ライブDVD「JUKE BOX」で感じた空気感、映像だからこその良さ

 

形容しがたいあの時の関ジャニ∞がまとう空気。

開演直前、幕の向こうでスタンバイする様子を上からカメラが撮影していて、その映像から静かに始まるというオープニング。リアルタイムで観に行っていない自分でも、その緊張がオープニングの映像からドッと押し寄せてくる。

メイキングにも映っている開演前の彼らの表情を見ると、ステージに立てば迷いなく無敵に見えてしまう彼らも、始まる直前まで並々ならぬ緊張とプレッシャーを感じているんだと改めて気がついて、息を飲んだ。

幕の向こうにいるのは関ジャニ∞を見に来たお客さん。そのことをわかっていても、どんな空気が広がっているのか、どんなライブになるのか、走り抜けるまでわからない。ライブの楽しさはきっとそこにあるからこそ、毎回各公演、開演して無事に終演するまでは、ルートの分からないフルマラソンを走るようなものなのではないかと見ていて思った。ゴールは定まっているけれど、どんな道のりでそこへ持っていくかは、常に未知。

 

今のテレビなどに映る渋谷すばるさんを見て、それからさかのぼってDVDを見る人は、「JUKE BOX」や、2012年のライブツアー「EIGHT×EIGHTER」の映像を見て驚くのかもしれない。どちらがという話がしたいのではなくて、どちらもその時いた渋谷すばるさんだと思っている。

それでも、圧倒される。あまりの鬼気迫る声と表情に。自らを削ってでもという覚悟で体現しているようにも見えて、危うさを感じるほどの、凄まじい熱。

観ている側も覚悟を持ってしてでないと向き合えないような気持ちにさえなる。

 

「JUKE BOX」のライブDVDは、全体のカメラワークとして一瞬足りとも見逃したくない魅せ方になっていると感じた。

足元の映し方や、はじめからピントを合わせておかずにぼかして合わせて、またぼかしたりする遊び心。全体にピントが合うカメラと、奥行きのある、背景が綺麗にボケる単焦点レンズのようなカメラが使い分けられている感じも素敵だなと思う。あれだけ広いドームという会場で、どこから撮影してどの角度で映し、誰をカメラで抜くのか、何万通りの方法があるからこそ、撮影しているカメラさんやスイッチング、編集をしている表には見えないスタッフさんのこだわりを感じると、とても嬉しいし楽しい。

ライブの中盤『青春ノスタルジー』で、渋谷さんを映しながら、その後ろにセットの“JUKE BOX”の文字が背景に映り込むところは何度見てもグッとくる。

このツアーのテーマになっているジュークボックスのイメージを、曲のノスタルジックな雰囲気と共に視覚で印象づける大切な演出になっていると思う。そのステージ上のレコードのような丸いセットには唇マークが映っていたり“JUKE BOX”の文字が映っていたり、“ビースト”と曲名が映されていたりと、さりげない変化を見せるところも心憎い。

 

バンド演奏が多い印象の「JUKE BOX」だけど、『あおっぱな』や『TAKOYAKI in my heart』では楽しいダンス、『Sorry Sorry love』『Dye D?』でクールに魅せるダンス。一方『涙の答え』から『青春ノスタルジー』までのしっとり聴き込むセクションと、一つのライブの中で多くの面が観られるセットリストになっている。

あの時期だから固めておきたかったのだろうと思うバンドという形をはっきりと見せつつ、お客さんがどんなものを期待して観に来ているかも把握して織り交ぜていく。構成としてバンドはバンドでまとめてしまった方がきっとセット転換も楽なのだろうけど、バンドからダンス、歌、MC、ユニット曲、歌。そしてバンドへと流れをつける。

簡単なことではないはずなのに、その構成でいくと決めて、実際に3時間近くもの時間ステージに立ち続けるという気概がすごいと思った。

 

何度も見ているのに、今になっても新しく気がつくことがあり、この後ろでこんなことしてたのか!という発見をまだしている。

丸山さんが『West side!!』で、ピックをくわえて、歌う時はどうするんだろうそんな場面映ってたっけと注目して見ていると、歌う前にそのままフッとピックを飛ばしたところがしっかり映っていて、そんなことしてたのかー!!と衝撃を受けたり。『ビースト』で流れる映像に、さりげなくジュークボックスが映り込んでいたりすることにもやっと気がついた。

無責任ヒーロー』で村上さんがバックダンサーの“たこやきオールスターズ”に自ら馴染みに行っていて、バックダンサー用の振り付けを全力で踊っていることにも、今日まで気がつかなかった。思い切り盛り上がっているところで、村上さんはステージ中央にいるにも関わらずメンバーより一歩後ろでバックダンサーに徹するから、違和感が無さすぎて面白い。村上信五さんを探せ!みたいになっている。

