レキシって面白い

 

学校の教科で苦手なのは社会と歴史。

教科書に書かれている情報を授業の時間だけ読んで、テストに出る範囲に絞って効率よく覚えて、どんどんと進めるという流れの中では興味を持つ隙が無かった。

どうして、そうなったのか。経緯や背景を知りたいのに、とにかくそういうものだから、覚えたらそれでいいからと言われても納得がいかなかった。

興味のあることについて掘り下げるという学び方があると早くに知っていたら、あの時の授業にもっと関心を持てたかなと思ったりする。

 

「レキシ」の曲を聴いたのは、そんなモヤモヤを抱えたさなか、小学生の頃。

淡い記憶だけれど、授業を楽しくしようと試行錯誤してくれていた担任の先生のアイデアで、歴史について知ることができる面白い歌があるんだよと授業で流してくれたのが初めてのレキシとの出会いだったと思う。

今思えば、レキシを授業で流すとはなんて前衛的な授業なんだと。クラスは曲に大ウケで、その時の記憶がずっと残っていた。

なんかあの時面白い曲を聴いたな、誰だっけ、と思いながら過ごしてきたある日、エレ片というラジオを聴いていると、レキシの池ちゃんなる人物がゲストで来ていた。面白い人だなーと思いながら話を聴いていると、そこでエレキコミックやついいちろうさんがMVに出演したという繋がりで「年貢 for you」が流れた。

なんかいい曲だけど、タイトルに年貢ってついてるし歌詞もよく聴くと不思議な感じがする…?!と興味が湧いて、YouTubeで調べてMVを見た。そこから「きらきら武士」や「姫君Shake!」を聴いて、すぐにその独創性の虜になった。

 

それからしばらく経って、関ジャニ∞を好きになり、レキシの池ちゃんの楽曲提供で「侍唄」という曲ができた時は、なんだか知らず知らずのうちにあった遠くの点と点が、今に繋がる線になったような気持ちで、嬉しくなった。

 

 

レキシのアルバムジャケットは、なぜに。と思うほど見分けがつかない。

レンタルをしようとした時、どれを借りてどれをまだ借りていないのか、パッと見ではわからない。どれを見ても、『レキシ』と書いてあるように見えるから。

様々な手を駆使して、アルファベットの“V”を使ったり、シではなく“ツ”を使ったりして、見た目はレキシ、でも表記は違う。というややこしさをキープしている。

この一筋縄ではいかない感じが、らしさを表している気がして、並ぶジャケット写真を見るたび面白くなる。

 

見分けがつかないので、曲名を覚えていないものは、どれを聴いて、どれをまだ聴いていないのかわからなくなっていた。

アルバムを通しで聴いてみようと思い、「Vキシ」をあらためて聴いてみると、なぜ今までちゃんと聴いてこなかったのかと悔やむくらいに名曲ばかりなアルバムだった。チャットモンチーが参加している「SHIKIBU」や、松たか子さんとのデュエット「最後の将軍」はもちろん何度も聴いているけれど、今回聴いて特に好きだと感じた曲を3つ紹介したい。

 

 

「刀狩りは突然に」

イントロから好きすぎる曲調で、一気に心を掴まれた。

トランペットの音と、主張しすぎず可愛いエレキギターの音。刻み続けるドラムのリズムが心地よくて、終盤にソロを引っ張るサックスの音色がジャズの雰囲気を増幅させて、ツボを押されまくる整骨院のよう。

メロディーとしての魅力が最高なところに、池ちゃんの歌声が入り、「今更、もう」と歌われただけで、風情がありすぎて堪らない気持ちになる。

そして歌詞はタイトルの通り、刀狩りに突如襲われた侍の心境を歌っている。と思いきや、奪われてしまった恋人のことなのかもしれないと思わせる、刀=恋人の比喩表現が潜んでいて、とびきりお洒落な曲調と切なすぎる状況とのギャップがすごい。

 

あいつ 僕の刀どうするつもりなんだろう?

なんて歌う池ちゃんの声が哀愁漂いすぎて、立ち尽くす様子が目に浮かぶようで、走って抱きしめに行きたくなる。

 

元さやにはもう戻れないの?

