みね子の目に映るひとたち「ひよっこ」

 

朝ドラ「ひよっこ

毎朝、朝ごはんを食べながら見るのが楽しい。

集中力を切らさずに、こんなに好奇心を持って見続けられたのは久しぶりかもしれない。習慣になって見ているうち、気がついたらもう「ひよっこ」最終回まで2ヶ月を切った。

 

有村架純さん演じるみね子は、言葉にする前に考える聡明さがある。

いつも頭の中で“お父ちゃん、”と語りかけ、心の内を静かに整理する。自ら掻き回しに行くというよりは、受け手の姿勢で、周りで起こる物事にみね子がどう反応していくかが丁寧に描かれていて、静かだけど熱量がある。

人をよく見ているけれど、見下したり知ったような気になることもなく、常にフラットで、物事を淡々と受け止めていく。

出稼ぎに出ていたお父ちゃんが居なくなり、自分が出稼ぎに出る他ないことを悟った時も、ただ粛々と悲しさを飲み込んで受け入れた。なんで?と言いたくなるほど理不尽な出来事に、どう反応して向き合っていくのか。そういう時になにが大切なのか。みね子を見ていると考える。

 

みね子は等身大のまま悩み戸惑うけど、周りにいる人々がその道を乗り越えていくコツをいつもみね子にそっと持たせてくれていた。

島谷さんと別れ、すずふり亭の鈴子さんの前で「鈴子さんの言った通りになってしまいました」と話したみね子に、「嬉しくないよ」と答えた鈴子さんは印象的で、助言は伝えながらも実際にその通りになってしまった時、だから言っただろうではなくそう言える人がどれほどいるだろうと思った。悲しいのに悲しい顔をできずにいるみね子に、「いいよ、そんなに強くならなくても」と言った鈴子さんの言葉も切なくて。

みね子を見守ると決めた鈴子さんはみね子に、家族のため自分を犠牲にしたとしても、自分を捨てずにいる方法を教えてくれていた。

人を思いやることと、人のために自分を失うことは違うと、言葉で教えるのではなくて見せて教えてくれていると思った。

 

お父ちゃんは見つかったけど、簡単には喜ぶことができない状況に直面したみね子に、周りに居たみんなはそれぞれにできるやり方で、側にいて見守っていることを伝えた。その放送回が好きで好きで、何度も見た。

なにも言わず、甘納豆をあーんと言って口にひとつ放りこんでくれた富さん。ばったり出くわし、そのまま黙ってそっとみね子を抱きしめた早苗さん。なにか言いたいけれど、言葉が出ない漫画家志望の二人。

五目チャーハンだからと持ってきてくれた中華屋さん、あんみつ美味しいよと持ってきてくれた甘味屋さん。みね子!と意気揚々とサンドイッチを作って出てきてくれたのに一歩出遅れた感が否めない省吾さん。食べます。いただきます。と言うみね子の声が、暖かさに満ちていた。

早苗さんのハグは見ているこっちが泣いてしまうほど優しくて、なにが必要かを見抜いて自然とそれを行動に移した早苗さんに憧れた。ためらいなく人を抱きしめられる人は本当にすごい。

 

お父ちゃんを迎えに世津子さんの元へ行く直前、愛子さんはみね子に「今日あなたは、お母さんだけを見ていなさい」とだけ伝える。

そこにいるみんなの気持ちを考えるみね子のことだからと、困難な状況に置かれ、間違いなくこれから感情が揺さぶられ混乱することは避けられないけど、それでもせめて、どこを見ていればいいのかを確認して送り出す。その愛子さんの心配りに、なんて思慮深い人なんだろうと感動した。

あの時みね子が気持ちの整理を出来ないまま飛び込んでいたら、お母さんを傷つけてしまっていたかもしれない。状況はより混乱したかもしれない。

 

親ではない人たちとの出会いがどれほど大事か、それを感じられるのが「ひよっこ」だった。

親ではない大人たちに出会い、いろんな人がいて、いろんな人生があることを知ったみね子が見つけたものは、ほかの何にも変えがたいものだと思う。

一人一人、お母さん。お父さん。おじいちゃん。家族だとしても、それぞれに様々な面を持っていて、自分の見ている面が全てではないことを教えてくれている。当たり前にあるからこそ、忘れることがあるかもしれない。親も、親である前に一人の人としての人生があって、街で接する店員さんにも日常があって。それは学校の先生も、テレビに出ているあの人も同じことで。自分が目にする肩書きがその人の全てではないと改めて思う。

 

省吾さんなどが時折見せる、語らないことの大切さを感じる姿勢も心に残る。

知っているとしても、分かっていたとしても、その場で自分が言葉にする必要があるのかどうかを思いに留める節度ある大人の姿が素敵で、見習いたいなと思う。ただ黙っているのとは違う、言うべき時と言わなくてもいい時をきちんと見極める誠実さが本当にかっこいい。

 

大好きなビートルズへの思いを、隠さず抑えない宗男さんの潔さも最高だった。

会いたい!と思えばためらいなくバイクを飛ばして奥茨城から東京の赤坂まで、宿もないのに出てきてしまうその行動力。自分にとってなにが大切で、どうしたいかをちゃんと掴んでいる強さがあって、決めるべき時の迷いのなさは何にも負けない勢いがある。

それって凄いことだと、感動せずにはいられない。宗男さんが居たのは奥茨城で、どちらかといえば流行というものから距離のあるところにいて。それでも最新の音楽に触れて、東京に行くというみね子にビートルズの情報をくれと頼み込み、ビートルズでいっぱいの隠れ家を作って、俺はビートルズが好きだ!と声を大にして言う。

きっと奥茨城村でも、なんでイギリス国旗なんかつけてという人や、なんだかおかしな人だと揶揄されたりもしたかもしれないけど、そんな外の声には目もくれず、大好きなものがあるんだと胸を張って言える宗男さんが眩しかった。

それをあまり干渉はせず、でも見送る時は気分良く送り出す宗男さんの奥さんも素敵だった。

 

歯磨き粉の抽選でビートルズの武道館公演を当てることはできなかった宗男さんの前に、島谷さんの心遣いで置かれたチケット。

しかし宗男さんは、島谷さんとみね子とのこれからを考えて、自分が行くことはせずに、チケットが買えなかった女の子にそのチケットを手渡した。

衝撃だった。一週間の放送を通して、宗男さんがどれほどビートルズが好きで、一目会いたいと思っているのかを知っていたから。受け取って、観に行ってよと未だかつてなく願った。それでも宗男さんは、自分より島谷さんの気持ちを守ることを選んだ。

もし自分だったら、宗男さんのように手渡すことができるだろうかと考えた。観に行ったらいいのにと思ってしまった自分にはまだ、それはできないかもしれない。

 

 

ひよっこ」は一貫して、“見守られて、見守っている”ことの大切さを描いていると感じる。

ひよっこ」を見ていると、素直に物事を受け止めることは弱者ではないし、傷付けようとする感情よりも、守ろうとする感情の方が強いと実感する。みね子たちは悪意のない世界に生きてるのではなくて、悪意をかわしながら生きている。ファンタジーではなく、現実世界でもみね子たちのように生きることはできるはずだと思いたい。

 

お父ちゃんを奥茨城へと連れて帰るために、すずふり亭のみんなに行っておいでと送り出され、さようならではなくて「行ってきます」と言えるみね子は、赤坂にしっかりと根を張ってこられたんだなと感じた。

みね子がこれから、家族との距離をどう考えて、自分を生きていくのかを見守りたい。