の例えとしても受け取れるように思う。

今までに聴いたことのない関係性の歌で、繊細な思いと素直な感情の混ざり合う描写が素敵だと感じた。 

 

「象」

関ジャニ∞へ高橋優さんが「象」という曲を提供をしてから、ついに聴くことができた高橋優さんの歌う「象」

スラップ、スピード、語尾が跳ね上がる歌い方。あまりアレンジは変えずにセルフカバーしたというなかでも、高橋優さんが歌うからこその個性が表れていた。

曲を聴いていて思い浮かんだのは、迷いを振りはらうかのように疾走している様子だった。迷いのさなか、左右の景色など目に止まらない速さでとにかく前へ走っているような。関ジャニ∞が歌う「象」が歩く道の先に居て見守っているイメージだとしたら、高橋優さんの歌う「象」は隣にいて今を共に戦っているイメージだった。

関ジャニ∞の冬のツアーでこの曲を直に聴くことができて、同じ2017年に高橋優さんの歌うこの曲を聴けることが、すごくうれしい。

 

 

「BEAUTIFUL」

高橋優さんの人柄が溢れ出ている。先回り先回りの優しさ。

言葉を一つ投げかけたとして、きっとこう答えるんだろうなとわかってしまう、思いやりと感情移入の深さが優しくて切ない。テレビ番組のA-studioでこの曲を歌う高橋優さんの声を聴いた時から、衝撃だった。この時に心を掴まれたから、ライブのチケットを取った。どうしてもこの歌声を直接同じ空間で聴きたいと思うほど、力のある歌だった。

言葉の一つ一つが丁寧で、相手を思う気持ちに満ちていて、高橋優さんの前では誰のどんな天邪鬼も敵わない。どの歌詞がよくてということではなく、高橋優さんがアルバムの最後にこの歌を置いたことが全てで、それにつきる。

思う人がいてこの詞を書いたということの意味。この曲のタイトルが「BEAUTIFUL」で、いっぱいの言葉に込めて伝えたいことは“君は美しい”に繋がるということの意味を時々考える。

考えるけれど、きっと自分はその意味をきちんと理解できていない。それは多分、“美しい”という言葉に持つイメージが、まだ“見かけ”に捉われているからだろうと思う。いつか美しいという言葉が持つ本当の意味を理解できるようになりたい。

 

今回の高橋優さんのライブツアー「来し方行く末」が、どんなセットリストなのか、まだ何も知らない。知らないままで当日を迎えることができそうで、わくわくしている。高橋優さんの声を聞いてどんなことを感じるのか。いつも聴いているあの曲は歌われるのか。

「来し方行く末」ライブまでは、あともう少し。