という歌詞の洒落の効き方も大好きで、“元サヤ”という言葉の語源をここで知ることができたりする。僕の刀返して?と弱気にお願いする侍の話かもしれないし、現代に重ねて帰ってきてほしい恋人への思いの話かもしれない、そんなダブルミーニングが楽しい。

レキシの曲を聴いていると不思議な感覚になるのは、昔の歴史だと思っていた景色と現代の景色が繋がる瞬間を見るからかもしれない。あの時代に生きていた人の存在を、教科書の中の人物としてではなく自分と同じ“人”として感じられた時、“あっ”と何かを掴んだ感覚になる。

 

 

一休さんに相談だ」

歌い出しが、夜中のホットミルクかなというくらいに優しい。

あるあるよくあるそれ

暗闇の中で立ち止まること

 

どうする? ねぇどうする?

そんな時キミならどうする?

わかりやすい共感を示す言葉なのに、押し付けがましくない。

ちょうどいい距離で見守ってくれているようなニュアンスの歌詞と、落ち着いたテンポのメロディーに無意識のうちに癒されていく。

一休さんと繰り返しながら、「I need youさ」という言葉をさっと滑り込ませて韻を踏むところも素敵で、ここがいいな…と毎回思いながら聴いている。

何にも考えたくない時、無音はいやでなにか音楽を聴きたいけど、いまは応援歌もバラードもつらいという時、こんなに程よい曲ってあるかなとレキシの曲を聴くと思う。意味を持ちすぎていなくて、でもふと気づくと大切なことを歌っているような、羽毛のような寄り添い方をしてくれる。池ちゃんの声は、誰っぽさもない。池ちゃんだけが起こせる雰囲気をまとって耳にすーっと届いてくる。

 

「古今 to 新古今」

突然話し声が聞こえてきたからボーナストラックなのかなと思って聴いていたら、突然曲に転調するという典型度返しな演出にびっくりした。

そこからのメロディーが、ピアノにトランペットとジャズの空気が満載で、不意打ちお洒落。タイトルからは想像もつかないこのギャップはなんだと心揺さぶられて、低音で響くベースの音も際立っていて、この曲好きだ…!と感じた。

  

キミと歌える歌があるから

とてもステキなそんな気分さ 

その言葉にすべてが込められていると思った。今も昔も関係なく、難しさへの先入観を取り払えたら、 もっと面白いものが見えてくるかもしれないなと思えた。

古今と新古今について、どっちが好き?とわいわい楽しそうに話しているのを聞いていると、どんなものなんだろうと興味が湧いた。レキシの曲として、耳から覚えてこのワードを聞いているから、新鮮な気持ちで抵抗なく関心を持てるのだと思う。

 

 

アルバム「Vキシ」は、ひとつのアルバムの中でジャズやファンクなど様々なジャンルの音楽が垣根なく並んでいて、そのことに気がついてからアルバムを通して聴くと、多国籍のように曲ごとの個性が鮮やか。

それが本当に楽しくて、どれかひとつのジャンルだけに特化した聴き方ではなくて音楽として感覚で楽しむことができる。日本の歴史だけでなく、音楽の歴史にも触れられている気がした。

どんな楽しみ方でもいいよ、それも面白いよね!と興味を持つことを肯定してくれるレキシの曲は、退屈そうに見えていた歴史の扉をもう一度開くきっかけになった。正しい学び方に捉われず、興味が湧く方向へどんどん掘り進んでみるというのは、歴史に限らず色々なことで実行していきたい姿勢だなと思う。

好きなものに猪突猛進していて、楽しそうにはしゃぐ大人の姿はいきいきしていて魅力的。こんなに何かに夢中になるのはおかしいだろうかと心細くなっても、いやもっとすごい人たちがいるんだと嬉しくなる。

 

本気なのか、笑わせにきているのか、全貌を掴ませてくれない不思議さがくせになる「レキシ」

いつか、稲穂を持ってライブに行きたい。

 

「なんで同じライブを何度も見に行くの?」と聞かれて答えるなら

 

好きなものがあると聞かれたことがある質問かもしれない。

理由はある。けれどいつもちゃんと言葉にできなくて、相手が納得するような答えをその場で出せたことはない。だから今一度、考えてみることにした。

 

ジャニーズなのか、他の舞台なのかによって状況は大きく違う。他の舞台であれば、観たい日に観たい回数入ることも不可能ではないけれど、ジャニーズを好きになって一番驚いたのは、“チケット”というものの希少さだった。

ファンクラブに入っているからといって当たる保証はなく、舞台ともなれば席数に対して応募数は計り知れない倍率で、そうなると何度か観たいという願いを持つことは難しくなってくる。

 

