凛々しく妖しく咲く -E-girls「Pain,pain」

 

怖さとキラキラの共存。そこはかとないヴィランズ感。

E-girls「Pain,pain」がどうにも心に残ってしまう。

 

E-girlsの曲は基本的に明るいイメージを持っていて、強くて、自分がクラスに居たらおそらく近づくことが出来ない。どこか近寄りがたさを感じつつも、クラスの隅から若干の憧れと共に見つめているような、そんなイメージで見ていた。

アルバムで聴いた「Loving bell」はずっと好きで、今回そこに並ぶレベルで好きになったのが「Pain,pain」だった。

 

 ダークな空気感から、ときめきのキラキラ感への変貌は、一瞬にして世界が変わる恋の引力そのもので、始まりの重々しいバイオリンなどのストリングスから、サビでパンッと弾けた時の景色の広がり方は最上級にドラマチック。

優しさと痛み おんなじ心(ところ)で

感じながらみんな生きてるでしょ? 

と歌う、武部柚那さんのニュアンスにドキッとした。

苛立っているような、語気の強め方とパフォーマンスでの表情にグッと心を掴まれた。ヴィランズ感を感じるのはきっとそこがポイントで、特に武部柚那さんの表現力は素敵だった。

この曲全体を通して、怒りの感情が見え隠れする空気感がとても好きで、そこに惹かれている。Mステでのパフォーマンスがすごく良くて、カメラワークも素晴らしかった。黒の衣装にメイクが濃いめで赤のリップが際立っていたりして、か弱さとは違う女性のダークな魅力が表現されている。

ダンスの振りも、曲の始まりで指のスナップ音に合わせて動く振りや静止が効いていて、サビで音が開けていくところで踊っているみんなの表情がパァッと変化する瞬間は見ているこちらまでフワッと心が解放される感覚になる。

 

行方を阻むのが棘でも 唱えるわ

「Pain pain,don't go away」

曲のタイトルが「Pain,pain」と知った時に、日本で言う“痛いの痛いの飛んでけ”にあたる言葉の英語版だと思って、この曲が気になった。

そういう意味なのかなと思い込んだまま曲を聴いていくと、歌詞で「Pain pain,don't go away」ときて、驚いた。一瞬思い込みのまま通り過ぎそうになって、えっと引っかかって、よく聴くと“don't go”と言っている。

go aweyではなくて、don't go awayと言ってしまう。痛みであるPainそのものが彼の存在であると思えてしまう危うさが表れていて、精神的に不健康だーと聴きながら感じつつも、そのアンバランスな世界観に引き込まれてしまうのが怖い。

 

傷ついてもいい その傷にあなたの唇が触れるのならば

蝶が舞うように 笑顔が飛び交う

そんな場所探していないわ 

この曲に感情移入できるキャラクターがいるとしたら、どんな人物だろうと想像して、ふと思い浮かんだのがヴィランズだった。

この詞が特にヴィランズを彷彿とさせる気がした。

ヴィランズとは、ディズニー作品で登場する悪役のことで、それが恋ではないとしても、彼女や彼らは歪んだかなわぬ願いを持っていることが多い。この曲でイメージしたのはどちらかというと、ディズニーチャンネルの「ディセンダント」のイメージ。

「Pain,pain」の世界観は、一編のディズニー作品を見ているかのように感じられた。

 

 

この曲が主題歌になった、

ドラマ「きみが心に棲みついた」

このドラマのポスター写真がとても印象的だった。

暗い森の中、赤いずきんを被った彼女と左右に対称に立つ、彼二人。童話の世界観をテーマに撮られた写真が魅力的で、わかりやすく耳など生えていなくても、後ろに立つ二人を見てイメージするのは、おおかみ。

ドラマ自体は、最後まで見てもいやこれはしかるべき所へ通報と相談!と思ってしまったけど、一見、理想的な王子のように見える向井理さんと、おおかみっぽさのある桐谷健太さんをキャスティングしたことは凄かった。

