溢すことなく見つめたい - 関ジャニ∞「ツブサニコイ」

 

切実さをおおい隠さずに、ありったけの想いで花束にしたような曲だと思う。

関ジャニ∞ツブサニコイ

作詞:TAKESHIさん 作曲・編曲:Face 2 fAKEさん

 

ツブサニコイ」を聴いて、あの頃すぐに思い浮かべたのは、渋谷すばるさんだった。リリース当時ではなく、関ジャニ∞を知って間もない頃。後追いでアルバムを聴き「JUKE BOX」のライブDVDを見ていた頃の話。

その時思っていた渋谷すばるさんへのミステリアスさがほんの少しほぐれていくような感覚を、この曲に覚えた。

気づくと再生頻度の高い曲で、何を聴こうかとタイトルを眺めてるとつい押している。何を聴きたいのかわからない、そういう気分になった時にしっくりくるのかもしれない。

 

あれもこれも腕に抱えようとして、ポロポロとすり抜けていく気がして。どれもこれも大切だからと守ろうとするのに庇うこともできず、ふと振り返って無防備に傷ついている自分に気づく時。

ツブサニコイ」の歌詞には、大切だという想いを上手く言えない不器用さと、かっこわるくもひた向きに生きる人間味が表れている。歌詞の中にもあるように、男としての思いを歌ってはいるけど、恋人へ向けてだけではない関係性にも寄り添う曲だと思っている。

 

バイオリンなどのストリングスから始まるイントロに、不器用な心境を表すかのように言葉少なくアコースティックギターの音色が同じコードを繰り返し奏でられる。

アコースティックギターエレキギターも音に棘が無く穏やかで、耳に痛くない。

そしてドラムの活躍が素敵なのがこの曲で、シンバルが良い効きどころで鳴る。

 

はじまりを渋谷すばるさんが歌い、錦戸亮さんがつづく。

それぞれの声がシンプルに聴こえてくる良さもありつつ、“口笛掠れては 不器用な男が”で丸山隆平さんの声と横山裕さんの声が重なるパートは、泣き出しそうな声色を出せる丸山さんと横山さんのクリーミーな声の音感で、哀愁がグッと増す。

「パンぱんだ」も好きなので、私は丸山さんと横山さんのユニゾンが耳のツボなのだと思う。

次にくる“大切なものだけを 抱えてんだ”では、安田章大さんと村上信五さんの声の相性を聴くことができて、それぞれの声の化学変化を感じられるこのパートがとても好きになった。

 

つぶさに恋

馬鹿正直に生きてはいつも転んでしまう

 

タイトルの「ツブサニコイ」という表記。

すごく良いなと思っていて、【つぶさに】という日本語表現を選んでいるところが素敵だなと感じる。しかも、【恋】をぱっと見て分かりやすい漢字ではなく、すべて繋げてカタカナにする。そこにぎこちなさや照れの心情が表れていると思う。

タイトルでもある言葉が出てくるサビが、歌詞カードを見ると“つぶさに恋”とひらがなに漢字の組み合わせになっていて、口には出せないけど手紙になら書けるような、わびさびの愛くるしさを感じた。

 

そして「ツブサニコイ」の素晴らしさは、やはり大倉忠義さんのサビ前ソロパート。

仕草に愛

君は美しい見た目以上にそのすべてが

物事の本質を見透かすような歌声だと思った。

音数にして少なく、目で見て2行ほどの短い歌詞のなかで、こんなにも美しくあなたのすべてを愛していると伝えることができるのかと、思いがけない言葉のパズルだった。

サビごとに頭のひと言目が、“つぶさに恋” “仕草に愛”と交互になっているのも語感が優しく、好きなところ。

美しい大倉さんにこのように歌われては、あまりの説得力に有無を言えない。

この言葉の似合う人になれたなら。そう言われて否定せずにいられる人間になれたならと、目指す人物像のハードルもどーんと跳ね上げてしまえる肯定力がある。

ただ美しいと褒めて励ます歌詞ではなかったところに、“見た目以上にそのすべてが”という言葉に、内面を見つめる価値観が素敵だと胸を打たれた。

 

