亮ちゃんが可愛いなんて知らない

 

関ジャニ∞を意識して見るようになって、一番の衝撃がこれだった。

錦戸亮さんが、亮ちゃん…?

唐揚げが好きで、カップ焼きそばも好きで、押せ押せでイジられると何も言い返せなくなってしまう可愛さがあるの…? 

 

怖いと思っていた。シュッとしていて、無口なイメージで、メンバー間であったとしてもイジられている姿は想像できなかった。

そのイメージがあれ…?と変わり始めたのは、ライブMCを見るようになってからだった。自分の出演しているドラマを横山さんが見てくれていないことが分かって悔しがる錦戸さんや、バナナジュースを横山さんに飲んで欲しくてライブMC中に作ってミキサーごと持って来る錦戸さんを見ていて、あれ…?イメージしていたのと違う…?と気づきはじめた。

 

それを意識してジャニ勉を見始めると、無邪気で少年のような錦戸さんの姿が。

今まであった勝手なイメージが一気に吹き飛んでいった。関ジャニ∞を知って、ギャップが大きかったランキングは錦戸亮さんと渋谷すばるさんがツートップだった。

 

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ここまでを、2017年1月6日に書いて、ずっと下書きに眠らせたままだった。

普段は、どんな人が読んでも誰のことかわかるように、フルネームでの表記を心がけて、もしくは○○さんと書くようにしていた。

でもこのタイトルをつけた時は、それがくずれるほど錦戸亮さんのギャップに驚いて、ぐっときて。だけど振り切って書く勇気がなくて、そのままになってしまった。

 

完成させて載せることが文章としての重要ポイントだと思ってきたけど、錦戸さんへの私なりの素直な思いはここに溢れてたかなと思う。だからこのまま載せちゃおう。

錦戸さんはきっと、怪訝そうな顔をして可愛いってなんやねんと噛みつくだろうけど、関ジャニ∞でいた錦戸亮さんは、間違いなく、可愛いひとでした。

 

あおの景色の心地よさ。濱田英明さん 写真展「DISTANT DRUMS」

 

久しぶりに降ろしたワンピースには少しシワがついていて、だけど今日はこのワンピースを着て行きたかった。

濱田英明さん 写真展「DISTANT DRUMS

2019.9.7-9.29

東京、学芸大学駅から徒歩の距離にある、BOOK AND SONSという建物が会場になっていた。

 

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下車したことのない駅、知らない街。休んでいたいし、今回はいいかな…と行けない理由を見つけようとしたけど、展示最終日だったこの日。今日なら行けると思い立ち、気づけば支度をはじめていた。

もうこの会場では展示をしないかもしれないという言葉を読んだからには、行くしかなかった。

 

濱田英明さんの写真には、さまざまな表情の青が、ときに淡くときに濃く、穏やかな色合いで表現されていて、見ていると凛とした風が吹きぬける感覚がする。

今回の写真展は特に、“あお”が印象的な写真が沢山で、綺麗だった。

濱田英明さんはドラマ版「この世界の片隅に」のフォトグラファーをされていて、決定的に好きになったのは「いだてん」の運動会を写した写真を見た瞬間。

息を飲むとはこのことだと感じた。

ドラマの中のその人が生きていて、写真のなかで永遠になっている。映像の域を越えて人の人生が刻まれている気がした。

 

普段は、写真展や美術展にあまり行かない。

自分のペースで歩いて進めないというイメージと、黙ってそこにあるものとどう対峙したらいいかわからない戸惑いを感じるから。

決して近くない距離を越えてでも来てみたくなったのは、展示されている写真だけでなく、空間のデザインが素晴らしいと思ったからだった。

元々こういった建物なのだろうと思っていたら、今回の展示のため、内装を変えてオリジナルな会場を作り上げている。この空間に、行ってみたい。そう思ったことが大きかった。

 

展示最終日なので人が増える前に見たいと、お昼頃に伺った。

住宅街の中、何気ないアパートメント。

「BOOK AND SONS」と書かれた看板。上からひとつ照らすライトが可愛い。

 

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1階から3階まで展示があり、二人通るのがやっとの細い急な階段を登っていく。それもまた楽しくて。

写真の撮影、SNS投稿可なことを伝えるのに、この表記ひとつで見せるセンスも素敵だった。

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白い壁、天井。白は覆い尽くすと威圧感に変わることすらあるけれど、そんなことはなく、洗練されていて落ち着くことのできる空間。

ここに住みたいと思った。

 