桐谷健太さんの逆立てるようにセットされた髪型や、身につける衣装でもそれを意識的に表しているのではと感じるところがあって、桐谷健太さん演じる吉崎さんの着ていたモフモフの付いたモッズコートなどは特に、おおかみ感がとても出ていた。

ポスターでは吉崎さんも星名さんも、どちらも黒のスーツを着ていて、本当のおおかみはどっち?と問いかけているような構図が、ドラマのテーマそのものも表現しているように見えて、そこに感動した。

 

“Pain(ペイン)”という語には、単純ではない深みがあると思っていて、それを感じたのは映画「レ・ミゼラブル」を観た時だった。

ただ“痛い”ではなく、罰、苦しみ、償い、様々な感情が入り混じって、それを言い表すための語として“Pain”が用いられている印象を受けた。痛みを表す単語としては、“ache(エイク)”もあるけれど、acheは身体の痛みに使うのに対して、Painは身体的にも精神的な意味にも使うことができる。

英語圏スラングで“厄介者”という意味でも使われるらしく、そのことを考えると、「きみが心に棲みついた」の星名さん、そして今日子にも繋がっていくキーワードなのかもしれない。

 

咲くつもりのない場所で咲いてしまった恋心

痛む気持ちを恋だと思おうとするヒロインの姿を描いたラブソングは新鮮で、その妖艶な凛々しさに見惚れた時間は、哀しみだけではない何かを感じさせた。

 

ポーカーフェイスであまのじゃくな小さな私の同志

 

あの木もこの木も、そう言えば桜だったなと思い出す季節になった。

公園の桜も満開になった。

 

好きな季節だけど、今年は桜が咲いてしまう季節が来ることに焦っていた。

去年の桜が咲き終えた頃、10年以上一緒に居たペットと別れがあった。散歩に行った先での心臓発作で、散歩に送り出したままの別れだった。

けれどこのことについて、感傷的に語りたいわけではない。楽しかった時間だから、季節が一周した今、ちゃんと振り返りたかった。

 

飼っていたのは、チワワのルカ。

眉の辺りに茶色のまろ模様の入った、黒と茶と白の混ざったトライカラーで、やたら大きいチワワだった。チワワと聞いて華奢なちっこいプルプル震える姿を想像していると、多分それとは違う。骨格からしてガシッとしていて、中型犬と一緒に散歩していると「(中型犬の)子供ですか?」と聞かれる小型犬。

悪いことをやらかすと、つい顔に出る。

いぃーっと歯を出して威嚇している風なのだけど、噛みつく気は全く無い。どれだけ素知らぬそぶりでいようとしても、例えこちらが何をしたのか気づいていなくても、悪いことをした!と自覚しているのが顔に出る。隠しきれない動揺の表情。

それが可愛くて面白くて、こんなにウソが下手な犬がいるのかと何度見てもおかしかった。

 

尻尾は縦に振る。横ではない。

尻尾の筋肉がそっち方向に発達したのか、よく見るパタパタという感じの犬らしい尻尾の振り方はしない。

ヘンテコ。だから大好き。

 

 

家に来た時、ルカはもう成犬だった。なので子犬時代は知らない。

ドッグカフェに行ったある日、お客さんが連れて来たチワワ。ペットショップのトリミングに置いていかれて、飼い主と連絡がつかず、捨てられて保健所手前だったと連れて来られたチワワに出会った。一時保護して、カフェに連れて来たお客さんが元々飼っていたダックスフント二匹と一緒にカートに入り、どこか所在なさげなチワワが一匹。

ディズニーの「わんわん物語り」に出てきたあの猫二匹みたいに、ダックスフント二匹と上手くいっていないのではと勝手な想像が働いてしまった。許可をもらって抱きかかえると、しがみつくように腕の中におさまった。これは話が出来すぎていると言われそうだけど、チワワらしい大きな瞳から涙が一滴だけ、抱きかかえる私の腕に落ちた。

チワワが泣くというのは生理現象としてめずらしくないけれど、この時、このチワワをこのまま連れて帰ると決めるのには充分な決定打だった。

 

