歌詞から見つめるキャンジャニ∞「CANDY MY LOVE」の魅力

 

関ジャニ∞の妹分的グループとして突如現れた、“キャンジャニ∞”

瞬く間にファンの心を掴み、奇跡的にライブに登場したと思うと、タンバリンを持って歌って踊り、儚く泡のように消えて行った彼女たち。リリースされた「CANDY MY LOVE」は後世に語り継ぎたい名曲になっている。

 

という整えすぎた前振りはここまでに、この曲の良さについて真剣に考えたい。

謡曲としての魅力がある「CANDY MY LOVE」は本当に曲として素晴らしい作品だと思っている。

作詞と作曲は山崎隆明さん。キャンジャニという企画でのCM起用を考えた、CMプランナーの山崎隆明さんご本人が、なんと作詞も作曲も担当している。

関ジャニ∞のメンバーがキャンジャニ∞に変身するというとんでもない企画からして、シングル曲を出すと聴いた時は、曲まで?どうやって?!と驚いた。見た目は変えることができても、その肝心な容姿が見えない状況で曲が成立するのか、心配だった。歌い方を変えるのか、開き直ってそのままの声でいくのか。

キャンジャニ∞盤として発売されたCDを購入して、まずジャケット写真のクオリティーに驚いた。普通に可愛い…悔しいほど可愛い。

 

再生してみると、収録されている曲は関ジャニ∞の「前向きスクリーム!」とキャンジャニ∞としての「CANDY MY LOVE」の2曲。それを、ラジオ番組のような形式でキャンジャニの7人が進行し、おしゃべりをするという構成になっていた。

それを聴いた時、そうくるのか…!と思った。おしゃべりがあることで、7人のイメージが膨らみ、個性豊かなそれぞれのキャラクターが際立って想像できた。

 

そして最も気になっていた、どんな曲でくるのだろうという疑問。

まさかのバラードだった。

写真はいけても、もしも歌う可能性があるとしたらポップな曲調の明るいイメージでいった方が乗り切れるのではと想像していたら、予想外な角度でのバラード。

けれど今あらためて考えると、ポップな曲よりも落ち着いたテンポの曲の方が、歌う時の声のトーンがより女性らしく聞こえているのかもしれないと思った。「バリンタン」をキャンジャニ∞としてライブで歌ったけれど、アップテンポになるとやはり隠しきれない声の厚みがあり、女の子としてのイメージで言うと「CANDY MY LOVE」で聞く声の方が細く柔らかい印象がある。

ぎこちない高い声を出さなくても、彼女たちの姿を想像して聴いているからか、不自然さはなく、歌声にどこかはんなりした女性らしさが漂っていた。

そこへさらに歌謡曲の要素が入り、劇的な曲始まりのメロディーから、サビのすば子の主メロに負けることのない6人のコーラスが今のアイドルというよりはどこか懐かしい雰囲気を呼び起こし、風情を生み出していた。

コーラスが完全なサブではなく、主メロもコーラスも魅力的なメロディーで、つい口ずさみたくなる完成度になっていて、カラオケで歌おうとする時にどちらを歌おうか迷うほど。

 

「CANDY MY LOVE」はメロディーの良さもさることながら、歌詞も秀逸だと思う。

恋愛ソングの王道にある、描かれがちな恋心について若干イジりつつ、それを反転させて意識的に貫き通す王道がかっこいい。そこまで真顔で言われたら、確かにな…と思えてしまう説得力がある。

この説得力、すごいことだと思う。ここまでふざけた設定をしつつ、それが成立していて、曲を聴いても何やってるのと笑いだけで終わらないのは、曲が曲として成立していて、それだけを単体で聴いてもいいものになっているからだと感じた。

もし仮に、インパクトと設定に完全に頼って、どんな曲でもある程度になるだろうと気を緩めて作っていたら、こんなにも話題を呼んで盛り上がることもなかったのではないかと思う。いい大人が本気でビジュアルを作り込み、設定を演じて、いい大人が本気で曲を作ったから、こんなにも面白くて魅力的なものができたのだと思う。ふざけたことを真面目にやるというのは面白いことだと、見ていて学んだ。

 

あなたに逢いたい でも逢えない

逢えなさすぎ 切なすぎ

すば子がこのパートを歌うからこそ、シュールさが際立っていて良い。

確かに恋愛ソングはいつどんな時も会えなさすぎだな…と思う。“もしかして まだいちども逢ったことないのかも”と続く台詞がいっそ哲学的に聞こえてくる。恋に恋して思い募らせていながら、そう言えばまともに会ったことなかったわという状況、あながち馬鹿にはできない。