1階に大きく展示されていたのは、空港の広いロビーにぽつんとあるカートの写真。

それがすごく好きで。じっと見て、座って見て、振り返って見て。そろそろ行こうと一旦離れるのに、もう一度と戻って見て。

大好きなあの空港の澄んだ空気感。ここではないどこかへ向かう清々しい心模様。人は写っていないのに、人の影が確かにそこにあって、あおの濃淡と白の光で表現された写真の向こうに想いを馳せた。

 

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空間ごと好きになる写真展だった。

展示を見終えて、商品の並ぶスペースに行くと、ちょうどなサイズのポスターが3種類。この写真を部屋に飾れるの!?と嬉しくなって、迷う暇なく2つも手に取っていた。

綺麗な印刷で紙質もしっかりしていて、なのにお値段が優しい。ポストカードも買うことができて、これで素敵な部屋をつくるんだとワクワクしながら選んだ。

 

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休日になると、ちょっとがんばって出掛けてみるか、堅実に先のこと次の日のことを考えて控えるか、選択を繰り返す。

これだけ関心が湧いているなら、きっと行ったほうがいい。そう思って来てみた。それはやっぱり正解だった。

部屋で休む休日に慣れていると、この一日で一体何ができるだろうと、わからなくなる。時間が過ぎるのがあっという間で、どこにも行けない気にすらなる。

でも、思い立てばこんな一日もつくることができる。そうだった、するかしないかを自分で決める醍醐味はこんな感じだったと、思いだす休日になった。

 

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Nissyとニック・カーターがコラボした「Nothing's Gonna Change My Love For You」(変わらぬ想い)

 

バックストリートボーイズのニック・カーターとNissyがコラボをして、二人でこの曲を歌っていたなんて。

知らずにいたサプライズに、時をこえて今、うれしくて仕方ない。

 

Nothing's Gonna Change My Love For You

日本題で「変わらぬ想い」とタイトルのついている、洋楽80年代のヒット曲。

サビを聴けばきっと、ああ!と分かる人も多いはず。原曲を歌っているのはジョージ・ベンソン。作はジェリー・ゴフィンとマイケル・マッサー。1984年にリリースされた。

 

2016年の2月に、バックストリートボーイズからニック・カーターがソロデビューをして、「オールアメリカン」というアルバムをリリースした。日本での発売にあたり、日本のアーティストとコラボをしたいというニックの思いから、日本スタッフとの話し合いのなかNissyの名前が挙がり、オファーを受けて、この曲「Nothing's Gonna Change My Love For You」が選曲したのはなんとNissyのほうだという。

選曲はニック側の要望と思っていたから、これはさらなる驚きで、Nissyのこの曲を歌いたい!という思いが通ったことへの感動と、何か1曲…と考えた時に決めた曲がこの曲だったということの嬉しさがあった。

曲を聴き込んでみると、Nissyの感性が表れた選曲だと納得する。

愛する人へ、どれほどの想いを僕が抱えているかわかってほしいと語りかける「Nothing's Gonna Change My Love For You」は、Nissyが歌う曲のなかでも強く込められるテーマのひとつとして共通点を見つけられる。

テイストに変化はあるものの、Nissyの「‪まだ君は知らないMY PRETTIEST GIRL‬」は、君はきっと知らないだろうけど、知っていてねと、背中に隠したままの花束で想いを伝えるようなニュアンスの近さを感じる。聴いていて気持ちは穏やかになるのに、どうしてか切なくなる、曲の空気感にも似た魅力があると思う。

 

 

「Nothing's Gonna Change My Love For You」と、タイトルにサビの歌詞のすべてを込めた意味深さを感じる。My LoveでもNothingでもなく、この一文に何もかもが表現されている。

私がこの曲が好きで仕方ない。ビリー・ジョエルの「Honesty(オネスティ)」や、エルヴィス・プレスリー「Can't I Help Falling Love(好きにならずにいられない)」に並んで大好きなバラード。ハリウッド映画を一本観たかのようなストーリー性。とびきりドラマチックにロマンチック。

洋楽の80年代あたりが好きなのは、その圧倒的なまでの表現力にあると思う。私はディズニー音楽が好きで、そこにある情緒にどうしようもなく惹かれる。ライオンキングの「愛を感じて」を聴いて無性に泣きそうになる感覚と、この曲を聴いた時の感覚は近い。特にディズニーのパークのショー音楽に多いと感じていたドラマチックさは、本来ディズニーが得意とする洋楽の年代がその辺りということなのかもしれない。

 

 

ニックとNissyが歌うバージョンのアレンジは、ここもっと!のポイントを満たしてくれる。サビに次ぐサビの盛り上がりで、高揚感が鎮火することなく最後まで聴くことができる。