それらのことを一旦置いて、自分にとっての理想を話すとしたら、ライブや舞台は1回観に行けたら嬉しい。もし可能なら、そこから少し期間を空けて3回観ることが出来たらこれ以上ないほど最上級に嬉しい。特に舞台はそう思う。

1回目は何の情報も知らずに観て、とにかく演出やセットリストに驚いて翻弄されるのが純粋に楽しい。2回目は、1回目に観てここが分からなかった!という点や、見逃したポイントを観る。関ジャニ∞については7人がそれぞれの動きをするので、この曲は誰に注目しよう!と視点をライブモニターのスイッチングのように変える。ライティングの演出に気づくのもこの時が多い。

3回目があると嬉しいのは、それを全部記憶に定着させた上で、また俯瞰に戻って観ることができるから。初めはいろんな景色が次々と押し寄せて、目で追うので精一杯になる。2度目からやっと心を落ち着けて観ることができる。

さらに舞台となると映像として残ることはほとんど無い。だからこそ記憶に強く残しておきたい。それを逃したらもう、知ることなく過ぎてしまうという儚さが舞台にはある。好きな台詞や言い回しを覚えるのに限界があるので、かなうなら何度か観たい。

 

なぜ何度も行くのかという問いは、観るという観点で重要にしているものが違うのかもしれないなと感じる。この言葉の後に続きやすいのは、「同じものでしょ?」という問い。

個人的に思うのは、何度も観に行っている人にとっては、“同じ”ではないのではということだった。気に入った映画を何度も観に行く人がいる。なぜ?と聞いてくる人も、好きな映画をレンタルして観ることがあるのではないかなと思う。自分も気に入ると3回4回と観たくなる。

しかしライブは、ライブ映像としてDVDになる公演以外、一度限りで二度と同じものはない。

セットリストは同じかもしれない。けれど、どのタイミングでどこへ移動して、どんな表情をするのか。一瞬一瞬が違うものになるとしたら、観られる限りそれを観ていたい。気に入った曲は何度も聴くように、それを直接聴けるなら、音を耳で蘇らせることができるくらいに聴いていたい。

 

関ジャニ∞で例えるなら、7人もいるメンバーの動きを自分の目一つで追うことはできない。必ずどこか見逃しているし、ライブの空気に飲まれているので、DVDになってからやっとここがこうなっていたのか!と気がつくことがある。

曲ごとに見せる表情は、その曲の世界観に入り込んで演じる短編のドラマだと思っているから、この歌詞を歌う時、どんな表情で歌うのだろうと注目して観たりする。CDからの音源だけではわからないニュアンスがその時わかったりするので、ライブで聴いて好きになる曲もある。

関ジャニ∞のライブMCは楽しい。その時ごとに話す内容が違って、どんな方向に転がって行くかが未知なので、それも毎回の楽しみになっている。

 

舞台は、開幕したてを初期とするなら、公演期間の真ん中あたりは中期、千秋楽間近を後期だと考えている。

もちろんどの時期に行ったとしても役者さんは全力の舞台を作っていて、そこに大小はないけれど、特に主演の方の変化は目に見えて表れる気がしている。セリフの間合いや、相手の言葉に対するリアクション、時には台本の解釈が変わる時もある。舞台で座長を務めるプレッシャーや緊張と戦いながら、役と向き合い踠いている時期も含め舞台は魅力的だと思う。

 

 

ライブも舞台も、沢山の人と時を共に過ごす、日常では経験し得ない機会だと思う。今でも、開場してすぐのドームを見渡して、これが本当に埋まるのだろうかと漠然と思う。それでも気がつけばライブ開演前には人でいっぱいになっていて、その空間を見るたびに感動してしまう。

これだけ大勢の人が、一体どこから集まったのだろうと圧倒されながら、皆がこの日のライブを待ちわびてそれぞれの時間を過ごしてきたことを思うと、こんなに楽しい空間はないなと思う。

 

人が作っている以上、“同じ”は無いというところに、その人間味に惹かれている。

その瞬間に起きていて、それを自分も経験しているということに意味があって、だから私は、“その場に居る”ということに魅力を感じる。

 

【後編】沸き起こる手拍子、上がる歓声。-関ジャニ's エイターテインメント「ジャム」

 

今回のライブは衣装が揃いの色という印象で、それが意外だった。

これまではどちらかというと、「TAKOYAKI in my hart」みたいにそれぞれメンバーカラーで、原色に近いというイメージだったけれど、今回は「JAM LADY」から全員ピンクかパープルの衣装。「ノスタルジア」後の「Sorry Sorry love」から揃いのグリーンの衣装になったりと、個々というより7人揃ったグループとしてのダンスを見せる衣装になっていたように感じた。