音で聴いていると、この歌詞は“会う”という漢字で歌っているのかなと思っていたけれど、歌詞カードを見てみると、“逢う”という漢字が使われていた。そう考えると、実際の対面するという意味での会うではなく、すば子は初めから運命の人としてのめぐり逢いを待っていたのかもしれないと理解できた。

“逢いたい あなたに”と歌う部分がとても印象的で、まだ誰とも知らないあなたへ向けた募りすぎた思いが溢れている、すば子の歌声が素晴らしかった。

 

友達の笑い声が なぜかむなしくカラダをすり抜ける

生きることはリアルね 知らない誰かがつぶやく

ここの歌詞の言葉選びに不意打ちな色気を感じた。大人びていて、同じクラスに居たとしたら、女子の憧れの存在になっていそうな無口な美人のイメージ。

“生きることはリアルね”という言葉が残って、この歌詞はすごいなと思った。

現実を生きているのだから、リアルであることは当たり前なのだけど、リアルという表現をするところに良い意味での違和感があって、そこに引きつけられる。非現実が存在するからこそリアルが際立つということでもあり、そうでなくても日常を生きていてふいに、何かリアルだなぁと現実に対して思うことはある。短い言葉でありながら、真実を突いた言葉だと思った。それを“知らない誰かが”と繋ぐところに、素晴らしさを感じた。

言葉にしないまでも、誰もがどこか感じたことのある何とも言えない矛盾が、思春期特有のチクチクとした痛みと共に表現されている。

 

ひとりさみしい夜に

ネットのなかのわたしははしゃいでる

友達の数ほどの安らぎ わたしにください

2番に入り、この歌詞がくることに深さを感じる。

キャンジャニ∞の企画はもともと携帯ゲームのCMに沿ったものだったので、CMでもMVでもメンバーは携帯を持っている。そのことを意識してか、SNSにまつわるような歌詞も散りばめられていて、特にこの歌詞では、ひとりさみしいのにネットでははしゃいでいるフリをしてしまうという、ドキッとするようなあるあるが潜んでいて、“友達の数”は多いのに、その数ほどの安らぎがないという虚しさが歌詞に表れている。

キャンジャニ∞のビジュアルは可愛らしくありながら、歌う歌詞には“強く生きる勇気ください”というフレーズが何度も出てきて、見た目のキャッチーさと歌詞のギャップに心を揺さぶられる。

 

 

 まだ見ぬ

(わたしの)

あなたに

(逢いたい)

という歌詞が可愛くて切なくて。

下がり調子だったサビがここへきて転調して、上がり調子のメロディーに変わるところが最高で、サビに盛り上がりを作らず一定のトーンで流れる「CANDY MY LOVE」のある意味での単調さをここでグッと引き上げる技に感動した。

すば子のボーカルに掛け合うのが、初めは安子で次に錦子というところがさらにドラマティックさを生み出している。特に安子の(わたしの)は、ブルーリボン賞並みの切なさ溢れる演技力。

 

関ジャニ∞だからキャンジャニ∞で、CMのゲームにも掛けつつ曲のタイトルが「CANDY MY LOVE」とは、なんて完璧な企画なんだと、あの時の一連の流れは今思い返しても新鮮な感動がある。

キャンディマイラブという語感の可愛さと、タイトルはアルファベット表記になっていながら、歌詞カードにはカタカナという使い分けも流石だなと思う。思っていたよりもひらがなで書いているところが多く、ここもひらがなにしてあるのか…と発見があった。

 

もしキャンジャニ∞がクラスにいたらと想像すると、安子とお友達になりたい。横子に憧れながらも近づけず、錦子と倉子は高嶺の花すぎてきっと会話もできない。村子は完全スポーツ系という感じで接点がなさそう。すば子にも近づけないけど、つい目で追ってしまう気になる存在になりそう。丸子は普段はあまり一緒にいないけど、学園祭や体育祭などのイベントごとになると距離が縮まりそうなイメージ。

 

思いもよらないサプライズだったライブでのキャンジャニ∞の登場から2年が経ち、今年の秋はおじいちゃんな関ジャニ∞

一度限りの幻になる美しさもあるなと感じながら、ふとした拍子にまた逢いたいと思ってしまう。

 

不恰好でボロボロで、それでも格好いい私のヒーロー「ER」

 

