「なんで同じライブを何度も見に行くの?」と聞かれて答えるなら

 

好きなものがあると聞かれたことがある質問かもしれない。

理由はある。けれどいつもちゃんと言葉にできなくて、相手が納得するような答えをその場で出せたことはない。だから今一度、考えてみることにした。

 

ジャニーズなのか、他の舞台なのかによって状況は大きく違う。他の舞台であれば、観たい日に観たい回数入ることも不可能ではないけれど、ジャニーズを好きになって一番驚いたのは、“チケット”というものの希少さだった。

ファンクラブに入っているからといって当たる保証はなく、舞台ともなれば席数に対して応募数は計り知れない倍率で、そうなると何度か観たいという願いを持つことは難しくなってくる。

 

それらのことを一旦置いて、自分にとっての理想を話すとしたら、ライブや舞台は1回観に行けたら嬉しい。もし可能なら、そこから少し期間を空けて3回観ることが出来たらこれ以上ないほど最上級に嬉しい。特に舞台はそう思う。

1回目は何の情報も知らずに観て、とにかく演出やセットリストに驚いて翻弄されるのが純粋に楽しい。2回目は、1回目に観てここが分からなかった!という点や、見逃したポイントを観る。関ジャニ∞については7人がそれぞれの動きをするので、この曲は誰に注目しよう!と視点をライブモニターのスイッチングのように変える。ライティングの演出に気づくのもこの時が多い。

3回目があると嬉しいのは、それを全部記憶に定着させた上で、また俯瞰に戻って観ることができるから。初めはいろんな景色が次々と押し寄せて、目で追うので精一杯になる。2度目からやっと心を落ち着けて観ることができる。

さらに舞台となると映像として残ることはほとんど無い。だからこそ記憶に強く残しておきたい。それを逃したらもう、知ることなく過ぎてしまうという儚さが舞台にはある。好きな台詞や言い回しを覚えるのに限界があるので、かなうなら何度か観たい。

 

なぜ何度も行くのかという問いは、観るという観点で重要にしているものが違うのかもしれないなと感じる。この言葉の後に続きやすいのは、「同じものでしょ?」という問い。

個人的に思うのは、何度も観に行っている人にとっては、“同じ”ではないのではということだった。気に入った映画を何度も観に行く人がいる。なぜ?と聞いてくる人も、好きな映画をレンタルして観ることがあるのではないかなと思う。自分も気に入ると3回4回と観たくなる。

しかしライブは、ライブ映像としてDVDになる公演以外、一度限りで二度と同じものはない。

セットリストは同じかもしれない。けれど、どのタイミングでどこへ移動して、どんな表情をするのか。一瞬一瞬が違うものになるとしたら、観られる限りそれを観ていたい。気に入った曲は何度も聴くように、それを直接聴けるなら、音を耳で蘇らせることができるくらいに聴いていたい。

 

関ジャニ∞で例えるなら、7人もいるメンバーの動きを自分の目一つで追うことはできない。必ずどこか見逃しているし、ライブの空気に飲まれているので、DVDになってからやっとここがこうなっていたのか!と気がつくことがある。

曲ごとに見せる表情は、その曲の世界観に入り込んで演じる短編のドラマだと思っているから、この歌詞を歌う時、どんな表情で歌うのだろうと注目して観たりする。CDからの音源だけではわからないニュアンスがその時わかったりするので、ライブで聴いて好きになる曲もある。

関ジャニ∞のライブMCは楽しい。その時ごとに話す内容が違って、どんな方向に転がって行くかが未知なので、それも毎回の楽しみになっている。

 

舞台は、開幕したてを初期とするなら、公演期間の真ん中あたりは中期、千秋楽間近を後期だと考えている。

もちろんどの時期に行ったとしても役者さんは全力の舞台を作っていて、そこに大小はないけれど、特に主演の方の変化は目に見えて表れる気がしている。セリフの間合いや、相手の言葉に対するリアクション、時には台本の解釈が変わる時もある。舞台で座長を務めるプレッシャーや緊張と戦いながら、役と向き合い踠いている時期も含め舞台は魅力的だと思う。

 

 

ライブも舞台も、沢山の人と時を共に過ごす、日常では経験し得ない機会だと思う。今でも、開場してすぐのドームを見渡して、これが本当に埋まるのだろうかと漠然と思う。それでも気がつけばライブ開演前には人でいっぱいになっていて、その空間を見るたびに感動してしまう。

これだけ大勢の人が、一体どこから集まったのだろうと圧倒されながら、皆がこの日のライブを待ちわびてそれぞれの時間を過ごしてきたことを思うと、こんなに楽しい空間はないなと思う。

 

人が作っている以上、“同じ”は無いというところに、その人間味に惹かれている。

その瞬間に起きていて、それを自分も経験しているということに意味があって、だから私は、“その場に居る”ということに魅力を感じる。