もし、グッズ会議で本気のプレゼンをするとしたら

 

いつか考えてみたかった、グッズについてのアイデア。もし自分が企画書を提出するとしたら、ということを本気で考えてみることにした。

イラストなどにしてしまうと著作権が本人についてしまい、仮にでも使用できなくなると聞いたので、ならば言葉だけで表現してみようという挑戦でもある。

 

関ジャニ∞のツアーグッズとして、企画書を提出するとしたら。

1つ目に、コレクション性。

2つ目に、意外性。

3つ目に、男の人も使えるもの。

4つ目に、女の人が嬉しいもの。

その4つの要点で考えた。

 

1.まず、コレクションしたくなるものは必須だと思う。安価でいてクオリティーの下がらないもの。集めるなら場所を取らず使いやすい、なおかつ飾って置くこともできて、用途はその人が選べるものがいいと思い、

  • 缶バッジ
  • フレークシール
  • ポストカード

この3つで考えた。

つい集めたくなる缶バッジは、その丸みとコンパクトさが人気の理由かなと思っていて、デザインも面積が小さいのでロゴのみなどのシンプルなデザインでも、配置次第でクオリティーは保たれやすい。丸いものに惹かれるお子さんの心も掴めるかなと思う。

缶バッジの需要の高さを感じたのは高橋優さんのライブの時で、ガチャガチャになっているグッズの中で最も狙っている人が多かったのは缶バッジなように見えた。実際に自分もこの中で缶バッジが欲しいと思って引いて、1度目で出ず。諦めきれずにもう1度引いて出た缶バッジを今も大切にしている。

 

フレークシールは、小さなお子さんも女性も使えて、学生さんはノートに貼ったり、働いている人でも小さいシールなのでこっそりロッカーの鏡などに貼ることができる。

ポストカードはメンバー写真ではなく、あえてメンバーの映っていないもの。ツアーロゴや、CDジャケットのセットなどをセンスよく撮ったものだったり、ロゴやイラストにして、買った人が写真立てに入れて飾ったり、ツアーに行ってきましたという思い出のお手紙を送ることができるものとして。

 

2. 「手ぬぐい」

手ぬぐい自体用途の自由なもので、物を包んだり、折ってブックカバーにしたりもできる。

関ジャニ∞のファンの方には、これまで出たバンダナやTシャツ、タオルの生地などを使って色んな物を作っている方も多いので、好きな形で使える手ぬぐいは丁度良いのではないかと思う。もちろんそのままでも使えるので、お年寄りの方も、若者も、年齢層幅広く使うことができる。

無限大の柄が散りばめられているだけでも可愛いし、メンバーそれぞれのモチーフや、演奏しているトランペットやドラムなどの柄でも可愛い。

和な雰囲気も、関ジャニ∞に合う。

 

3.男の人も使えるもの

女の人はヘアークリップとして、男の人はネクタイピンとして使える「ネクタイピン」

シルバーかゴールドならどちらでも違和感なく、留める歯の部分を工夫すればどちらにも使えるのでは。

 

そして、「7色のカラーライナー」

蛍光ペンのような平たいペン先で、ラインを引くのに使える文房具。

受験生や学生さんは勉強などで、女の人はスケジュール帳の色分けなどに、男の人もオフィスや自宅で使えるように。

色は蛍光色やパステルというよりも、カラーチャートから新たに作り出すくらいの勢いで作れたら楽しい。そうすると、メンバーカラーだけでなく、その時ごとのシングル曲のジャケット写真のイメージカラーなどで3本セットなどにすることもできるかなと思う。

何のグッズかはっきり分かるものよりも、普段使えて、知っている人が見ると気付くようなさじ加減のものが自分は欲しくなるので、あえて遠回しに関ジャニ∞っぽさが伝わるものにしたい。

 

4.女の人がうれしいもの

「コスメ」

メイクに興味を持ち始めた人にも、メイクをすでにしている人でも、中高生から気軽に使えるものとして、コスメの中でもチークを。口紅やマニキュアだと、成分や肌に合う合わないが分かれてしまうので、比較的に安心感のあるチークがベストかなと思う。おすすめカラーをメンバーに選んでもらい、色はシンプルにピンクやオレンジなどで。