引き取り手を探しているとの話で、その場で話し合いをして、うちで引き取ることになった。

家に来たばかりの頃は、とにかく大人しくて、小さく小さく縮こまっている様子だった。前に飼われていた家で声帯の手術をされていて、かろうじて残った掠れ声で吠える声を聞くだけで、前の家でどんな思いをしていたのかわかった。

元々ついていた名前があった。その名前で呼んでみた時の、怯えきった目と止まらなくなった震えを忘れることができない。前の飼い主の顔を見つめる表情だった。二度とその名前では呼ばないと決めた。

その時から、ルカという名前が、チワワの彼の名前になった。

 

飼い主と似るのか、飼い主が似ていくのか、その性格が自分とそっくりで、犬と飼い主というよりも、同志。こんな関係性が成り立つのだなと不思議な思いだった。

普段、周りの人に写真を見せたり話をしたりすることもなかった。可愛いし、可愛がっているけれど、ルカに話しかけるのにもどこか恥ずかしさが捨てきれなくて、人に話しかけるのと変わらないトーンで話しかけていた。

嬉しさが顔に出なくて、寡黙なチワワ。

あまのじゃくで、甘えてくる時も静かに黙ってぴとっとくっついて来たり、私のことが視覚に入る範囲で伏せをして、一定の距離を保ったままいたり。だから始めの頃は、懐かれている自信がなかった。でも、帰ってくると狂喜乱舞して駆け回っているところを見ると、ああ愛されてるなあと思った。

どこにも行く気になれず家にずっと居た時も、家の中で心休まらなかった時も、10代の一番困難だった時間を乗り越えたのがルカとの時間だった。

 

 

ドラマ「カルテット」を見ていた頃、わかるようでわかっていなかった言葉がある。

「居なくなるのって、消えることじゃないですよ。

 居なくなるのって、居ないってことがずっと続くことです。」 

巻さんが言ったその言葉の意味が理解できたのは、しばらく経ってからだった。

いつかくるとわかっていても、いつかを想像することができず、それでもやってきたその時。本当にそうだった。パチンと存在が消えるのとは違うこと。地続きの時間の中で、“居ない”という時間が続いていくのだということ。受け入れないとかじゃなく、そういうことなのだと実感した。

 

関ジャニ∞の「青春のすべて」を初めて聴いたのは、そんな時期のことだった。

 起きがけのニュースで知った いつの間にか桜が咲いたと

という渋谷すばるさんの歌う歌詞が耳にずっと残っていた。

去年一緒に見られた桜を、今年は見ることができない。どんな気持ちになるのだろうと、その季節が来るのを待ちながら、でも怖かった。

人それぞれ、心の中にイメージを重ねていけるのが「青春のすべて」だと思う。自分にとっては、今はこの思い出に深く重なっている。先日、満開になった桜の並ぶ公園で、散歩をしながら「青春のすべて」を聴いた。それが自分なりの整理のつけかただった。

夕日の沈む空で、オレンジがどんどん桜色のピンクになって、桜が空に溶け出したみたいだった。涙はそんなに、でなかった。もっとどうにもならなく溢れてしまうかと考えていたけど、それとは違った。静かで、厳かだった。

 

「青春のすべて」は、自分の中にある自分との別れの歌でもあると思う。“カバンを手にして部屋を出て行く この春に君はもういない”という歌詞を聴いていても、外側にある存在というよりも、時間の経過と共に置いてきた自分との別れのように聴こえる。

いつの日にかまた春がきたら

来年、ではなく、“いつの日にか”という言葉を聴くたび、そんなに急がなくてもいいかもしれないと思える。

居なくて大丈夫なわけがないし、一人で大丈夫なんて言えるわけないけど、家に連れて帰ると決めたあの日から、ちゃんと一緒にいられたこと。前の家の思い出など塗り替えてしまえるだけの思い出をつくれたこと、よかったと思えた。

なにか一つ、私に守る存在をくださいと願ったその答えのような存在を、私なりの仕方で愛することができて、よかった。

 

年に1度、特別なダージリンクーラーとディズニーシー

 