アップテンポで勢いのある曲調に、負けることのない強い意思のある歌詞が魅力。

映画「エイトレンジャー」の主題歌にもなった「ER」

「エイトレンジャー2」が公開された際には「ER2」が主題歌になっていて、二部作とも言える。MVも、音楽番組でのパフォーマンスも、エイトレンジャーの格好をしていて、かっこいい曲調にどこかカッコ悪さのあるレンジャースーツという組み合わせが良かった。

 

曲の入りも、遠くに聞こえるフェンスの金属音やサイレンの音から始まり、そこから入る音楽そしてボーカルの順番が凝っていると感じた。

早口でノンストップな歌詞ゆえに、映像に注目しているとなかなか見逃しがちな歌詞について今一度注目してみると、胸にグッとくる言葉が曲のなかに沢山あることに気がつくことができた。

二作目の「ER2」は、よく聞くと哲学的な現代社会における生き方の話をしているなと思いながら聞いていたけど、「ER」の歌詞については掴めていなかった。いつかピンとくる時が来るかなとのんびり構えていたら、思いがけず真っ直ぐ響いてきた瞬間があった。

頭がこんがらがっている時にどんな曲を聴いていいのかというのは難しいところで、意味がありすぎてもだめだし、全くあっけらかんとしすぎてもなんじゃいとなってしまうから、いつも迷う。かといって無音もつらいという時、シャッフルで流れてきたのが「ER」だった。スキップに次ぐスキップで曲を飛ばしまくっているなかで、手が止まり曲を最後まで聴いた。

 

あんなに頼りないエイトレンジャーがこの歌詞を歌う時は最高にカッコよくて頼もしい。

関ジャニ∞とエイトレンジャーの人格が半々に同居しているような空気に胸が熱くなる。

 

「信じる事さえも怖くなるなら信じぬ事」

I know... 至って Simpleだ

誰かの理解を 欲しがっているなら

信じる事 意外と切り離せないぜ

 

韻を踏みながら言いたいことはハッキリと言葉にしていて、音数をメロディーに合わせて行くすごさにも感動しながら、最初の歌い出しの歌詞がこれであることに心を揺さぶられた。

陥りがちな思考回路をばっつり言い当てながら、“至って Simpleだ”とは言うけれど、どこか皮肉めいていて、“切り離せないぜ”の前に“意外と”という言葉をつけるところに一枚上手なヒーロー感が出ていて堪らなかった。意外というのは、思いがけないことであり、この言葉を言っているヒーロー自身が“意外と切り離せない”と感じる経験をしたのだと思うと、初めから達観していて何もかも正解を知っているヒーローとは違う、身近さを感じられた。

 

その身勝手が破裂して 招いた無数の事態を

嘆いたって 結果いつだって

腹の足しにもなりゃしないぜ 

 

ズバッと言われるその現実が、清々しいほどその通りだった。

厳しいようにも聞こえるけど、寄り添いすぎず見守られている距離感が絶妙で。意味がないではなく、“腹の足しにもなりゃしないぜ”という言い方をするところが洒落ていて好きだなと思う。

あの時、あの選択をしなければ。あの時、あっちを選んでいたら。そんなふうに思いだした時にこの歌詞を聴くと、そんなことを言ってる場合じゃなかったと目が覚める。

「ER」も「ER2」も全体を通した印象はどこかニヒルで、100%勇敢で優しいヒーローではないところが良い。窮地を抜け出す手立てはくれるけど、極限まで本人の持つ力を見守っていそうな、そんな印象がある。

 

また守って ただ維持して ±0付近で立っている 

守ることもただ維持することも日常にありふれているけど、だからこそ簡単なことではなくて、前に進むだけではない±0付近で立っていることも大変なことだと、この歌詞を聴いていると思う。

 

それでも、現状を維持するだけではなく

立ち向かっては 失って 確かに理想に迫っていく 

という歌詞がくるところが本当に好きで。

立ち向かって得るものばかりでなく、“失って”いて、そして“確かに理想に迫っていく”

どれだけ跳ね返されても志は全く折れていなくて、“確かに理想に迫っていく”という信念がなによりも強い。凄く力のある言葉だと思った。

 

 

メロディーとボーカルがぴったりと沿って流れていく曲のなかで、錦戸亮さんの“もう逃げるだけの日々脱して”というボーカルをきっかけにスッと音が止み、渋谷すばるさんのソロパートがやってくる。

 