 

『夕闇トレイン』では大倉さんのソロドラムから始まりイントロギターの印象的なフレーズが聞こえて、手拍子をあおる渋谷さんと村上さんの姿に胸が高鳴り、エレキギターの錦戸さんと安田さんが音で会話しているみたいにパートの掛け合いをしている様子が丁寧に映されているのもいい。

『あおっぱな』での衣装がメンバーカラーで、でも統一された形の服ではなく、それぞれの個性と特性を考えられたデザインになっているところが好きで、メンバーカラーで7人揃った時の7レンジャー感も関ジャニ∞ならではの魅力だなと、このシーンを見ていると思う。黒ジャケットな横山さんのネクタイがピンクなのが個人的にはたまらない。

カメラのことでいうと、『ココロ空モヨウ』の“とっくに雨は上がったのに”の歌詞がある部分で丸山さんが足元にあるカメラに覗き込むようにして挑発する感じもカメラを最大活用していて素晴らしい。『へそ曲がり』では大倉さんが下からあおって撮るカメラに向かって歌っている。

 

ライブ終盤の『Your WURLITZER』から『Eightpop!!!!!!!』までの4曲をドラムで叩き続ける大倉さんの頼もしさを見られるのもこのライブDVDの見所だと思う。『レスキューレスキュー』から『Eightpop!!!!!!!』なんて曲の間がほとんど無く、間髪入れずに次のリズムに入っている。ラスト叩き終えて、スティックも手からこぼれるように飛ばしてドラムセットになだれ込む大倉さん。そして画面が暗転。

ドラム専用カメラがしっかりおさえていて、その映像を曲の締めに入れるところがいい。力尽きた大倉さんを表すかのように画面を一度暗くするところも凝っていていい。

 

LIFE〜目の前の向こうへ〜』の締めを、大倉さんのドラム後ろ姿から映して、最後はカメラのフォーカスをぼかして終わる映像の演出も素晴らしかった。会場で観るのは会場で観るからこその臨場感があって、ライブDVDとなって映像として見るのはパッケージとして完成された映像だからこその演出があって、だから観に行ったライブでもDVDが出れば買わずにいられないなとしみじみ思った。むしろライブDVDが発売されて、落ち着いた視点で本編を見たのちメイキングを見て、特典映像を見てから、やっとツアーが完結するという気持ちでいる。

 

笑いたい気持ちの時にはアンコールの『イッツ・マイ・ソウル』を再生、を家訓にしようかなと思うくらいにこのDVDでの『イッツ・マイ・ソウル』を歌う渋谷すばるさんは面白い。村上さんが気に入って安田さんと大倉さんが笑い倒すくらいの全力の悪ふざけ。こんな大人が身近にいたら最高に楽しいはず。

初めて見た時にこれ以上ないほど衝撃を受けた『ビースト!』の無茶苦茶にカッコよくて無茶苦茶にふざけたパフォーマンスも、肩に力が入っている時に見るとふっと笑えて、それから仕事がんばろうと不思議とやる気が湧いてくる。

 

ライブの最後に『All is well』という曲を歌う。

私はこの時の空気感を体感してはいないのでわからない。わからないので推測にすぎないけど、この時はこの時の関ジャニ∞がグループとして、そして個々として、もがいて立ち向かっていたことがこのライブからひしひしと伝わってくる。そんな空気と緊張感のなかで歌うこの曲は意外なほど、穏やかで優しい。

ジリジリするのもこのライブで、温かさを感じるのもこのライブだった。

 

ベタ惚れしたボーカル。SHISHAMO「明日も」

 

有線から聞こえてきた声に引きつけられて、誰の曲かわからない。何と言う曲名なのかもわからない。仕事中なので検索するわけにもいかない…という状況になったのは初めてで。

思うよりも早くその謎は解けた。曲を聞いた翌日、ミュージックステーションを見ていたら聞こえた声に、“あの声だ!”と一致した。

 

SHISHAMO「明日も」

名前を聞いたら、CMで使われていたこととメロディーを思い出した。それでもCMの時と曲の印象が違って聞こえたのは、いいなあと耳に残っていたフレーズがBメロだったからかもしれない。

キャッチーさのあるAメロからBメロに移った時の転調で、メジャーからマイナーに変わる魅力を初めて実感した。「お お お」のフレーズと共に音程が一音ずつ変わって行くところからチャラランとギターを鳴らすところ、息を合わせるようにドラムのテンポが変わるところが好きで、手拍子の音も入ってくることで、落ち込んでいく歌詞とは相反して盛り上がりが増幅して、ゾワゾワっと楽しくなる。