大倉さんのソロパートでは、ギターの音色がメロディーを撫でたあとでベースが入るところも魅力。

ライブでは、バンドで演奏されることが多く、ドラムを叩くことに徹していた大倉さんがサビ前でカメラにバンッと抜かれ、汗が滴るなか上がる呼吸を整えながら見事に歌いきる瞬間は圧巻で、息を止め固唾を吞んで見つめてしまう。

歌い終わって、うわあーっと頭を後ろにもたげながらドラムを叩くところまでを含めて、「ツブサニコイ」の魅力になっている。

 

2017年の関ジャニ∞ライブ「関ジャニ's エイターテインメント」であった、アコースティックコーナーのことも思い出す。

公演ごとに変わるセットリストのなかに「ツブサニコイ」も入っていて、観に行った公演で演奏されたのがまさにこの曲だった。ブラシで叩くドラムの音が穏やかさを増し加えていて、アコースティックギターの音が部屋の中すぐそこで鳴っているようだった。

 

 

足のすくみそうな現実に 泣いてしまいそうな真実に

背を向けずに進む明日(あす)を守りたい 

 

一人で向き合うと決めたことがあるとしても、誰に言わずとも知ってくれている存在がある。そんな曲がここにあるんだと心強さを感じた。

誰もが踏ん張っている。それは理解しているけど、この現実と向き合うのは自分で、自分しかいなくて、あっ代わってもらえます?なんて中身を脱ぎ着することは出来ない。ハードモードが過ぎると笑いたくなってしまうことが起き続けるとしても、この曲がそれを知っていてくれたら、それでいい。

すごいと思うのは、“現実”と“真実”を分けて歌詞にしているところで、どちらもそれぞれに事実あるものだと感じる。

 

そして、君を守りたいではなく、“明日を守りたい”と表現するところ。

君をと言われると、そばに居るとか、何か身近な距離で出来ることという印象だけど、明日をと言われると、どこか知らない場所で気づかない間に、近い距離ではないとしても出来ることのような意味合いにも取れる。

大変な目に遭わないように守りたいではない。自ら選んで“背を向けずに進む明日”だから、“守りたい”。

前に立って庇われる関係性ではなくて彼女が自分の道を歩き、彼の方が背中から見守るような情景が思い浮かんで、素敵だなと思った。

曲の序盤で、“嘘のない笑顔が たったひとつ君に誇れる僕さ”と歌う歌詞を聴くたび、自分なら何を、大切な人にこれだけは本当だと誇れるだろうかと考える。

 

 

【つぶさに】とは、

[細かく・詳しく]さらに[すべてをもれなく]という意味がある。

ひとつも溢すことなく見つめ、丁寧に想い、瞬間ごとに何度でも恋に落ちつづけることなのではとイメージしている。

甘く優しい歌でもあり、つたなく切実な歌でもある。「ツブサニコイ」の描くそんな空気感が、自分にとっての癒しになっている。

 

小雨ふる、井の頭公園

 

「Rain」があまりに似合う日、吉祥寺へと降り立った。

吉祥寺。気になる街だけど、そう多くは訪れないのだろうとなんとなく思っている、不思議な距離感の街だった。

でも今回は、ガラスペンとお手紙のワークショップがあることをネットの情報から知って、場所がどこかを調べるよりも先に参加したいと思ったことで、ここに来ることが決定した。

 

久しぶりの吉祥寺駅は、目線の置き場に困るほどの情報量。改札を出ればあっちにカフェこっちにもカフェ。座る場所に困らない。駅ビルに迷い込めば、初めて目にするスイーツショップにパン屋さん。

一際目を引いたのは、白いコッペパンの専門店「やわらかシロコッベ」

コメダコッペパンの専門店を作ると聞いて気になっていたけど、取り扱い店舗が限定されていて、食べる機会はないかなーと思っていた。そうしたらいま、目の前に。

しかも、最近好きな味の小倉とマーガリンの組み合わせのコッペパンがある。帰りにまた見つけられたら買って帰ろうかな。そう思いつつ、ひとまずその場を後にした。

 