奮い立っては 挑んでいって こっぴどく身の程を知って

今わかった この手にだって きっと守れるものがあるって

 

何度聞いていても鳥肌が立つ。

思い浮かぶのは赤いヘルメットを被ったレッドの姿で、渋谷すばるさんとしてというより、レッドとしての声に聞こえた。

一度二度ではなく、何度も挑んでいってこっぴどく身の程を知る。挑むという言葉を使っていることから、対峙するものは簡単に越えられるようなものでないことがわかる。格好つける余裕などなく、不恰好でも必死に立っている姿と、眉間にしわを寄せながら歌うレッドの表情がいつも目に浮かぶ

“こっぴどく身の程を知って”という歌詞が印象に残る。負けることを知っていて、ただ身の程を知るのではなく、こっぴどくというところに一筋縄ではない葛藤や、ボロボロになってもまた挑んでいく姿が見えた。情けなさや不甲斐なさを感じたことがある、強いばかりではないヒーローだから、好きになるのだと思う。

 

ゴツめのヘルメットにつなぎのユニフォーム。

こんなヒーローあり?と思っていたはずなのに、7人並んだ決めポーズがいつの間にか格好よく見えた。

 

京都駅のはなし

 

広くて、天井を見上げると三角がいっぱいで、電車が入るホームはどこか外国みたいな雰囲気がして、わくわくした。見たことのない場所、見たことのない景色の中に私は居るんだと嬉しかった。

 

大阪、京都を初めて旅した2016年。一人きり降り立ったその駅は、なんだか外国へ来たような不思議な景色だった。

京都駅はとにかく壮大だった。私にとっては、東京駅や新宿駅よりも難解で、一度迷えばもう同じ場所に戻ってこられないような心細さがあった。グレーを基調にした駅の中は洗練されたデザインで、綺麗な駅だなぁと感動したのを覚えてる。

三角がいっぱいで、天井の線と線が三角になっているその景色をぼーっと見ているとドキドキした。

 

外に出て、振り返って京都駅を眺めた。

ああ本当に来たんだな、来られたんだなと思いながら、“京都駅”と書かれた大きな文字を眺めた。外観も、三角形があった。三角好きの自分には堪らないなと思いながら、後ろに振り向くと大好きな京都タワーが見えた。タワーのなかで一番可愛い、一番大好きと思っている京都タワー。こんなにすぐに見られるんだ!と思った。

一人で旅した初めての京都は、ちゃんとここに戻って来られるかなと緊張しながらの旅だった。夕方、新幹線の時間に合わせてバスに乗り、このバスに乗れば京都駅に着くはず…時間にもきっと間に合うとそわそわ考えて、バスの窓から京都駅が見えてきて、朝来た場所に戻って来られた…とホッとした時の気持ちは多分忘れないだろうなと思う。ほんとは相当心細くて、内心半泣きだったことも、覚えてる。

大きい大きい駅のなか、一人歩くことも緊張するくらいに広いホーム。お手洗いを探すのも一苦労だったりして。電光掲示板を見ても、どれが自分の乗りたい電車か見分けられない。合ってるかな…と思いながら階段を上り下りして、たどり着いたホームで電車に乗って、新大阪駅へと帰って行った。

 

2017年 1月、二度目の京都駅。

二度目の京都駅は、また違う景色に見えた。前より少し、知っている景色の多い京都駅。改札を出て、この景色を右に曲がったら階段があって、それを降りて外に出ると、京都タワーが見える。

今年の京都タワーには、雪が降っていた。

 

 

またここに戻って来たい。そう思いながら、京都駅をあとにした。

好きな場所があるのってうれしい。行こうと思えば行ける距離にある場所もいいけど、少し距離があって、今度いつ来られるかはわからないけど、それでもまた来たいと思えて、あの時に見た景色を時々思い返すことができる。

帰りたい。そう感じる場所は、生まれ育った土地でなくてもいいなと思えたことが嬉しくて。地元とか、そういうもの自分にはないなと思っていたけど、大人になってからだって、そういうものはできていくと思えた。そこに心惹かれるものがあるなら、故郷ではないとしても、ふるさとのようなものになるかもしれないなと思う。

また来たい、が簡単ではないから時々切なくなるけど、ふとそんなことを思った。

 

雪がすこしかかった嵐山も、おいしかったお団子も、静かだった庭園も。全部楽しかったけど、京都駅の景色は特別だった。

不思議だけど、ドキドキするけど、懐かしくて安心する。

私にとっての、京都駅のはなし。