 

中盤、流れたインター映像がいつもの感じとは違っていた。いつもなら、ストーリーやエイトレンジャーなど次の演出に繋がる映像が流れていた場所で、開演5分前と似た映像が流れ始める。

なにが起こったか分からず、間違い?そんなことはないよなと混乱していると、先ほどは「うちわを一旦置いて楽しもう」と説明していた箇所になったところで、「バンドは動きが少ないと思っているそこのあなた!お待たせしました!今から縦横無尽にメンバーが動き回りますので、うちわを持ってお楽しみ下さい!」というアナウンス。

関ジャニ∞が好きな中でも、バンド派、ダンス派と好みが分かれていたりもすることを逆手にとって腹を割ったおもしろい演出だと、思わず笑ってしまった。こんなにざっくばらんなのはすごいなと、あらためて関ジャニ∞の度量の大きさとファンの心中を察するリサーチ能力に驚いた。

 

渋谷すばるさん、横山裕さん、村上信五さん、3人でのユニット「Answer」

期待でいっぱいだったの指パッチンは想像以上に美しかった。一瞬のことだけど、それをずっと目に焼き付けていたかった。パッチンというよりもスチャッという音が相応しい、大人の指パッチンだった。

ラストのポーズ、3人とも音に合わせて右手を挙げ、片足を片足の踵に合わせてクロスさせる形のポーズが息を飲むほど綺麗で、落ちる照明のなか見えるそのシルエットは、紛れもなくジャニーズでアイドルだった。

そして後ろに映る映像が、3人の10代の頃の写真というところが最高だなと思った。初めて観る人でも、この映像と一緒に観ることで、3人の関係性やここまできた意味を感じられるのではないかなということも含め、素敵な演出だった。

 

その後に続く、丸山隆平さん、錦戸亮さん、安田章大さん、大倉忠義さんのユニット「ノスタルジア

いつの時代でもないようなどこか異国の空気を感じて、でも懐かしさのあるメロディーとコンテンポラリーの要素があるダンスに見惚れた。

動き‪の角度ひとつが意味を持つように見えて、4人が縦に並び、両腕に角度をつける振りは時計の針をイメージしていたりするのだろうか‬と考えたりした。

それぞれに離れた場所から登場してステージが動き、中央に集まる流れが美しくて、移動しているというよりも引き寄せられているように見えるほどだった。

 

そしてアルバム曲のなかで変わらずどうしようもなく好きな「DO NA I」

生で見る「DO NA I」の威力たるや。しかもピンクかパープルのジャケット衣装で。「十祭」でのピンクと水色衣装が断トツに好きな自分としてはたまらない組み合わせだった。

ダンスも勿論、なにより感動したのはCDよりも魅力的な7人のボーカルだった。丸山さんのがなりを生で聴けたことが嬉しくて、耳が終始嬉しかった。関ジャムでも感じた通り、村上さんの“ほら いい顔してる”は生で聴いても最高で、あの息の抜き方はどうやるんだと思うほどに色っぽかった。

好きな曲に対する贔屓目かもしれないけど、もし出来たら「DO NA I」のグルーヴィーなジャズやスカの雰囲気に浸る流れがあるともっといいなとも思った。例えば前回のアルバムでセットリスト入りを果たせなかった「ナイナイアイラブユー」をここで活かし、7本のスタンドマイクに白い手袋で、ダンスは手の動きに集中させて“静”の印象をつくり、その後に「DO NA I」を置いて粋なフォーメーションダンスで“動”を見せる。曲前にメンバーが手袋を外す動作をカメラで抜いたらイチコロなのではと想像してしまう。

 

まさに不意打ち「WASABI」だった、「WASABI」のセットリスト入りも驚きで、「ナントカナルサ」や「キングオブ男!」もあることから、なんだか「元気が出るLIVE!!」の再公演を見られているような気にもなって、さびしい心残りのままではなく、楽しい思い出で塗り替えることができて、それがDVDに残るのは良かったなとほっとした。

そこからの「えげつない」は、ドームの盛り上がりがすごかった。サビにきて、いきなりの全力ダンスに上がる歓声が凄まじかった。渋谷さんの“ここまで風来るくらい扇いでみい”をドームで聴けたのも嬉しかった。