止むかもしれない予報だった雨は、小雨のままサラサラと降りつづけていて、駅を出ればみんなが傘を開いて同じ方向を目指す。

傘をささないほうがスムーズに歩けるのではと思うくらいに休日の吉祥寺は賑わっている。

 

ここまで来たなら、井の頭公園に行きたい。

2年前だったか、初めて来たのはその頃で、晴れた日だった。名前だけは聞いたことのある大きな公園というイメージだけを持っていて。

実際に行ってみると、ドラマで見ていた景色や、関ジャニクロニクルのロケで映っていたお店のある通りにわくわくはしたものの、公園の印象は、こういう感じなんだなあと思うだけで予想を上回ることはなかった。

だけどもっとなにか楽しみどころがある気がして、小雨が降っていようとローファーが濡れてしまおうと、もう一度訪れたかった。

階段を降りた先には、木々が大きく高く生い茂っている。雨で湿った緑は暗めに深く、目に飛び込む情報量が少なくなって、気づけば人もまばら。

 

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すこし前に、井の頭公園の池に絶滅危惧種だった藻が大復活で増えて、モネを彷彿とさせると話題になっていた。晴天ではないから鮮やかな風景とは言えないけど、本当に沢山の藻が水の中に生息していた。

水の中に生える草はなんだか不思議でおもしろくて、そこでプカプカと浮かぶ小鳥“カイツブリ”のヒナを見つけて、静かにテンションが上がる。

お風呂に浮かべる黄色のアヒルくらいのサイズ感で、2羽の小鳥がお互い見せ合うみたいに順番に水の中に潜って、出てきてを繰り返す。あんなに小さいのに真下に潜れるのか…!という感動と、潜った時と出てくる時に水面にできる輪っかの波紋が綺麗で、すごいなあとしばらく眺めていた。

 

 

井の頭公園には、行きたいコーヒー屋さんがあった。

もう一度見つけられるかなと思いながら勘を頼りに公園を歩く。今となれば、なぜ勘を頼りにしたのか。こんな時こそグーグルマップを使ってと私に言いたい。

公園内にお店はそんなにないと思っていたし、お店の外観は草木に覆われて大体でしかわからない。目の前に見えたお店に、ここだ!と思い入店した。

席に着くと、エスニックな香りがしてくる。メニューを見ると、アジアン料理なラインナップ。“トムヤムクンラーメン”の文字に、おお!と嬉しくなった。カップ麺でもスープでもこの味を選ぶくらいに好きなトムヤムクン

お値段はしっかりだけど、ちょうどお昼を食べていなかったし食べてみようと、トムヤムクンラーメンと、本来の目的はコーヒーだからカフェラテのホットを頼んだ。

 

どっしりとした器で運ばれてきたボリュームしっかりのトムヤムクンラーメン。

スープはそれ単体でも成立する酸味と辛味の効いた美味しいトムヤムクンで、大きなエビも2つ入っている。麺は細麺で少し縮れていて、スープに絡む。

 

思いがけず好きな味に出会えて嬉しかったのだけど、ここで私は気がついてしまった。

このお店…目指していたコーヒー屋さんではないな…?

その場で調べ直すと、今いる場所ではないところにマークが付いていた。しかしワークショップの時間も迫っているし、カフェラテを飲んでしまったし、お腹いっぱいだしで、時すでに遅し。

あーと思いながらも、急ぎつつトムヤムクンラーメンを食べ終えて、とりあえず目指すはずだったコーヒー屋さんも見に行こうと、再び公園に繰り出した。

ちょっと歩くと、数分もない距離で見えたコーヒー屋さん。ここだったー!早とちりしたーと思いながら近づいて、飲んでみたいおいしそうなドリンクメニューの書かれた看板を未練がましく見つめる。

飲みたい…ここまで来たのに、でももう時間がない。また今度か…と恋しさを残して、コーヒー屋さんを離れた。

 