ピンクのチークの真ん中にインフィニティマークが白のチークで入っていればさらに素敵に。ケースは手のひらに収まる小さめの丸型で、持ち運びしやすいコンパクトさ、使い切りやすいサイズにすれば、1つだけでなくいくつか買いたくなる。

キャンメイクやヴィセなどのブランドとコラボで作ることができれば、信頼感もあり安心。

 

 

というのはどうでしょう…

個人的な好みも入ってしまっているけど、こんなものがあったらいいなという自分なりの。デザインで印象が大きく変わるところもあると思うものの、欲しくなって用途の広いものというコンセプトで考えると、こうなった。

想像でも、考えてみるのは楽しかった!ありえないと思うことでも、本気で考えてみるのは面白いなという発見があった。

みね子の目に映るひとたち「ひよっこ」

 

朝ドラ「ひよっこ

毎朝、朝ごはんを食べながら見るのが楽しい。

集中力を切らさずに、こんなに好奇心を持って見続けられたのは久しぶりかもしれない。習慣になって見ているうち、気がついたらもう「ひよっこ」最終回まで2ヶ月を切った。

 

有村架純さん演じるみね子は、言葉にする前に考える聡明さがある。

いつも頭の中で“お父ちゃん、”と語りかけ、心の内を静かに整理する。自ら掻き回しに行くというよりは、受け手の姿勢で、周りで起こる物事にみね子がどう反応していくかが丁寧に描かれていて、静かだけど熱量がある。

人をよく見ているけれど、見下したり知ったような気になることもなく、常にフラットで、物事を淡々と受け止めていく。

出稼ぎに出ていたお父ちゃんが居なくなり、自分が出稼ぎに出る他ないことを悟った時も、ただ粛々と悲しさを飲み込んで受け入れた。なんで?と言いたくなるほど理不尽な出来事に、どう反応して向き合っていくのか。そういう時になにが大切なのか。みね子を見ていると考える。

 

みね子は等身大のまま悩み戸惑うけど、周りにいる人々がその道を乗り越えていくコツをいつもみね子にそっと持たせてくれていた。

島谷さんと別れ、すずふり亭の鈴子さんの前で「鈴子さんの言った通りになってしまいました」と話したみね子に、「嬉しくないよ」と答えた鈴子さんは印象的で、助言は伝えながらも実際にその通りになってしまった時、だから言っただろうではなくそう言える人がどれほどいるだろうと思った。悲しいのに悲しい顔をできずにいるみね子に、「いいよ、そんなに強くならなくても」と言った鈴子さんの言葉も切なくて。

みね子を見守ると決めた鈴子さんはみね子に、家族のため自分を犠牲にしたとしても、自分を捨てずにいる方法を教えてくれていた。

人を思いやることと、人のために自分を失うことは違うと、言葉で教えるのではなくて見せて教えてくれていると思った。

 

お父ちゃんは見つかったけど、簡単には喜ぶことができない状況に直面したみね子に、周りに居たみんなはそれぞれにできるやり方で、側にいて見守っていることを伝えた。その放送回が好きで好きで、何度も見た。

なにも言わず、甘納豆をあーんと言って口にひとつ放りこんでくれた富さん。ばったり出くわし、そのまま黙ってそっとみね子を抱きしめた早苗さん。なにか言いたいけれど、言葉が出ない漫画家志望の二人。

五目チャーハンだからと持ってきてくれた中華屋さん、あんみつ美味しいよと持ってきてくれた甘味屋さん。みね子!と意気揚々とサンドイッチを作って出てきてくれたのに一歩出遅れた感が否めない省吾さん。食べます。いただきます。と言うみね子の声が、暖かさに満ちていた。

早苗さんのハグは見ているこっちが泣いてしまうほど優しくて、なにが必要かを見抜いて自然とそれを行動に移した早苗さんに憧れた。ためらいなく人を抱きしめられる人は本当にすごい。

 

お父ちゃんを迎えに世津子さんの元へ行く直前、愛子さんはみね子に「今日あなたは、お母さんだけを見ていなさい」とだけ伝える。

そこにいるみんなの気持ちを考えるみね子のことだからと、困難な状況に置かれ、間違いなくこれから感情が揺さぶられ混乱することは避けられないけど、それでもせめて、どこを見ていればいいのかを確認して送り出す。その愛子さんの心配りに、なんて思慮深い人なんだろうと感動した。