年に1度、ディズニーシーへ行く。

その日は特別。全力で楽しむ。

朝日が昇りきる前の空が見える電車の中で、この日のために作ったセットリストをiPodで聴いた。1曲目はスキマスイッチの「惑星タイマー」で、夜明け間際の空にはこの曲がとてもよく合った。

 

いつも照れが先行して着けることが出来なかった耳のカチューシャを、今年は着けて遊ぼうと決めていた。選んだのは、赤いリボンのミニーの耳。王道は選べない、目立たないようにしたい、そんな自分が変わりつつあるんだなと感じた。

はっちゃけるのも楽しむのも、苦手でぎこちなくて、でも楽しみたい気持ちはあって、その殻を脱却できるようになったのは、自分の心掛けと、ライブに行くようになってその方法を覚えたからだと思う。

写真に写る表情が、年々柔らかく、嬉しさが素直に出るようになっている。

 

この日、ディズニーシーに来たら観てみたかった、「ダイヤモンド・シスターズ」というショーを観ることができて、すごく嬉しかった。

タップダンス、歌。ブロードウェイのステージを目指してシンガーを探すエージェントと、ダンサーの2人で始まるそのショーは、エンターテイメントに満ちていた。ブルースのかっこよさもあり、目の前で聴く全力の“がなり”は鳥肌が立つほど迫力があった。道で突然開催されるアトモスフィアという形式の「ダイヤモンド・シスターズ」は、立派なショーで、このショーを観るためにまた来たいと思うくらいに素敵だった。

 

毎年の恒例になっているミッキーとグーフィーへの挨拶もできて、ここへ来ると、ああ一年頑張ってきたな。よかったな。と思える。

そしてお昼ご飯。幼い頃に食事をした思い出のあるレストラン「セイリング・ディ・ブッフェ」が3月31日でクローズしてしまうという知らせを聞いてから、この日の昼食はここでと決めていた。ローストビーフや、ツナとポテトのグラタンわさび風味。お腹いっぱい食べた。最後にくることができてよかった。

 

 

ステージで観るショーも好きだけど、アトモスフィアのようにばったり遭遇して近づいて見入るショーも好きだった。

アクアトピアなどがあるポートディスカバリーのエリアを歩いていると、楽器の音が聞こえてきた。思わず近づいて、空いていた真横のスペースに立ち止まると、今始まったところだった。

演奏していたのは「タイムトラベラーズ・バンド

金と銀のトランペット、トロンボーン、チューバ、ドラム、ブラスバンドの演奏は音がそのまま目の前に迫る勢いがあって、かっこよくて。ちょっと見て離れるつもりが予定変更になった。

音がよく反響する屋内で演奏するのと屋外で演奏するのとでは、違った難しさがあるのだろうなと感じたり、トランペットに金と銀があることや、音を前に勢いよく出して音程を当て続けることの難しさを感じることができるのは、関ジャニ∞でバンドを見るようになったからだなと思う。音への関心、楽器への興味そのものが自分の中で変化していることを実感した。

 

奏者さんと目があってドキッとしたり、チューバに頭を食べられるみたいにしてボオーッって音を浴びせてもらったり、楽しいサプライズが色々起こった。

「好きな作品でリクエストがある人ー!」という場面で、照れずに乗っていってなんぼだと手を上げたら、「君!」とまさかの当てられた。「リトル・マーメイド」とリクエストすると、「オーケー、任せて」とグーサインを作って颯爽と去って行って、誰が吹く?と会議をするとバンドメンバーの1人が「私が」と言って、目の前へ来て、なんと私に向けて「パート・オブ・ユアワールド」を吹いてくれた。嬉しくて嬉しくて、今日のピークはここだと思った。

 

ランドホテルのラウンジに行ってケーキを食べようと、初めてのランドホテルのラウンジでチョコレートケーキを食べた。こんなに素晴らしい景色の席に座っていいのだろうかと思うくらいの、目の前には大きなガラス窓があって、天井は見上げきれないほど高くて、特等席のようだった。