雨はつづいて、木の下を歩いているとたまにザザッと葉から雨粒がまとまって落ちてくる。

絶対にこの景色の中ではこの曲だとiPodを取りだして、秦基博さんが歌う「Rain」を聴きはじめた。あまりにぴったりだから、「言の葉の庭」の絵の中に入り込んだ感覚になる。

 

 

ワークショップの場所は初めて行く所だから余裕を持って向かうつもりでいたのに、井の頭公園を楽しみすぎてしまい、時間ギリギリ。全力の早歩き。

間に合いそう!と目的地付近に来たところで、グーグルマップの弱点、狭い小道になるとルートがぐるぐる更新されてしまう現象が起きて、どうしようと焦る焦る。こんな時は電話で聞くしかないと、苦手な電話を思い切ってかけて、今見える建物を伝えた。目印になるものを教えてもらって、近くにあったコンビニで道を聞いた。

この間、大変焦って申し訳ない気持ちでいっぱい。5分前には着いておこうと思ったのに遅刻なんてー…と思いながら、右も左も分からなくなった私に目指すべき方向を教えてくれたコンビニのお兄さん。すいません、ありがとうございましたと言ってからコンビニを出て、急ぎ足。

どこに行っても自力でなんとかしようとしてしまう自分が、SOSで“道を尋ねる”というコマンドを選択できたこと。成長だと嬉しくなった。

 

この道…で合ってる…?と建物を見上げていると、お店の外まで出てくれていたスタッフさんが声をかけてくれた。ようやくたどり着いて、始まったワークショップ。そのことについては、記事を分けて書きたいと思う。

 

ワークショップが終わり、駅を目指す道のりもなんとかたどり着くことができた。

井の頭公園に向かう時は“公園口”から出ていて、ワークショップの場所は“中央口方面”なので、若干角度が違う。あのコッペパン、買いたいけれど見つけられるだろうか。こっちかなー見つけられないままならそれもまあいっかと歩いていると、あった。戻って来られた。

お目当て通りに小倉マーガリンのコッペパンを購入して、家路についた。

 

メロウな夏の刹那を。 s**t kingsがダンスで魅せた「太陽は罪な奴」

 

録画した音楽番組を見ていたら、あるパフォーマンスに胸を打たれてその先に進めなくなった。こんな経験したことない。

それは、ダンスグループ「s**t kingz」【シットキングス】が披露した、サザンオールスターズ太陽は罪な奴」のダンスカバーパフォーマンス

なんだろう…なんと言葉にすればいい?と聞いてしまいたくなるほどの感動。高揚感も切なさもすべて取り溢すことなく一音一音に当てられた振り付け。歌詞に合わせた表情の移り変わり。

たった数分のことなのに、2時間のミュージカルを観ているかのような充実感。

 

TBS「音楽の日 2019」で、ダンスを披露したs**t kingz

あらかじめ出演することは知っていたものの、どこで何のパフォーマンスをするのかわからないままに番組はスタートした。

鈴木雅之さんが歌う「め組のひと」でダンサーとして登場した、shojiさんとkazukiさん。テンションは一気に上がり、テレビに向かって前のめりになって見ていた。

音楽の日は2部構成で、「太陽は罪な奴」がパフォーマンスされたのは第2部。

 

ちょっともう…全世界の人に見てほしい

こんなこと自分が言わなくても、すでに有名で、凄いことは知られているのだけど、今回のこのパフォーマンスの感動を、どうにかして伝えたい。

歌番組で、ダンスのみのパフォーマンス。この時点で異例な驚きがある。しかも、披露するのはサザンオールスターズの楽曲「太陽は罪な奴

ご本人のいない状況で、 ダンスのみで表現してみせる。元からある振り付けでもなく、ダンスはオリジナル。その凄さが伝わってくるあまり、見ていて鳥肌がわっと腕にも足にも広がり「すごい…」と言葉が漏れていた。

 

一個一個の音が、完璧に掴まれている凄さ。

指の先から、足のかかとも背中も、置いて行かれる身体のパーツがない。持って行き忘れることなく、動きにミリ単位で乗っていく。衣装の揺れからくる時差さえも把握済みであるかのように、音楽に身体がノリ、それを心から楽しんでいる。

 

 Do you believe me?