そして転調。音階が上がったあの瞬間のハッ…!と感。開いていた窓から風が吹き込んでぶわっと髪を撫でていくかのよう。ニックのギザギザとしたエレキギターの音色がマッチする声に、Nissyの滑らかさのある声がピアノの音色とマッチする。波長が合わさった二人の声が、曲の表す不器用さと切実さを生み出している。

英語がネイティブのボーカリストとデュエットをして浮かない英語の発音とボーカルを求められるというのはかなりのプレッシャーだと思う。しかし実際に聴いて、ハーモニーを阻むものは無く、名曲の美しさが守られたカバーになっていた。

上手いと言い表すより、英語にある音感、音と音の間の空気を感覚的に理解できる人なのだと思う。つまり耳が凄くいい。

 

英語の発音で、難しいと散々言われる“thティーエイチの発音。これが多く出てくる歌詞というだけで、気が遠くなる。

だってサビが“Nothing's”ナッシングスな時点で、難易度は高い。さらに恐るべきフレーズがこの後やってくる。

“The world may change my whole life through but” 

“through”スルーだと読むだけなら出来るけど、throughと、thで始まりhで終わるなんて、鬼だ…と私だったら立ち尽くす。これをNissy、曲中に3度も担当している。

 

何度目かのサビで、“Nothing's gonna change my love for you”の部分をハイトーンに飛ばして歌った後すぐ“You ought...”のフレーズを低音のハモリに回るNissy。

ええ…と聴きながら圧倒されてしまう。同じ“my love for you”でも、別の箇所では主メロの時もあれば下ハモで歌っている時もある。このフレーズはこのメロディー、と括って覚えられない歌割りで、とにかくすごい。

 

 

素晴らしい歌詞のなかでも、サビは特に詩的な美しさが輝くこの曲。

 

Nothing's gonna change my love for you

You ought to know by know how much I love you

One thing you can be sure of

I'll never ask for more then your love 

 

どんな言葉より強調して、最初の部分に“Nothing's”【何もない・決してない】を持ってきているところが最高に好きで、文の途中に置くことの多い言葉が先頭にあることで、想いの強さが伝わってくる。

英語で表すからこその熱烈さと、爽やかさだと思う。

だけどもし、私が意訳するなら…どうするだろう。

正確さに欠けていたらと思うと恐いけど、自分だったらどう訳すかを一度考えてみたかった。なので、英文からしっかりと意味を移した和訳ではなく、意味を日本語に置き換えて、全体の意味をとって適切だと感じる訳し方で、“意訳”という形にしようと思う。

 

Nothing's gonna change my love for you

なにひとつとしてないんだ 僕の君への愛を変えるものなど

You ought to know by know how much I love you

知ってほしい どれほど君のことを愛しているか

One thing you can be sure of

たったひとつ確かなことと言えば

I'll never ask for more then your love

君からの愛よりも欲しいものなどほかにない

 

たとえばこんなふうに。

意訳を考えるのはやっぱり楽しい。

 

私の意訳は置いておいたとしても、この曲はなぜここまで熱烈に愛を説いているのだろうかと主人公の動機に思いを馳せる。

恋人が素直に彼の愛を受け入れているとするなら、これほど切々と想いを言葉に変えて語りかけることもないかもしれない。つまりは愛情に寄りかかることのできない芯の強い恋人へ向けて切に願い、想いを伝えつづける主人公の心情なのではないかと考えたりした。

 

 

ジョージ・ベンソンが歌った原曲は、曲時間が3分50秒。

ニック・カーターとNissyのアレンジ版は4分28秒にまで伸びていて、途中の間奏やラストのシャララと鳴るウィンドチャイムが入っての時間なのだと思う。

 

2016年に実現していた、この夢をも超えるコラボ。

Nissyの活動は2013年8月からで、「どうしようか?」のMVを見ていたのだからNissyのことは知っていたけど、この奇跡のような出来事に気がつけていなかった。大々的に注目されてヒットしても不思議ではなかったのではと思うけど、そういかなかったことも含めて、Nissyがあの頃に抱えた歯がゆさがあったことを感じた。

時間差でこのことを知って、数分後にはもうiTunesでニック・カーターと検索し、アルバム「オールアメリカン」の日本版に収録されたニックとNissyの「変わらぬ想い」を購入し、永遠と聴き続けている私がいるように、まだこれからも初めて知って喜ぶ人がいるはず。

大切なのは作品が存在して、触れられるきっかけがあることで、広く届けたものはそう簡単に無くならないのだと実感した。

こうして載せた文章が、この曲にたどり着いた誰かの何かになれていたら嬉しい。