ダメだ もうダメだ 立ち上がれない

と落ち込みながらも、マイナーからメジャーへとまた立ち上がり、自らを鼓舞していく不屈の姿勢。

しかも、自分で自分に応援の言葉をかけるというより、「ヒーロー」という存在が歌詞に出てくることが嬉しくて衝撃だった。“あなた”でも“彼”でもなく「ヒーロー」と表すことが特別で新鮮だった。自分にとってのヒーローが誰であっても、なにであっても、それでいいじゃない!と肯定されたような爽やかさがあった。

 週末は私のヒーローに会いにいく

ライブ、スポーツ、映画。自分にとってのヒーロー全てに当てはまるわけで、著名人でもアイドルでも社会の先輩でも、憧れの存在があることでこんなにも力に変えていけるじゃないかと気付かせてもらった。

 

ボーカルの宮崎朝子さんの声は、リラックス感がありつつも前のめりな空気がゆらゆら波のように揺れ動いて耳に残る。騒がしくしてしまうと儚く消えいってしまいそうな繊細さがありながら、ひた向きさが伝わる魅力を持っていて、意識を向けて聴き入りたくなる声だと感じた。

 

「明日も」を聴いて最もインパクトがあったのは裏声への移り変わり方の可憐さだった。

スピーカーから広い空間に流れていても、耳に届くハイトーン。

そんな時にいつも

誰よりも早く立ち上がるヒーローに会いたくて

という歌詞はこの曲の中で最も好きなフレーズで、そしてここで2度出てくる裏声が美しい。ふわっと上がる音程が心地よくて、何度もそこを聴きたくなる。

歌詞もこの二行で、人が頑張っていける原動力というものを言い表しているように感じて、思い浮かべられる存在がいるというのは嬉しいことだと思った。

 

はつらつな応援ソングとも、一週間を描いている曲と括ってしまうのも勿体なくて、一度俯瞰して曲を通して聴いてみてほしい。

ギターとベースとドラムの3人体制なバンドだからこそ、立ち位置がトライアングルになっている視覚的な均等な美しさ。魅力的な声。寡黙に演奏に徹しているからこそ目立つベースとドラムの存在感。ベースの松岡彩さんとドラムの吉川美冴貴さんのボーイッシュさもたまらなくつぼで、とくにドラムの吉川さんの演奏とリズムの取り方が格好いい。SHISHAMOにがっつりハマったら、私は吉川さんから目が離せないと思う。

 

私はギターを弾けるわけではないけど、弾いてみたくなるフレーズというのがこの曲ではいくつも出てくる。特に、曲の終わりで出てくる繰り返しのギターフレーズがシンプルだけれど耳に残る。そこにべースが同じメロディーラインで重なって、さらに数週遅れでドラムも加わり音に厚みが増して高揚感をあおって、最後にバツッと終わる締め方。ほんとズルいなあと何も言えなくなるほど。

 

泣きにかかる曲ではないのになぜか泣けてくる曲というのが時々あって、「明日も」がそうだった。がむしゃらで、全力で走りながら何度も転んで擦りむいて、挫けているけど諦めていない。それが最高に格好いい。

痛いけど走った 苦しいけど走った

報われるかなんて 分からないけど

とりあえずまだ 僕は折れない

言葉は力強く、でも歌声が泣いていて、その声に心が動く。 「とりあえずまだ」と歌う言葉選びにも、“先は分からないけど今は。”という人間味のある感情が出ていて好きだなと思う。言葉以上のニュアンスが声色に溢れているから、シンプルな歌詞でも深みが伝わる。

 

こんなに惹かれる歌詞を書いたのは誰なんだろうと調べたら、ボーカルの宮崎朝子さん作詞・作曲だと記載されていた。衝撃。声だけでなくて詞まで好きなんて、ベタ惚れじゃないですか。今はひたすら「明日も」をリピートしているけれど、他の曲も聴いてみたくなった。

まずは2月22日に発売になったアルバム「SHISHAMO 4」に「明日も」が収録されていると知ったから、早々に手に入れたい。YouTubeの再生では足りない。

 


SHISHAMO「明日も」

3月、書くことについて考える。

 

ノートパソコン、買いました。

一大決心の買いもの。初めての投稿は「カルテット」について書いた昨日の記事になりました。 そわそわと落ち着かない感じ。慣れて馴染むくらい使い込んでいけたらと思う。

 

そして、3月になった。

12ヶ月で最も好きな月であり苦手な月。街の空気が新生活へと準備を始めて、なんとなくいつも通りでは無い、ざわざわとしだす頃だからだと思う。それに影響されてなのか、毎度なんだか葛藤の最中にいるような気がする3月。しかし4月には高橋優さんのライブが待っているので、いつまでも潜っているわけにもいかない。