とくる、桑田佳祐さんのメロウな歌い出しに合わせて、4人横並びで身体を斜に構えてスローに歩み寄る動き。その含みを持った表情。

ここでもう、サクサクサクッと心に矢が刺さった。いたずらっぽく笑うshojiさん、キケンな笑顔のkazukiさん、色男な微笑みのNOPPOさん、余裕の笑みのOguriさん。このワンカットで一気に世界観をつくってしまうs**t kingz。

とくに、古きよき洋画に漂うハンサムさを感じるNOPPOさんに釘づけになった。

 

曲のはじまりの緩やかさから、“向日葵のような”の歌詞でくるビートの刻み方は軽やかなステップで、見ているこちらの気持ちまでワクワクしてくる。

そして曲が進むにつれて、キレと早さだけではなく、“A love so tender?”で横ノリのリズムが入ってくるところに、ゆらぎの心地よさがある。

音で動きをとる所と、歌詞で動きを作る所。その選択の塩梅が素晴らしく、動きで歌詞のすべてを語ろうとはしないけど、ここは視覚的に見たいと思う動きはしっかりと組み込まれているセンスの良さ。“罪深き夏という”の歌詞に合わせて、口にするジェスチャーはもしかして、“罪”のワードに絡めたアダムとイヴのリンゴを表現したのではと思って、曲の解釈への遊び心にニヤついてしまう。

 

メロディー、リズム、歌詞、だけでなく、さらに桑田佳祐さんの歌い方も聴き込んでダンスを作られているのが伝わる動きがすごい。

終わりなき”のところで、桑田さんの声がフワンっと浮かび上がる調子に合わせて、shojiさんとNOPPOさんがふわりとスキップをする。ここがはしゃぎたくなるほど大好きで。踊る姿にこんなにもストーリーを感じることができるなんてと、今もまだ胸がドキドキしている。

 

前後や、2人2人のフォーメーションで繰り広げられていたダンスが、

高気圧はVenus達の交差点

のサビで、4人カメラに向かってのダンスになり、振りがバッと揃うところ。

胸に来すぎて、息が止まる。これを映画館で観ていたら感動でポップコーン全部こぼしてる。

つづく“愛欲にときめくStage” で両腕を振り下ろして、もうたまんないなという表情をするのが最高で、“Stage”の歌詞に合わせ腕も足も広々と伸ばして踊る姿はジャズダンスの美しさ。

 

kiss”に合わせて優しい投げキッスの動きをつけてくれるのは、王道を照れず恐がらない、ベタのかっこよさで、Nissyのパフォーマンスと繋がる好きなポイントを見つけられて嬉しかった。

全員を満遍なく見つめたいけど、どうにもNOPPOさんの演技に引き寄せられる。節目がちに足元に落とす視線、空を見上げる斜めの視線。一喜一憂がその表情から伝わり、歌詞のなかの主人公のキャラクターが浮かび上がるようで、NOPPOさんの演じる「太陽は罪な奴」がとにかく好きになった。

メロウな歌声をダンスで表現する。かっこよく、かわいく見せる動きは方程式がある程度存在すると思うけど、形容しがたいこの曲の雰囲気を、憂いを含んで懐かしく眺める、海辺のサンセットのような景色をダンスで魅せる凄さを目の当たりにした。

 

グルーヴィーさをしっかりと掴んで離さない、s**t kingzのダンス。

太陽は罪な奴」の披露時間をストップウォッチで計ったら、1分53秒ほどだった。2分に満たない時間の中で、これほどまでに心動かされるとは。

夏の刹那、サザンオールスターズの空気を完璧に表現しているパフォーマンスに、エモーショナルさの濃度が限界値を超えて胸が苦しい。