あの時みね子が気持ちの整理を出来ないまま飛び込んでいたら、お母さんを傷つけてしまっていたかもしれない。状況はより混乱したかもしれない。

 

親ではない人たちとの出会いがどれほど大事か、それを感じられるのが「ひよっこ」だった。

親ではない大人たちに出会い、いろんな人がいて、いろんな人生があることを知ったみね子が見つけたものは、ほかの何にも変えがたいものだと思う。

一人一人、お母さん。お父さん。おじいちゃん。家族だとしても、それぞれに様々な面を持っていて、自分の見ている面が全てではないことを教えてくれている。当たり前にあるからこそ、忘れることがあるかもしれない。親も、親である前に一人の人としての人生があって、街で接する店員さんにも日常があって。それは学校の先生も、テレビに出ているあの人も同じことで。自分が目にする肩書きがその人の全てではないと改めて思う。

 

省吾さんなどが時折見せる、語らないことの大切さを感じる姿勢も心に残る。

知っているとしても、分かっていたとしても、その場で自分が言葉にする必要があるのかどうかを思いに留める節度ある大人の姿が素敵で、見習いたいなと思う。ただ黙っているのとは違う、言うべき時と言わなくてもいい時をきちんと見極める誠実さが本当にかっこいい。

 

大好きなビートルズへの思いを、隠さず抑えない宗男さんの潔さも最高だった。

会いたい!と思えばためらいなくバイクを飛ばして奥茨城から東京の赤坂まで、宿もないのに出てきてしまうその行動力。自分にとってなにが大切で、どうしたいかをちゃんと掴んでいる強さがあって、決めるべき時の迷いのなさは何にも負けない勢いがある。

それって凄いことだと、感動せずにはいられない。宗男さんが居たのは奥茨城で、どちらかといえば流行というものから距離のあるところにいて。それでも最新の音楽に触れて、東京に行くというみね子にビートルズの情報をくれと頼み込み、ビートルズでいっぱいの隠れ家を作って、俺はビートルズが好きだ!と声を大にして言う。

きっと奥茨城村でも、なんでイギリス国旗なんかつけてという人や、なんだかおかしな人だと揶揄されたりもしたかもしれないけど、そんな外の声には目もくれず、大好きなものがあるんだと胸を張って言える宗男さんが眩しかった。

それをあまり干渉はせず、でも見送る時は気分良く送り出す宗男さんの奥さんも素敵だった。

 

歯磨き粉の抽選でビートルズの武道館公演を当てることはできなかった宗男さんの前に、島谷さんの心遣いで置かれたチケット。

しかし宗男さんは、島谷さんとみね子とのこれからを考えて、自分が行くことはせずに、チケットが買えなかった女の子にそのチケットを手渡した。

衝撃だった。一週間の放送を通して、宗男さんがどれほどビートルズが好きで、一目会いたいと思っているのかを知っていたから。受け取って、観に行ってよと未だかつてなく願った。それでも宗男さんは、自分より島谷さんの気持ちを守ることを選んだ。

もし自分だったら、宗男さんのように手渡すことができるだろうかと考えた。観に行ったらいいのにと思ってしまった自分にはまだ、それはできないかもしれない。

 

 

ひよっこ」は一貫して、“見守られて、見守っている”ことの大切さを描いていると感じる。

ひよっこ」を見ていると、素直に物事を受け止めることは弱者ではないし、傷付けようとする感情よりも、守ろうとする感情の方が強いと実感する。みね子たちは悪意のない世界に生きてるのではなくて、悪意をかわしながら生きている。ファンタジーではなく、現実世界でもみね子たちのように生きることはできるはずだと思いたい。

 

お父ちゃんを奥茨城へと連れて帰るために、すずふり亭のみんなに行っておいでと送り出され、さようならではなくて「行ってきます」と言えるみね子は、赤坂にしっかりと根を張ってこられたんだなと感じた。

みね子がこれから、家族との距離をどう考えて、自分を生きていくのかを見守りたい。

 

「僕」と「君」が好きな理由

 

曲を聴いていて好きになる歌詞は登場人物の一人称が“僕”で、相手を表す呼び方は“君”になっていることが多い。

最近は増えたような気もするこの一人称と呼び方が好きなのはなぜだろう。

 