 

書くことについても例外なく悩んでいる。

作品を見た時、何かを経験して感情が動いた時に、書きたい!という衝動から書いているその時間は他になにも考えてはいないけど、もっと真剣になりたいからこそ、ここのところ考え込んでしまう。

私がここに投稿を始めたのは、これまでずっとノートに書き続けていたことを、ノートで留めておきたくないと考えるようになったからだった。自分だけが持っていて自分だけが読めるノート。それがもったいないような、つまらないような気持ちになった。

思っていることは山ほどあるのに、持て余して表現の仕方が分からなくて、いろんなことを試してみた。でもどれも形としてしっくりくるものがなく、なにを用いてなら表現したいことが表せるのかと探し続けて見つけたのが「文章」だった。

本を全く読まなかったわけではないけれど、習慣だったわけでもない。小さい頃に絵本が毎月3冊ほど届くのがお決まりではあったけど、年齢と共に字の多い“読む”本に変わってきたあたりで、その定期便もやめてしまった。それでも表現方法というものには興味があって、ドラマや映画、歌の歌詞に出てくる言葉の繋ぎ方には関心が強かった。だから高校での教科「国語表現」は、あまりの抽象的な質問になんて面倒なんだとうんざりしながらも結局面白いと感じるようになり、なんだかんだ国語表現に取り組んでいる時間は楽しかった。

 

ここで書き始めた時、自分でもどんなことなら書けるのかが分からなかったから、ものすごく抽象的な挑戦をこれから始めるぞという気持ちのなか初めて書いたのが、NEWSのライブ「White」についての記事だった。

文章を書くと言うなら「小説」が書けなければ。と思い込んでいたから、小説は書けなかった自分は何が書けるんだろうと模索しながら、書いた。最初のころは自分でも何に挑戦しているのか、これが何かになるのか、形の無いものを形作ろうとしているようで漠然としていた。周りに“こういう事をしている”と説明しても、理解してもらうのは難しかった。

まずは分かってもらえなくても、とにかく続けてみようと自分で決めた。それからおおよそ2年。まだ2年。それでも、始めた時よりも書くということを具体的な形として考えられるようになった。

コラムなのかレビューなのか。今でもわからないところではあるけれど、“いいと感じた物の、なにがどういいのか”を伝えられる文章を書きたいという動機だけは変わらずはっきりしている。

作品のどこがどう良く、どんな楽しみ方もあるのか、答えではなくきっかけになるような文章を書きたい。

 

一つの映画に専属のライターがつくように、新曲リリース時の紹介文、ホームページに載っていたりラジオでの曲紹介に使われる文章。ライブレポートとして載る文章なども書く仕事なのだと、意識して見るようになってからは目指す形が見えてきて、そして増えている。

自分が目指していることは作品あってこそのものだと覚えていたいと常に思うのは、2007年に公開されたディズニー映画の「レミーのおいしいレストラン」で、評論家であるアントン・イーゴーが物語の中で語った、言葉の影響が大きい。

“評論家というのは気楽な稼業だ。危険を侵すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に審判を下すだけでいい。

辛口な批評は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。だが、評論家には苦々しい真実が付きまとう。たとえ評論家にこき下ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が評論よりも意味があるのだ。”

映画館でこの言葉を聞いた時、胸にきた。本当にその通りだと思ったからだ。そのとき自分はまだ書くことを始めてはいなかったけれど、評論家に限らず、なにかを観る側でいて、それについて語ることのある人全てに当てはまる言葉だと感じたからだった。

特に“たとえ評論家にこき下ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が評論よりも意味があるのだ”という言葉には、感想を簡単に発信できる今だからこそ、より強く肝に命じなければと感じることがある。私は書くことで評論をしたいわけではないけれど、料理を必死で作る人たちがいるからこそ、評論家たちは書くことができるという関係性にはきっと重なる部分がある。創り出す苦労に比べたら、出来上がったものにあれこれ言うのは簡単で、しかし、ゼロからそれを創り出している人には到底かなわない。だから、その敬意を忘れないでいたい。 

 

そしてイーゴが続けて言ったこの言葉が、ずっと心に残っている。

 

“誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない”

 

続けていきたいと思っていること。終わらせることもまた始まりで、変えようと決めたこと。

3月は多くのことが自分にとっても実際に変わることになる。どんな心境で4月の高橋優さんのライブを聴きに行くことになるのか、今は想像もつかないけど、逃げても隠れても4月は来るし夏には関ジャニ∞の夏のツアーが待っているのだから、やれることをやっていこう。