紅茶のポットの蓋を開けることができなくて、カチャカチャしながらうわどうしようと焦っていると、キャストの方が「お開けしますね」と蓋を開け、茶葉を取り出して、そのまま片手でポットを持ってカップに注いでくれた。紅茶をぴたっと止めて切る手首の返し方も一連の動きもすべてスマートで、まさか注いでまでくれるとは思わなかったびっくりと、プロだ…と見惚れる動きのしなやかさに感動した。

 

 

ランドではなくシーに行くのは、海外の雰囲気の中にいられることと、S.Sコロンビア号という船があること、そしてもうひとつ、憧れのラウンジがここにあるから。

テディ・ルーズヴェルトラウンジ」はS.Sコロンビア号の中にあって、私はずっとこのラウンジに入るのが夢だった。10代の頃から丸い窓越しに店内を眺めては、きらびやかないくつものボトル、落ちた灯りが照らす木のテーブル、カウンター席に座る大人たちに憧れて、まだまだずっと先のことだけどいつかここでお酒を飲みたいと思っていた。

数年前、その夢がかなった。初めて飲むお酒は、なにか思い出に残り続ける特別なものがいいと考えていた。

数年前のその頃、NEWSの増田貴久さんのラジオ「MASTER HITS」にメッセージを送った。初めて飲むお酒でおすすめのものを教えてくださいという内容。誕生日のその日、電車に乗りながら、願う気持ちでラジオを聴いた。読まれていた。

一生に一度、二十歳になるその日の放送で、読まれるとしたらこの時しかない日に、読んでくれていた。

 

その日からダージリンクーラーは特別なお酒になった。

聞いたことのないお酒の名前だったし、ディズニーシーのラウンジでそれが飲める保証もなかったけど、必ず飲むと決めていた。ドキドキしながらメニューを見ると、見つけたその名前。それから毎年、ここで、このお酒を飲むことが楽しみだった。

去年はラウンジが混んでいてお預けになってしまったから、今回は2年越しの念願だった。カウンター席に通してもらうことができ、未だ慣れない大人な空気に飲まれながら、自分の口から「ダージリンクーラー」とオーダーした。

美味しい。毎年のように飲んでいても、普段ほかのお酒を飲むことがあっても、ダージリンクーラーが1番美味しい。

 

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ダージリンクーラーは、紅茶のリキュールのお酒。

フランボワーズのリキュールとレモンジュース、ジンジャーエールが入っている。レモンのスライスも。アイスティーのような見た目に、味は紅茶の香りとジンジャーエールの爽やかさが合わさって、ほのかにフランボワーズの味がする。スライスされたレモンは目にも嬉しく、かき回せばレモンの風味が増していく。

初めて飲んだお酒だから、特別に美味しく感じるのだろうかと思っていたけど、本当に好みの味にぴったりきていたんだとここで飲みなおす度に思う。一度だけほかのお店で飲んだけれど、泡が残って美味しくなくて。やっぱり味もディズニーシーのラウンジが美味しい。

 

大好きな景色の中で、ショーを観て、ミッキーたちに会って、ポップコーンいっぱい食べて、ブラスバンドにときめいて。ダージリンクーラーを飲む。

こんなに楽しい一日ってあるんだなと、来る度に思う。 一年に一度でなくてもいいかも、なんて思ったりするけど、なんだかんだで一年経つのはあっという間だから。また来年の自分が、懐かしく振り返ることのできる時間を積み重ねられるように、行動を起こし続けていくことにしようと思う。

 

帰りのバスの中、夜の高速道路と東京の景色を見ながらふとこの曲が合う気がして、関ジャニ∞の「Street Blues」を再生した。

ほぼ同時に見える東京タワーとスカイツリーの明かりが夜の中に幻想的で、対向車線の車のライトを見ながら、この東京で頑張っているんだなと関ジャニ∞のことが思い浮かんだ。バスの少し高い位置から見た東京の景色は「Street Blues」の大人な雰囲気にぴったりで、それが楽しくて何度も聴いた。

曲と思い出を意識的に紐付けるのはベタだけど楽しい。「惑星タイマー」と「Street Blues」はこの日の思い出と一緒に残るオープニングとエンディング曲になった。

 

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