歌われる時のパターンとして、

男性アーティストが男性心理を歌う場合の「僕」と「君」

女性アーティストが男性心理を想像しているシチュエーションでの「僕」と「君」があると思う。

 

女性アイドルの歌う曲は男性の作詞家さんが多く歌詞を書いている印象で、女性アーティストだと本人が作詞をしている印象が強い。

男性が書く男性目線と、女性が書く男性目線には違いがあるのだろうかと気になりながらも、意識して聴き比べたことはなかった。改めて好きな曲について思い出してみると、女性が書く男性目線より、男性が書く男性目線にときめくことが多いと気がついた。

さらに女性視点となると、男性が書く女性視点に惹かれがちなこともわかった。

女性の書く男性視点の方が、現実的でストレートだなとSHISHAMOの曲を聴いたりしていると思う。歌詞において、どちらかというとロマンチストなのは男性の方で、はっきりとドライに物事を捉えているのは女性の方なのかもしれない。

 

私が聴いていて特に好きなのは、平井堅さんが書く“僕”目線の歌詞。

「君の好きなとこ」や「僕の心をつくってよ」

弱った気持ちを押しつけず、淡々と語ることで伝える儚さが男性の弱さを丁寧に描いていて、不器用な僕の、真摯な想いが伝わってくる。

 

“僕”は僕であるけれど、“君”という対象は聴く人によって変化するという魅力が、この表現方法にはあると思う。

もっとも直線的な距離で、聴いている人の心へ届ける。自分のことかもしれないと感情移入をできる呼び方が“君”なのかもしれないと思った。自分に向けられたものではないと他人事に思わせず、当事者にさせる引力がこの言葉にはきっとある。

英語で言えば“You”だけど、“君”には昔から使われてきた古語としての意味も重なるような気がして、その一言に納められた、慕う心や見守る視線が感じられる。

だから歌を聴いていて、現代語として聞きながら、古語の時代から使われていることの意味を考えることがある。

 

関ジャニ∞では、「七色パラメータ」「I to U」「侍唄」など、ミディアムテンポやバラードで関ジャニ∞がふいに僕と君を使うとグッとくる。

関西出身のメンバーが使うというところにもときめきのポイントがある。関東ではそう呼ぶことに違和感はさほどないけれど、日常で使うことはあまりないであろう“君”というワードを、そのちょっとした小っ恥ずかしさを乗り越えて使うところがいい。

 

福山雅治さんの作詞する男性目線も好きで、「Massage」や「蛍」も独特な魅力がある。福山雅治さんの作る歌詞からは結婚観を持っている男性のイメージが伝わってくることが多く、安心感と包容力がある。

 

中島美嘉さんが歌っていた「ORION」も歌詞が印象的だったなと思い調べてみると、作詞は百田留衣さんという方で、男性だった。

泣いたのは僕だった

弱さを見せないことが そう

強いわけじゃないって君が

言っていたからだよ

という歌詞が中島美嘉さんの歌声で歌われることで切なさが増す。この詞は女性が書いたのかなとこれまではなんとなく思っていたけど、意識してみると、曲で描かれる繊細な弱さは男性だからこその感性なのかもしれないと思った。

この曲が不思議に感じたのは、中島美嘉さんが歌っているからなのか、ドラマ「流星の絆」のイメージがあるからなのか、“僕”という存在が性別に限らずどちらの立場とも取れるところ。ドラマで言うと、功一としても静奈としても投影できる。「ORION」だけが持つ魅力だと思う。

 

“俺”とも違う、“僕”の良さ。

言い表すのは簡単ではないけど、ただ単に少年っぽさがいいということではなく。温和な感じが滲むところがいい。一人称が俺のときよりも、落ち着いた大人の言葉として聞こえることもある。

思えば、曲に限らず、ドラマの登場人物や小説の主人公でも、一人称は僕の方が好きだ。今見ているドラマ「ウチの夫は仕事ができない」でも、司さんは自分のことを僕と呼ぶし、奥さんの沙也加さんも私と言う。

前のめりな荒っぽさよりも、物静かで、穏やかな空気感のものに魅力を感じている。

そういう丁寧さが伝わるものが好きなんだなと思う。