ラップバトルの演出はどうするのかと思っていたら、あえてそれぞれ離れたところにスタンバイをして、中央ステージに立っている村上さんの所へ対戦者同士がそれぞれトロッコでスーッと集まるという仕組み。

ただステージに2人立たせるよりも対戦感があって、それを煽るオーディエンスと化すファンの適応力の早さも凄かった。中央ステージには黒いソファー席が2つ設けられ、対戦が終わったメンバーが座ってさらに煽っているのも良かった。

 

今回、必ず聴きたいと楽しみにしていた曲「今」は、まさかのラストの一曲だった。

まだかな、まだかなと思っていて、まさかアップテンポで盛り上がりがありそうな「今」をラストに持ってくるとは思っていなかった。ライブのセットリストを予想した時も、オープニングかなという予測しか出来ず、予想外だった。

最高の曲順だったのだけど、一つ気にかかったのは衣装のことで、「Never Say Never」からの流れで着替えのタイミングがないことや様々な事情があることは感じているけれど、「Never Say Never」でアメリカンな柄のジャケットとパンツはぴったりなのだけど、そのままの衣装で「今」を歌うとちぐはぐな感じに見えるなというのが素直な感想だった。

MVなどでの白ジャケットのイメージを持っていたからか、なんとなく曲のイメージカラーが青になっていて、ステージも爽やかな印象の映像のなかで歌うなら、歌詞のイメージに合った衣装の方が「今」の世界観に浸ることが出来たかなと思う。曲順を動かせないとしたら、ジャケットを脱ぐと別衣装になるトップスをインナーにしたりして、衣装にメリハリがつくとさらに素敵だなと思った。

青いステージに立って「今」を歌う7人の姿は本当に眩しくて、嬉しさと切なさが同時に込み上げて泣きそうになる。エンターテイメントをつくり、ステージに立ちそれを届け続ける関ジャニ∞が好きだと心から思った。

 

アンコールになり、出てきた関ジャニ∞は浴衣姿。

 今世紀最大に胸がときめくサプライズ。7人それぞれの浴衣の柄がまた似合っていて、それぞれ別の柄が繋ぎ合わせてあるところが素敵だった。「十祭」でのSOU・SOUの柄で作られた浴衣が大好きだったけど、さらに大人の落ち着いた風情のある粋な浴衣姿は、一目見るだけで恋に落ちるほど美しかった。

夏のツアーの醍醐味がいっぱいな演出のなか、歌ったのは「純情恋花火」

どこまで魅了してくるのか…完全降伏。素敵だったのが、スクリーンに花火を映すだけの演出ではなく、小さな色のついた花火が本当に花火大会のように間を空けて一個一個打ち上がっていくところだった。それを見上げている関ジャニ∞の姿を見ていると、一緒に花火を見たような気持ちになれる嬉しさがあった。

 

ライブの最後、挨拶をしたのは丸山隆平さん。

言葉をそっと置くように話す丸山さんの声は穏やかで優しかった。ここまで、アルバムのなかで歌われていない一曲として残されていた「青春のすべて」は、その丸山さんの言葉の後に歌われた。

ステージに移る紅葉や桜が四季の移ろいを見せてくれて、そして横にあるスクリーンには美しい文字で歌詞が映し出されていた。縦や横に伸びる文字の動きが綺麗で、できることならずっと観ていたかった。

 

丸山さんを真ん中にして横一列で並び、締まっていく扉の最後に両手でそっと投げキッスをした丸山さん。

なんとなく、今回の大まかなライブ担当は丸山隆平さんだったのではないかなと思っている。エンディングの挨拶、扉が閉まる時に中央に居ること、それだけではなく随所にそんな空気を感じた。推測なのでライブDVDになったらその答えが分かるかなと楽しみに待つことにする。

扉が閉まり、たこ焼きオーケストラの演奏が終わった瞬間の拍手。

この時に限らず、拍手がこんなに大きくちゃんと音として聞こえた実感があるのは初めての経験だった。うちわを持っていると思うように拍手ができないし、音も鳴らない。けれど今回は全体がペンライトを振るというより、拍手をしていた。いつもは届いているだろうかと思いながら贈る拍手も、今回はちゃんと届いているだろうなと感じることができた。

 

関ジャニ∞がメトロックで見た景色を持ち帰って、こうして届けてくれたことが嬉しかった。インタビューのたびに噛みしめるように話す、関ジャニ∞はアイドルなんですという言葉の意味が伝わってくるライブだった。